第二十八話
じりり、と鞘から引き抜いた愛刀を構え、莉桜はこちらを伺うように見つめ、ゆらゆらと身体を揺らめかせている怪夷と向かい合う。
いつ、どちらが動いても可笑しくない一触即発の状態。
「雪那、結界張って」
「分かってる」
雪那を隠すように怪夷の前に立ち、莉桜は背後の雪那に目配せする。
それに応じる様の雪那は懐から五枚の呪符を取り出した。
口元のそれを近付け、雪那は詠唱を始める。
雪那を中心の緑色の光が迸り、周囲一キロの範囲を覆った。
張られた結界の中、怪夷が僅かにたじろぐ。どうやら、結界の効果はあるようだ。
一瞬の怪夷の隙をついて莉桜は太刀を手に大地を蹴った。
鋭い刃の一閃が怪夷目掛けて振り下ろされる。
だが、刃が届く前に怪夷は莉桜との間に土の壁を作り出し、それを縦にして攻撃を防いだ。
「莉桜、気を付けて。ランクBは単純な術式を使ってくる。そいつ、土の属性を持ってる」
「なら、金の属性である太刀なら十分勝てるよね」
にっと、口の端を釣り上げて莉桜は負けじと怪夷に向かっていく。
まるで身代わりのように土の壁や岩の塊を轟音と共に地面から盛り上がらせ、怪夷は次々と莉桜の刃を防いでいく。
「あー、もう、こいつ逃げてばかりやんっやる気あるん!」
ちょこまかと逃げ回る怪夷に莉桜はだんだんとイライラを募らせる。
右往左往と怪夷を追いかけているうち、莉桜の周りはいつの間にか岩と土の壁に囲まれ、動ける範囲が狭まっていた。
「莉桜っ足元!」
珍しく荒げた雪那の声に驚き、莉桜は思わづ後ろを振り返る。と、背後に造られていた岩の塊に足を引っ掛けた。
「わあ」
素肌を擦り、裂ける様な痛みと、ぶつけた痛みに莉桜はバランスを崩し、その場に倒れ込んだ。
「痛た...」
ぶつかった岩にもたれる様にして倒れた莉桜は反射的に身体を起こそうとして、足首から脛にかけて走り抜けた痛みに顔を顰めた。
見ると、皮膚の裂けた脛からは血が滴り、足首には青紫の痣が浮かんでいた。
(...まずい...足やったかも)
ずきりと痛む足首に莉桜は舌打ちする。
立ち上がろうと足掻く莉桜を怪夷は何処か罠にかかった獲物を見るような様子で楽し気に見つめている。
足の痛みを堪えて立ち上がろうとしていた莉桜の頭上に、平らな岩が降って来る。
咄嗟に頭を護って身体を丸めた莉桜のいる場所が、岩の蓋で塞がれる。
「莉桜!」
岩の檻に囚われて姿の見えなくなった相方の名を雪那は叫ぶ。
莉桜を閉じ込めた怪夷は今度は雪那の方へ向き合った。
「今度は僕って訳か...」
武器として持ってきている杖を握りしめ、雪那は怪夷を見据える。
「いいよ、やってやるよ」
微かに震える恐怖を押し込め、雪那は杖を握り締めた。
(ランクBだと)
雑木林の中を進み、観察目標である莉桜と雪那に追いついた猛は、その場に現れた怪夷の特徴を見て息を飲んだ。
(まずい、流石に初心者がランクBを相手にするのは...)
受験者に怪夷退治を課題としているが、あくまで想定は基本であるランクDの討伐だ。
それ以上のランクの怪夷の討伐を軍警側も望んではいなかった。
緊急事態とみた猛は通信機を使い、本部で待機しているであろう土方に通信を繋いだ。
「こちら、魚住。例の観察目標を追跡した先でランクBと遭遇、目標が戦闘状態に入りました。介入の許可を」
猛からの通信を受けた斎藤は、その旨を土方に伝えた。
「...いい機会だ。魚住、そのまま様子を見ろ」
『しかし、初心者である彼女達にランクB討伐は危険が高すぎでは』
猛の意見は最もだったが、土方は敢えて介入を許さない。
「そのまま待機しろ、俺も今からそっちに行く」
『了解致しました』
通信が切れると、土方は座っていた椅子からゆっくりと腰を起こした。
「斎藤、ここは任せた」
「了解しました」
「見せてもらうぜ、聖剣の力って奴を」
ニヤリと、不敵な笑みを浮かべて土方は部下も連れずに一人本陣のテントを出た。
ごつごつとした礫が雪那の足元に幾つも
降り注ぐ。
それを雪那は杖で弾くように交わす。
さっきの莉桜との攻防では防戦一方だったが、今度は怪夷の方から攻撃を仕掛けていた。
(僕が後方支援系だってバレたな)
内心溜息を吐いて雪那は後ろに下がりながら怪夷の攻撃を防ぐ。
だが、徐々に後退することによって、自らが張った結界の範囲から抜け出るのは時間の問題だった。
結界を張る事で弱めている怪夷の力。結界から出たら本来の力で迫って来るだろう。
現状でもギリギリなのに、このまま本領など発揮されては雪那に勝ち目はない。
(絶対絶命って、こういう事かな)
死ぬかもしれないという恐怖はあるのに、内心では自然と軽口が零れる。
バッチと、背中が結界に触れる。境界まであと僅か。
歯を食いしばった瞬間、雪那の足元に茂みから一匹の猫が飛び出した。
「刹那っなんでここに」
『雪那、身体貸せ』
短く言った刹那の意識が雪那の中に流れ込んでくる。
鏡合わせの空間を通り抜けるような錯覚とビジョンが雪那と刹那の中に同時に流れ込み、一瞬のうちに互いの姿を見つめる形となる。
雪那の金色の双眸が闇夜を宿す紫水晶のそれに代わる。
更に、黒髪が赤く色を変え、その表情も何処か不敵な笑みを滲ませた。
纏う雰囲気が変わった相手の様子に気づいた怪夷は、進行を止めてその場にゆらゆらと立ち尽くした。
「さて、今度はちゃんと相手してやるよ」
ピッと杖を怪夷に向けて雪那は不敵に笑う。
一度はたじろいだ怪夷も、再び礫を飛ばし、雪那へ攻撃を仕掛ける。
それを躱しながら弾き返し、雪那はステップを踏みように周りに出来た岩や土の壁を避けながら怪夷との間合いを詰めていく。
「お返しだ」
腰帯の中から小さな球を取り出した雪那はそれを拳大に大きく膨らませ、杖の先端で突き飛ばした。
直線を描いて球は怪夷に向かって飛び、その胴体へ命中する。
思わぬ衝撃に怪夷は胴体を歪ませてよろめき、後ろへと下がる。
体勢を崩す怪夷を見据えたまま、雪那は術式による声をある者に繋いだ。
『起きろ、三日月。今目覚めなくていつ目覚めんだよ』
それは、思いもよらない声掛けだった。
『...分かってるよ、兄さん...』
その呼びかけに応えたのは、莉桜の懐で全てを見守っていたハリネズミ。
小さな鼻先を着物の懐から出し、三日月は飼い主の顔を見上げた。
『莉桜、莉桜』
どうか届いてと願いながら三日月は莉桜に声を掛ける。
音にならない声が、莉桜に届く。
自分を呼ぶ声を追って暗い岩の牢獄の中で周囲を見渡した莉桜は、それが懐に入れていた三日月の声だと気付くのに時間はかからなかった。
「三日月...今、喋って...」
『莉桜、僕を..神刀三日月を使って』
莉桜の懐から飛び出した三日月は、怪我をした莉桜の脛に移動すると、その傷口に鼻先を寄せた。
小さな口が傷口に滲む血を舐めとる。
何度も傷口を往復する舌の動き。それが通り過ぎる度に痛みが消えていく。
それと同時に、握っていた太刀の刀身が銀色の光を纏って輝き始めた。
傷口を舐めていた三日月の小さな身体が淡く光を放つ。
その時莉桜は気付いた。
ずっと垂れ流しになっていた自身の霊力が愛刀に注がれている事に。
猛からの通信を受けて駆けつけた土方が見たのは、平たい岩の蓋を砕いて飛び出した一人の少女の姿だった。
「莉桜」
雪那の呼びかけに頷き、莉桜は銀色の光る太刀を構え、岩の塊を足場にして颯爽と怪夷目掛けて駆け抜けた。
「たあああ!」
上段に構えた刃を気合一閃、怪夷の頭上へ振り下ろす。
反撃をする間もなく、怪夷の頭部に神刀三日月の切っ先が突き刺さる。
断末魔の咆哮を迸らせ、怪夷は黒い塵となって夜闇の中に霧散する。
跡に残ったのは黒光る砕けた塊。
「なんなんですか...今の...」
靄ではなく、塵のように消えて濃い影を地面に残した怪夷の末路に猛は愕然と目を見張った。
怪夷は倒しても完全に消える事はない。核を潰しても闇に消えた靄がまた集まり、再生するのは常識だった。
だが、今莉桜が倒したランクBはまるで浄化されでもしたかのようにその姿を消滅させた。
それは、名古屋で前線に出ていた猛自身、初めて見にする現象だった。
「...アイツの情報もたまには当たるんだな...」
眉を顰め土方はニヤリと口の端を歪めて笑う。
「では、坂本殿の情報は事実だったということですか」
「ああ、たく、すげえ新人が来たもんだな」
何処か楽し気な土方に猛は当惑する。
「それに、もう一人の方も気になるな。途中から性格が変わったみてえな戦い方しやがった。魚住、今後もアイツらに目向けとけよ」
「は、畏まりました」
土方からの指令に猛は敬礼をして応じた。
数多行われてきた執行人資格試験の中。初戦でランクBを倒した莉桜と雪那の名は、受験者や軍警のみならず、執行人界隈に轟いた。
執行人資格試験が終わり、無事に合格を果たして免許を手に入れてから一月後。
莉桜と雪那は下宿をしていた坂本邸の二階で荷造りをしていた。
二人は新たな生活の為に今日ここを旅立つ。
「よし、これで終わり」
葛籠に日用品を詰め終えて莉桜は額に滲んだ汗を拭った。
季節はいつしか夏を迎えようとしている。
換気の為に開けた窓から、熱気を帯びた風が入り込み、汗に触れて体温を冷やしていく。
「雪那、こっちは終わったよ」
「僕も終わり」
書物を納めた木箱の蓋を閉じて雪那も汗を拭う。
「なんか、そこまで長くいた訳じゃないのに、離れるとなると寂しいね」
「お龍さんはいつでもおいでった言ってくれてるから、また顔だそうね」
雪那の言葉に頷き莉桜は立ち上がる。
「さて、荷物下ろそう」
それ程多くはないが、四カ月過ごしたこの部屋にも来た時よりは荷物が増えた。
それらを莉桜と雪那は力を合わせて降ろしていく。
邸の前には馬の繋がれた荷車が用意されていた。
「これで終わりか?」
坂本の問いかけに二人は頷く。
「そいじゃ、行こうかの」
荷物を載せた荷台に莉桜と雪那は乗り込む。
「お龍さん、お元気で」
「お世話になりました」
「執行人のお仕事、ほんまに頑張ってや。辛くなったらいつでも戻っておいで」
お龍の優しい言葉に背中をお押され、莉桜と雪那は坂本が手繰るに荷馬車に揺られえて逢坂の街の中心を目指した。
遠くには、巨大な蒸気炉を地下に内包した大阪城が見える。その屋根から白い煙を吐き出し、空を蒸気の雲が覆っていくのを見つめながら、二人は馬車の揺れに身を委ねた。
過ぎていく街並み。
これから自分達が生きていく街。
帝都の護りであり、近年発展をし始めた蒸気観光都市。
光と影の顔を持つ黄昏の都。
逢坂の喧騒は変わりなく今日も続いていた。
「さ、ついたぜよ」
荷馬車に揺られて辿り着いたのは、坂本邸がある梅田から南下した玉造という地区。
その一角にある煉瓦造りの五階建てのビルが莉桜と雪那の新たな住処だ。
「ここが」
荷馬車を降りて莉桜と雪那は聳え立つビルを見上げる。
「執行人情報屋事務所なら、これくらいがよいぜよ」
ニヤリと得意げに笑う坂本。
「二人で持て余しそうだね」
「でも、いいじゃん、広い方がさ」
互いに顔を見合わせて莉桜と雪那は苦笑する。
「よし、ではここに秋津川情報屋事務所を設立と参りましょうか」
胸を張る雪那に莉桜は笑顔で頷いた。
暑い夏の気配が漂うその日。
秋津川情報屋事務所と執行人、九頭竜莉桜と秋津川雪那の物語は静かに幕を上げのだった。
荷物を自身の部屋に運び込んだ莉桜は、ふとベッドに視線を向けた。
そこには、故郷から連れて来た三日月が、ちょこんと行儀よく座っている。
「...三日月」
おもむろに、その名を呼ぶ。
すると、頭に直接響く形で声が帰って来た。
『何、莉桜』
「やっぱり、話せるんか」
いまだ信じられないとうい顔で莉桜は三日月を見る。
その視線を受け止めて三日月が笑った。
『莉桜は、話せたらイヤ?』
「そうじゃないけど、なんか変な感じ」
苦笑を浮かべる莉桜に三日月は、それもそうかと納得したような顔をする。
『莉桜、君の父君...お父様から、言伝を預かっているんだ』
そういうと、三日月はベッドを降りて莉桜の足元に駆け寄る。
足元に来た三日月を莉桜はひょいっと持ち上げた。
莉桜の肩によじ登り、三日月は鼻先を耳元夷寄せる。
小さな声で告げられたその言伝は、莉桜がこの逢坂で追い求める事になる、父からの遺言だった。
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