第19話 オークの厨房
10匹ほどの下っ端オークらの罵声が飛び交い、肉を煮た香りが漂う。
一体、何の肉なのかは気になるところであるが、それがオークの肉だったとしても、シカルは驚かないであろう。
彼らはもちろん、きちんとした料理人の格好などしておらず、汚れた手で小麦粉を混ぜるし、それどころか、ヨダレが料理の中に入ろうがおかまいなしである。
そんな中へ正装のジェイコブとシカルが現れたのだ。
いっとき、時が止まったかのように静まる。
「兄弟!差し入れだ!」
バカでかい包丁で、得体の知れない肉を骨ごと切っていたオークに、肩をポンと叩きジェイコブはウイスキーを1本渡す。
そのオークは、こいつは誰だろうかと疑問に思ったものの、うまそうな酒を鼻の先にして、そんな疑問は野暮だとばかり礼を言う。
「ありがとよ兄弟。酒は全部クソったれどもにとられちまったから、ありがてぇ!」
そして肉の脂のついた手で瓶をつかみ、キュキュと歯で蓋を開けると、グイグイとのどに流し込む。
「いい飲みっぷりだぜ兄弟!ガハハハ!」ジェイコブは笑う。
その様子を他の下っ端オークらが見て、誰だか知らんがあいつの知り合いだろうと勝手に思い込んだ。
ジェイコブはギヒヒヒと笑い声をたて、時折ウイスキーをオークに与えながら、台車を押してグルグルと厨房の中を進んだ。シカルもジェイコブに従っている。
下っ端オークが酒で盛り上がる中、ジェイコブは、外側へと通じる扉を発見した。
ウイスキーが残り2本となったところで、その扉の前に到着した。
「やぁ、兄弟。俺にも1本くれや!」
得体のしれない動物の皮を剥いでいたオークが、ジェイコブに近づいた。
「わりぃな兄弟。この2本は親分に頼まれたもんだから、もう渡せねぇんだ。また見つけたら、おめぇのとこに一目散に来てやるから、それまで楽しみに待っててくれ。」
「ちぇっ、しょうがねぇな。見つけたらすぐに飛んで来るんだぞ。待ってるからな兄弟!」
「おお。その時は、その肉と交換だ!ギヒヒヒ!」
皮剥ぎのオークが酒を惜しそうに眺めた時、シカルが振り返ってしまい、目と目が合ったのだ。
皮剥ぎのオークは、この小さいのが何か気に入らなかった。
貴族のお坊っちゃんのような、場違いな気品が鼻につく。
扉から出て行った時も、後ろを振り向いた。
「やはり怪しいぞ。」
酒で盛り上がるオークの仲間たちを尻目に、皮剥ぎのオークは長い牛刀を掴んで、ジェイコブらの後を追うことにした。
扉を開けた先には、例の小さな配膳おんなたちが、忙しそうに動いていた。
彼女らは、ジェイコブらに目を向けることもなく、熱心に飲み物を用意し、お盆にオークが腕をふるった料理をのせていた。
彼女らはすべて同じ顔であり、どこか機械仕掛けなようで、個性がないように見える。
しかし、悪い化け物ではなさそうだと、シカルも一安心する。
彼女らの正体は、その容姿にヒントがありそうである。
観察力の鋭いジェイコブでも気付かなかったが、彼女らの顔を老けさせると、地下3階で出会った老婆に似ているのだ。
老婆は鏡に自分の姿を映し、この奇妙な女らを次々に作ったのである。
鏡に映った姿から作ったのに、どうして若返ったのかと言う読者もいるかもしれないが、鏡はいつも正直とは限らない。
鏡よりも、この小さな女らの方が、あの老婆の姿を正しく反映しているのかもしれないのだ。
さて、話を戻そう。
ジェイコブとシカルは、ロイの隠れている鍋を乗せた台車を押して、配膳係の小さな女らの間を堂々と通り抜け、ついにその先の扉を開けた。
扉を開けた先には、ジェイコブの予想とは違うものがあった。
下りの階段が姿を見せるものだと、ジェイコブは期待していたのだが、実際見えたのは、大広間が広がり、化け物らが酒と料理と乱痴気騒ぎを楽しんでいる姿であった。
慌てることなく、ジェイコブは冷静に円錐形の城と、今まで通ったルートを思い返した。
厨房のある場所が、いわば円の端だったのだろう。
そこから、円周に沿うように、配膳場を通り、そしてこの大広間に続いたのだ。
実際、この大広間の壁側は、緩やかに丸く曲がって伸びているので、円周側にいることに間違いはなさそうだ。
方向感覚に絶対の自信があったジェイコブだが、これではまるで方向音痴のようではないか。
なぜ方向感覚が狂ったのか、ジェイコブには思い当たるフシがあった。
(マットを見捨てたことだ。そしてコレだ。コレを見たからに違いない・・・)
そんなジェイコブの悩みを、シカルの声が打ち破った。
「どうしよ・・・さっきの厨房で、オークと目が合ったよ。」
「堂々としてろ。ほれ、ウイスキーを飲むふりでもして、オークのように股開いて歩け。」
シカルは言われたように、ウイスキーの瓶を手に持ち、がに股で歩く。
不自然すぎて、逆に注目を集めそうなほどである。
最後の1本になったウイスキーを、ジェイコブはポケットの中に忍び込ませ、ついに木箱は空となった。
ぎこちないシカルのガニ股歩きは、運よく誰も気にしておらず、代わりに、シカルの持っている酒をあざとく見つける者がいた。
「よぉ兄弟!うまそうな酒を持ってるじゃねぇか。ちょっと1杯分けてくれ。」
シカルはギクリとしながらも、動揺を隠して腹の底から声を出して対応する。
「いいぜ兄弟!悪魔のしょんべんだ。たっぷり味わってくれよ、イヒヒヒ。」
そのかん高い声の違和感に、オークはシカルの目を覗き込むものの、深く帽子をかぶっているので、よく見えない。
「ありがとよ兄弟。ところでお前はどこの・・・」
オークの言葉を遮って、ジェイコブが叫ぶ。
「馬鹿タレくそタレめ!酒を無駄にするんじゃねぇぞ出来損ないチビが!ほれ急げ急げ、大将がお待ちかねだぞ!」
「あ、あいよ!」
オークから解放され、ゴロゴロと台車を押して、広間の化け物たちをかきわけるように進む。
その間にもシカルは、酒をせびってくるしつこいやつらには、ウイスキーを注いでやった。
所々にいるクモ女のまわりには、オークが群がり、恥じらいもなく淫らな交わりを行っている。
酔いつぶれて、イビキをかいている奴らもいる。
そんな中で、姿勢正しくテーブルにつき、上品に食事をしている者たちもいる。
黒騎士だ。
彼らはいつも一人で、その周りにはオークも近づかない。
鎧の中は空っぽだとシカルは思っていたが、肉を刺したフォークは兜の中の、人間と同じ形をした口に運ばれていった。
しかし、見えるのはその口だけで、その他は、指の先まで黒い鉄で守られている。
ジェイコブは、不気味な黒騎士には一切近寄らず進んでいった。
しかし離れた場所からも、ジェイコブは黒騎士が発する邪気をヒシヒシと感じており、それは精神を蝕むようであった。
地下9階への階段を探すため、壁際に沿って行きたいところであるが、黒騎士は壁を好むようだ。
気前良くシカルもウイスキーを注いでいたが、ついに一滴もなくなってしまった。
その様子を、少し離れて皮剥ぎのオーク1匹が見ている。
果たして、その存在にジェイコブは気付いているのであろうか?
ジェイコブはついに、目的のものを見つけた。
もちろん下りの階段だ。
「厨房から俺たちの後を着けてくるオークがいる。ここで騒ぎを起こされたら大変だ。少しでも人の少ないところの方がいい。」ジェイコブはシカルにささやく。
台車を押す手に力が入り、スピードがあがる。
「おい、なんか食うもんねぇか。その鍋の中、何か入ってるだろ。わしにもくれよ兄弟。」
酔っぱらったオークが、鍋のフタに手を伸ばす。
ジェイコブは台車のスピードを緩めず、オークの手を払いのける。
「馬鹿野郎!これは俺たちが食うもんじゃねぇ。食ったのがバレたら、俺もお前さんも、鍋にされちまわぁ!」
そう言葉を残し、酔っぱらいオークから離れる。
「くそめがっ!」
不機嫌になった酔っ払いオークに、皮剥ぎのオークが近づき、何やら耳元でささやく。
階段に近づくジェイコブたちだが、その階段のそばには黒騎士の姿があった。
ジェイコブの緊張が高まる。
強い邪気がジェイコブの心の中に入って来るのを感じる。
しかし、もはやためらっている時ではないのだ。
突き進む台車は、スピードを増す。
黒騎士が皿から頭を上げて、鎧の中からジェイコブたちを見る。
その横を突っ切り、ついに階段のあるところまでくる。
扉は開かれた状態にあり、ついに大広間から抜け出たのだ!
そのジェイコブたちの後を追って、2匹のオークが飛び込んで来たところ、オークの後ろで扉が閉められた。
オークたちは驚く間もなく、何が起こったのかわからぬまま床に倒れた。
首の後ろにナイフが刺さっている。
「ロイ、出てきていいぞ。」
フタをとり、狭い鍋の中で苦しんでいる大男に声をかける。
「早速ですまんが、このオーク2匹を鍋の中に片付けてくれ。」
苦労しながら巨体が鍋の中から姿を現し、まだピクピクと動いているオークを片手でつかむと、自分が入っていた鍋にポコンポコンと放り込んだ。
ジェイコブは扉の取っ手に、ウイスキーの空き瓶を差し込み、かんぬきの代わりにした。
そして、鍋に入れられたオークの首からナイフを抜き取った。
血がドクドクと吹き出て、鍋の底に赤黒く溜まる。
「すぐにバレるだろう。急いで降りるぞ。」
ジェイコブの言葉とともに、3人は階段を駆け降りる。
狭いところに閉じこめられていたロイは、足がしびれておかしな走り方をしている。大剣を杖代わりにしながら、階段を降りる。
階段はジグザグを繰り返し、ジェイコブは踊り場だけをスタッスタッと軽快に飛び降りて進む。
シカルはジェイコブから遅れるが、それでもスパパパッと、流れるように階段を降りて行く。
パリン!とガラスの割れる音が響いた。
扉の取っ手に挟んでいたウイスキーの空き瓶だ。
階段の近くにいた、あの黒騎士が扉を開けたのだ。
黒騎士が大鍋のフタを開け、オークの死体を目にした。
黒騎士は、ゆっくりと階段を降りて行った。
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