第11話 膨らむ気持ち
風船のように気持ちが膨らんでいくと、誰かに聞いてもらいたくて仕方なくなる。風船だって膨らみすぎれば爆発するのだ。
ため息ばかり吐いていた僕を見かねて、近藤さんはカラオケ店に連れていってくれた。カラオケ店はメニューも多く、今はカラオケをするためだけの場所ではない。休憩したり、デザートを食べにいく場所だ。
ほぼ正方形の食パンに彩られたフルーツの数々。上から蜂蜜がかかっていて、皿には水たまりができている。近藤さんの頼んだものは、ほぼチョコレートだ。食パンが見えない。
「名前をカロリー爆弾に変えるべきよ。分かってはいたけど、アイスが重たそう」
僕のトーストにはバニラアイス、近藤さんのものにはチョコレートアイスが添えられている。存在感がありすぎて、メインを分捕っている。
撮り忘れのないようにしっかりとカメラに収め、食べ進めた。アイスクリームは一緒に食べるのが一番いい。半分ほど食べるとお腹も満たされてきて、何から言おうか考えもまとまってきた。人間は空腹だも脳も上手く働かない。
「前に、カーディガンを一緒に買いに行ったじゃないですか」
「うん。気になってたけど、社会人の方と進展はあったの?」
「…………一応」
「やるわね」
その台詞は僕に対してではなく、皿に鎮座するトーストに向けられている。確かに、恐ろしい存在だ。
「付き合ってはないんですけど、手繋いだんです」
「どっちから?」
「相手の人なんですけど、なんでだろうって。夜道で、前に変質者が出る場所だって言ったら、手を握ってくれたんです」
緊張しすぎていて、手を繋いだのは変質者の話をする前なのか後なのか忘れてしまった。でも強く握ってくれたのは覚えている。
「付き合ってないのに積極的な人ねえ」
「チーズケーキまで奢ってくれたし、どうしようって思って……」
「どうしようっていうのは、告白したらいいかってこと?」
「そういうことです」
「一般論を言うと、すべきだと思うけどさ。勇気がない以外の問題点はあるの?」
「大ありです」
一番の問題は、同性だということだ。手を繋いだ理由は何なのかが分かれば、すぐにでも告白したいくらいだ。
「まさか僕をからかってしたわけじゃないだろうし。そんな人じゃないし」
「うーん……メールで聞いてみれば?」
「直球すぎません? また手を繋いでくれますか、とかいろいろ考えてるんですけど」
「それいいじゃん。今、送りな」
「えー、今?」
「後回しになると、絶対に送らなくなるよ」
近藤さんの言うことも一理ある。僕はやるときはやる男だ。通話アプリを開き、止まったままでいた小さな空間に時間を与えた。
──今度は僕から手を繋いでもいいですか?
──洞窟の中で外の風景は真っ暗だったけど、仕事頑張れそう。ありがとう。
どういう意味だろう。相澤さんは詩人みたいだ。
──何かありましたか?
──仕事でね。でも大丈夫。すぐに終わるから。
──僕も相澤さんと、おんなじ景色が見たいです。状況はちょっと違うけれど、僕のいるところもけっこう暗いんです。
何度か交わした後、相澤さんからは返事が来なくなった。よほど仕事が忙しいのだろう。残りのトーストを平らげ、全部食べた証に綺麗になった皿も撮影した。
「なんて返ってきた?」
「仕事頑張れそうだそうです。どういうこと? 繋いでもいいってことですか?」
「じゃないかな?」
「恋愛はよく分からない。付き合ってもないのに手を繋いだりあーんしたりするんですか」
「あーんは聞いてないんだけど」
「……僕からしました」
「……………………」
苦いチョコレートを食べたような顔で、近藤さんは僕を見てくる。
「それさ、一般論では付き合ってるっていうんだけど。あくまで一般論ね」
「一般論って曖昧な言葉すぎて、嫌いになりそうです。僕には当てはまらないだろうし」
何せ男女の恋愛ではない。僕の気持ちは例外に当てはまる。友達関係の男性同士ではやるのかどうか疑問だが、相澤さんは笑っていた。美味しいと漏らしていたのでもう少しお裾分けをしたかったが、炭水化物の取り過ぎに気をつけているようなので、僕も心を鬼にした。ピザの後にチーズケーキは重い。胃にも体重にも重い。
「告白して、今の関係を壊すのがとても怖いんです」
「壊れなかったら次に行けないでしょうよ」
「なんか、いろんな人に愚痴を聞いてもらってます……この前、中野君にも話をしたんです」
「中野はいいとして、青柳には言わない方がいいよ。あいつすぐに広めるから」
青柳君への風評被害には、否定する気になれなかった。日頃の行いは大事だと実感した。
解決には至らないが、吐き出したおかげで曇った視野が少し広まった。霧が晴れたようなすっきり感がある。
和菓子店はまだ開いていて、祖母と一緒に店を閉めた。足腰が弱る祖母を見ていると目を逸らしたくなるが、これが現実だ。僕は、祖母の跡を継ぎたいと思っている。それを阻止する人物が身近に二人ほどいる。母と蓮だ。蓮は自分が継ぎたいわけではないのに、跡継ぎを作れない兄は相応しくないと声を張る。母は、理由らしい理由もなく当たり散らすだけだ。僕が何かをすること自体、気に食わない人。
──今日の相澤先輩のご飯。
そんなタイトルをついたメールが遠山さんから届いた。最近、相澤さんよりメールをする回数が多い。
「おおおおお……これは…………っ」
ハンバーガーとポテトフライ、飲み物はたまCMで見かける体脂肪を減らすと謳っているお茶だ。
──彼女としては注意すべきだと思うよ!
──彼女ではありませんよ。
遠山さんは僕の性別を勘違いしている。特に支障はないので、そのままにしていた。
──相澤さん、高カロリーなものは控えて下さいね。
──また遠山だな! 藍君違うんだ、昼と夜の兼用なんだ。
──忙しかったんですか? カロリーは一気に摂取するのはあまり良くないです。ちゃんと分けて下さい。しかもポテトはLだなんて……。
──ポテトは野菜……だと思う。
なんて言い訳なんだ。子供でもこんな言い訳はしない。おかしくて笑いが込み上げてくる。
──すみません。呆れた?
──ちょっと呆れちゃいましたけど、相澤さんの普段の食生活を知ることができました。冷凍食品にピザにハンバーガーですね。
──和食中心の藍君からしたら、びっくりだね。今日は帰ってからのビールは止めておくよ。
メールを終えて、相澤さんの横顔をじっくりと見た。疲れているのか、少し目は腫れぼったい。相澤さんの顔はどんな有名人に似ているのかと言われても、例えようがない。しいて言うなら、縁側で着流しのままでお茶をすすっている姿が似合いそうな顔だ。落ち着く。和菓子と温かな緑茶並みの穏やかさがある。
──相澤先輩がハンバーガー食べながらダイエットのページ見てるよ。藍ちゃんの言葉は効果絶大だね。
対して遠山さんは、クローブの利いたジンジャークッキーという感じだ。なんだかよく分からない味なのに、食べ続けると癖になる。
──藍ちゃんの顔写真も送ってよ。見たい。
──私の顔のことは、相澤さんに聞いて下さい。勉強がありますので、それでは。
お菓子に例えるなら、二人にとって僕はどのように映っているのか。遠山さんの頭には、激辛煎餅が浮かぶと思われる。けっこう辛辣な言葉を吐いてきたので、それくらいは言われるだろう。
──僕ってお菓子に例えると、どんな風に見えますか?
突拍子もない質問だと分かっていても、気になってしまいメールを送ってしまった。待っている間に勉強をしてもお風呂に入っていても、返事は来なかった。
しょんぼりしたまま布団に入ると、脇に置いていた端末が光った。
──相澤先輩、倒れた。
お菓子の話なんて馬鹿みたいに思えるほど、一瞬で身体が凍りついた。
冗談なのか本当なのか判別できない。遠山さんのメールだけでは、真実だと言い難い。けれど裏付けるように、相澤さんからは返事がない。
続けて遠山さんからメールが届いた。病院の名が告げられ、僕は鞄をひっつかんだ。祖母に声をかけようとしたが、囲炉裏の間も台所も電気が消えていたため、なるべく空気を乱さないようにして家を出た。
いきなりの呼吸の乱れと極度の不安の表れに、心に抉られる痛みが伴う。電車に乗り、空いている席に腰を下ろすと僕は相澤さんへメッセージを送った。届くかも見てもらえるかも分からないまま、気持ちはがむしゃらにまっすぐだった。
──相澤さん、死なないで。
──まだ気持ちも伝えてないのに。
──会いたいです。
この前会ったときは元気だった。病気を思わせる様子もない。数時間前まで夕食を食べていたし、メールでも体調の悪化をほのめかす内容でもなかった。
「すみません、相澤賢さんに面会に来たんですが……」
「面会? もう時間は終わっていますよ」
ここまで来たのはいいが、面会時間まで考えていなかった。
訝しむ女性は面倒なものを見る目だ。こんな時間に来れば、誰だって怪しむ。
「藍君?」
「えっ」
「なんで? どうして……?」
僕も驚いたが、彼だって驚愕している。頭に包帯を巻いた相澤さんが、スーツ姿で立っていた。
「藍君? え?」
驚きを隠せない男性がもう一人。茶髪にスーツ姿の男性は、初めての顔だが初めましてというわけではない。僕は一度、写真で目にしている。あのときより髪は短くなっているが、忘れもしない風貌だ。
「もしかして……柊藍さん? ちょっと待って、男の子だったの?」
「相澤さんが……倒れたって聞いて……」
相澤さんは、子供みたいに泣き出しそうに顔を歪めた。笑っているようにも見える。どんな思いでそんな顔をしているのか分からないが、抱きしめたくなった。
「藍君……」
「良かった……生きていて……」
僕よりも身体が大きくて手が背中に回すのもやっとだ。僕の背中にも大きな手が回る。イメージするなら、大きなテディベアに包まれている感覚。僕を包み込むテディベアは、ハンバーガーの匂いがした。
「とりあえず、場所変えません?」
自分たちの世界に入り込みすぎた結果、先ほどの女性からは白い目で見られる羽目になった。ここは病院で、抱き合う場所ではない。
相澤さんからはハンバーガーだけではなく、薬品の匂いも漂ってくる。腕には注射をしたのか、絆創膏を貼っていた。
「点滴を打ってもらったんだ。疲労だって言われた。睡眠不足だったし、不摂生な生活のせいかも」
「相澤さんが倒れたって遠山さんからメールが来ました。居ても立ってもいられなくなって……」
「うん……ありがとう」
後ろから視線を感じる。後ろに目が無くとも分かる。どんな関係なんだ、男だったのか、なぜ嘘をついたのか、言いたいことは大まかに伝わる。
三人で病院を出て二十四時間営業のレストランに入った。僕は相澤さんの隣に座り、紅茶を注文した。二人はコーヒーだ。
僕が口を開く前に、相澤さんが沈黙を破った。
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