第六十三話


 大阪城の蒸気炉が爆破され、大炎上と怪夷の襲撃が起こった翌日。

 人工島が面する茅渟ちぬの海に一隻の船が着岸した。

 混乱極まる中にその船は神戸から運ばれた様々な支援物資と共に、ある人物を伴っていた。

 三つ揃いのスーツに身を包み、シルクハットを被った、紳士然といた初老の男。

 秋津川公爵は遠く黒煙の上がる逢坂の街を、憂いを帯びた瞳で見つめた。

「閣下、行きましょう」

「うむ」

 船の持ち主の一人であるエスパニョーラの外交官に促され、秋津川公爵は人工島の港に設けられた結界を潜った。



 軍警の仮本部となった案内所の一室で、莉桜を含めた四人はある人物と向かい合っていた。

「ご無沙汰してます。秋津川公爵閣下」

 応接間のソファに腰かけた秋津川を前に莉桜は深く頭を下げた。

「こんな時にすまなかったな。どうしても、君達に伝えんねばならない事があったのだ」

 本来であれば、外交官であり、国の重要人物である公爵が神戸から出て来るなど、考えられない事だ。

 それも、偶然とはいえ、逢坂が有事の時にである。

 異変に気づて引き返せた筈だが、彼がここに来たのにはそれなりに理由があったのだろう。

「それは、雪那が行方を晦ませた事に関係ありますか?」

「恐らくな...」

 神妙な面持ちで頷いた秋津川に莉桜は背後でこのやり取りを見守っている悠生、猛、雨を振り返った。

「彼等が聞いていても問題ありませんか?」

「彼等は、例の聖剣の使い手達だろう?なら、関わりのある事だ。それに、そこの彼はリベラレート伯爵の友人だろう」

 莉桜の後ろにいる猛と雨を見遣ってから、秋津川は悠生を見て、目を細めた。

「そうですよ、俺の親友です」

 それを肯定したのは、秋津川の背後に控えていたレオだった。

「こんな時に大物を連れて来るとは、俺の親友の行動力には驚かされたな」

「だが、大事な事だ。逢坂がこうなった今、最も知るべき話だからね」

 肩を竦めて苦笑する悠生を前に、レオは愛想たっぷりにウインクする。

「私も伯爵に説得された身だ。彼の行動力には感服したよ。さて、坂本君や土方君達からも大方は聞いていると思うが、私からも昔話を聞かせよう」

 胸の前で指を組み、目を閉じて秋津川伯爵は過去の出来事に思いを馳せる。

 彼が紡ぎ出した話を、莉桜達は静かに聞き入った。



 遡る事、二十五年前。

 江戸幕府開闢の時から同盟を結んできた英国ブリテンから、当時幕府の外交を任されていた秋津川の下に、ある話が舞い込んだ。

『ある技術の開発実験に日ノ本も参加してはくれまいか?』

 当時、日ノ本は南北戦争を終え、じわじわと力を付けつつあった米国ステイツから、同盟の話を持ち掛けられていた頃。

 長年、同盟国として渡り合って来た英国が米国と微妙な関係にあった時代に、米国の扱いをいかにするべきかと、幕府や朝廷内でも意見が割れていた。

 各地では米国との同盟へ反対する抗議や暴動が起き、米国の外交官が島津家の家臣に斬られるなどの事件も起こっていた。

 難しい局面を日ノ本が迎える中で、英国からの打診は米国への抑止力になると、それまで意見の割れていた幕府と朝廷を纏めるには十分な話であった。

「将軍や帝の意志を確認しながら、私は英国の外交官やプロイセンの外交官達と協議を重ね、欧羅巴ヨーロッパとロシア帝国で持ち上がった共同研究に賛同する事に同意したのだ」

 初めの研究の目的は、力を付けつつある新興国米国への抑止力と、軍事、エネルギーの拡張だった。

「英国を筆頭に、プロイセン、仏蘭西フランス、ロシア帝国は魔術に秀でた国家だった。日ノ本や清国も系統は違えど東洋魔術の国家。各国の古の術を駆使し、この星に流れる霊脈を石炭や蒸気エネルギーの代わりにするのが、本来の目的だったのだ」

 ソファを挟んだ中央に置かれた卓の上で、秋津川公爵は世界地図を広げ、各国の勢力や関係性を指示した。

「そして、その術式と技術を齎したのが、メルクリウスと名乗るプロイセンの錬金術師だった」

「メルクリウスって、そんな凄い人だったの?」

 唐突に出て来た、宿敵の名に、莉桜は声を上げる。

「当時は、まだこんな大それた事を起こす人物とは思われていなかったのだ。だが、奴は何処か底の知れない顔をしていた。私も奴をこの日ノ本に招いた頃に、嫌悪を感じたほどだったからな...」

 溜息を吐き、秋津川公爵は更に話を続けた。

「霊脈は各国に帯状に繋がって存在しているのは以前から知られていた。魔術炉を建設する場所を選定した結果、かつて江戸幕府を開く際に家康公の相談役であった天海僧正が敷いた呪術陣を使用するのが最も力があるだろうと、日ノ本の魔術炉は江戸城地下に建設されたのだ」

 目を細め、秋津川公爵は唇を引き結ぶ。

 魔術炉の建設が始まった頃、秋津川公爵は現帝の姉君である女性と婚姻を結んだ。

 その間に生まれたのが雪那だった。

「雪那が生まれて間もない頃、私はあの子の周りに黒い奇妙な影が集まるのを見るようになった。その禍々しさに私は当時親交のあった莉桜君、君の父君に、雪那に近づく魔を祓う守り刀を打って欲しいと依頼したのだ」

「もしかして、その護り刀が聖剣だったって事ですか?」

「その通りだ。九頭竜殿は雪那の為に一振りの鎌を授けてくれた。護り刀にしてはなかなか大物だったが、私はあの子の傍に常にそれを置いていたのだ」

 秋津川公爵の話を聞きながら、チラッと莉桜は足元に座る猫を見る。

「でも、雪那は鎌なんて持ってなかったですよね?護り刀っていうなら、肌身離さず持っていても不思議ではないのでは?」

 以前、聖剣が揃った時に刹那が自ら言った、刃がないという話が、ずっと引っ掛かっていた。

「それには、例の大災厄が関係している。魔術炉が完成間近になった頃、メルクリウスがある事を言って来たのだ。“魔術炉を稼働するには、それを稼働させる鍵が必要だと”」

「鍵?」

 莉桜の疑問に、公爵は頷く。

「魔術炉を動かす為に必要な、言ってみれば生贄のようなモノだったのだろう。それから我々は条件に合う巫女を探した。そして、見つかったのが、雪那だった」

 沈痛な面持ちで秋津川公爵は唇を引き結ぶ。

「親のエゴだ。その時私は後悔した。あの子を生贄になどさせたくはなかったが、雪那は私や妻が留守にしている間に連れ去られ、神戸から江戸へと連れて来られた」

「それで、雪那は...」

「...江戸城の魔術炉に、奴等は雪那を落したのだ。その際、どういう訳か共に運ばれていた護り刀があの子を護り、そして、魔術炉の暴走が起こり、日ノ本を含め、世界に大災厄が起こったのだ」

 一息に話し終え、秋津川公爵は深く息を吐く。

「あの、その魔術炉に雪那さんが落とされたことで暴走が起こったなら、雪那さんはどうやって助かったんですか?」

 そこで、不意に疑問を投げかけたのは猛だった。

『それについては、オレが話す』

 それまで、莉桜の足元で話を聞いていた刹那が、すっと腰を上げ、卓の上に飛び乗った。

『オレが雪那を助けたんだ。あの時、雪那の魂と自分の魂を入れ替え、オレは雪那と融合した。刃がないのは、その時に力を使った結果だからだ』

 背筋を伸ばし、刹那は淡々と当時の事を語る。

『それからオレは、雪那の別人格として、アイツの身体を借りて時々表に出てたんだ。アイツが戦闘がからっきし駄目なのは知っていたしな』

「刹那って名前が同じだったのは、そういう訳だったんだね」

『ああ、まあ、刹那ってのは、雪那の人格としての名前だけどな』

 莉桜の問いに答えながら、チラッと刹那は莉桜の肩にいる三日月に視線を送る。

『オレが雪那を護った後、オレ達を神戸に戻してくれたのは、坂本のおっさんと高杉のおっさんだったんだ。そこは、アンタが手配したんだろ?公爵閣下』

 腰を上げて刹那は後ろの秋津川公爵を振り返る。

「そうだ、彼等に娘の救出を依頼したのは、私自身だよ」

 刹那の指摘に秋津川公爵は疲れ切った表情で首を縦に振った。

『そして、あの魔術炉は本来は、陰と陽、二つの鍵が必要だったんだ。メルクリウスの奴はどういう訳か陰の鍵のみを炉にくべ、そして暴走が起きた』

「刹那の言うとおりだ。これが、十五年前の顛末だよ」

 ソファに深く座り直した秋津川公爵の表情は、漸く背負っていた荷を下ろしたというようなものだった。

 恐らく、この真実をずっと独りの胸に抱えていたのだろう。

 実の娘を危険に晒した事実は、墓場まで持って行くにはあまりに重い、罪の告白だった。

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