第2話 エゾリス

 氷の張った窓から目を開けていられないくらいの眩しい日差しが降り注いできました。

 その窓にエゾリスが現れました。ぼくの家は山から近く、キタキツネはしょっちゅう現れるし、エゾシカはたまに現れて住民を驚かせます。

 ぼくは引き出しの中からピーナッツとアーモンドの袋を取り出して窓を開けました。外窓のサッシにも氷が張ってあるのでガリガリッと音が鳴り、けっこう力がいりました。エゾリスはびっくりしたのか後ろへ下がりました。安全とわかるとまたすぐに戻ってきました。

 早くくれ、と言わんばかりのつぶらな黒い目玉がぼくを見ています。この目玉にほだされない人はよっぽど氷の心臓の持ち主でしょう。ぼくはピーナッツを雪の降り積もった屋根の上にばらまきました。

 エゾリスは両手でピーナッツを持ってむしゃぶりつきました。その動きのコミカルなことといったら、まだまだおかわりをあげたいくらいでした。一粒一粒余すことなく食べていました。ゴワゴワしている毛皮にさわってみたくて手を伸ばすと逃げていくのがにくたらしいです。

 冷気が入ってくるので窓を閉めました。エゾリスも離れて行きました。

 恐竜図鑑もそのままにするとぼくは自慢のコレクションを眺めました。昭和という時代に生まれたダイヤル式のチャンネルの付いたカラーテレビ、ラジオカセットテープ、ビデオデッキ、黒電話もあります。

 ほとんどは亡くなったおじいちゃんとおばあちゃんの実家にあったものです。お葬式の後にぜんぶ捨てるつもりだったのをぼくが欲しいとせがんで部屋へ運んだものです。リサイクルショップで買ってもらったものもあります。

 なんていうのかな。

 時代に取り残された哀愁のようなものが漂っているところが好きなんです。あと、現代のスマホやスマート家電には感じられない汗と努力の跡がムダな重量感ににじみ出ているところも気に入っています。

 黒電話以外はどれもまだ使おうと思えば使えるところがすごいんですよ。

 このことを友達に言うと「ワケわからん。オマエ変わってんねー」と言われます。

 ぼくはテレビのスイッチを点けました。アンテナをつないでいないのでさすがにテレビの映像は映りませんけど、ぼくは砂嵐の映った画面とともに鉄腕アトムの主題歌を歌いました。三回くらいローテーションしたら次はチャンネルのダイヤルを回して初代ウルトラマンとウルトラマンタロウの主題歌をノリで歌いました。

 それにも飽きたら、黒電話の前でジリリリと音モノマネをしました。ほとんど似ていないと思いますけど。黒電話には現代のスマホや据え置き電話にはないユニークな注意書きの書かれたシールが貼ってあります。読み上げてみたいと思います。

「受話器をはずしてから回転盤を指とめまで回して必ず指をお放しください。受話器を耳にあてて、ツーという音(発信音)を確かめてからダイヤルをまわしてください」

 昔はずいぶん親切だったと思いませんか? 現代なんてもうトリセツはネット参照の時代なのに。

 ぼくはそのシールの通りにやりました。回転盤を回して元の位置に戻ってくるところが素直でいじらしくて好きなんです。ピッ、ピッ、ピッ、とボタンを押したりタップするよりも人間味が感じられるところが好きになりました。

 ぼくはひとり霊界電話をやりました。

「…あ、もしもし? おじいちゃん? そっちはどう?」

『ん? 誰じゃ? 神一郎か? 四六か?』

「四六だよ」

『おおひさしぶりじゃな。こっちはいいぞ。腰痛も骨粗しょう症も治って車椅子がなくても歩けるようになったし、毎日温泉に浸かっておいしいモンを食って、一度眠ったらもうそのまま起きないんじゃないかというほど深い深い眠りについてな。じゃが目覚めた時わしは自分の体があるのを見て、実は生きているんじゃないかと思うことがある』

「じいちゃん、そこ本当に極楽浄土なの?」

『空から横断幕が垂れ下がっておる。そこに極楽浄土と書いておるぞ?』

「高校みたいだね。どこの部活が全国何位に入ったとか、なんとか選手オリンピック出場おめでとう、みたいなさ」

『じゃが残念なことに若いきゃぴきゃぴした女の子がいない』

「地獄にはいるかもよ?」

『それなら地獄へ引っ越しても良い』

「エロジジイ」

『四六の方はどうじゃ?』

「ぼくは冬休みで家にいるよ」

『元気にしとるかね?』

「あんまり元気ではないかな」

『どうしてじゃ? お年玉もらえんかったのか?』

「そういうことじゃないよ」

 霊界電話が終わった時、階下からお兄ちゃんの大声が聞こえた。

「おーいシロー今から初詣に行くんだがオマエも行かないかー」

「えーぜったい混んでるからイヤだー」

 ぼくも負けじと声を張り上げましたけど、少年野球の応援で声を出しているお兄ちゃんのボリュームにはかないません。

 ところが、それほどしないうちにお父さんがやってきました。怒られる気がします。

「シローオマエなあ…」やっぱり怒っています。「おじさんやおばさんまぎちゃんやみらいちゃんも来ているのになんだ。部屋にこもって。少しは顔を見せろ」

「だって話がつまんないんだもん」

「話がつまんなくたってそこにいて顔を見せるだけでいいんだ」

 ぼくにはよくわからない理由でしたけど、オトナの事情とでも言うのでしょうか。言うことを聞かなければいけない状況であることはわかりました。

「仕方ないなぁ」とイヤイヤ言ったら「なにが仕方ないだ、子供のくせに」とまたお父さんにぴしゃりと言われました。

 そういうわけで、ぼくはしぶしぶ家の近くにある神社へ親戚一同で初詣へ行きました。

 案の定、混み合っていました。本殿まで三列にわたる行列ができています。すぐに来たことを後悔しました。ぼくはこの世でいちばん列を作って待つことがキライだからです。その点はでありまして、いちばん混み合う夕食どきの外食や昼時の人気ラーメン店とか、ぜったいに行きたくないのですけどですので、ぼくも付き合わされます。

 おじさんやおばさんいとこのハヤシお姉ちゃんとモリちゃんも待てるタチのようでした。家族そろってみんなスマホを見ています。ハヤシお姉ちゃんはとくにスマホの片手フリックが速くてぼくの目はついていくことができません。ぼくは左手に持って右手でフリックしてもおぼつかないくらいです。

 ニュースの通知が来てスマホを手にしました。ハヤシお姉ちゃんは小学校六年生の十二歳で宮木眞木みやぎまぎと言います。どこにもハヤシ要素がないのになぜハヤシちゃんというのかというと、宮木の木が一本、眞木に木が一本で合計木が二本。だから林、ハヤシちゃんという手の込んだニックネームになっています。クラスの友達がつけたみたいです。

「シローはスマホ片手フリックできないの?」

「できないよ」

「なんで?」

「なんでって知らないよ」ぼくはムキになって答えました。ちょっとだけスマホのフリックについてコンプレックスを持っていたからです。

「練習すれば?」

「そんな必要ある?」ぼくはますますムキになりました。

「あると思うよ〜やっぱり周りの子たちはみんな速いから会話や話題に乗り遅れちゃうよ〜」

「そんなことどうだっていいよべつに」

「シローって冷めてるよね」

「冷めてる?」

「よく言われない?」

「言われる。だけどわかんない。じゃあ聞くけどさ、どんなテンションだったら冷めてないって言えるの?」

「ほぉうッ、みたいな」ハヤシお姉ちゃんは右手をキツネかツルかどちらかわからないような形をして掲げました。隣にいた小さい女の子がくすくす笑っています。ハヤシお姉ちゃんは少し恥じらったご様子でうつむきました。

「なにそれ。いつもそんなテンションでいたら疲れちゃうよ。ばっかみたい」

 ハヤシお姉ちゃんはぼくとの会話にも飽きたのか、スマホに熱中し始めました。列が動いたら目はスマホに落としたまま足だけ動かしてちゃんと前へと進んでいきます。その様子がちょっとユーモラスでニヤけてしまいます。

 すぐそばではお兄ちゃんとモリちゃんが話し込んでいました。モリちゃんというのは、宮木未来みやぎみらいちゃんと言いまして、宮木の木の一本、未来という名前に隠されている木の数が二本。合計木が三本、それで森、モリちゃんというわけです。小学三年生の九歳でぼくより一コ下になります。

 二人はスマホゲームの話をしていました。十連ガチャがどうのこうのと…。

 やることもなく参拝客をちらちら眺めていたら、おじさんにこのように言われました。

「シローオマエはいつも落ち着いているなあ。神一郎よりも落ち着いているんじゃないか?」

 ぼくには意味がわかりませんでした。落ち着いているということとコミュ力がないというのは同義なのでしょうか。ぼくにはおじさんがそのように言っているように聞こえます。ぼくはただ人見知りがちでおとなしいだけなんですけど…。

 ようやく手水場までたどり着くとキンキンに冷えた水で身を清めました。ここは冬山かと思うほどの冷たさでした。まるで氷水に手を入れているみたいです。

 列に戻るとふたたび長蛇の列が続きました。

「おっそいな、前」モリちゃんが文句を言いました。「なに願ってんだよオイ」

「…ちょっとモリちゃん。声デカイよ」ぼくは注意しました。彼女は口が悪いのです。でもたしかに彼女の言う通りではある小学生三人組がいました。柏手を打ってからしーんとするまでの時間が長く、急に列の流れが悪くなったのです。

「居眠りしてんじゃねーのか」

「そんなわけないでしょ」

「じゃあなんだいなんだい」

「わかんない。けど、もしかしたらこの子たちにしか知りえない悩みでもあるのかもしれないよ。それとも中学受験の合格祈願とか?」

「悩み? なんの?」

「だから知らないって。たとえば、の話」

「ふうん。そういうもんか」

 いよいよぼくたちの番がやってきました。いくら待つのが耐えられなくても、いずれはちゃんと自分たちの番がやってくることを初めて知りました。だからといってまた並びたいとは思いませんけど。

 先にお兄ちゃんとハヤシちゃんとモリちゃんが参拝しました。近所の小さな神社なので三人分の鈴しかないのです。三人はなにをお願いしたのでしょうか。

 ぼくは知らない人オトナ三人と並んでお参りしました。あのエゾリスが今年の冬を無事に越せるようにとカミサマにお願いしました。

 次にお父さんお母さんおじさんおばさんが参拝しました。

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