第六章ー執行人資格試験

第二十四話

 

 逢坂に着き、坂本の屋敷に下宿を始めてから二週間が経過した。

 坂本から怪夷の討伐を生業とする『執行人』になるための方法を聞いた莉桜と雪那。

 彼女達は今、机に向かって教科書を開いていた。

「...執行人になりたいとは言ったけど...」

 鉛筆を指で回しながら雪那は足をぶらぶらさせて溜息をついた。

「筆記試験があるなんて聞いてない...」

「しょうがないやん...資格試験があるんやから」

 同じく机に向かって教科書に目を向けながら莉桜はうだうだ言っている雪那に諦めろと告げた。

「試験まで三か月、しっかり頑張ろう」

「僕勉強嫌い...」

 机に突っ伏し、雪那はぶすっと頬を膨らませた。

「別に一緒に受ける必要ないよ?」

 横目に雪那を見据え、莉桜は溜息をつく。    

 向けられた言葉の言外にある諦めのような感情に、雪那はガバっと身体を起こした。

「さて、続き、続き」

 再び教科書に視線を落とし雪那は勉強を再開する。

 その様子に苦笑しつつ、莉桜も教科書を読み込む。

 それから、時々相談し合いながら二人は勉学に勤しんだ。

 部屋の中には再び静寂が訪れる。

 カリカリと、鉛筆が紙に擦れる音だけが響く中、部屋の床では逢坂に着いてきたハリネズミの三日月と猫の刹那がじゃれ合っている。

 教科書に記載されているのは、近年判明した怪夷の生態や出現方法、怪夷の討伐方法など基礎的な事や怪夷が江戸に現れてからの歴史、実際の討伐戦の陣形から自身が怪夷に遭遇した場合の対応など、応用問題もあり、それらを莉桜と雪那は黙々と解いていく。

 この頃の莉桜と雪那は朝起きてからの体力作りの為に朝稽古を坂本にしてもらい、午前中から試験勉強に励んでいた。

 全ては、執行人になる為に。

 莉桜にとって、その時は執行人になる事だけが生きる目的だった。

 


 陽が沈む頃、莉桜と雪那が下宿する部屋の扉を叩く音がした。

「はーい」

 返事をして雪那は扉を開く。

 廊下には坂本の妻であるお龍が立っていた。

「そろそろ、夕飯にしましょか。龍馬さんももうじきお帰りになるから、皆で食べましょう」

「分かりました。莉桜と直ぐに降ります」

 お龍の誘いに頷き雪那は一度部屋に戻ると、莉桜に声を掛けた。

「莉桜、ご飯」

「あ、うん、じゃあ今日はこれで終わり」

 鉛筆を置き、教科書と問題集を閉じて莉桜は大きく深呼吸する。

「言われてみたらお腹空いたね」

「莉桜、随分集中してたね」

「あ~歴史問題解いてたからかも...」

 照れ笑いをしながら莉桜は雪那から若干視線を逸らす。

(好きな事やってる時の集中力が凄いんだよね...)

 お龍が呼びに来たことにも気づかない程に集中していた事を恥じている莉桜を、今更だなと思いながら雪那も隣の机に広げた勉強道具を片付ける。

 片づけを済ませた莉桜と雪那はそれぞれ三日月と刹那を連れて部屋を出る。

 階段を降りて右に曲がった廊下の先にある食堂へやってきた。

「お龍さん、手伝います」

 食堂の引き戸を一枚挟んだ先にある台所に入り、莉桜は煮物を盛り付けていたお龍に申し出た。

「ああ、莉桜ちゃん、そしたらそこの食器運んでくれる?」

 返事をして莉桜は台の上に用意されていた人数分の食器を食堂に運ぶ。

 坂本の家は外見は平屋建ての日本家屋だが、家の中には西洋の調度品が誂えられ、食堂には長卓と椅子が設置されている。

 それぞれの椅子の前に食器を置き、再び莉桜は台所に戻る。今度は大皿に盛りつけられた料理を運ぶ。

 一方雪那は刹那と三日月のご飯を用意していた。

「ほい、しっかり食べな」

 器に盛られたご飯を刹那と三日月は行儀よく食べる。

「帰ったぞ」

 食卓が整う頃、見計らったように玄関から帰宅した坂本の声が聞こえて来た。

 その声にお龍は反射的に玄関の方へと向かう。

 暫くして二人が食堂へと戻ってくる。

 その仲睦まじい姿を莉桜と雪那は静かに見つめた。

「いいよね、ああいう夫婦」

「僕等も素敵な人に巡り合えるといいね」

「その前に逢坂で自立しないと駄目ちゃう?」

「う~ん、否定しない...」

 思春期の乙女らしく希望を抱きながら、現実を引っ張り出し、莉桜と雪那は同時に溜息をついた。

「なんじゃ?お主等顔が沈んじょるぞ」

「理想と現実の差に少し虚しさを感じてました...」

 二人同時の発言に坂本とお龍は首を捻る。

「よう分からんが、お主等に土産じゃ」

 そういって、上着の懐から坂本が取り出したのは一冊の冊子だった。

「知り合いに頼んで手に入れて貰った過去数回分の試験の過去問題じゃ」

「わあ、ありがとうございます」

 坂本から冊子を莉桜は目を輝かせながら受け取る。

「坂本さんって、今は貿易の仕事だけですよね?よく手に入りましたね...」

 莉桜の手に握られた冊子を覗き込んだ後、雪那は眉を顰めて坂本を見やる。

「お得意様には政府関係者もおる。そのつてじゃき」

 教科書に載ってしまうくらい有名な大災厄時の英雄は現在、『海援隊』という貿易会社を営んでいる。

 五年前、大阪が逢坂と改められるまで、坂本は政府の要人として傾いた政府の立て直しを行っていた。

 その関係もあってか、未だに政府の役人や要人のとの付き合いがあるのだろう。

(よくよく考えたら、うちの父親とも繋がってたしね...)

 外交官である実父と坂本の繋がりを考えて坂本がいまだに様々な場所に顔が利くことを雪那は内心納得した。

「まあ、何はともあれ、頑張って試験に受かるぜよ」

 坂本に励まされ莉桜と雪那は同時に頷いた。

「それと、夕飯終わったら、稽古つけちゃるから武器持って庭に出て来ること」

「分かりました」

 冊子を一端長卓に置き、莉桜と雪那は坂本夫妻の前の席に腰を下ろす。

 四人で囲む食卓もすっかり馴染んでいた。



 坂本の特訓は容赦がなかった。

 莉桜と雪那、それぞれ怪夷との戦いを想定した二人組形式で坂本に向かっていくのだが、莉桜の剣も、雪那の術式も坂本にはひらりと交わされてしまう。

「どしたーちゃきちゃき掛ってこんと、怪夷には勝てんぜよ」

 左手に愛刀を、右手に愛用のリヴォルバーを携え、坂本は莉桜と雪那を煽る。

「このっ」

 愛用の太刀を構え、莉桜は再び坂本目掛けて駆け抜ける。その背後から呪符による術式を発動して雪那は莉桜を援護する。

 坂本の周りに濃い霧が取り囲む。

 視界を遮られ、坂本は僅かに後ろへ下がり、思わず笑みを口元に浮かべた。

「はあっ」

 霧の中から莉桜の鋭い一閃が坂本目掛けて繰り出される。

 それを坂本は刀の峰で受け止めた。

「視界を奪ってからの、攻撃。戦術としてはまあまあかの。じゃが、詰めが甘いぜよ!」

 競り合いになる前に、坂本は刀を押し返して莉桜を後方に吹き飛ばした。

 ざざざああと、芝生を足の裏で掴み、勢いを殺して減速すると、莉桜は再び大地を蹴って坂本を包む霧の中に飛び込んだ。

 雪那も術式で創り出した閃光の針で莉桜を援護する。

 二人が行っているのは、実技試験に向けての特訓でもあった。

(この数日で技の練度も上がってきよる。こりゃ、成長が楽しみぜよ)

 莉桜の刃と雪那の閃光の針を交互に弾き返しながら坂本は内心微笑んだ。

 若者の成長に逞しさと期待を見出し、坂本は莉桜を峰打ちで後方へ退かせた。

「今宵はここまぜじゃ」

 ぴしゃりと、夜気を震わせる鋭い号令が響き渡る。

 立ち上がろうとしていた莉桜と、その莉桜に駆け寄ろうとしていた雪那は終わりを告げる坂本の声に、ぴたりと動きを止めた。

 二人揃って並び、頭を下げる。

「ご指導ありがとうございました」

「お疲れさん。今日の戦略はなかなかよかったぜよ。もう少し連携を上手く取るように」

 師匠のような助言に莉桜と雪那は返事をした。

 そんな稽古と勉学に明け暮れる三カ月はあっという間に過ていった。



 『執行人資格試験試験会場』と書かれた看板が掲げられた中之島にある軍警庁舎。

 試験はここで行われる。

 明日に控えた試験の準備の為に軍警庁舎内は着々と準備が進んでいた。

 軍警の隊員たちがせっせと筆記試験用の椅子や机を運んで行くのを、隊長室から土方歳三ひじかたとしぞうは静かに見めていた。

 コンコンと、入室を呼びかけけのノックの音と共に、入室許可を求める声が聞こえてくる。

「入れ」

 短い応答を土方がすると、一呼吸置いた後、扉が静かに開いた。

 入ってきたのは、真新しい軍警のダブルブレストの軍服に身を包んだ二十代前半の青年。

魚住猛うおずみたける、本日付けで逢坂軍警に着任致しました」

 一糸乱れぬ敬礼で土方に挨拶すると、青年は背筋を伸ばした。

「休め。魚住少尉、名古屋戦線からの異動ご苦労であった。突然の人事ですまなかったな」

「いえ、討伐軍で名を馳せた土方大佐直々に引き抜いて頂き、光栄です」

 少し興奮気味に猛は土方の前に立つと、声を上擦らせて思いを伝えた。

「早速だが、明日より執行人資格試験が開催される。君にはその試験管を任せたい。むろん、俺や永倉達も参加するが、君には注意してみて欲しい受験者がいてな」

 土方からの指示に猛はふと疑問を抱いた。

「注意する受験者?危険人物でも志願してきたと?」

 猛の見解に土方は苦笑しながら首を横に振る。

「いや、そうじゃねえ。要注意人物とか、危険分子とかじゃなくてな...そいつがある武器期の持ち主かもしれねえって話があってな...それを確認してほしいって話だ」

「武器?まさか、それは...」

 土方の話から猛は以前討伐軍にいた時に聞いた噂を思い出した。

「怪夷を滅する事が出来る聖剣の話でしょうか?」

 確認するように口にした猛の単語に土方は神妙な面持ちで頷いた。

「かつて、出雲の刀工が打ったとされる星の石を混ぜ込んだ怪夷殺しの聖剣。大災厄当時は三振りだけと言われ、最初の一振り目は攻防戦の最中行方知れずになったと言われている。残りの二振り目、三振り目は大災厄後の討伐戦でその真価を発揮し、多くの戦線で怪夷を滅したが、今はそれも行方が知れずにいる。お上は今もその三振りを捜しているが、最近になって、打たれた刀は三振りだけではないという事が判明した」

 提出された資料を見つめ、土方は話を続ける。

「聖剣は五本あったのではないかというのが、最近の見解だ。そのまだ存在の知られていない聖剣らしき刀が、最近発見されてな」

「まさか、その聖剣の持ち主が志願者の中にいると」

「そうだ。まだ確証は得られていないが、もしそれが本当なら、確かめる必要がある」

「その人物の目星はついているんでしょうか?」

 うむ、と土方は猛に数枚の資料を手渡す。

「この二人が重要人物だ」

 土方が手渡してきたのは、執行人資格試験の志願者の志願書。

 そこには氏名や出身地の他、証明写真が添えられていた。

 どちらも女性である。

 推薦枠らしく、推薦者は坂本龍馬とある。

「坂本大佐のご推薦...」

「元大佐だ、元。アイツが珍しく推薦枠にねじ込んできやがったから見たら、面白れ事が書いてあってな。そんなわけで、頼むぞ」

 胸の前で腕を組み、かつての好敵手の事を口にする土方の表情は、どことなく不機嫌だった。

「了解致しました。隊長のご期待に添えるよう、最善を尽くします」

「ああ、期待してるぜ、魚住」

 ニヤリと、不敵な笑みを浮かべて土方は敬礼する若き部下を見つめた。

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