第四十五話




離れた場所での何かが爆ぜる音が微かに聞こえてくる。

 その音に悠生は少しだけ頬を引き締めた。

「緊張、してますね」

 今回の護衛役として選出されすた東海林拓馬に声を掛けられて悠生は苦笑を滲ませた。

「戦闘訓練は母国で受けているから自信はありますが...やはり作戦となると緊張しますね」

「それはそうでしょう。貴方は執行人でも軍警でもない。ましてや貴方は異国の来訪者で本来ならこの逢坂の事情に関わらせるべきではない筈...」

「イレギュラーなのは分かっています。でも、俺はこの国の生まれで、どういう訳か、聖剣を手にした...それなら、今回の一件に巻き込まれるのも必然かと」

 悠生の話に拓馬は目を見張る。

 だが、悠生の深い緑の瞳に強い意志が宿っているのを見て、拓馬は口端を緩めた。

「何となく、あの九頭竜さんが入れ込んだ理由が分かりました」

 目を伏せ、苦笑する拓馬に悠生はキョトンと目を円くする。

「東海林さん?」

「いえ、なんでもありません。それより、他の班は戦闘状態に入ったようですね。九頭竜さん、魚住さんに関しては辻斬りに接触した様です」

 先程通信機から受けた情報を拓馬は悠生に告げる。

「莉桜さんが...」

「我々もいつ遭遇するか分かりません。気を引き締めて...」

 バサバサ、と。拓馬の忠告を強調するようにそれまで悠生の肩に停まっていた朔月が鼻を羽ばたかせた。

『二人とも、何か来る』

 朔月の警告が、脳に直接響く。

 まるで、その警告を体現するかのように、前方の暗闇が陽炎のように揺れる。

「来ますよ...」

 拓馬の声に応じるように、悠生は神刀朔月の柄を握る。

 直後、二人の眼前に旋風が吹きつけた。

 刃の擦れる金属音が闇の中に響き渡る。

 暗闇の中から姿を現したのは、黒いだんだら模様の羽織を羽織った黒髪の青年。

 漆黒の刃を白銀の刃で受け止めて悠生は息を飲んだ。

「お前はこの間の」

「あ、やっぱりあの時のお兄さんか」

 ニヤリと、自身の刀を受け止めて悠生を前にソウジはニヤリと不敵な笑みを零す。

「カルーノさんっ」

 悠生の加勢に入るように拓馬は氷の礫をソウジに向かって投げつける。

 それを後方に跳んで躱し、ソウジは二人の前に立ちはだかった。

「残念。あのお嬢さんと会えるかと思ったけど、私はハズレか...まあいいや。で、君等は私達を誘き寄せて何をしようっての?」

 漆黒の刀を肩に担ぎソウジは悠生達に問いかける。

「貴方に語るつもりはありません」

「はあ、あっそ。返答によっては、私達がこれからする事も教えてあげたのに...仕方ない。ちょっちだけ遊んであげるよ」

 ソウジの周りに突如として黒い革袋を被ったような影が浮かび上がる。

 地面から現れた怪夷は悠生と拓馬を囲むようにその身を揺らめかせた。

 狂気に満ちた笑みを口元に刻み、ソウジは再び地面を蹴った。




 莉桜の眼前で白い火花が散る。

「間一髪だね」

「たくっひやひやさせんなよっ」

 莉桜に迫った刃から彼女を守るように前に出たのは、薄緑色の髪に橙色の瞳の青年と赤い髪の青年だった。

「ちっ」

 二つの刃に阻まれ、浪人は後ろに下がって間合いを開ける。

 男の前に立ちはだかったのは、逢坂の執行人のエースと名高い水原情報屋事務所の風祭誉と秋津川情報屋事務所と長年の因縁を持つ赤羽情報屋事務所の社長であり、自称莉桜のライバルである赤羽志狼だった。

「誉さんはともかく、なんで私の護衛に志狼までついて来るんよ...」

 二人の陰に護られながら、莉桜は溜息をついた。

「煩せえな、たまには大人しく護られろよ」

「九頭竜さんごめんね。僕が秋津川さんに頼んだんだ...弟を僕等の社長の傍につけて欲しいって」

 敵を牽制したまま、肩越しに莉桜を振り返った志狼と誉は互いに言葉を掛ける。

「...二人とも、しっかり前見ないとやられるわよ」

 肩を竦め、志狼と誉の言い分を受け取った莉桜は、彼等の先で今にも動こうとしている敵を見据えて忠告した。

「小癪な...何人掛かってこようと同じことだ」

 舌打ちをし、浪人は柄を握りなおす。

 腰の後ろで切っ先を地面に向け、浪人は一歩、前へと踏み出す。

 男の足運びにはかつて剣豪と呼ばれ、時代に埋もれていった侍の覇気が宿っていた。

 言いようのない緊迫とした空気が、莉桜を護って左右にて刀を構える誉と志狼に同時に生唾を飲み込ませた。

 向かい合っただけで分かる、格差のある強さ。

 だが、ここで引く訳にはいかなかった。

「聖剣とそこのお嬢さんの前に、貴殿等の相手をしてやろう」

 淡々とした口調で告げた直後、浪人の男は一瞬のうちに誉と志狼の眼前に迫った。

 互いに視線を交わし合い、誉と志狼は各々動き出す。

 莉桜を護る形で眼前に迫る敵を誉は真っ向から迎え撃つ。

 一方志狼は向かって来る敵目掛けて前へと踏み出した。

「行けっ」

 懐か取り出した形代が無数の鳥の式神となって浪人の男の眼前へと迫る。

 それを踏み込みながら彼はいとも簡単に切り落として行く。

「こんな紙屑など」

 葉虫を払うように式を叩き落とした直後、浪人の男の耳に金属の擦れる音が響いた。

「小癪な」

 いつの間にか背後へと回った誉が下段から刃を振り上げる。

 その刃を後ろ手に浪人は受け止めた。

「赤羽君っ」

 誉の声に呼応するように志狼鞭剣のしなやかな刃の群れが敵を捕らえるように弧を描く。

 横から絡め捕られる寸前の所で、浪人は誉から瞬時に距離を取る。

 だが、鞭剣は浪人を追う。

「くっ」

 舌打ちをして浪人は迫りくる鞭剣の刃を自身の黒き刀身に絡めて受け止めた。


「いまだっ」

 志狼の合図に、それまで様子を伺っていた莉桜が敵の眼前へと飛び出して行く。

 大地を踏みしめて宙へと跳び、上段に太刀を構えて振り落とした。

 刃が眼前へと振り下ろされる僅かな間をついて浪人は志狼の鞭剣が絡まった刀身を力任せに振り切った。

 黒き刀身と白銀の刀身が火花を散らしてぶつかり合う。

 三日月が振り下ろされた軌道上にせり出していた網代笠が切れて破片を散らす。

 刃が擦れ合う中、切れた笠の合間から、紅く光る男の双眸が見えた。

 それは、かつて里が襲撃された時に見た襲撃者の眼そのものだった。

「あんたに一つ聞きたい」

 鍔迫り合いを興じながら莉桜は唐突に言葉を紡ぐ。

「悠長だな...俺に何を聞こうというのだ」

 ギリリと刃を合わせたまま浪人は莉桜に応えた。

「あんた達が私の里を襲った犯人なの?」

 莉桜にとっての悲願。

 己の故郷を灰にした者への復讐をする為に莉桜はこの逢坂へと来た。

 その目的が果たされるかどうかの瀬戸際に彼女は立っていたのだ。

 雪那にも言えていない事。

 でも、きっと彼女は気付いている。

(それでも私は...やっぱり仇を取りたいんだ)

 仇敵かもしれない相手を前に莉桜はぐっと力を込めて相手を押し返すように一歩踏み込んだ。

 それは、短くも長い沈黙だった。

 鍔迫り合いの最中、男の唇がゆっくりと持ち上がる。

「...そうだ、貴様の里を襲ったのは、俺達だ」

「っ!」

 男の口から出た答えを聞いた瞬間。莉桜の中で何かが弾けた。

 その波動は、莉桜の肩で寄り添っていた三日月にも伝わった。

『莉桜、ダメっ』

 三日月の短い警告を聞かず、莉桜は胸の内から沸き起こる憎悪を津波の如く立ち上らせた。



「莉桜!」

 術式構築の為に意識を集中していた雪那は、不意に脳裏に伝わったビジョンと背筋を震わせる負の感情に思わず声を張り上げた。

「秋津川殿?いかがしましたか?」

 突然声を上げた雪那に驚き、共に術式構築に携わっていた土御門は、慮るように声を掛けた。

「...まずい...今すぐ術式を発動して...このままじゃ莉桜が」

 額を押さえ、苦し気に眉根を寄せて雪那は吐き出すように土御門に告げる。

 蒼白の雪那の表情にただならぬ事態を察した土御門は、強く頷いた。

「水原殿、これより結界の展開を開始します。斎藤隊長に連絡を。それと、至急A班に応援を送って下さい。嫌な予感がする」

 術式班の護衛についていた水原に土御門は事態の変化を告げた。

「分かりました」

 水原が応じると共に焔は身を低くして駈け出した。

「全術者に告げる。これより、結界を展開する。ここからは、私達の霊力に掛かっていますよ」

 土御門の号令に、作戦に集った各事務所の執行人のうち、比較的霊力が強く、術式の扱いに長けた者達は気合の入った声を張り上げた。

「秋津川殿、参りますよ」

 結界を発動するための陣の中央に座る雪那の肩を土御門は優しく叩く。

「分かりました」

 呼吸を整え、雪那は小さく頷いた。

 目を閉じて乱れた精神を落ち着かせる。

 さっき感じたのは、一体何だったのか。

 莉桜の激しい烈火の如き感情がびりびりと伝わって来た。

 まるで、直ぐ傍に彼女がいたような、自分の中から湧き上がるような感覚。

 その正体の見当はつかないが、今は結界を展開して事態の好転を図るしかない。

(計画がずれてる...)

 自身が立てた作戦が音を立てて崩れて行くのを感じながら、雪那は意識を集中させ、内に宿る霊力を研ぎ澄ませた。



 逢坂の街の動力源であり、象徴たる大阪城の城郭と堀がから、緑の光が浮かび上がる。

 それは、大阪城を中心として逢坂の街を包み込み、巨大な結界と化した。



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