サイトウ大戦争

20文字まで。日本語が使えます。

本編

 齋藤大輔は迷っていた。

 目の前にいる大群にどうやって立ち向かっていけばいいのか。


 一対一の至近戦なら勝てる自信がある。

 我々の攻撃手段は豊富だ。右手には刀、左手には槍。

 守りの面でも隙はない。下半身を中心に、鎧で身を固めている。

 敵一人一人の貧弱さと比べれば、俺たちの勝利は誰の目からも明らかだろう。相手は武器も鎧も満足に持っていない、ほとんど素の人間の姿なのだ。

 ただ、そいつらが自分たちの何十倍もの規模で襲いかかってくるとすれば。

 目の前に立ちはだかる人の多さに気圧されて、悲観的な想像が頭をかすめる。

 かつては個々の武力の差だけで勝ち抜くこともできた。何人もがまとめて襲いかかってきても、それは我々の武力の前では無力であった。一太刀振り切ればばたばたとその何人もが倒れていった。何倍、何十倍も相手の方が大規模だったとしても、それは複数の武器を有する我々には何のハンデにもならなかった。

 だが相手も、その状況にいつまでも甘んじているわけがなかった。

 いつからか相手はこちらとの機動力の差を活かした戦法を取るようになる。真正面からぶつかって勝てないのならば、背後や時には上空から、視界の外から奇襲をかけてくるようになった。

 戦闘開始とともに大人数の兵力が四方八方に散らばる。機動力を活かし、見る間もなくその軍勢が我々の周囲を取り囲む。いくら注意をしていても、その全てを我々の目だけで追うことはできなかった。

 いつしか勝利の味を忘れてしまっていた。武力が邪魔をして敵の機動力に対応することができない。相手と比べて圧倒的に足りない軍勢でどうにか対応しなければならないと頭を捻るばかりで、その間にまた次の戦いが起こる。そうしてリセットが繰り返される頭からは、何の有効打も思いつかない。

 目の前の軍勢を見て、最近の記憶ばかりが蘇る。かつて勝利を続けていた時の記憶が呼び起こされることはない。相手の動き自体は前に見たようなものばかりなのに、それにいつまでも対応できない。武力では勝るはずなのに、今回も……。

 いや、こんなことではいけない。一対一なら勝てるなんてのは悲観から逃れるための妄想にしか過ぎない。ここでは集団としての勝利しか意味がない。少ない軍勢でいかに大軍勢を打ち負かすか、それは指揮官として最大の見せ所だ。この戦いを我々が制覇すれば、全国に散らばる仲間たちにも勇気を与えられるはず。

 今回ばかりは、これまでの戦いとは違う。もうあの機動力に左右されるばかりの戦いからはおさらばだ。

 今度の我々には、秘策があるのだ。


 戦況は膠着状態。お互い一歩も動かず、にらみ合いの状況が続く。

 想像以上の軍勢に足がすくむ。負けた時の記憶がどうしても頭をよぎる。これほどまでに大きな軍勢は経験したことがないかもしれない。こんな相手に俺たちは太刀打ちできるのか。大きな不安が最初の一歩すら踏みとどませる。

 一方で相手も出方を探っているようだった。

 負け続けてたどり着いたこの地。そこで対峙した相手は見知らぬ顔たちだった。我々の仲間と戦った経験も少ないのかもしれない。人数で圧倒的に上回るとはいえ、こちらは一人一人が装備を整えている。相手はほとんど素手。一人一人の見た目では圧倒している。下手に動けば無駄死にを増やすだけに思えるだろう。

 動かない戦況を見ながら、なんとか勇気を奮い立たせようとする。人数の差ははじめから分かっている。それを覆すべく考えた、新しい作戦を実行する勇気を早く絞り出さなくては。

 だだっ広い越後平野の片隅。起伏が少なく、同じような景色が視界を覆う。

 この地に辿り着いた時、もう負けられないという気持ちは不退転の覚悟となってようやく現れた。

 他の軍勢と渡り合うのであれば兵力の差は必然的に生じる。その差を、そして一人一人の機動力の差をどう克服すればいいのか。

 少数で勝利を収めた歴史上の戦いを思い浮かべる。背後の山から奇襲をかける。水辺へ追い込む。戦力の集中、情報操作、夜襲……。

 戦いの場として川のある所を選ぶこともできる。ただしどこも水深はそれほど深くない。装備を固めた我々と異なり、機動力でいえば圧倒的に相手が上回る。水辺を使ったところで軍勢の差を跳ね返すほどの効果が現れるとは考えにくい。

 再び過去の戦いに目を向ける。なぜ寡戦を制することができたのか。

 共通するのは相手の意表をついたことだ。相手の思ってもいない行動を取って、相手が戦闘態勢に入る前に大勢を決する。統制の取れていない軍隊はただの人混み。少数の統制された兵の力でも制圧できる。

 兵力の差を覆すには相手の裏をかかなければならない。どうすれば相手の考えもつかない戦法が可能となるのか。誰もしたことのない、相手との差を埋めるための真新しい戦術がどこから生まれるのか。少し間隔の空いた戦いの合間に、相手の考えもしない戦術を生み出せるある一つの可能性が頭に浮かんだ。

 サイトウの名を背負う者たちは、その字形から力を得ている。

 我々「齋藤」であれば、上側左右の刀、氏という形が我々に武力を与えてくれる。また字の複雑さはそのまま守りの堅さに繋がる。我々のような複雑な字形をしていればそれだけ身を守る装甲の充実に結びつく。

 一方で、今回の相手は「斉藤」である。字形は最も単純で、攻めにも守りにも決め手を欠く。ただ、その分身軽であり、圧倒的な機動力を誇る。我々の倍の速度で動けるのではないかと思ってしまうほどにその差は大きかった。

 武器も装甲も持っていても、その機動力で懐に入られてしまえば、装甲の隙間を縫って攻撃を加えられてしまう。充実した装甲が動きを妨げ、相手に隙を与えてしまいかねない。ましてや相手の人数が多ければなおのこと。誰を狙えばよいのか逡巡している間に、ふと背後から近づかれる。軍勢の差は個々の兵力の差を跳ね返す。

 斉藤たちが遠くから縦横無尽に動き回り、気づけば距離が詰められていたという状況を何度も経験した。ふと油断を見せた瞬間、懐に入られ一撃を食らう。

 近づかれれば危険が急激に高まる。なるべく遠い距離を保たなければならない。

 だが、我々も相手に攻撃を加えるためには近づかなければならない。手元には刀と槍。素手よりはリーチが長いと言っても、我々としても一触即発の危険な距離から攻めざるを得ない。

 兵力の差を埋めるために、遠くから攻撃したいという思い。

 そしてサイトウが字形から力を得ているという事実。

 この2つが頭の中で組み合わされた時、ある一つの可能性が浮かび上がった。

 我々「齋藤」という字の一部を、別の形に変えれば。


 それはまだ、未知の可能性に過ぎなかった。

 武器の扱いがあまり得意でない者たちを数十人ほど集め、苗字を変更させた。その変化によって失われるかもしれない武力を最小限にするために。

 もちろんこれまでずっと使い続けてきた苗字を変えることになるわけだから、初めは大きな反発を受けた。私たちを仲間外れにするつもりか、なんて厳しい口調で言われることもあった。だが、勝つために後には引けない。俺は言葉の限りを尽くして彼らの説得に当たった。兵力に劣る我々が勝つために必要だということ。字形を変えたくらいで俺たちの絆は揺るがないこと。それはおそらく、共に戦う全員が思っていることだということ。

「サイトウ界に革命を起こそう」

 最後にはこの言葉が決め手となってくれた。

 これまで誰も経験したことのない字形を変えるという戦術は、サイトウ同士の戦いに大きな変化をもたらすだろう。それはこれまでの常識を覆すような結果をもたらしてくれるはずだ。これまでの戦いは全て過去のものとなる。その歴史の始まりを、君たちの決断が作り出していくのだと。

 心の底から納得してくれたのかどうかはわからない。だが、頑なだった態度がその言葉によって和らいだのは事実だ。人によっては渋々だったのかもしれないが、なんとか、首を縦に振ってもらえた。

 それからはただただ忙しかった。10人を越える彼らの意識を新しい字形に馴染ませるため、日々苗字を書き写させた。また彼ら一人一人の戸籍を様々な手続きを経て変更させた。

 こうした動きは全て秘密裏に行う必要があった。作戦の肝は相手の意表を突くこと。具体的な内容が分からなくても、何かこれまでと異なる動きをしようとしているという意思が伝わるだけでも相手の動きは変わってしまう。作戦を成功させるためには、他の誰にも察せられる訳にはいかない。

 水面下での怒涛の日々を終え、ようやく彼らの苗字が変わった。彼らは、字形の少し異なる齋藤として公的に認められた存在となった。

 こうして我々、越後平野の齋藤たちの一部において、「氏」の部分が「く」に似た字形に変わった。この形のままサイトウが力を授けてくれれば、「く」の字の形をしたブーメランのような投擲武器を得ることができる。

 大勢の軍勢に立ち向かうために俺が望んでいたのは遠距離攻撃の手段。敵が散らばる前に先手を打つことで、戦いを有利に進められる。字形を変えさせたことで、その希望をついに手中に収めることができたはずだ。

 初めての飛び道具。いつも通りの行動をしていれば味方に被害が及ぶ可能性もあった。前線に立つ者たちを中心にこの実験内容を伝えながら陣形を組み直す。ブーメランを活かすように少しだけ間隔を狭め、近接攻撃を担う部隊は敵将のいる中央にだけ集中する。一方で遠距離攻撃部隊は最前線から一列後ろの左右端に配置しておく。四方八方から揺さぶりをかけてくる敵兵を、ブーメランがなぎ倒していくという算段だった。

 ここでも戦術は慎重に秘密裏に立てていった。味方に作戦を明かすのもこの戦いの直前になってから。敵を欺くためにはまず味方から。仲間を疑うわけではないが、作戦を大々的に広めてしまえばふとした会話の中から他の軍勢の偵察部隊に気づかれてしまう可能性もある。これほどの大々的で革新的な変更を施してまで敷いた戦略だ。その真新しさと、勝てるかもしれないという気持ちに押されて、味方たちのテンションも上がり、ついつい大声で話してしまうかもしれない。

 また、いざ対峙した時に陣形の変化も悟られてしまうと圧倒的な軍勢を誇る斉藤たちが何か動きを変えてくるかもしれない。万が一にでも相手に勘付かれてしまえば、意表を突くという最大の目的が果たせなくなってしまう。作戦を伝える際には、あくまで普段通りの振る舞いをするように強く言い聞かせておいた。


 その作戦がついに日の目を浴びる時が来る。

 お互いに出方を伺いながら、にらみ合いの状況が続く。この大軍勢と対峙するのは初めてとは言え、これまで戦った斉藤たちの戦い方にそれほど集団ごとの違いはなかった。今対峙している斉藤たちも見たことのある陣形を組んでいる。一方で相手はこちらの陣形の小さな変化に気づいていないように見えた。ましてやその裏に隠された意図に気づくことなどない、はずだ。

 サイトウが力を授けてくれるのは他のサイトウと臨戦態勢に入った時だけ。苗字の形を変えても、実践前に訓練をすることはできなかった。あくまでも頭の中のシミュレーションの中で陣形を作り、戦術を組み立てていくのみ。「く」の字形が望むように働いてくれるか。それはぶっつけ本番でなければわからない。

 その膠着状態の中、ついに相手の斉藤たちが動き始める。

 左右に広がりながら前へ前へと走り出す斉藤たち。この動きを見て、相手がこちらの新しい戦術に全く気づいていないことを確信した。他の斉藤たちと全く同じ動き。圧倒的な軍勢を散らばせながら、持ち前の機動力で狙いを絞らせない。普段の我々であったならば、気づいた時には距離を詰められ、四方八方から襲いかかる斉藤たちにこちらの武器も力を発揮できないまま打ちのめされるところだ。

 新しい武器を手に入れたと言っても、近寄られてしまえば同じこと。その前に手を打つ必要がある。

 左右に広がりつつある斉藤の軍勢を見ながら俺は合図を出した。いよいよ作戦開始。俺の考えが試される時が来た。

 遠距離攻撃部隊が「く」の字から力を得る。字形のままにブーメラン状の物体が姿を現した。一方は鋭く尖り、金属光沢が鈍く光っている。守りの薄い斉藤たちに当たればひとたまりもないだろう。

 外側へと走り出す斉藤たちに向かい、そのブーメランが勢いよく放たれる。

 目にも留まらぬ速さで回転するブーメラン。標的へは一直線。少しの間があって、左右に広がる斉藤たちがバタバタと倒れ始めた。

 左右に旋回するブーメラン。その間を両手に刃物を持った我々が駆け抜ける。

 中央突破。目指すは敵の指揮官のみ。ただその一点を見つめながら、我々齋藤の近距離部隊が全速力で突進する。

 敵の間には戸惑いが満ちていた。倒れる自分たちの軍勢を見ながら、何が起きたのかを懸命に把握しようとしている。きょろきょろと左右を見るも、すでにブーメランは我が遠距離部隊の手元。さっぱりわからないままに、目の前では近距離部隊が恐ろしい速さで近づいてくる。

 意表を突く。その狙いは間違いなく成功した。

 敵のざわめきが大きくなる。陣形が乱れ、ついさっきまであった勢いは全く失われていた。

「左右だ! 左右に広がれ!」

 敵将の声が響く。

 だが、統率の崩れた兵士たちはその指示に素直に従うことができない。

 声はただ、だだっ広い越後平野に虚しく霧散するだけだった。


 我々が敵の軍勢にたどり着いた時でさえ、その戸惑いは晴れていなかった。

 完全な臨戦態勢でないほとんど素手の兵士たちに対して、我々の近接攻撃部隊が圧倒的な武力を持って襲いかかる。

 何が起こっているのかさえわからないまま、ただ刃物で切り倒されていく兵士たち。見る見るうちに倒れた身体が積み重ねられ、勢いそのままに敵将へと近づいていく。

 左右に別れていた敵兵の一部が、自分のなすべきことを思い出したかのように動き始めた。我々の後ろを伺おうと、距離を取りながら弧を描くように走る。いつもの戦い方。四方八方から大勢で囲むことで狙いを絞らせないように撹乱し、武力の差を補おうとする。

 そう、いつもならその動きにやられてしまう。我々に遠距離攻撃の手段がなかったならば。

 そうして再び左右に広がった兵士たちも、我々のブーメラン部隊の攻撃によって目的を果たす前に倒されていく。

 遠距離攻撃に気づきブーメラン部隊に向かっていった敵兵たちも、四方八方に散らばった他のブーメラン兵によって倒されていく。

 そして中央に集中させた我々の武力が敵将に向かって一点突破の攻勢をかける。遠距離攻撃はあくまでサポートのためだけの存在。敵の裏をかき、撹乱を阻止する。どこからでも攻撃ができるという利点を最大限に活かすために、遠距離部隊には最初の一撃の後すぐに一人一人がばらばらに散らばるように指示しておいた。

 どこからともなく投げ込まれるブーメランと、武力の全てが集中した中央突破の部隊。

 作戦は見事に成功し、ふと見えた敵将の表情には観念の色が浮かんでいた。

 ついに敵の指揮官が白旗を上げる。

 なすすべもなく倒れていく兵士たちを見ながら、もう何も打つ手がないと悟ったらしい。

「撤収!」

 敵将の声が響く。その声は悲しみの色で満ちていた。


 不恰好に走り去る敵兵と背後に積み上がった敵兵の身体を交互に見ながら、俺はまず安堵感に包まれていた。

 その後からようやく勝利の余韻と喜びが心に現れる。勝てたことさえ久々だったのに、これほど気持ちよく勝てたのは未だかつてなかったかもしれない。ましてやあの、負け続けてきた大規模な軍勢を誇る斉藤たちの一派に。

 圧倒的な兵力の差を跳ね返したこと。そしてただ勝つだけではなく、敵陣にも多大な損傷を与えての勝利だったこと。

 そしてそれらが、俺が考えた作戦によって成し遂げられた結果であること。

 作戦会議の時にはおくびにも出さなかったが、戦うまでの俺の心は不安に埋め尽くされていた。果たしてうまくいくのだろうか、敵に勘づかれやしないだろうか。味方を大勢集めて、自信たっぷりに作戦を披露したのはいいが、うまくいかなかった場合俺には立つ瀬がない。勝つ見込みのない戦況の中でただ無駄死にを見届けるだけになってしまう。この地での「齋藤」の名にも傷がつくだろう。

 作戦を味方たちに披露した時に、彼らからの不安は聞こえなかった。いや、それはあの場で言えなかっただけかもしれない。虚勢を張り、自信たっぷりに作戦を話す俺に悪い思いをさせないようにという配慮だったのかもしれない。だが、自分が一番わかっていた。苗字を変えて戦い方を変えるなんて、突飛すぎる発想であることは。

 前例もない。実地での訓練もできない。苗字を変えて戦術を拡げる、そんな考えを抱いた人すら今の今までいなかったのかもしれない。

 不安に押しつぶされそうになりながら、それでも勝つ方法はこれしかないのだと気持ちを昂らせた。意図的に堂々と振る舞おうとし、豪快に声を張り上げた。戦いが始まった時でさえも不安は拭い去れなかった。敵兵が左右に走り出し、ブーメラン部隊に指示を出す時も、自分を奮い立たせるようにわざと動きを大きくしていたほどだ。

 左右に広がる敵兵をなぎ倒していくブーメラン。一心不乱に敵陣へと駆け抜けていた我々近接部隊を邪魔するものは何もなかった。我々はただ敵将めがけて突進するだけ。初撃が終わり四方八方に散らばる遠距離部隊たち。何度も何度も左右からの揺さぶりをかけようとする敵兵の動きも虚しく、どこからか飛んでくるブーメランにその身を砕かれていった。

 戦いの中で、すべては思い通りに事が運んだ。

 ただひたすら目の前の兵士たちを刀でなぎ倒しながら、俺の不安感は見る見るうちに消え去っていった。

 安堵。不安がそれほどにも大きかったのか、敵陣が退散していくのを見た瞬間、真っ先に抱いた感情がそれだった。

 そんな大勝利を引き連れて行われた宴は、これまでにないほどの大盛り上がりを見せた。

 久々の勝利。それに敵陣を壊滅させるほどの圧倒的な勝利。その余韻はここにいる誰もが同じくらい感じてくれたらしい。

 一人一人、その活躍を労いながら勝利の味を再び噛み締める。

「俺の太刀筋かっこよかったですよね」

「いや、俺の方が倒した人数は多いぞ」

 我こそがと己が貢献を言い合っていても、そこになんのわだかまりもないように感じられる。いくら自分が自分がと主張していても、今結果として残ったのは圧倒的な勝利という素晴らしい余韻だけ。笑い合いながら、そこに俺も混ざりながら、宴はさらに盛り上がりを増していく。

 隅の方で、この勝利に大きく貢献した遠距離部隊たちが遠慮がちに佇んでいた。

 俺の姿を見つけて彼らは姿勢を正す。

 そんな堅苦しくしなくていいのに。俺が優しく声をかけると、これまた遠慮がちに姿勢を緩めてくれた。

「君たちのおかげで、この勝利を手にすることができたよ」

 心からの賛辞を彼らに送る。彼らの表情もそれによってようやく少し緩んだように見えた。

「ありがとうございます」

「そんな肩肘張らないで。さあ、まだまだ宴は始まったばかりだから」

 俺が満面の笑みで彼らの貢献を讃えても、まだどこかにぎこちなさを感じてしまう。真っ先に自分たちの貢献を訴えてもいいはずなのに、どうしたことだろう。

 少しばかり感じた違和感も、俺の名を呼ぶ声でかき消された。

「もっと楽しんでくれてもいいんだぞ」

 声のする方へ向かう前に最後の言葉をかける。その時点にあってもまだ、彼らの態度は宴の中で浮いていた。


 圧倒的な兵力の差を覆し、見事な勝利を上げた。

 宴で感じた少しの違和感はありつつも、やはり俺の心は勝利の喜びに大部分が満たされていた。

 その嬉しさや満足感を一通り味わうと、俺は他の「齋藤」たちに連絡を取り始めた。

 人数から言えば、全国ほとんどの地域で斉藤が圧倒的な勢力を占めている。我々と同じ「齋藤」も含め人数に劣るサイトウたちは、山がちの地形を生かして奇襲をかけたり、一撃撤退でじわじわと敵の兵力を削っていくような作戦しか取れなかった。真正面から打ち勝つなんて夢のまた夢でしかなかった。

 そこに我々の勝利の報を授ける。正面から大軍と向き合って勝てたこと。苗字を変えるという突飛な作戦が、これほどまでに有効だったということ。

 影から討つような作戦しか取れず、全国で悶々としている齋藤たちに大きな活力を与えてくれるに違いない。サイトウの名を欲しいままにする斉藤たちに一泡吹かせてやろうではないか。目の前の味方たちにとどまらず全国の齋藤たちに対して、俺は勝手に同じ字形を背負う者としての一体感を感じていた。


 我々が大勝利を収めてから1週間経ち、また新たな戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。

 次の相手も斉藤の一派。この地で戦おうとすれば必然と最大勢力である彼らの集団に立ち向かわざるを得ない。こちらとは比べものにならないほどの大所帯なのは言わずもがな、今回は前の作戦がそのまま通じるとは限らない。

 前回あの作戦が大きな成功を収めたのは、あくまで秘密裏に行ったからだというのが主要因だった。相手が考えもしない戦術を取ったことで、敵の統率を奪い、圧倒的な勝利を手にすることができた。

 だが今回は状況が違う。圧倒的に勝利したがために、その噂は他のサイトウたちにも少なからず知れ渡っているはずだ。使用した武器の詳細までは分からなくとも、散らばった我々の部隊が遠距離から攻撃を加えてくるということは誰もが想定するだろう。

 全く同じ作戦で勝てるほど次の戦いは甘くない。

 大勝利の余韻がまだ残る頃合いから、俺は秘密裏にまた新たな作戦への準備を進めていた。

 目の前の斉藤たちはこちらが想定した通り、これまでとは少し異なる陣形を組んで我々の攻撃に備えている。四方八方に散らばる我々の遠距離部隊に対応するためだろうか、従来よりも左右へと拡げた格好となっている。

 両者がお互いの出方を窺おうとして、膠着状態のまま静かに時が流れていく。

 その静寂を大量の足音が切り裂いた。左右に散らばった敵の一派が我々が以前遠距離部隊を配置した場所へと先んじて向かっていく。大勝利に大きく貢献した遠距離部隊の動きを先に封じることで、中央での戦いに集中する狙いだろうか。

 こちらの作戦に応じて敵の動きが変わることは想定済みだ。

 だからこちらはそのさらに上を行く新たな作戦をすでに立てている。

 こちらの陣形は前回とほとんど変わらない。左右に遠距離部隊を散らばらせ、中央から俺を含めた近距離部隊が集中攻撃をかける。

 だが今回は、中央部隊にもブーメランを装備した兵士たちがいる。遠距離部隊が散らばるや否や、中央のブーメラン部隊も我々の先陣を切って突き進み、従来より手薄な敵の中央部隊に先手をかける。

 ブーメラン攻撃が交錯しないように中央部隊のブーメランは最初の一撃のみ。その戦果を見ながら、ある者は遠距離部隊の援軍に回り、ある者は武器を刀に切り替えて俺たち本丸の中央部隊へと合流する。

 まさか自分たちにブーメランの攻撃がくるとは思っていなかった敵の中央部隊たちは、無防備にもばたりばたりと倒されていき、中央ブーメラン部隊の半数以上を援軍へと回すことができた。

 そしてまた、遠距離部隊たちにも新たな工夫を忍ばせておいた。

 斉藤たちの機動力を持って距離を詰められてしまった時のために、ブーメランとの組み合わせでは取り回しの難しい刀ではなく、「夕」の字形から力を得たトンファーのような武器を装備させた。相手にはほとんど武器がない。ブーメランが避けられたとしても、トンファーでなんとか持ち堪えてくれれば、後からやってくる援軍の刀が敵たちを一掃してくれるだろう。

 作戦はまたしても成功し、倒れた敵の身体が無数に見える。

 左右、そして中央から放たれる我々の遠距離攻撃に、彼ら自慢の機動力はほとんどその力を発揮できないままに終わった。

 敵将の表情を見ながら、二度目の大勝利の味を噛み締める。

 今度も俺の立てた作戦がうまくはまり、敵に何もさせないまま勝つことができた。このまま相手の上を行く作戦を組み立て続け、その場に応じた字形の変更を繰り返していけば、それほど大きくなかった俺たちの集団がこの地を制圧することも夢じゃないかもしれない。

 ひとりでに大きくなっていく希望に呼応するかのように、戦いの後の宴での俺の態度も尊大なものになっていった。

 俺の希望を大きくさせたのは、目の前の勝利だけではなかった。

 俺が各地のサイトウたちに報告してから一ヶ月ほどが経ち、苗字を変える作戦の成功を知らせる報告がちらほらと聞こえてきた。

 俺と同じ「く」の字に変えた齋藤たちの中でも、真正面から飛び道具として敵をなぎ倒していったところもあれば、我々の戦いよりもさらに大きな兵力差があるところだと山肌からの奇襲に活用しているという話もあった。

 さらに時間が経つと、俺の作戦を発展させる齋藤たちも現れた。「く」の字ではなく「癶」の右側の形を採用すると、同じようにブーメランとして活用できるだけじゃなく、突起のおかげで近接戦でも扱いやすい武器になった。

 適切な手順を踏んで苗字を変えるだけで、様々な能力が手中に入る。兵力の差に打ちのめされていた齋藤たちにとって、戦い方を広げ、勝利への可能性を大きくするこれ以上ない手段となった。


 だがしかし、膨らみ過ぎた希望はいずれ萎んでしまう。

 初めての勝利から2ヶ月近くが過ぎていた。

 振り返れば兆しはあった。戦いには勝ち続けていたけれど、チームワークとしては最初の勝利の時に遠く及ばなかったように思える。勝利の喜びを分かち合う気持ちは、いつ頃からか皆のものではなくなってしまった。字形を変更させてから初めての宴で感じたあの違和感にもっと真剣に向き合っていれば、この事態も回避できたのかもしれない。だがそんな後悔も全て後の祭りに過ぎない。

 大勝利が続いてみんなその味に慣れてしまったのだろうなんて、そんな違和感を上塗りするかのような適当な理由を自分の中ででっち上げてしまっていた。俺の心を支配するのは目の前の勝利と次への作戦のみ。違和感から目を背けるように、周囲の様子を見ないようにしていた。

 亀裂が確定的となったのは、最初の作戦を実行してから五回ほど斉藤たちと戦った後のことだった。戦術も板についてきて、どれほど大勢の斉藤たちを前にしても勝てるという自信が確固たるものになってきた頃だった。

 いつも通り勝利の歓声を上げる俺たち。しかしその時は、遠距離部隊たちが一向にその和の中に入ってこない。あの時の違和感が、少しだけ俺の頭に去来する。

「どうした?」

 なんとか和の中に入ってもらおうと大声で彼らに声をかける。だが遠目からでもわかるほど、彼らの表情は険しかった。

「おーい! 今日の勝利もお前たちのおかげだ!」

 気をほぐすようにあえて軽い言葉をかける。だが、この発言が彼らの気持ちを爆発させることになる。

 さっと動き始める遠距離部隊の齋藤たち。我々から遠ざかりながら、しかし目線はこちらを強く睨んだままで。

 我々が何も理解できないままに、気づいた時にはブーメランが四方八方から打ち出されていた。

「おい! 戦いは終わったぞ!」

 俺の声は全く耳に届いていないようで、彼らの攻撃は止まらない。手元にブーメランが帰ってきたと思えばまたすぐに投げ返す。考える間もないほどだった。

 俺が立ち止まっているとますます彼らの表情は憎しみに歪んでいく。いつの間にか彼らは一つの場所に集まっており、さながらサイトウ同士の戦いの様相を呈していた。

「何が……、何が『よかった』だ。俺たちの気持ちも知らないままに!」

 その内の一人が声を荒げる。攻撃は止んだものの、依然として腕を振り上げ臨戦態勢であることを示している。

 何をしているんだ……。そう思いながらも、戸惑いの中、言葉を継げずにいる俺に、さらに荒々しい声が注がれる。

「お前らは、俺たちを『齋藤』から外した! ただお前の権威のためだけに!」

 声の主がブーメランを振り下ろす。「く」の字の先端が勢いよく地面にめり込んだ。

「お前たちがなぜ俺たちを外したのか、ふと冷静になった時にようやく気づいたよ。それは俺たちの戦闘力が劣っているから。普段の戦いで邪魔になっているからだ!」

 いや、違う……。そう言いかけて俺は口をつぐんだ。

 まさに彼らの言う通りだった。俺は、近接戦闘で手柄をあげていなかった者たちから順に苗字を変えさせた。今声を荒げているのは、その中でも真っ先に遠距離部隊の候補に挙げたサイトウ春文だった。今では「齋」の字形から大きく変わり、「刀」が「夕」、「氏」が「く」となっている。

 そこに気づいた俺に、話すべき言葉は何もなかった。離れていても伝わる憎しみの感情を前に、もはやできることはなかった。

 春文の言葉が追い討ちをかける。

「邪魔だから。ただそれだけで俺たちは『齋藤』を名乗ることすら奪われてしまった! しかも、前例のない、うまくいくかもわからない実験台として!」

 そんな卑屈な理由で作戦を立てたわけじゃない。長い間共に戦ってきた仲間達と勝利を味わいたかっただけだ。それだけはわかって欲しくて、俺はなんとか口をこじ開ける。

「違う! 全員で一丸となって勝つための作戦だ! 現にお前らも、俺の作戦に賛同してくれていたじゃないか」

「ああ、何もわからないままに同意してしまったよ。俺たちにも、活躍のチャンスが与えられたって呑気に喜んでたなあ。でもすぐに察しがついた。何回か戦っている内に、俺たちはただの噛ませなんだってな!」

「そんな意図は断じてなかった!」

 だが俺の反論は、ただただ虚空に吸い込まれていくだけだった。

「まあ、お前がなんと言おうと俺たちには響かない。戦いでは相変わらず主戦を張ることができず、おまけに苗字は変えられてしまった。他のどのサイトウでもない、中途半端な形にな!」

 春文は地面に刺さったブーメランを抜くと、鋭く、俺に向かって先端を向けた。

「何を言っても状況は変わらない。俺たちは『齋藤』を剥奪された身だ。お前たちから排除された身だ。だがこのまま戦ってこちらにも犠牲を出してしまうことは本望ではない。俺たちはこの地から大人しく去ってやる。ただ、その邪魔をするようであれば、容赦はしない」

 鬼気迫る表情。はっきりと顔が見えないくらいの距離にいるはずなのに、春文の様子が手に取るようにわかる。

 落ち葉をふみ鳴らしながら立ち去っていくブーメラン部隊。

 それを見つめる俺の心は、敗将のように暗く沈んでいた。


 彼らはそのまま遠くへ去ってしまった。その行く末は、「齋藤」のままここに残った仲間たちの誰も知ることはなかった。

 会津盆地で同じく苗字が変わった齋藤たちと協働していると言う話もある。だが、それが立ち去っていった彼らなのかは定かではない。

 事実は、貴重な仲間を失ったということだけ。共に戦う仲間を。そして、同じ「齋藤」を背負っていた者を。

 俺の油断や思い上がりが生み出したことなのかもしれない。苗字を多少変えたところで、大きな影響はないだろう。それほど大勢の苗字を変えるわけではないから何とかなるだろう。

 初めて作戦を思いつき彼らを説得していた時にはまだ、彼らの思いを損ねないようにという配慮があったはずだった。それがあの時の真摯な説得だったし、その中で出た「革命」という言葉だった。だが勝利の味を噛み締めるうちに、いつしか作戦ばかり考えて、個々の人間を無視するようになっていた。どうすれば相手の意表を突けるのか、そればかりを考えながら無闇矢鱈と字形の変更を考え続けていた。

 その人の苗字を変えることがどういう心の変化を生むのか。俺たちがいかにサイトウという苗字から力を得ているのかを考えれば、その変更が生き様に関わる大きな問題であることは自明なはずなのに。

 そもそもなぜ、我々はサイトウ同士で戦っているのか。

 運命の悪戯か、幾つにも分離したサイトウたちの中で我々の「齋藤」が真のサイトウであると示したいから、だったはずだ。自分たちのサイトウを守りたいからこそ戦う。それこそが戦いの第一義だった。

 そのためにはまず、我々が同じ「齋藤」であるというアイデンティティが重要だった。同じ苗字を背負っているという連帯感があるからこそ、自分たちの字形を守るために一致団結して戦い抜くことができる。

 それなのに俺は、いつの間にか目の前のサイトウたちに勝つことだけを目的としていた。負けた悔しさ、勝つ喜び。それを味わわせてくれる仲間たちとの絆。戦いを続ける中で、本当に重要なことを見失ってしまっていた。

 サイトウに勝ちたいという気持ちの暴走が取り返しのつかないことを起こしてしまった。苗字を変えた数十人はもう、「齋藤」として戻ってはくれないだろう。

 失って初めて気づく「齋藤」という苗字の重さ。

 日本はそろそろ冬を迎える。日本海側の空は鉛のように重く、失われた齋藤たちの存在を嫌が応にも感じさせてくれる。



 苗字の字形を変えて、戦術の幅を拡げる。

 ある指揮官が思いついた作戦が大成功をあげ、瞬く間に全国のサイトウたちに広まっていった。

 その「サイ」が「斉」であるなら、上の「文」はなるべく維持したままで。また「齋」であるなら、その複雑な字形を保ったままで。こうして指揮官たちは、その字形の核となる要素を維持したまま、小さな変更を繰り返し、その度ごとに異なるサイトウが産まれていった。

 だが、指揮官たちが核だと思って残しておいた要素は全くそうではなかった。サイトウの名を背負うものたちは、その字形全体を自身のアイデンティティとしていた。「斉」なら「斉」という字そのもので、「斎」であってはならない。「齋」だって、その構成要素が全て揃ってこそ同じ「齋藤」なのだ。

 指揮官だって同じ心を持っていたはずだった。彼らだって、紛れもなく「斉藤」であり、「齋藤」であるのだから。

 だが、戦いがその心を失わせてしまう。サイトウとしての威信を示したいという気持ちは、いつしか目の前の敵を打ちのめしたいという野心へと化けてしまった。

 最初は偶然にも別れてしまったサイトウたち。それは地域ごとの差であったり、単に書き間違えただけとも言われている。

 初めは「斉藤」「齋藤」程度の種類しかなかったらしい。

 だが悲しい人の性、ほとんど意図のないそのサイトウの中で我こそが本流だと主張し始める者たちが現れた。売り言葉に買い言葉。負けたくない人々はその主張に意義を唱え、いつしかサイトウたちを巻き込んだ戦いが各地で勃発することとなった。

 そして戦いの中、字形を変化させるという作戦の成功を機に、意図的に作り上げられたサイトウたちが無数に分岐してしまうこととなった。

 自分の意識を形作る一部として、苗字というのは意外なほどにアイデンティティの多くを占める。だが、指揮官たちがそれに気づくのは取り返しのつかない変化が起こってからだった。

 全国各地で様々なサイトウたちが形作られ、それぞれがそれぞれのサイトウとしての意識を形成し、新たな集団を構築していく。そしてまた、目の前の勝利に飢えた指揮官が同じ過ちを繰り返していった。


 一説によると、日本全国には斉藤や齋藤の類型としてのサイトウが31種類も存在するらしい。

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サイトウ大戦争 20文字まで。日本語が使えます。 @osushi_mawaranai

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