第4話 『クローバー』

高校2年 7月末


「よしじゃあテスト返却するぞ。相澤」


期末テストを終え、テスト返却期間。


喜ぶ者、落ち込む者、悔しがる者、不当に怒る者、様々な者を生んできたテスト返却もこの数学のテスト返却で終わりを迎えようとしていた。


学校で一番見た目が怖いと名高い英語の担当の先生が次々とテストを返却してゆく


一人また一人と緊張した面持ちで教壇へ向かっていく


「次、佐藤」


「ほら太一、呼ばれてるよ」


僕の目の前の席の主こと佐藤 太一はというと、ただひたすらと哀愁を漂わせる者となっていた。


無言でガタッと席を立った太一は猫背のまま教壇へ行き、返却された紙を見るやいなや丸めながら席へ戻ってきた。


「不知火」


そして当然の如く次に呼ばれるのは僕だった。


僕もそっと席を立ち、テストを受け取りに行く。


「不知火、お前どうしたんだ?」


教壇へ着くと強面の数学教師がこう聞いてくるものだから焦ってしまった。


「えっ…、僕何か…しましたか?」


「ほら」


そう言って差し出された紙には3桁の数字が書かれていた。


「お前今回はよくやったじゃないか。この調子で次も頑張れよ」


頑張れよ、と共に僕の背中に衝撃が走った。


どうやら叩かれたようだ。


少しだけ混乱する。


確かに手応えを感じたテストだったがまさか満点を取るとは想像だにしていなかった。


そして席に戻る際、あの少女と目が合う。


彼女は僕にしかわからないように目を細め、微笑んだ。


心の臓が加速する


僕は頭をかきながら自分の席に戻る。


すると前の席の主はくるりと半回転し僕のテスト用紙を引っ手繰った。


「ひゃ、く、て、んだとお〜。遍ぇ!おれっちを裏切りやがってえええ」


太一は僕の両の肩を掴み、揺らす。


「待ってよ、太一。裏切るってなにさ?」


「とぼけんな!俺とお前の勉強できない同盟だろ!」


いつからそんな同盟が組まれていたのだろうか


「だいたいおれっちを裏切って放課後居残り勉強なんてしやがって」


「裏切りもなにも一回誘ったじゃないか」


「誰が好き好んで勉強なんてするか!」


そう言い放つと太一は丸めたテスト用紙を窓の外へ投げた。


「ええぇ…」


まぁたしかに僕も勉強は進んでやろうとは思わないけどさ…


「それにしても遍、ほんと今回全科目軒並みいい点数だよなぁ〜。誰かに教わったりとかしたのか?」


心臓が跳ねる


確かにその通りだ。


僕は生徒を魅了してやまない高嶺 華に勉強を教わった。


だがその事実を今告げたらどうなるかなんて想像に難くない。


おそらくそんな不埒者はクラス中の、いや学校中の男子生徒に血祭りにあげられるだろう。


「…まっ、それはないか。遍、友達少ないもんな」


どうやら、事実を告げなくて良さそうだ。


その代わりなにか傷つくことを言われたが…


「あー、今回のテストで赤点取ったものは夏休み補修するからな、必ず出席するように」


この一言を数学教師が告げた途端、太一はみるみる萎んでいった。


その姿を見て僕は傷つくことを言ったお返しだと言わんばかりに太一の肩を叩いた。


ーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーー

ーーー


「えー以上で今学期の最後のホームルームを終わりとする。これから夏休みに入るが羽目を外しすぎるなよ。号令」


「起立ー、礼」


「「ありがとうございましたーーー!!」」


その瞬間、クラスの空気は弾けた。


誰もが待ち焦がれた夏休みの訪れ。


僕もその一員だ。


夏休みを使って様々な本を読みたいし、様々な物語も書きたい。


小説の参考になるような土地巡りもしたい。


とにかくやりたいことが山積しているのだ。


「太一、一緒に帰ろうよ」


「あー、誘ってくれてすまねーがおれっちこの後職員室いかないといけないんだ…」


「そっ、か。じゃあ夏休み、一緒にまた古書店巡りとかで会おうね」


「うん、とりあえずおつかれさまだー遍〜」


「ばいばい、太一」


僕は荷をまとめ一人でこの教室を後にする。


廊下を抜け、昇降口へ向かう。


そういえば、太一のテスト用紙放りっぱなしだけど大丈夫なのだろうか


誰かに拾われ悪戯されかねないのではないか?


そう思った僕は太一のテスト用紙を探しに行くことにした。


「太一の投げた窓は中庭側だから、中庭かな」


中庭と推察した僕は素直に向かうことにした。


中庭へと向かう廊下を抜けたら、めあてのものはすぐに見つかった。


「あった、あっーーー


「俺と付き合ってくれないか?高嶺」


…それは不意だった。


声のする方を見ると、背丈が高く男前な顔の男子生徒と見覚えのある後ろ姿の女子生徒がいた。


間違いない。


高嶺さんだ。


彼女に告白する人が絶えないのは知っていたがいざその現場を見るのは初めてだった。


告白している男子生徒は同性の自分から見ても整った顔をしており、いかにも女子生徒に恋い焦がれそうな風貌をしていた。


その姿を見るとまるで僕は土俵にすら立っていない、そんな気持ちになった


「ごめんなさい、大石くん。気持ちは嬉しいんだけど…」


…僕なんかが告白してどうするのさ


こんなにも格好の良い人が告白して断られているのだ、文学好きなだけの男子生徒が告白したって結果は火を見るより明らかだろう


「どうしてだい?理由を聞きたい」


僕も聞きたい


「私、好きな人がいるの」


「!」


今日はよく心臓が跳ねる


「そっか、じゃあ仕方ない。その人と結ばれることを祈ってるよ」


そう言うと男子生徒は潔く諦め、その場を後にした。


そして僕は気づかなかった。


ここで惚けていたら振り返った彼女と目が合うことを。


「あっ、不知火くん」


「や、やぁ高嶺さん」


「…もしかして見てた?」


「いや、その事故というかなんと言うか…」


「人の告白の覗き見?意外と不知火くんて性格悪いんだね」


今日太一に傷つけられた一言より遥かに深く鋭く胸をえぐる


狼狽える僕を見ると、彼女は吹き出すように笑い出した。


「ふふふ、冗談だよ!そんな顔しないで」


「え?」


「ちょっとついてきてっ」


彼女は僕の手を取ると、勢いよく引っ張っていった。


ーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーー

ーーー


人の目を盗んで連れていかれたのは屋上だった。


「はぁ、はぁ、なんで屋上?」


「人がいないから?」


僕が聞きたいのはなぜ人のいない場所に連れてこられたのかということだ。


「で、どうしたの。こんなところに連れてきて」


「よく聞いてくれました」


なんだろうか


「もーーーっっっね!鬱憤が溜まっちゃって」


「はい?」


「さて不知火くん、質問です。今日はなんの日でしょうか」


「えーっと、終業式の日?」


「せいかーい。では第2問。明日から何が始まるでしょうか?」


「夏休み…?」


「ピンポーン。2問連続正解。じゃあラスト3問目!夏休みになると男の子が欲しくなるものなーんだ?」


…話が見えてきた気がする。


「…彼女?」


「わっ!全問正解!さすが数学満点者は違うね〜」


「あっ、その節はありがとうございました」


「どういたしまして〜。おほん、それでねっこれがもうここ何日で何人も何人も何人っっっも告白してきてね、も〜私疲れちゃった」


「告白受けるのって疲れるのかい?」


「うん、疲れるよぉ。なんていうか皆んなエネルギーが凄いんだよねぇ…。何度受けてるとこっちが気が滅入っちゃう」


これがモテる人にしかわからない世界なのか


「今日もあと2人告白残ってるんだよねぇ〜」


「え?まだいるの?」


「うん。夏休みになるから慌てて彼女の欲しい人たちが告白してくるの。まぁあんまりこの時期に告白してくる人に真剣な人はいないんだけどねぇ」


真剣じゃない告白なんてあるのか?


「ねぇ不知火くん…」


「?」


「告白…サボっていいかな?」


それはーーーーーー


「だめだ」


「だめ?」


「確かに真剣じゃない人がいるかもしれないけど真剣な人もいるかもしれない。その人の気持ちを踏みにじっちゃあだめだ」


彼女に真剣に告白する人はたぶん、彼女より僕の方が気持ちがわかるはずだ。


僕ならサボられたくない。


「そっか、そっか。うん、うん」


すると彼女は腕を組み、何か納得するように大きく頷いた。


「不知火くんならそういうと思ってた。このままだと私サボっちゃいそうだから不知火くんに頑張れ!って背中押されたかったの」


パンッと両頬に手を当て彼女は気合を入れた。


「よし、じゃああと2人頑張りますかぁ〜」


どうやら僕は彼女から与えられた4問目に正解したようだった。


彼女の力になれたのは素直に嬉しい。


「さてそろそろ時間かな、いかなくちゃ。不知火くんに会えてよかったよ」


「僕の方こそ、力になれてよかった。今回のテストで良い点数取れたのは高嶺さんのおかげだよ」


「あ!…あ〜それなんだけどねー。今回なんでこんなに勉強手伝ったかというと実は私不知火くんにお願いがあってそれを叶えるために必要以上に手伝ったの」


「お願いって…なんだい?」


なんとなく想像はつく。


「夏休み中、不知火くんの書いた物語見させて欲しいのっ!」


お願いポーズをしてくる彼女。


「たぶんそうだろうと思ったよ」


「見せてくれる?」


「これだけ良い点数取らせてもらったんだ。断れるわけがないよ」


「やったぁ〜!じゃあ、はいっ!」


彼女は喜びに顔をみなぎらせるとポケットから携帯を取りだし僕に向けてきた。


「なんだい?」


「なにって、ライン。交換しようよ」


ラインってなんだ?


「ごめん高嶺さん。ラインってなに?」


「ええええええええ!知らないのっ!!?」


彼女は信じられないものを見たかのように頓狂な声を上げる


「えっ、そんな常識的なものなの?」


「少なくとも私の生きてきた世界では三角形の内角の和と同じくらい常識的なものだよ…」


「…へ、へぇ〜そうなんだ」


三角形の内角の和と同等の常識をどうやら僕は知らなかったらしい。


「まっ、なんだか不知火くんらしいや。いいよ、代わりにメールアドレスと電話番号で許してあげる」


「なんで代わりに僕の個人情報をおしえないといけないのさ?」


「あのね不知火くん、ラインっていうのはメールや電話みたいな連絡手段なんだよ?よーするに!私は不知火くんの連絡先が知りたいの」


だめ?と小首を傾げる


「だめというか、え?連絡先?僕の?」


「そう、連絡先、不知火くんの」


心の重心の置き場がないようにグラグラ、グラグラと気持ちが揺れる


なにか言おうとしても言葉は舌の根に乗っては飲み込み、乗っては飲み込みを繰り返される


「どっちなの?いいの?だめなの?」


なにやら急かされてるようだ。


「駄目じゃないよ」


典型的なNOが言えない日本人の血が反射的にそう答える。


彼女と連絡先を交換するのはもちろん喜ばしい限りだが。


「僕ので良ければ」


「うん、じゃあここに打ち込んでくれる?」


彼女のしなやかな指先からスマートフォンを受け取り、言われた通り自身のメールアドレスと電話番号を入力する。


「終わったよ」


「わぁ。ありがとう不知火くんっ。私のメールアドレスと電話番号も送っておくね〜」


高嶺さんが携帯に文字を打ち込んだ数秒後に僕の携帯は小刻みに震えた。


そこには見慣れないアドレスから電話番号そして「よろしくね!」と顔文字の書かれたメッセージがあった。


「うん、よろしく」


「あはは、たまにはメールもいいねぇ。ひゃあホントにそろそろ行かなきゃ。ありがとう不知火くん。また夏休みで会おうね」


「またね、高嶺さん」


彼女はかかとを翻し、屋上には僕一人だけとなった。


途端に力が抜け、僕は背中から倒れた。


「…疲れたな」


彼女と関わるといい意味でも悪い意味でも疲れる。


夏休みを迎えた開放感、彼女と別れて得た開放感、そして屋上のひらけた開放感を感じながらしばらく1本の飛行機雲を眺めていた。


ーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーー

ーーー


「…まさかこんな風に連絡先を交換するとはね」


終業式が終わったからなのか、それとも彼女と連絡先を交換したからなのかは分からないが兎にも角にも浮き足立っている僕は携帯使用禁止の校則を忘れて、携帯の電話帳欄を眺めながら屋上から階段を下っていった。


「…このまま連絡先を交換した若い男女は惹かれ合うようにして………とはいかないか」


それこそ小説のような話だ。


それにーーーーーー


「好きな人がいるって、そう言っていたからなぁ」


それがもしかすると自分なのではないか?という思想は一度してみたが可能性の天秤にかけたところ、否定要素が無しの方に傾けた。


冴えないただの本好きな生徒。


それが僕、不知火 遍の自己評価だった。


とはいえ、100%自分だという可能性はあり得ないが100%自分じゃないというのを決定付けるものがないのも事実。


まるで宝くじを買って当選結果を待っているかのような可能性の低いものにすがるこの感覚。


もし高嶺の花と付き合えるようになったらどうなるんだろうか?


僕はなにをするんだろう


彼女はなにをしてくれるのだろう


周りはどう思うのだろう


ーーーーー綾音はどう思うのだろう


思考の隙間に義母との会話の記憶が入り込んできた。


確かに綾音はよく懐いてくれてるし、彼女とかできたら少しは寂しがってくれるのかな?


「ははは」


取らぬ狸の皮算用。


その諺が似合う今の自分が少しおかしく感じてしまった。


「どうしたのお兄ちゃん、急に笑って」


「うわっ!綾音びっくりさせないでよ」


今日は本当に心臓が忙しい1日だ


階段を下っていた僕の隣にはいつのまにか妹の綾音がいた


「も〜お兄ちゃんが勝手にびっくりしたんでしょー。あたし悪くないもん」


「いや、まぁ確かにそうだけれども…」


「お兄ちゃん今から帰るの?」


「うん、そのつもりだよ」


僕がそう返答すると綾音はにひっ、と笑い


「じゃあ一緒に帰ろ?」


と誘ってきた。


断る理由も動機も無い僕はもちろんそれを受け入れた。


「お兄ちゃんテストどうだった?」


「今日初めて満点というものを取ったよ」


「え、満点!?すごいよお兄ちゃん!」


「僕もびっくりしたよ。テストで満点なんて小学生以来だ」


「科目は?」


「数学さ」


「数学で満点かぁ〜。あたしなんて全然だめだめだったよぉ」


その気持ちはわかる。


僕も数学なんてできるイメージがなかったがあの才女に教えてもらった途端に急に理解が進んだのだ。


彼女には教師の才能もあるのではないかと思う。


「でもいいんだ!明日からは夏休みだもんねー!」


「綾音は夏休みには何か予定はあるのかい?」


「うん。久美ちゃんとかとお泊りいこーって話ししたなぁ。あっ、お兄ちゃんも夏休みどこかいこうね」


「綾音はその…夏休みを共にする恋仲の男子とかいないのかい?」


「それって彼氏?…そんなのいないよ」


「ほら綾音可愛いからクラスの男の子達はほっとかないんじゃないか?」


「確かに何度か告白されたけど全部断ってるから」


「綾音ならいてもおかしくないと思ったんだけどな」


「あたしの生活のどこに男の影が見えたってのよ。それに……………彼氏なんてものはいらない」


綾音の顔からはだんだん笑顔が消え、不機嫌な表情をのぞかせてきた。


なんでだ?


「綾音の年頃になると彼氏の1人や2人欲しくなるんじゃあないの?」


「いらないって言ってるでしょ。なに?お兄ちゃん、どうして急にそんなこと聞いてくるの?あたしが邪魔なの!?」


表情だけにとどまらず声を荒げて、怒気を全身で露わにする。


「いやいや、待ってさ。一体どうしてそんな結論に達するのさ」


「だってお兄ちゃん、その彼氏とかいうモノにあたしを押しつけたいからそんなこと聞いてきたんでしょ!違う?!」


「落ち着いて綾音。思考が飛躍しすぎだよ。そんなこと思ってないから」


ここまで怒った綾音も久々に見た。


そんなに綾音にとっては嫌な質問だったのだろうか。


「いいや!そうに決まってる!あたしが鬱陶しいからそうやって!!!」


綾音はもう聞く耳を持たなくなってきている。


「違うよ。純粋に兄として気になっただけだよ。夏休みになったら買い物行ったり海に行ったりするような子がいるのかなって」


「別に…、買い物も海もお兄ちゃんが連れてってくれたらそれでいい…」


それは一般の女子高生が言う台詞にしては如何なものだろうか。


先日、義母さんに言われて気づいたこと。


綾音はいわゆるブラザーコンプレックスという奴なのかもしれない。


確かに僕としては義妹に懐かれてるのは嬉しいけれども、やはりそれはあまり世間では普通のことではないと言うのも事実。


もしブラザーコンプレックスというものが原因で綾音が彼氏を作らないのであれば多少は改善してあげたい。


しかし僕は思っていることとは真逆のことを口走ってしまった。


「…僕でよければいくらでも付き合うからさ、機嫌なおしてよ」


「じゃあ明日、映画見に行こう。それで手を打ってあげる」


「…いいよ」


この時、僕はこの夏休みに少しでも兄離れができるように手伝おうと決意した。

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