第六十四話


 陽が暮れ始めた頃、小休憩を挟んで莉桜達は秋津川公爵の話に聞きっていた。

「現在では政府の威厳を護るの意味もあって、怪夷討伐軍を指揮していたのは現帝となっているが、実際に軍の指揮をしていたのは、私の前妻であり、雪那の実母である斎王、現帝の姉である斎王・龍姫たつき殿だった」

「確か、斎王は討伐戦の末期に、身を挺して怪夷の進行を阻止し、その命を散らしたと聞いていますが...」

 討伐軍時代に聞いた事を猛は確認するように秋津川公爵へ訊ねた。

「そうだ。もう聖剣も行方知れずになった最後の年。今から十年も前か...」

 遠い日の妻の姿を瞼裏に思い出し、秋津川公爵は小さく吐息を零した。

「私はこれ以上愛する者を失いたくない。莉桜君、危険を伴うのは分かっている。だが、どうか雪那を取り戻してくれないか?私ではどうする事も出来ない。君の里を護れなかった私が頼むのはおこがましいのも分かっている。だが、君を頼るより他にない」

 それまで座っていたソファから立ち上がり、秋津川公爵は床に膝をついた。

「公爵閣下」

 床に座り込み、深く頭を下げる秋津川公爵の前に莉桜は咄嗟に膝をついた。

「頭を上げて下さい。雪那は私達が必ず連れ戻してきますから」

「すまない、全てが終ったらどんな罰も受けよう...」

 肩を震わせ、床に額を擦りつけ懇願する様は、幕末から外交を担って来た外交官ではなく、一人の父親としての男の姿がそこにあった。

 秋津川公爵に顔を上げて欲しいと促していると、応接室の扉が激しくノックされ、応えも待たずに扉が開いた。

「話の最中で悪いが邪魔するぞ」

「土方さん...?」

 血相を変えて部屋に飛び込んで来た土方を莉桜達はほぼ同時に振り返った。

「市村から火急の知らせだ。帝都にメルクリウス達が現れた」

 土方の口から知らされた情報に、その場の誰もが頬を引き攣らせた。

「馬鹿なっまさか、帝が既に奴等と通じていたという事か」

 一人、神妙な面持ちでそう問う秋津川公爵に、土方は拳を握り締めた。

「...奴の方が、一枚上手だった、ちゅうことじゃ。そいで、どうする土方?」

「このままにはしておけねえ...九頭竜」

 坂本と土方の視線が、莉桜に向けられる。

 二人の視線が何を意味しているのか、莉桜には直ぐに理解できた。

「私からもお願いしよう思てたとこやったんよ」

「行けるか?」

 パンと、胸の前で莉桜は拳と掌を打ち合わせ、ニヤリと口端を吊り上げた。

「阿保雪那の目を覚まさせないとなんないし。私達しか行けないですよね?」

 現在、軍警と執行人達は、逢坂の街に溢れた怪夷の討伐や街の者達の救助等に人員を割いている。

 混乱する状況下で恐らく余計な人員は裂けないだろう。

 ならば、行けるのは自分達しかいない。

「でも、ええの?聖剣使いおった方が、討伐も早よう終るんとちゃう?」

「馬鹿野郎、新選組上がりの軍警舐めるなよ。アイツ等はお前達が執行人になる前からこの国を護ってんだ」

 発破をかけてくる莉桜に土方は不敵な笑みを浮かべて返した。

「坂本、こいつ等を帝都まで頼む」

「お前んはどうする?」

「決まってんだろ、俺は...」

「土方さんは九頭竜さん達と帝都に行って下さい」

 バンと、勢いよく扉が開き、土方の言葉を遮ったのは、部屋に飛び込んできた斎藤。

「斎藤...」

「軍警のトップは私です。貴方には帝の近衛隊隊長としての責務がある筈。土方少将、逢坂は私と軍警、執行人が護ります」

 ビシッと、軍警の制服の襟を正し、軍帽を被った姿で、斎藤は土方の前に真っ直ぐに立ちはだかった。

 決意に満ちた双眸。

 斎藤から立ち上る闘志に土方は、小さく笑うと、背筋を伸ばして額の傍に腕を上げた。

「軍警総隊長、斎藤大佐、貴殿の決意しかと受け取った。この逢坂は貴殿等に託す」

「は、全力を尽くす所存。少将もご武運を」

 これまで、共に死線を潜り抜けて来た者同士の間で、声にならない言葉が交わされる。

「良し。行くぞ。帝都に」

 外套を翻し、土方は莉桜達を見渡した。

 土方の号令に応えるように、莉桜を始め、猛、雨、悠生は敬礼を返した。





 常ならば、蒼穹が広がる帝都は今はこの国の心を映しているとでも言いたげに、曇天に覆われていた。

 かつて、幾度の争いとそれに伴う疫病や飢饉に喘ぎながらも、この国の首都として繁栄を重ねてきた都は、今や黒き妖かし達が蠢く地獄と化していた。

 混沌の中央たる御所、大内裏の地下では日ノ本の天子たる男が、異国より来た錬金術師と居並んでいた。

 ゴウウン、ゴウウン。

 地下から腹の底へ響くような振動を伴う音が暗い空間に響き渡る。

 彼等が見つめる先にあるのは、延々と動き続け、濁り茶の液体を満たす筒状の魔術炉。

 蒸気を吐きながら重りが上下に動き、時折、ボコッと空気が液体の中で泡となって浮かび上がった。

 辺りに張り巡らされたパイプは、体内を巡る血管に似て、それ自体が一つに生命とでも言いたげな様相をしている。

「水銀の術師殿よ...誠にこれで我が悲願、成就するのか?」

 扇を手に、口許を隠して、帝は隣に居並ぶ男へ訊ねた。

「ええ、今や世界は怪夷の恐怖に怯え、混乱に陥っております。この魔術炉が完成すれば、この国の怪夷は祓われ、日ノ本が世界の覇権を手にする一歩となります」

 うっすらと笑みを湛えたまま、公家が纏う直衣を身に着けたメルクリウスは帝の問いに答えた。

「ああ、これで、我が国が英国、米国に代わり世界の覇権を握る事が出来る」

 恍惚と魔術炉を見つめ、帝は口端を釣り上げ、両手を広げて悦に浸った。

「だが、十五年前の江戸のように失敗をしてはならぬぞ。でなければ、姉上が命を賭して護ったこの日ノ本を再び混沌に導いてしまう...」

「だからこそ、そうならない為にこれまで秘密裏に事を進めて参ったのでしょう?完成は間近。後は彼女の力を借りるのみ」

 魔術炉から死線を逸らし、後ろを振り返ったメルクリウスは、入って来た人物を見つめて笑みを浮かべた。

 侍女に手を引かれて現れたのは、白い衣に身を包んだ雪那。

「それでは、最後の工程と参りましょう」

 恭しく頭を垂れながら、メルクリウスは自身の背後に控えた者へ目配せをした。

 白い小袖に千早を羽織り、朱の切り袴を纏う乙女。

 雪那は虚ろな瞳で魔術炉を見つめ、ゆっくりとその傍へと歩を進めた。



 桂川を遡り、莉桜達は夜闇に紛れて逢坂を立ち、帝都へと辿り着いた。

 支流を辿り、帝都の南側への岸に小型の蒸気船が着岸する。

 ひらりと、桟橋に飛び移り、莉桜は夜闇に沈む帝都の空を見上げた。

「今夜は新月か...」

『恐らく、奴はこの時を狙ってたんだろうな』

 莉桜の肩に乗っていた刹那が目を細めて呟く。

「朔の日は陰の気が強くなるから?」

『それもあるが...月がない日は色々隠せるだろ?』

「少なくとも、奴等が事を起こすなら今夜って訳やね」

「本当に御所にはお前等だけで行く気か?」

 ここまで運んでくれた高杉に、莉桜は頷く。

「予定通りに高杉さん達には攪乱をお願いします。必ず、雪那を連れて戻って来ます」

 自信に満ちた莉桜の顔を見つめてから、高杉は悠生、猛、雨の三人を見遣る。

 様々な因果に導かれ、聖剣の主に選ばれた若者達。

 その瞳に宿る闘志に、高杉は苦笑した。

「たく、いつの時代も若い奴は命知らずだな」

 かつての、日ノ本を良くしようと奔走した頃の自分を彼等と重ねる。

 時代を造るのはいつだって若い者達だ。

「いいか、絶対に秋津川の嬢ちゃんを連れて戻ってこいよ」

「はい。行って来ます」

 腰に佩いた神刀三日月の鞘を握り、莉桜は強く頷いた。



 夜半を過ぎる頃。

 帝都の南側、四条通り付近を無数の篝火が灯される。

「筆頭、いつでも行けます」

 私設部隊である奇兵隊の精鋭を引き連れた高杉は、部下の報告に静かに頷いた。

「まさか、お上に刃を向ける事になるとはな...行くぞ、お前等」

「応っ」

 高杉の号令の後、御所の手前に目掛けて、砲声が轟いた。



 ドオオン、ドオオン。

 天を騒がす砲声が帝都の街に響き渡る。

 その音を間近に聞き、悠生は肩を竦めた。

「あれが幕末を生き抜いた志士の意気込みか...」

「やりすぎだろう。仮にもお上の膝元で」

 顔を蒼くして猛は嫌悪感を露わにした。

「今はそんな事言ってる場合じゃないやろ。猛は真面目過ぎ」

「しかし、莉桜さん...」

「いいじゃないですか、ただの威嚇射撃だし、気にしたら負けですよ、猛さん」

 更に何か言いかけた猛に、雨は横から口を挟んだ。

「まあ、猛さんの気持ちも分からなくないけどね。俺で言えば、エスパニョーラの国王陛下に砲弾向けてるようなものだし」

「悠生さんは話が分かってくれて助かるよ...」

 賛同を受けて少しだけ落ち着いたのか、悠生に猛は礼を言った。

「だが、主君の過ちを正すのも臣下の務め。土方殿も、高杉殿も、今上帝きんじょうていを救いたいからこのような荒療治に及んでいる訳で。多少は目を瞑らないとね」

 片目を瞑ってウインクする悠生の言葉に猛は気持ちを切り替える。

「そうですね。今は雪那さんを救う事がこの日ノ本の未来に繋がる」

「その意気だ」

『猛は真面目な奴だなあ』

『私の主様ですから』

 それぞれの主の肩や背に乗っている朔月と暁月が言葉を交した。

 鴨川の岸沿いに北上し、莉桜聖剣使いと聖剣の核たる動物達は御所の西側にある一条戻り橋の付近へとやって来た。

 かつて、この都の闇から人々を守護した古の陰陽師の邸宅があったとされる付近で、莉桜達四人と五匹はある人物と合流した。

「お待ちしてました」

 繁みに身を隠し、合図である鈴の音に現れたのは、一人の青年。

「間に合って良かった」

「貴方が土方さんの小姓の」

市村鉄之助いちむらてつのすけです。ここからは俺が皆さんをご案内します」

「お願いします」

 市村に促され、莉桜、悠生、猛、雨の四人はそれぞれの聖剣の核達を伴い、歩き出す。

 戻り橋の橋の袂にあった人が一人入れる穴を市村は進んで行く。

「市村さん?ここは?」

「御所の地下にある魔術炉の排水をする為の水路です。俺も土方さん達と調査をしてやっと見つけたので、まだまだ未知数なんですけどね」

 僅かな灯りを手に、市村は穴の奥へ莉桜達を誘導していく。

『気を付けなはれ、怪夷や』

 雨の傍を歩いていた弦月が、不意に声を上げる。

 警告を肯定する形で、前方の暗闇からランクDの怪夷が姿を表した。

「市村さんは下がって」

 先導役をしていた市村を下がらせて、莉桜は神刀三日月の柄に手を掛けながら前に出る。

「莉桜さん、この狭い中で太刀を振り回すのは」

「でも、このままじゃ前に進めんよ」

 肩を引かれた莉桜は肩越しに悠生を振り返る。

「莉桜さん、ここは僕にやらせて」

 悠生の制止に戸惑っている莉桜の横を、するりと擦り抜けて雨は先頭に出た。

 手には、彼が愛用している長銃が構えられていた。

「雨、でも」

「大丈夫。弦月がついてる」

 肩に乗っかている狸を見下ろし、雨は誇らしげに笑う。

『莉桜はん、心配せんでも、雨はんの黒結病に関しては問題ないですわ。わてがついてますさかいな』

 ニヤリと笑い弦月は、トンと雨の肩から跳び下りる。身体を銀色に光らせ、すっと長銃の先端に装着された銃剣に宿った。

 銃身が白銀に輝き、雨の腕から全身に力漲っていく。

「行くよ、弦月」

 呼吸を整え、雨は前方で揺らめき行く手を阻む怪夷目掛け、引き金を引いた。

 白銀の弾丸が、怪夷の身体を貫き、内側から黒い身体を消し去る。

「朔月、手伝うぞ」

『仰せのままに』

 持ち主の呼び掛けに答えた朔月が、悠生が腰に下げた剣に白銀の光となって吸い込まれる。

「ユウさん?何を?」

 突然、背負っていた弦の無い弓を構えだした悠生に、莉桜は困惑した。

「この弓は、俺の霊力を矢として打ち出すモノなんだけど、もしかしたらと思ってね。朔月、やるよ」

 悠生の声に答え、朔月は自信が宿る神刀朔月から悠生の身体へと霊力を流していく。

「よし」

 確信を得た悠生は、弓を構え、見えない弦を引き絞った。

 ヒュンっ。

 銃声とは異なる風切り音が、空洞の中に木霊し、悠生の手から放たれた白銀の矢が、怪夷の額に突き刺さる。

 直後、断末魔の悲鳴を迸らせて、怪夷は聖剣で切った時と同じように霧散した。

「凄いっ、ユウさん何処でそんな事思いついたん?」

「雨君の銃を見ていたら、もしかしてこういう使い方も出来るかなって思って。ほら、この聖剣は俺達の霊力を増強してくれるから」

「霊力の増強...そうか、暁月」

 悠生の見解を聞き、猛はある事に行き当たると、足元にしがみついているペンギンに視線を落した。

『主様がお望みなら』

 ニコリと、笑うように目を細め、暁月はその身体を白銀の光に包むと、猛のベルトに差された本体へ吸い込まれた。

 神刀暁月から送り込まれる霊力に、猛が持つ強化の体質が開花する。

 パンと、力の漲る拳を打ち付けて、猛は不敵に微笑んだ。

「雨、悠生さん、そのまま援護を。活路は俺が開きます」

 弾丸と矢の打ち込まれる前線へ、猛は迷うことなく突き進むと、群れる怪夷の中へ飛び込んだ。

 猛の拳が、怪夷の身体を殴りつける度、衝撃と共に塵となって消えて行く。

「凄いですね。これが噂に聞く聖剣使い」

 恐れず怪夷の群れに立ち向かう三人の戦闘力の高さに、市村は歓喜の声を上げる。

『こいつ等、刀剣ってこと忘れてるだろ...』

『外で沢山渡り歩いて来た結果かな?』

 兄弟達の意外な戦いぶりに、刹那は思わず溜息を着いた。

 兄の呆れた様子をフォローして、三日月は純粋に感想を零した。

「今のうちに行きましょう」

 三人の活躍により、行く手を阻んでいた怪夷が駆逐されると、悠生は莉桜と市村を促した。

「魔術炉はこの先です」

 駆け足で市村は莉桜達を先導していく。 

 暗闇の先、妖しい緑色の灯りが漏れる場所が見えてくる。

『莉桜、お願いがあるんだ』

 不意に、刹那に耳打ちをされ、莉桜はそっと彼の言葉に耳を傾ける。

 刹那が出した意外な提案に、莉桜は一瞬眉を顰めた。

「ほんまにそんな事して大丈夫なん?」

『それが一番手っ取り早い。恐らく、上手く行く筈だ』

 念を押す刹那に莉桜は静かに賛同し、周りに気づかれないように小さく頷いた。

 ぽっかりと空いた穴に、五人と五匹は迷わず飛び込んだ。


 

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