第七十話
「では、確かにお預かり致します」
絹の布に包まれた五振りの聖剣を、柳楽は五人から恭しく受け取った。
「よろしくお願いします」
「ああ、この柳楽。師匠より託された務めを果たさせて頂きますぞ」
莉桜達に笑いかけ、柳楽は聖剣を手に、工房の中へと入っていく。
「姉貴、聖剣の打ち直しが終わるまで時間があるから、ちょっと来てくんない?雪姉え達もさ」
柳楽が工房へ入ったのを見送って、桃夜は姉達に誘いをかける。
「いいけど、何処に行くの?」
キョトンと首を傾げる莉桜に、桃夜はニヤリと笑みを浮かべると、五人を誘導するように歩き出した。
「行ってみましょう」
さくさくと歩きだす桃夜に疑問を抱いていると、悠生にポンと肩を叩かれた。
「そうだね。行ってみよっか」
悠生に促され、莉桜達は桃夜の後をついて行った。
先程の巌があった洞窟とは反対側。里を見渡せる小高い場所に、桃夜は五人を連れてきた。
そこは、九頭竜の一族が代々祀ってきた神を祀るお社だった。
「ここは変わらないね」
「里が襲われた後、ここを護るのは俺一人になったからな。褒めろよ、祭事のやり方なんて殆ど見様見真似なんだから」
「ふふ、桃夜はそういうのあんまり関心なかったもんね。そういえば、小父んさんに弟子入りしたの?」
社へ続く階段を上りながら、莉桜は自身の弟の近状を訊ねた。
五年の間、その安否すら不明だった弟が、立派になった姿は姉として誇らしかった。
「昔は継ぐ気なんてなかったけどな…自分が助かったのは、役目を果たせって言われてるようで、自然とそうなってた。最近はようやく一人で一本打てるようになったんだぜ」
真っ直ぐに前を見据えたまま、桃夜は離れていた時間の事を莉桜に話す。
「父さんも母さんも喜んでるよ、桃夜が立派な刀工を目指してる事」
「だといいな」
苦笑を滲ませ、桃夜は階段を上り切り、石畳の道の先にある社の方へ歩みよると、柏手を打って一礼した後、小さな扉をゆっくりと開いた。
「姉貴達が聖剣を持って訪ねてきたら渡すように言われていたものを渡すよ。これが魔術炉を浄化するための最後の神器」
社の中から桃夜が持ち出してきたのは、掌に収まる程の大きさの二枚の鏡。
「桃夜、これは?」
莉桜と雪那の手に鏡を載せて、桃夜は淡々と話し出した。
「三種の神器、神話にあるだろ。剣と鏡と勾玉。剣は天より降りし岩より打ち出した聖剣、勾玉は、陰と陽の鍵を宿した姉貴達。そして、陰と陽、幽世と現世、月と太陽の現身たる鏡は聖剣と勾玉を繋ぎ、力を増幅させる宝具だ」
それぞれの手に渡された鏡を見下ろし、莉桜と雪那は顔を見合わせる。
「お袋がいつか二人にってずっと大事にしてたものらしい。多分、先代斎王様とも繋がりがあるんじゃないかな…」
「母さん達が…」
「魔術炉が、西洋の魔術ってのを応用してるなら、こっちは古来よりこの国に伝わる浄化の術を使えってね。八岐大蛇退治より骨が折れそうだけど、頑張ってこいよ」
親指を立てて桃夜は莉桜達にエールを送る。
「相変わらず、口が達者なんだから…」
軽い調子の弟の様子に苦笑しながら莉桜は、渡された鏡を胸に抱いた。
鍛冶の工房では、火のくべられた熱い炉の傍で、柳楽が鎚を振っていた。
その度に、火の粉が舞い散り、聖剣に力が注がれていく。
一定のリズムを刻む動作は、あたかも歌を歌うように、聖剣達の中に宿る魂を震わせた。
「さて...後は...」
額に滲んだ汗を拭い、柳楽はふいっと顔を上げた。
桃夜に呼ばれて莉桜、雪那、悠生、猛、雨の五人は鍛冶の工房へとやって来た。
そこでは、打ち直しの終った刀剣を前に座る柳楽の姿があった。
「さて、最後の仕上げです。莉桜様、そして聖剣使いの皆様方。己が刀剣の刃にその身に流れる血を一滴、垂らして頂きたい」
「血を?」
「血って、汚れの象徴みたいな所なかったっけ?」
柳楽の要求に、莉桜と雪那は顔を見合わせる。他の三人も、怪訝に眉を顰めた。
「それは、歪められた言い伝えじゃ。本来、血とは生命そのものを象徴するもの。その血を
持って正しき契約を成すのです」
「なるほど。古い魔法にも似たような下りがあるな」
故郷に伝わる魔術やそれに関する知識を思い出し、悠生は納得する。
「血を刃の表面に垂らせば良いんだよね?」
確かめるように聞いてくる莉桜に、柳楽は頷く。
「こちらをお使い下さい。桃夜が初めて鍛えた小太刀です」
すっと、布にくるまれて差し出された小太刀を莉桜は柳楽から受け取る。
莉桜を先頭に、横並びにそれぞれの聖剣の前に雪那達は並ぶ。
小太刀を人差し指に押し合てて、莉桜はそこに滲んだ血を一滴、神刀三日月の上へと
滴らせた。
布で血を拭い、小太刀を受け取って、雪那達も莉桜に続く。
主の血を受け、聖剣達は更にその輝きを目映いものにした。
これまでとは違う、神話に語られる神々しいまでの輝きが、工房の中を包み込んだ。
工房での三日月達の打ち直しが終わると、辺りはすっかり日暮れになっていた。
夏を過ぎ、秋の気配が色濃くなってきた季節、日暮れと共に日の入りは早く、既に里は夜の帳に包まれていた。
逢坂の夜とは違う、蒸気の煙もすべてを包み隠す霧もない奥出雲の空は、澄み渡り、星々が囁くように輝いている。
当然のことながら、莉桜達は今宵は里に泊まる事になった。
三日月のとうに沈んだ夜空の下。
工房の横に隣接したかつての九頭竜の屋敷では、夕食を済ませた後、莉桜と雪那は柳楽に呼ばれて工房の方へ赴いていた。
その間、桃夜を筆頭に残された男達が酒とつまみを囲み、語らっていた。
「で、どっちが俺の兄貴になる人で、雪ねえの旦那になる人?」
盃を手に、悠生と猛の二人を交互に見比べて桃夜はニヤリとほくそ笑んだ。莉桜の弟とは聞いているが、莉桜と随分性格が違う事に猛と雨は困惑した。悠生はといえば、興味深く桃夜の話に耳を傾けている。
そんな中、唐突に振られた問いかけに、悠生と猛は面食らった。
猛に至っては、飲んでいた酒を誤って気管に流しかけてむせこんでしまった。
「だ、旦那…なれたらいいが…」
胸元を押さえ、咳込ながら猛は自身の願望を口にする。先日、土方の命であったとは言え、雪那を半分騙していた事が発覚し、それを未だ赦してもらえたとは思えない状態にある猛にとって、それは、切実な願いだった。
以前の自分なら、そうありたいと思っても、口に出すことはなかっただろう、それが、今ではその願望を口にしてでも叶えたいと思うほどに、雪那の事を想っていた。
「俺が莉桜さんの婿候補だ」
一方悠生はといえば、自身が元々育ったラテンの気質なのか、それともよほどの自信があるのか、莉桜への想いをストレートに口に出した。
これには、質問の出題者である桃夜も、口笛を吹いて関心を寄せた。
「へえ、こりゃ、楽しみだ。仲良くしようぜ、兄貴達」
猛と悠生、双方の答えに桃夜は満足げに笑うと、二人の盃に酒を注いだ。
「俺は、本当に雪那に相応しいのだろうか…このまま振られてしまうのでは…」
「そんな事はないと思うよ。雪那さんだって、話せばわかってくれるさ。上からの命令だったんだろう?」
桃夜の問いかけが引き金となり、酔いが回ったのも重なって猛はいつもの彼とは打って変わってボロボロ涙を流しながら、不甲斐ない自分を嘆く。
そんな彼を、悠生は背中を擦って話を聞いてやりながら慰めた。
猛と悠生にやたら絡んでいた桃夜を、雨はつまみの豆をぼりぼりかみ砕きながら、拗ねた様子で見据えていた。
死んだと聞かされていた莉桜の弟。
拾われた時、莉桜から聞かされた自分と同い年くらいの弟は、よくよく聞いて見れば、死んだと思われていた年齢が自分と同じで、実際は自分より四つも上の青年だった。
突然現れて、意図も容易く離れていた年月を飛び越えてしまった桃夜の存在が、雨には面白くないのである。
泣き上戸の猛を慰めるのを悠生に任せた桃夜は、今度は少し離れた場所にいる雨の傍に近づいてきた。
「なんですか?」
1人酒の飲める年齢出ない雨は、三人の男達から離れて菓子と甘酒を飲んでいた。
そんな所に唐突にやって来た桃夜を、無意識に睨み雨は視線を逸らした。
「そんなに嫌うなよ…」
「莉桜さんと雪那さんの弟分は僕なんだよ、突然出てきて割り込まないでよ」
プイっとそっぽを向きながら、思わず本心が零れた。口に出して、雨ははっと口元を隠した。
「ははは、悪い悪い」
肩を揺らして笑った桃夜は、雨の横に腰を下ろすと、まるで自分の弟にでもするように、その頭を優しく撫でた。
突然の事に頬を膨らませて抗議をしようとて顔を上げた雨は、そこで穏やかに笑っている桃夜の中に、莉桜の面影を見つけて言葉を飲み込んだ。
「ありがとな…ずっと、姉貴達の事護ってくれてたんだろ」
優しく頭を撫でてくる仕草と、かすかに薫る匂いが、莉桜に似ている。
淡い薄紅の花の如き朗らかな笑みが彼女といるような錯覚を起こさせて、雨はきょとんと眼を丸くした後、桃夜から礼を言われた事を認識して、頬を赤らめた。
「べ、別に…僕は莉桜さんと雪那さんに救われたから…」
「でも、あんたがあの二人の支えになったのは確かだよ。特に、姉貴はきっと、俺を残して行った事をずっと悔やんでたと思うから」
雨の隣に寄り添い、猛と悠生をぼんやりと眺めながら、桃夜はつまみをひょいっと口に運ぶ。
「雨だっけ、ほんと、姉貴の傍にいてくれてありがとうな」
「…お礼を言われるほどじゃないよ…救われたのは僕の方だし…それに…たとえ貴方の代わりだったとしても…莉桜さんの役に立てているなら、それで十分だし…」
膝を抱え、雨はこれまでずっと胸に秘めていた思いを吐露した。
考えなかったわけではない。
もし、莉桜の弟が生きていたら、目の前に現れたら。自分は正気でいられるのかと。
莉桜にとって、自分が死んだ弟の代わりだった事は、最初から分かっていた。けれど、あの逢坂のスラム街で、黒結病といういつ死ぬかも分からない病を抱えながら1人生きていくのは、雨にとっては今でも苦しい事実だった。
あの二人に出会えてことは奇跡で、傍においてもらえる事は幸運な事だった。
だから、この里に来て、桃夜が現れた瞬間、怖くなったのも事実だった。
「僕は…もう必要じゃないのかな…」
いつか捨てられてしまうのではという恐怖は、ずっと雨の中で燻っていた。
「ばーか、んな訳あるかよ」
意気消沈する雨の考えを、桃夜はきっぱりと否定した。
「あんたの存在は、もう姉貴にも雪ねえにも、なくてはならない存在になってんだよ。見てりゃ分かる。あの婿候補連中よりあんたの方がよっぽど大事にされてるよ」
雨の頭をぐりぐりと撫でまわし、しまいには肩に腕を回して桃夜は顔を寄せた。
「自信持てよ。それから、これからも二人を頼む。俺は多分この里から出られねえから。江戸に乗り込むんだろ?姉貴達の事、これからも護ってやって欲しい」
「僕が…?」
予想だにしなかった桃夜からの願いに、雨は大きく目を見開いた。
聞き返してくる雨に、桃夜はニヤリと笑って頷いた。
「ま、任せて!莉桜さんと雪那さんの援護は僕の仕事だもん」
胸を張り、はっきりと雨は言い切った。
「頼もしい弟分がいて良かったよ」
視界の片隅に更に泣き崩れる猛と、それを必死に慰める悠生を見遣りながら、桃夜は逞しいのは雨の方だと認識していた。
(まあ、この三人のバランスなら大丈夫だろうなあ…)
さっきまで拗ねていたのはどこへやら、自信に満ちた雨に苦笑しながら、桃夜は盃を煽る。
離れていた五年という歳月の間に、自分の姉は面白い人物達と縁を結んだらしい。
閉塞的な里から出た事は、莉桜にとってきっといい刺激になったのだろう。
その事が桃夜には嬉しくもあり、羨ましくもあった。
「怪夷が消えたら、俺も逢坂辺りに出てみるかな」
「その時は僕が街を案内してあげるよ!」
さっきまでの敵愾心はどこへやら、すっかり懐いた雨の申し出に桃夜は素直に応じた。
「そういえば、逢坂には旅人の世話をしてくれる案内人がいるんだよな?俺の案内頼んでいい?」
「もちろんだよ!まだ案内人にはなってないけど、必ず案内してあげる」
「はは、楽しみにしてる」
わしゃわしゃと桃夜は雨の頭を撫でる。
桃夜の手を雨は素直に受け入れ、嬉し気に撫でられた。
悠生達が酒盛りをしている最中。
莉桜と雪那は聖剣の核たる三日月達と共に、工房の中にある一室へと通された。
そこは、剣の道場としても使われる場所で、上座に座る柳楽と二人は向かい合っていた。
「以上が、先代斎王、及び師匠達が考案した儀式の方法です」
莉桜と雪那の前に巻物を広げた柳楽は、二人にある儀式の段取りを口頭で伝えた。
それは、怪夷を封じる為に必要な儀式の法。
「聖剣を持ち、陰陽の鍵を勾玉として、月よ太陽の鏡が揃ってようやくなせる術。これが江戸城の魔術炉なる現況を取り除く最善の方法です」
柳楽から聞かされた儀式の方法に、莉桜と雪那は顔を見合わせてから、傍で話を聞いていた三日月や刹那、他の三匹を沈痛な面持ちで見渡した。
「でも、それは、三日月達と…」
物心ついた時からずっとそばにいてくれたハリネズミの小さな身体を、莉桜は撫でる。
微かに震えた指を、三日月はぺろりと舐めた。
『その為にボク達は生まれてきたから、後悔はしないよ』
戸惑い、困惑している莉桜と雪那を励ますように、三日月を初め、刹那、朔月、暁月、弦月の五匹は、真っ直ぐに彼女達を見つめた。
『こうなる事は、最初から決まってたんだ。お前らが悲しむ気持ちはわかるけど。だからこそ、躊躇わないでほしい』
『そうですわ。お二人がいてこそ、うちらが生まれた意味がなされるんですわ』
刹那と弦月が、雪那と莉桜の傍に寄り添い、尻尾を揺らして頬を摺り寄せる。
『オレは違う国を見られて楽しかったっから、感謝かな』
『ボクも、主様や皆様に出会えてよかったですわ』
ばさばさと翼をはばたかせ、朔月と暁月もまた、二人を励ました。
『莉桜、雪那。江戸城ではボク等も精一杯力を貸すから、躊躇わないでね』
莉桜の膝の上に飛び乗り、三日月は念を押すように、真っ直ぐに二人の乙女を見上げた。
「分かった。全力を尽くすよ」
「皆もよろしくね」
決意を固めた陰陽の巫女を聖剣の魂達は誇らしげに見つめた。
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