第二十五話
執行人資格試験当日。
坂本家にある道場の板の間に正座をし、莉桜は精神統一をしていた。
目の前には愛刀である太刀が置かれている。
深く息を吐き出して静かに瞼を開いた。
「いよいよか...」
朝陽の差し込む道場の中、莉桜は己を奮い立たせるように決意を言葉にする。
チャキ、と乾いた音を立てた太刀を掴み、莉桜は腰を上げる。
「よし」
太刀を携えた莉桜は道場を出た。
「う~憂鬱」
試験会場がある中之島へ向かいながら、雪那は溜息を吐いた。
「やるしかないやろ。もう当日なんやし」
隣を歩く雪那に莉桜は肩を竦める。
「胃がキリキリする...」
「頑張ろう、とにかく頑張ろう」
雪那の背中を叩き莉桜は親友を励ましながら自らをも鼓舞した。
各官庁の建物が立ち並ぶ中之島は怪夷除けの為に船でしか渡れない。
いつもより船に乗り中之島を目指す人が多いのは、同じく試験を受ける受験者かもしれない。
船を降り、中之島の中にある軍警庁舎の門を潜ると、憲兵が受験者を会場へ誘導していた。
その流れに乗って莉桜と雪那も受験会場に向かう。
受付で受験票を出し、莉桜と雪那は互いの健闘を讃え合うと、指定された座席に着席した。
試験会場には年齢がバラバラな男女が志願をていた。
坂本の話では、執行人は公にはなっていない裏家業に近い職種らしい。だが、外部から来た者が職を得るには執行人が一番手っ取り早いらしい。
(だから、色んな人が受けるのか...)
緊張を紛らわせる為、雪那はぼんやりと共に試験を受ける受験者達を眺めた。
だが、この試験に受かるのはそれなりに難易度も高く、半分は落とされるという。
(まあ、頑張るしかないか...)
胸中で溜息を吐いて雪那は机に頬杖をついた。
会場が受験者で埋まり、会場に軍服に身を包んだ試験管が入って来る。
教科書で最後の確認をしていた莉桜は、試験管が入ってくると、教科書を鞄に仕舞った。
「これより、答案と問題を配る。私が良いというまでは表に返さないように」
試験官の説明の後、他の試験官が受験者達の机に受験票を確認しながら答案用紙と問題を配っていく。
(彼女か...)
莉桜と雪那の元に答案用紙と問題を配ったのは、軍警隊長の息がかかった猛だった。
まさか自分が、この二人と関わりを持つ事になるとは、当時の猛は考えていなかった。
「それでは...始め!」
試験官の号令と共に、莉桜と幸奈を含めた受験者達は問題と答案用紙を表に返し、一斉に問題を解き始めた。
試験時間は三時間。
三か月勉強してきた事を莉桜と雪那は出し切り、三日間ある試験の一日目を終えた。
「お疲れ」
「そっちもね」
三時間後、それぞれ試験を終えて雪那と莉桜は合流した。
「はあ、大丈夫かな...」
「結果は明日の実技試験後に出るからうじうじしてもしゃないよ」
「あ、明日実技か」
今まで忘れていたのか、雪那は思わず声を上げる。
「実技の方が自信ない...」
がくりと肩を落とす雪那に莉桜は苦笑する。
「まあ、二人一組でやるみたいだし、怪夷討伐を想定した実技だから、前線は任せて」
うん、と頷き雪那と莉桜は庁舎の門を目指し、建物の角を曲がった。
その瞬間、莉桜は反対側から来た人影と出合い頭に衝突した。
ゴンっと、鈍い音がする。
「痛っ」
「ってえなあ」
互いに肩を押さえ、莉桜と人影がよろめく。
「おいっ何処見て歩いてんだよ」
莉桜が咄嗟に謝ろうとするのを遮るように、ぶつかった相手がどうの効いた声で凄んで来るなり、莉桜は相手を睨みつけた。
「はあ!ぶつかってきたんそっちやん」
体制を直し、相手と向かい合うと、そこにいたのは、燃えるような赤い髪を襟足だけ伸ばしたまだあどけなさの残る少年だった。歳は同じくらいだろう。
「あ?どう見てもそっちだろ」
「門の方角に向かってたのはこっちだっての、ぶつかっといて謝りもせんわけ?」
自分を睨み据えてくる黒い瞳を覗き込み、莉桜は負けじと相手を睨みつけた。
「んだと、やるか」
引き下がらない莉桜の態度に腹を立て少年は袖をまくりながら戦闘態勢に入ろうとする。
「莉桜...やめなよ」
「ぶつかっといて謝らんばかりか、言いがかり付けられて引き下がれるかい」
肩を掴んで雪那は莉桜を下がらせようとする。だが、頭に血が上っているのは莉桜も同じなのか、今にも手を振り払いそうだった。
「おら、かかってこ、うわ」
一触即発の状態を回避させたのは、少年の背後から現れた青みの掛った銀髪の長身の青年の介入だった。
「志狼、こんな所で油打ってないで帰りますよ」
「拓馬っ止めるな!」
「はいはい、ぶつかったらきちんと謝りましょうね」
ズルズルと、志狼と呼んだ少年を拓馬と呼ばれた青年は自分の方へ引き寄せる。
「お嬢さん達、うちの連れが失礼した。今日の所は許してほしい」
赤い髪の少年を羽交い絞めにしながら、銀髪の青年は深々と謝罪した。
「あ...いえ...」
「お互い、執行人の受験者の様ですし、いずれまたお目に掛れるかと。その時は宜しくお願いしますね」
ニコリと、柔らかな笑みを零して一礼すると、青年は相方を引きずる様にしてその場を去っていった。
「...なんだったんだろ...」
去っていった二人組を茫然と見送り、雪那と莉桜は眉を顰めた。
「はあ、疲れてるのに変なのに絡まれた」
「莉桜がつっかかるからじゃん...」
肩を回して深い溜息をつく莉桜を雪那は呆れ顔で覗き込んだ。
「それにしても、同じ受験者か...ああいうのと実技当たりたくないわ」
「それ、なんか言っちゃいけないやつっぽくない?」
「そうかな?」
雪那の指摘に莉桜はキョトンと目を丸くする。
「何事もないといいけど...」
夕暮れが迫る中、雪那は祈るように呟いた。
だが、その祈りは天には届かず、雪那の心配は杞憂で終わらなかった。
二日目の朝。
日の出と共に起きた莉桜と雪那は日課である朝稽古に励んでいた。
熱心に太刀を振るう莉桜の姿を眺め、雪那は憂鬱に溜息を吐いて膝を抱えた。
『憂鬱そうだな、雪那』
不意に足元に擦り寄ってきた刹那を見遣り、雪那はぶすっと頬を膨らませる。
「実技試験って試合でしょ。僕そういうの苦手だよ」
『そう言っても、怪夷を討伐するなら戦闘は避けられないだろ?』
刹那の話はもっともだが、やりたくない物はやりたくない。
憮然としている雪那を見つめ、やれやれと刹那は小さな肩を竦めた。
『仕方ない。雪那、試験の時はオレが変わってやるよ』
「え?いいの?」
思わぬ手助けの言葉に雪那は目を輝かせる。
だが、ぬか喜びする雪那の鼻先に小さな前脚を押し付けて刹那は忠告をした。
『ただし、莉桜にはギリギリまでばれないようにするために、戦闘が始まってから、入れ替える。いいね?』
刹那に念押しされ雪那はこくりと頷く。
そんな雪那を見上げて刹那は不敵な笑みを零した。
莉桜と雪那は実技試験を受ける為、軍警庁舎へとやってきていた。
集合時間の三十分前。実技試験の対戦相手と試合時間が発表されるとあって、庁舎の他入口横には人だかりが出来ていた。
「えっと...」
受験票と組み合わせを張り出した掲示板を莉桜は人だかりの後ろから背伸びをして見つめる。
「ん~あ、あった。私達の番は十時からのB組だ」
「十時か...少し時間あるね」
腕時計で雪那は時間を確認する。集合時間は八時半。実技試験が始まるのは九時からなので、少し時間がある。
「対戦相手の名前は...
ついでに対戦相手の名前を確認した莉桜は、ふと、何処かでそんな名前を聞いた気がして首を傾げた。
「どんな奴だろ...」
対戦相手の名前を反芻し莉桜は、脳裏に想像を膨らませる。
「強敵じゃなきゃいいな...」
「雪那、それじゃ執行人になってからやってけないやん」
「それはそれ、これはこれだよ」
大仰に息を吐く雪那の肩を莉桜は励ますように叩く。
「ま、頑張ろう」
そう言って笑う莉桜の表情は直ぐに驚愕に歪むことになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます