第七十一話


 縁もたけなわ、酒盛りも夜半が過ぎる頃にはお開きとなった。

 酔いを冷ましながら、母屋の奥に用意された部屋へ戻りながら、猛は廊下を歩く。

 その途中、庭先に人影を見つけて猛は歩みを止めた。

 ぼんやりと、誰だろうかと眺めていると、その人影がゆっくりと近付いて来た。

 軒先に吊るされた雪洞の灯りの下、浮かび上がった面影は雪那だった。

「雪那さんっ」

「そんな驚く事ないじゃん」

 肩を震わせ、後ろへ後退しながら吃驚している猛に雪那は苦笑する。

「部屋帰るとこ?」

「ああ...まあ」

「じゃあ、一緒に戻ろうか」

 ぎこちなく答える猛の横に並び、雪那はゆっくりと歩き出す。

「えっはい」

 咄嗟に返事をして猛は雪那の少し後ろについて歩き出した。

 歩調を合わせながらも、会話もなく二人は廊下を歩く。

 足の裏が踏みしめる度、ギシっと、床板が軋む。

「...雪那」

 何かを言わなくてはならない。

 帝都での一件から、この奥出雲への小さな旅の間、猛はずっと雪那に話しかける機会を伺っていた。

 けれど、出来なかったのは、莉桜や仲間達達がいたからだけではなく。

「雪那...俺は、確かに貴方を騙していた」

 名前を呼ばれて振り返ると、目の前には深く頭を下げた猛がいた。

 実直で、生真面目で、嘘の下手な彼。

「言い訳をするつもりはない...土方さんから、貴方を監視するのを条件に俺は軍警を辞めた。でも、信じて欲しい...俺は、本気で貴方を愛している!誰かに言われたからでも、命令だからでもない...俺は、自分の意志で貴方を護ると決めた」

 顔を揚げ、真っ直ぐに自分を見つめて来る猛を、雪那はじっと見つめる。

 主達を刹那と暁月は交互に見比べた、二人の行く末を見守った。

「...なんでもっと早く言わないかな...」

 溜息と共に、雪那の呆れた声が零れ堕ちる。

 彼女の言葉に、猛はどきりとした。まさか、もう手遅れだったのか。

 恐怖にも似た感情に固まっていて、雪那が間近に近付いているのに猛は気付かなかった。

 ふわりと、香の薫りが聞こえてくる。

 柔らかな感触が、鍛えた胸板に当たり、ハッとして猛は眼下を見下ろした。

「なっ...」

 自分でも驚く程、頬に血が昇るのに猛は戸惑った。

 診れば、雪那が自分に抱き着いている。

 大胆な彼女の行動に一瞬戸惑ったが、猛は細い背中と腰に腕を回し、全身で愛しき人を抱き締めた。

「これからはちゃんと僕の傍にいてよ」

 猛の厚い胸板に顔を押し付け、雪那は自身の願いを伝える。

「当たり前だ。二度と傍を離れたりしない。貴方は俺が全霊を掛けて護る」

 ぎゅっと、きつく雪那を抱き締めて、呻くように猛は誓いを立てた。

 どちらからともなく、互いを見上げる。

 ぽつり、ぽつりと、天からは恵みの滴が滴り落ちる中、二人の影は静かに重なった。



(江戸城での決戦か...)

 工房で柳楽から聞いた話を反芻しながら、莉桜は道場にそのまま残り、木刀を振るった。

 精神統一の意味もあったのだが、気持ちが落ち着かない時は、素振りをするのが一番だった。

 規則正しい、風切り音が、静まり返った道場に響き渡る。

 不意に、入口に立った人影に気づき、莉桜は動きを止めた。

「ユウさん...どうしたの?」

「さっき部屋を訊ねたら戻っていなかったから。なんとなく、ここかなと」

 柔らかな笑みを浮かべて悠生は一礼をして道場の中へと入る。

「ごめん、邪魔したかな?」

「ううん。そろそろ戻ろうと思ってたから」

 首を横に振ってから、莉桜は木刀を床に下ろした。

「莉桜さん...ちょっといいかな?」

 唐突に呼ばれ、莉桜は二つ返事で了承した。

「なんですか?」

 木刀を壁掛けに戻し、悠生の傍へ歩み寄る。

 自分の傍にやってきた莉桜の手を悠生は自然な流れで握ると、そのまま手を引いて歩き出した。

「ユウさん?」

「流石に道場はちょっとね...不謹慎かなと」

 突然手を引かれた事に莉桜が驚いていると、少し躊躇った様子で悠生はそんな事を話した。

 工房を出た二人は、母屋の裏へとやって来た。

 当然人気は無く、夜空からは今にも雨が振り出しそうである。

「ユウさん...」

「こういうことは、今のうちに伝えておいた方がいいかなと思って...」

 真っ直ぐに莉桜と向かい合い、悠生は深呼吸をした。

 ずっと、想っていた事。いつ打ち明けるべきかと。

 母国のスパイだとバレた時、もう終ったと思ったが、彼女は信じてくれた。

 それが決定打だったが、既に心は決まっていた。

「莉桜さん...俺は貴方が好きです。一人の女性として、将来を共に生きるパートナーとして、俺は貴方の傍にいたい」

 ざざざと、風が靡き、ぽつりと、雨粒が落ちる。

 それを合図に、ぽつりぽつりと滴が滴り、やがて雨が降り出した。

「ユウさん...?」

「こういうのは、やはり文の遣り取りをしてから三日間通うべきだろうか?」

「いや、古っ何百年前の求婚やねんっってあ、求婚?はっはい⁉」

 口許に手を添えて考え込んでいる悠生に莉桜は思わず突っ込んだ。それから、自分で言った発言に驚いて当惑した。

「私の事がす、すき...?」

「ああ、愛してる」

 さらっと悠生の口から出た言葉に、莉桜の頬は真っ赤に染まり、小動物のように身を縮こませた。

「私の事をユウさんが好き...あれ?好きって...あれれ...」

 頭を抱え、混乱している莉桜を、悠生は背後から唐突に抱き締めた。

 小さな悲鳴が、莉桜の口から零れ落ちる。

 耳元に唇を寄せ、悠生は優しく囁いた。

「莉桜さん」

「ひゃあい?」

 ぎゅっと、抱き締められ、莉桜は耳まで紅く染まった顔を必死に悠生から逸らした。

 ゆっくりと、悠生は莉桜を振り向かせ、その顔を覗き込んだ。

 彼女が傷つく度、何度胸が痛んだ事だろう。出来る事なら自分がずっと護っていた。

 戦って、傷など負ってほしくない。

 だが、この乙女はそんな事は赦してくれない。

 ならば、せめて。

「俺に、貴方の背中を護らせて欲しい。共に戦う事を」

 共に歩みたい。

 いずれは添い遂げたいし、穏やかな時を刻みもしたい。

 けれど、今はこの言葉が精一杯だった。

「...私も...ユウさんにはずっと傍にいて欲しい...国になんて帰ってほしくない...だって、私も貴方の事が好きだからっ」

 好きだと、伝えた瞬間、心臓が破裂しそうになった。

 早鐘を打ち鳴らす胸に手を置いて、莉桜は勢いをつけて己の想いを口にした。

「良かった...フラれたらどうしようかと思った」

「まさか、こんな時に告白とかびっくりやよ...こういうのは、まず文を出して...」

「あれ?さっき古いっていってなかった?」

「なっ」

 くすくすとからかうように笑う悠生の胸を莉桜はポコポコと軽く叩いた。

 再び、悠生は莉桜を抱き締めると、黒髪を優しく撫でた。

 穏やかな手つきに、莉桜は静かに身を委ねる。

 抱き締め合う主達を、三日月と朔月は、安堵しながら、少し寂しさを感じながら静かに見守った。





 濃い霧が昇りたての陽光を淡く輝かせ、里の中に差し込む。

 昨夜遅くに降った雨は明け方には上がり、濡れた草木の香りが、大地から立ち上がる。

 清々しくも肌寒い空気に包まれる中、雪那はゆっくりと目を覚ました。

 目の前に、自分を覗きこむ顔がある。

 目の前に居たのは赤い髪の青年。

 キョトンと、その青年を見つめた後、雪那は青年の顔を認識するなり、彼女にしては珍しく声をあげた。

「えー!」

 布団から這い出しあわわ、と慌てふためく雪那を見て青年は困惑した。

「嘘っなんでっは?彼岸ひがん君が...ほ、本物⁉」

 雪那の口から出た単語に青年はやれやれと肩を竦める。それは、彼女がはまっている二次元作品の登場人物キャラクターの名前。

 いわゆる推しメンというやつだったからだ。

「うそっえ?え?」

 目の前の出来事に脳が混乱している。語彙力が著しく低下している。

 正気を失っった雪那は、脳のキャパシティーが追い付かず、そのまま再び意識を手放した。

 気を失った雪那を前に、どうしたものかと困っていると、バタバタと激しい足音が聞こえて来た。

 勢いよく障子戸が開かれ、先程の叫び声を聞いた莉桜達が飛び込んで来た。 

「雪那どうしたの!って...え?誰?」

「敵襲かっ」

 部屋にいる見慣れぬ青年に、莉桜は困惑し、猛は反射的に打刀の鍔に指を掛けた。

 青年の横で、卒倒してる雪那を見つけ、莉桜もまた猛同様に太刀に手を掛けた。。

 今にも得物を抜きそうな猛と莉桜に、青年は慌てた様子で両手を前に突き出した。

「ちよっと待て、オレは刹那だから。今は刹月か...我ながらややこしいな...ああ、刹那でいい!」

 自分でもよく分からなくなっていると愚痴を吐き出しながら、青年ー刹那は莉桜達に弁解した。

「刹那なの?」

 ガバっと、卒倒していた筈の雪那が突然意識を取り戻し、勢いよく起き上がる。未だ混乱しながらも、刹那と名乗った青年を雪那はまじまじと眺めた。

「お前さ、そんなにそいつにそっくりなのか?オレ」

 雪那の前に屈みこみ、刹那は呆れた様子で雪那のいう推しについて訊ねた。

「うん」

 頷いて雪那は、いつも大切にしまっている執行人の身分証手帳を開く。そこには、赤い髪の青年の浮世絵ブロマイドが挟まっていた。

「ははは…」

 思わず、刹那の口から乾いた笑いが零れた。けれど、今どきの婦女子のような事をいう雪那が今更ながらに刹那は新鮮だった。

 ましてや、この姿が似ているとは露にも思わなかった。

「激似なんですけど。なんで、人形になってるの?」

 刹那を間近で眺めてから、ふと雪那はようやくその疑問を絞り出した。

「オレも起きたらこうなってた」

 人型を取った当の刹那も良く分かっていない現象に、肩を竦める。

「そういえば、他の聖剣たちは?てことは、皆も?実はなってたりして」

 刹那が何故そうなったのか原因は分からないが、もしかしたらと、雪那は予測を立てた。

「そういえば...三日月の姿起きてから見てないな...」

「朔月も、昨夜からいないな...」

 キョロキョロと辺りを見渡して莉桜と悠生は三日月と朔月を捜す。

 そこに、ひょっこりと着物に羽織を掛けた見慣れぬ青年が現れた。手には三味線を携えている。

「弦月」

「雨?もしかして、既に人型の聖剣に会ってたの?」

「うん。朝起きたら弦月がいたよ。教えようと思って部屋出ようとしたら、雪那さんの悲鳴が聞こえたから」

 莉桜の疑問に答えてから、雨は弦月だという青年に合図を送る。

「はいはいただいま」

 主の要請に答えて弦月は、廊下に向かって手を招く。

「皆様、そろそろ出て来ておいでやす」

 弦月の呼び掛けに応えるように、ひょこっと背丈の違う二つの影が現れる。

「いやあ、びっくり。オレ達にこんな姿があったなんてね」

 軽いノリで部屋に入って来たのは、赤い髪を逆立てた、長身の男。歳は悠生より少し年上だろうか。

「もしかして、朔月かな?」

 悠生の予想に、男はニコリと笑う。

 いかにも腕っぷしの強そうな兄貴分と言った容姿の男だが、何処かノリが軽い。いかにもラテン系と言った具合の口調だ。

「いやあ、エスパニョーラの風でオレも大分円くなった気がするよ」

「ホンマ、兄さんはもっと真面目なお人やったと記憶しとったんですけど...なんや爽やかになりはって」

 まじまじと弦月は兄を見上げる。

「でも、うちは今の方が好きどす」

「男前だろ?」

 ニヤリと笑う朔月に弦月はじゃんじゃんと三味線を掻き鳴らした。

 その朔月の影に隠れるようにして、一人の少年が姿を見せる。

 ボブに切られた銀白色の髪に紅水晶を思わせる瞳。

 何処か儚い十歳くらいの容姿の袴姿の少年は、パタパタと莉桜の傍に駆け寄った。

「三日月?」

「うん、ボクだよ、莉桜」

「可愛い~え?君なんでそんな儚い美少年なの?私の推しっぽい」

「莉桜...君は白髪少年大好きだよね...」

 莉桜の部屋にある書物を思い出し、雪那は苦笑する。

「そういう雪那だって、推しに似た刹那に喜んでるじゃん」

 意趣返しをされ、雪那はそれ以上返さなかった。

 刹那、弦月、朔月、三日月と揃った所で、猛はもう一人足りない事に気付いて、辺りを見渡した。

「暁月は?」

 三日月の美少年さを見て、猛は内心淡い期待を抱いた。

 普段、暁月は朗らかな少女のような話し方をする。

 姿も寒い国にいるとされる愛らしい飛べない鳥の姿を取っているので、きっと可愛いに違いないと予想していたのだ。

「猛はん?暁月、呼んでええんです?」

 猛が何を期待しているのかを察した弦月は念を押すように訊ねた。

 それに猛は深く頷いた。

「それでは、暁月兄さん」

 弦月に呼ばれ、廊下からゆっくりと新たな人影が入って来た。

 キリッと凛々しい双眸に生真面目そうな顔立ちの、猛や悠生と同年代のその人物は、朔月よりもがっちりとした体系で、海の男のような風貌をしていた。

「...誰?」

 それまで盛り上がっていた場が、一瞬疑問符で埋め尽くされる。

 だが、弦月に呼ばれて入って来たのだから、間違いなくこの男は。 

「暁月です...すみません。なんか期待を裏切ってしまったようですね...」

 真面目な丁寧語で、開口一番謝罪を口にして暁月は溜息をついた。

「嘘だっ!だって、普段あんなに可愛く喋ってたのにっ」

 一番混乱したのは、言うまでもなく猛だった。

 期待を裏切られた事に悲鳴を上げる猛に、暁月は申し訳ないと思いながら、口を開いた。

「ペンギンは可愛いものだから、それに見合う口調でなくてはと思ったんです...それに、ペンギンがすべて可愛い訳でもないし...あと、雌だと思われていたので訂正しますが..雄もいます」

 申し訳なさ全開で暁月は普段の自分の口調や振る舞いについてを説明した後、付け加えたように言い訳をした。

「あははっまさかこんなごついのがあのペンギンだとは思わなかったよ」

 思わぬ事実に雪那は腹を抱えて笑った後、チラッと自身の恋人を見遣る。

 すると、部屋の隅に膝を抱えて沈んでいる猛を見つけてしまい、ちょっとだけ気まずくなった。

「まさか...男だったなんて...せめて女性だったら...」

 ぶつぶつと、膝を抱えている猛に莉桜や悠生、雨に至ってもどうしたものかと当惑した。

 腫れ物に触るように、莉桜は声を掛ける。

「げ、元気出して...こればっかりは仕方ないよ...」

「そ、そうですよ、猛さんっ暁月さん、かっこいいじゃないですか」

 二人の励ましに、猛はこくりと頷く。

「ありゃ~やっぱり、刺激強かったんとちゃいますん?」

「まさか、この姿になれるとは思わなかったんですよ」

 主の落ち込みぶりが伝播して、凹む暁月を弦月は慰める。

「まあ、この姿は、オレ達が本来の力を発揮出来るようになった証だからね」

 弦月と暁月に並んで朔月は悠生達に現状を説明する。

「まあ、実体化出来るのはこの里でだけだろうな。後は、最終決戦の後に力を残さないとならないからな」

 刹那の言葉に、この先に待つ決戦の存在を莉桜と雪那は思い出す。

「莉桜、改めて宜しく。ボク等を江戸に連れて行って」

「任せて。絶対、怪夷を消滅させる。それが、私が父さんから託された使命だからね」

「莉桜が負ってた使命ってそれだったのか」

 ここにきてようやく莉桜が逢坂に行きたかった理由を聞き、雪那は苦笑する。

「うん。だって、まだあの頃は手掛かりなかったし...聖剣を探し出してから雪那に話そうと思ってたんだけど...」

 タイミングを逃していたという莉桜に雪那はやれやれと肩を落とした。

「ま、五本も本来の姿に戻ったし、僕等なら大丈夫でしょ。刹那達も頼むよ」

 仲間達を雪那は真っ直ぐに見つめた。



「気を付けて行けよ」

 里の入口で桃夜と柳楽に見送られ、莉桜達は旅立とうとしていた。

「必ず、怪夷を祓って戻ってくるよ」

「無茶はすんなよ」

 弟の忠告に、莉桜はこくりと頷いた。

「皆様、お気を付けて」

 柳楽からの労いを受け、莉桜達は踵を返す。

 迎えに来ていた高杉と共に、莉桜達は幽世を後にする。

 現世に蔓延る魔を祓う為。

 最後の戦いの日が、目の前に迫っていた。




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