第1話 二人の天才

 1751年盛夏、レオポルトとアンナの間に四番目の子供が誕生した。

先に産まれた長男、長女、次女の三人の子供たちは、すでにこの世を去っており、長女と次女に名づけられたマリア・アンナという名は三女でもあるこの赤子に授けられたのである。

食糧事情も豊かでなく、医学もまだ発展しない時代、まだ体力のない子供の命を永らえることは簡単なことではなく、出産は産む側にとっても生まれる側にとっても命がけの仕事であった。

それは三女であるこの赤子が誕生した後も変わることなく、1756年の冬に七番目の子供であるウォルフガング・アマデウスが誕生するまでに、五番目の子である次男と六番目の子である四女が命を落としていた。

残念なことに、レオポルトとアンナは七人という多くの子供に恵まれながらも、結局生きて成人したのはわずか二人だけだったのである。


 レオポルトは、家庭の中ではあたかも支配者のようにふるまってはいたが、家庭的な一面もあった。

アンナが身ごもったころからお腹にいる子に、自分が演奏するヴァイオリンをよく聞かせたり、時には子の無事を祈り家事の手伝いをすることもあったのだ。

そして生まれてきた子には、子守唄代わりに自分の演奏する音楽を聞かせ、ようよう歩くころになると、家計を切り詰め、クラヴィーアやチェンバロを手に入れ、熱心に音楽を教え始めたのだった。

そうして生きながらえた二人の子供たちは、レオポルトが驚くほどの才能を示したのである。

マリアは7歳にしてクラヴィーアを大人以上に演奏してみせ、ウォルフガングは3歳にして、小さな手でチェンバロを演奏したのである。

二人の才能にレオポルトは狂喜した。

レオポルトは、最初マリアを神童として様々なところでクラヴィーアやチェンバロを演奏させた。

マリアの演奏はたちまち評判になり、レオポルトの虚栄心と懐を満足させたのである。

しかし、ウォルフガングが3歳でチェンバロを演奏できるようになると、5歳年上のマリアが演奏するよりも、幼いウォルフガングが演奏する方が、いっそう多くの人を集めることができると考え、レオポルトは今まで行っていた演奏会の演目を、マリア中心のものからウォルフガング中心のものに変えていったのである。

実際ウォルフガングの演奏は、評判を呼び、マリア・テレジアの前で、御前演奏をするまでになったのだから、彼の音楽プロデューサーとしての才能は、父親としての才能や楽師としての才能よりもよほど確かなものであったろう。

 この頃からレオポルトは、ウォルフガングに目隠しでヴァイオリンを弾かせたり、チェンバロを弾かせたりするようになり、ただ単に演奏するだけでなく、神童ぶりをアピールするために娯楽性の高い様々な演出をするようになっていた。

その結果、御前演奏会のたった三時間で、レオポルトは中流家庭が10年は生活できるほどの大金を手に入れたのだった。


このことをきっかけに、レオポルトの人生は、音楽家や指導者としてよりも興行師としての比重が大きくなっていくのに反比例して、子供たちにとっても妻にとっても残念なことに、夫や父親という家庭での本来の役割は損なわれていったのだ。

彼自身が満足することのなかった音楽家としての評価に代わり、子供たちの才能が彼の自己実現の手段となりかわったのである。

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