第22話 久しぶりの食事は、薄焼きパン

看板に巻かれていたのは、ユキの黒髪を結んでいたヒモだったのだ。


「追われている。」


ジェイコブの言葉にもユキは平然と答える。


「ここは大丈夫。オークたちは来ないわ。たぶんバイオリンの音色が関係あると思うの。」ユキは顔を、バイオリンの少女に向ける。


「オークは明らかにここを避けているわ。」


ユキの言葉を疑う必要もないので、3人は安心してカウンター席に座った。


「疲れた。先に進むには、食事と睡眠が必要だ。」


ジェイコブの吐く息から、重い疲労が伝わってくる。


「今すぐ用意するわ。待ってて。」




今は何時なのだろうかとシカルは考える。


地上では、もう夜中のだろう。シカルは空腹と眠気を感じた。


ユキはコーヒーカップを3つ運んで来て、それに芳醇なコーヒーを注いだ。


「ここにあったコーヒー豆よ。酸味もなくて、おいしいわ。水も新鮮。


たぶん、この城の頂上にあった貯水タンクから、城中に水管が張り巡らされているのよ。


採掘労働者にとっては、まさに命の水だったでしょうね。」


ジェイコブはコーヒーを口に含む。


香りとほどよい苦みが、脳の疲れを癒してくれる。


酒とは違う慰めだ。健康的な癒しだ。


ロイとシカルは砂糖を入れて飲む。


口の中に広がる甘さが、体中の疲労を軽くしてくれる。


ポッドから2杯目、3杯目と自らおかわりを注ぐ、疲れをためた任務遂行者たちは、コーヒーを一口飲むごとに、張り詰めていた緊張から徐々に解きほぐされていった。


これほどうまいコーヒーは、彼らも飲んだことがなかった。


ミネラルを多く含んだ新鮮な水が、疲労のたまった体に合ったのは間違いないし、冷えた空気の中で保存されていたコーヒー豆が、最高の状態で香りを保っていたのも、当然おいしさの大きな要因だ。




ほどなく、小麦粉を焼くいい香りが漂ってきた。


3人の空っぽの腹が、食べ物を要求する。


さほど待たずに、プレートにのったパンを3皿、ユキが運んできた。


「これくらいしかなくてゴメンなさいね。ただ、量はいくらでもあるから、お腹いっぱい食べてね。」


薄い生地で作られたパンである。


何層にも重ねられ、歯ごたえも良さそうだ。


シロップが添えられてあり、それをかけて食べる。


卵もバターもないので、味としては物足りなさがあるが、小麦粉の香りと、なんと言っても固形物を食べる感触がうれしい。


口の中で小麦粉の甘さを味わい、コーヒーと共に飲み込む。


ユキはコーヒーのポッドと、パンのプレートを次々と運び、3人の満足するまで奉仕する。


特にロイの食べる量はすさまじい。


そして思い出したようにシカルが口を開く。


「そういえば、屋敷からの荷物の中に、ハムを入れておいたんだ!」


その言葉を聞いて、ユキは一瞬考える。


「いいわね。だけど、フライパンで温めるのは止めときましょう。ハムの匂いにオークが引き寄せられるかもしれないから。」


ロイは背中の大きな鞄に腕をもぐりこませて、グレイの屋敷から持って来たハムを取り出すと、ユキに渡した。


ユキはそれを包丁で厚切りし、何枚かに分けると、3人のプレートの上に乗せた。


もちろんロイには多めに。


3人は、パンの上に乗せて厚切りのハムにかぶりつく。


ハムの塩分が、食欲をさらにそそる。


おかげで、ユキはさらに多くの薄焼きパンを作るはめになったのである。


バイオリンが優雅な音楽を奏でる中、3人の胃袋が満足し、ユキも自分のハムのせ薄焼きパンを食べ終わった頃、やっと4人はこれまでのことを話しはじめた。






「まずマットのことだ。」


ジェイコブはマットが地下7階の魔法陣につかまったところから始めた。


魔法陣については、シカルのさらに詳しい知識を、この場で共有することが出来た。


それから、オークたちの厨房、大食堂、オーク2匹の退治、そして黒騎士との戦いを、ジェイコブは話した。


ただ、邪気のことは話さなかった。


「おらは、怒りにまかせて、頭をぶっ潰しただけだ。」


ロイは多くを語らない。


黒騎士が蒸発して消えたことは、シカルの推測によると、もう鎧に戻って来ることはないそうだ。


「本に書かれてあったのだけどね――」


元々、死に損ないの騎士だろうと言うのだ。


戦争に命をかけたが戦場では死ねず、梅毒にかかったり、つまらぬことで死んでいった者たちだと言う。


つまり魂だけが死にきれず、鎧に執着している、半分死者のような存在なのだ。


だから、戦いで死んだならば、その死を受け入れて、魂も死ぬだろう、と。




ユキは、自分の進んできた道を話した。


地下7階の魔法陣を抜けると、わずかに女の気配を感じはしたが、彼女らは部屋にこもっていたこと。


地下8階はジェイコブたちとは違い、一旦中央部方向へ進み、そこから壁際の大食堂に出る道を行った。


「その途中で出会ったのが、あのバイオリン少女よ。」


彼女はバイオリンを演奏しながら、食堂を渡り歩いていたけど、なぜか彼女のまわりには誰も近寄らない。彼女には視線も向けない。


「だから、思い切って彼女のすぐそばに付いて、堂々と彼女の付き添いのように振る舞っていたの。彼女は私のことを見たけど、何も文句は言わなかったから。」


店内には今も、その少女のバイオリンの音色が響く。


「そして、彼女はこのレストランに入り、あのように、バイオリンを奏でているの。ずっとね。


そして、ノッペラボウの団体のお客さんが、この店に入って来たの。


わたしは簡単にコーヒーとパンを食べた後、疲れをとろうと思って、この奥であなたたちが来るさっきまで寝ていたわ。」




「そういえば、地下4階で魔女みたいな老婆にあわなかった?」


シカルが思い出したように、ジェイコブとユキに聞いた。


ジェイコブは、服の内のポケットから何やら羊皮紙を取り出した。


「あの婆さん、何者かは知らないが、化け物って感じではなかったな。」


羊皮紙を広げると、地図が描かれていた。


「こんなものまでもらったぞ。宝の地図だそうだ。一体なんのつもりだろう。」


地図は非常に簡単なものであり、木々と川の絵が描かれてある。


場所の名前は一切書かれていないが、おそらく木々が描かれているところが、王の森であろう。


川の近くの木の根元に×印がある。


「この木を探すことさえ、不可能だろう。何本の木がこの森にあるやら。」


「場所は崖のそばみたいね。つまり、鉱山の側からも視界に入る場所かしら。」ユキが言う。


あまりにも適当に書かれた地図のために、それ以上の手掛かりもつかめず、胃袋を満たした冒険者らは、疲れを癒すために寝ることにした。


ジェイコブとロイは店内のソファで、シカルはユキが寝ていた厨房の奥で、そして、ユキは起きてバイオリンの演奏を聴いていた。




ジェイコブは眠りに落ちる前、黒騎士が言った言葉を思い浮かべていた。


どうして、俺が酒にやられているとわかったのだろうか。


やつは、俺が半分死んでると言ってたな。


まぁ当たってる。


せいぜい、この仕事が終わるまでもつかどうかだ。 


この任務が終わったら存分に飲もう。気の済むまで飲もう。気の済むまで・・・


そうやってジェイコブは眠りに落ちていった。




シカルは魔法陣のことを考えていた。


まさか本当に存在するなんて、思ってもみなかった。


マットは、どうなってしまったのだろう?


あの魔法陣で部屋に閉じ込められ、魔法使いたちに何をされているのだろう?


そしてまだ、生きているのだろうか?




ロイは黒騎士のことを思い浮かべていた。


思い出しただけでも、ゾッとするだ。


悪魔に命を売った愚か者だ。


あの嫌な声は、生きている間に神様の言葉を何一つ聞こうとしなかった者の声だ。


あの声が耳から離れないだ・・・




ユキも椅子に腰掛けてバイオリンを聴いていたが、あまり長くはもたなかった。


現実と夢の世界を行き来しているうちに、徐々に頭が沈んできた。


何かあったら気付くはずよ。


仮にマットが前を通りかかっても、気配で気付くわ。


実際、さっきだって起きたじゃない・・・




4人は結局眠りに落ちた。


バイオリンの少女は暫く演奏を続けたが、次第に奏でる音を少しずつ小さくし、そしてとうとう無音になった。


少女は立ち上がると、ノッペラボウの一人一人の頬にキスをしてまわる。


最後にキスをしたノッペラボウの手をやさしく握ると、少女を先頭に手で繋がった長い列を作り、店の扉から出ていった。

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