第二節(前)

 賊は、入口を襲った者たちだけではなかったとすぐに知れた。


 内部に手引きする者でもあったものか、エルゥの部屋を目指す途中でも不意に現れる。乱戦は、宮の入口だけではなく内部でもまた其処此処で繰り広げられていた。

「―――ハァアっ!」

 裂帛の気合いと共に、もう何度目かも解らず、剣を振り下ろす。

 その隣ではウィルフが、鋭い一撃によって賊の喉を斬り抜いていた。

「……顔まで布でぐるぐる巻きだから、返り血が飛び散らなくて助かる」

 賊たちは皆、身元を隠すためか、手足から首、顔までを夜陰に乗じる黒一色の布で覆い隠していた。ふ、とつまらなさそうにそんなことを呟くウィルフに、笑いがこぼれる。

「そうね、せっかくのドレスが汚れなくて助かるわ!」

 どうしようもなく、精神が高揚する。一方で、これまでに感じた事がないほど冷たく冴える。血と脂のこびりついた剣身を振って汚れを払いながら、アーシェはエルゥの居室へと向かって走っていた。

 隣には、ぴたりとウィルフが併走している。

「……剣を、取ったんだな」

「見ての通りです」

「後悔はないか」

「解らない。でも今は、それどころじゃないです」

 だって。

「エルゥを守りたいんだもの。こうしなきゃ、守れないんだもの!」

 言い切ると同時に、前方から飛び出して来た賊を斬り伏せた。ああ、どこまで賊は入り込んでいるんだろう。エルゥは、瀕死の床にあるという彼は無事なのか。

「その廊下を右だ! その先に殿下の寝室がある!!」

 ウィルフがふっ、と場所を入れ替えてアーシェの背中に回った。振り返る間もなくギィンっ、と鋼同士の擦れ合う音が聞こえてくる。

「部屋の前には護衛もいるはずだ! 行け!! 行って我が君を……!」

「―――守るわ!!」

 アーシェは振り返らなかった。一言、叫んで、そのまま走る速度を上げた。

 息が切れる。もう何人、十何人? 斬っただろう。素振りや稽古と違って、人を斬るのにはその分、腕に負担が掛かった。右手がじんじんと痺れている。

 ああ、ドレスの裾が邪魔だ。斬りたい。馬に乗る前に、せめて裾だけでも切り落としてくるんだった。それでも、腕だけは動かす邪魔にならないように仕立ててくれていたアレシアには感謝しかない。彼女は最初から聞いていたのだろうか。アーシェが剣を使うことを。

「女、邪魔だ死ね!!」

「あなたが邪魔よ!」

 ウィルフが行け、と行った廊下の右手から踊り出してきた賊を、上段からの一振りで斬り伏せた。エルゥ。エルゥ。どうしてこっちから敵が出て来るの、あなたは無事なの。

 お願い、どうか生きていて……!

 祈りながら走り抜けた廊下の先、右手に飛び込むとすぐに、剣戟の音が聞こえて来た。

「退け!」

「ここは通さん!!」

……それは、両開きの大きな扉の前。

 二人の護衛兵が、一目でわかる手練れを相手に、激しく剣を切り結んでいた。

(あそこが)

 あの扉の向こう側に、エルゥがいる。

「……そこを、」

 アーシェの瞳が激しい炎をともした。ぐんっ、と強く、踏み込んだ爪先が床を蹴る。

「どきなさい、無礼者―――!!」

……それは、積み重ねた鍛錬、そのひとつの到達点であったのかも知れない。

 もしくは、初陣の高揚がもたらした奇跡とも。

「な、」

 重心を低く飛び込んだアーシェの素早さは、賊の目を越えていた。まるでつばめが大地すれすれを風のように飛ぶ姿のように、アーシェの身体は凄まじい速度で賊の足下へ滑り込んだ。

 剣先が、翻る。

 胸元から喉、顎先を抜けて眉間へ。

 一直線に振り上げた剣先は賊の上半身を鋭く切り裂いて、額へ抜けていった。

「お、……女ァ……!」

 呻く絶命には至らなかった賊の腹を、扉を守っていた兵士の槍が貫く。低い位置に片手を突いて留まりながらそれを見上げていたアーシェの頬に、ほんの数滴の返り血がぱたたっ、と落ちて伝った。

「……エルゥは、……エルゥは無事、ですか。……殿下は」

「ご令嬢、あなたは」

「わた、……私は、カータレット公爵の……お世話に、なっている、……娘、で、……」

 ああ、息が切れる。苦しい。空気を求める喉が、忙しなくヒュウヒュウと嫌な音をたてている。今の速度は、出来る限界を超えていた。

「王の剣、王の盾……! お入り下さい、殿下は中に!!」

「おい開けろ、カータレットだ! 王の盾が来た!!」

 護衛騎士の声に応えたものか、内側からがちゃり、と鍵を開ける音がした。

「ご令嬢、中に!」

「ここはお任せを!! どうか殿下を……!」

……カータレットは、武門の家。

 代々、国軍の指揮を預かる公爵は、王の剣とも、王の盾とも呼ばれる。それは庶民ですら知っている事。

 護衛の兵士たちが見せた絶対の信頼、そして歓喜に、アーシェは胸を突かれた。カータレットが来た。それは確かに、彼らにとっての希望なのだ。

(ユージィンさま……!)

 だからきっと、ユージィンもここに駆けつけたのだろう。そこに危険があるかも知れないと、承知の上で。

 ほんの少しだけ開いた扉の隙間から、アーシェは転がるようにしてその内側へ飛び込んだ。

 慌てて飛びすさる少年の細い足が目に入る。それから、自分に与えられたカータレット家の部屋よりも随分殺風景な、その部屋の内装が。

 慌てて巡らせた寝台の上、薄く引かれた天蓋からのカーテン。その内側に、銀色がチカ、と輝いていた。

「……アー……シェ?……」

 ぜいぜいと、苦しげな喘鳴に紛れて聞こえてきた名前に、アーシェはよろよろと立ち上がった。

 エルゥ。―――生きていてくれた。まだここに居てくれた、間に合った!!

「エルゥ! 来たわ!!」

 もつれる足で、寝台に近付く。そうして天蓋から降りるカーテンを引いた、その向こう側に。


 銀色の、あの子供がいた。

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