呪い
私を生んだ人は、時に私の事を空気のように扱い、時には八つ当たりの的にした。
いつも「なんでお前なんだ」と悪態をつき、「目障りだ」「耳障りな声で話すな」と理不尽に怒られた。
それを知ってか知らずか、祖母と父は私を本当に丁寧に丁寧に育てた。掌中の珠のように。
それを見て、あの人はまた私に八つ当たりの的にする。
母ですと知人に紹介はするが全身鳥肌が立ち、胃が痛くなる。手短に済ませないと吐き気まで出る。
お母さんと呼んだのはもう何年前のことだろうか。
包丁を片手に、「お前を殺して私も死ぬ」なんて言い出したこともあったし、フライパンで叩かれたのなんて数えきれない。
当たり前のことだが、私はパパっ子だったし、おばあちゃん子だった。
いつも父にひっついて歩いた。
背筋を伸ばし、さくさくと歩く姿が好きだった。
「私には厳しく叱ったのに、孫には甘い」と呪怨のように唱えながら祖母と私を順に見た。
祖母が亡くなり、10年の月日が経ち、私も結婚をした。
プロポーズは私からだった。
幸せにしてくれなくていいよ、亡くなる前に結婚して安心させてやりたい。無理しなくていいから、結婚してくださいと。
それくらい切羽詰まっていた。
父は余命三年という宣告までされ闘病中で介護、通院費だって馬鹿にはならない。余命三年はもう残り半分しかないし、もう片方の親は呪いがかかっている。
その状況を見てもなお、「幸せにできるかはわからないけど、俺は幸せになるつもりでいるし、これからはお前のことは守ってあげるから。」と夫は言った。
味方なってくれる人が居るだけで、こんなに頑張れるのか。
私の結婚後、父の闘病生活も長引いてはいたが回復に向かっていた。
結婚後直ぐ子宝に恵まれたこともあり、父は会うことができなかったはずの孫を腕に抱き、時々一緒に風呂にも入った。
余命宣告なんて意味がなかったのではないかも思っていた。
そしてある正月の朝、眠たいとこぼし、そのまま深い深い永い眠りについた。
父が孫と過ごしたのは二年と四ヶ月だった。
あれよあれよと言う間に通夜、告別式が終わり、骨になった父。
親族で骨を拾いながらも、涙でいっぱいの私に何度も何度も娘が「おじいちゃんは、どこ行ったの?」と尋ねる。
私も夫も、説明しても娘は受け入れなかった。
嘘だ嘘だと火葬炉の周りをちょろちょろと歩き、探しているようだった。
祖母が亡くなった時、私も嘘だ嘘だと心の中では思っていても、口には出せなかった。
またひょっこり帰ってくるんじゃないかと、好きだった着物やアクセサリー類はできるだけ引き取り、亡くなった時に着けていたネックレスを未だに首からぶら下げている。
同じ首には、仏壇もあるのに手元供養のネックレスが揺れる。
父の遺骨を入ってるのが分かるのか、お守りにしたいからちょうだいと一歩も譲らない娘。
まだ二人が帰ってくると信じて疑っていない私の事を夫は「呪われてる」と言う。
「生まれ変わってまたいつか会える。一度は自由にしてあげないと二人とも可哀想だ。」とも。
それでも。
体の一部になりかけているネックレスを外すのは容易いことではなさそうで。
やはり私は呪われているのかもしれない。
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