星に願う魔女

汐 ユウ

Ⅰ.星虹教会東地区第三支部へようこそ

 女神テオーリア。かつて星の欠片からこの世界を創造したとされる偉大なる女神。彼女はとても美しく、凛々しい。姿は、光が当たると銀色にも輝く絹のような髪、陶器よりも白い肌、両の目は青と銀と伝えられている。

 世界の大半が女神テオーリアを崇拝し、都市によってはいくつもの教会が存在し、生活に必要な様々な施設の役割を担うほどである。宗教都市と言われる地域では、軍隊として機能する教会もある。

 つまり、この世では「女神など存在しない」と言う人間など在ってはならないのだ。


 朝の禊を終えて、まだ少し湿っているにも関わらず、ウェーブのかかる金色の髪を手櫛で整えながら古い廊下を歩くのは、今年二十二になっても少女と形容できるくらい童顔の修道士エレンだ。国によっては、修道士は男、女であれば修道女と表すところもあるようだが、ここら一帯では性別を区別することなく修道士と呼ばれている。また、この宗教都市では教会に所属する人間は女性の方が多く、それは階級が上がっても変わらない。

 エレンはフードがついた黒い修道服に厚い革靴を合わせている。下もスカートではなくズボンを好んで穿いているのは、彼女の仕事柄動くことが多いからだ。

「お姉様!」

「ソフィア、おはよう」

「ぉ、おはようございます」

 聖堂の手前の廊下で掃き掃除をしているのは、銀色にも見える金色の短い髪の毛に、水色の瞳と全体的に色素の薄いソフィアだ。毎日小柄な身体で大きなほうきを連れ回しているエレンの妹分。

 彼女も同じ仕事をしているが、エレンほど動き回ることはなく、修道服もスカートになる。今年短期神学校を卒業したばかりだが、在学時代から見習いとして働いていたので付き合いは長い。

「お祈りはもう済ませたの?」

「ぇと……掃除をしてからにしようと……」

「そっか。偉いね、ソフィアは」

 エレンの鼻の位置くらいにある頭を撫でてやると、後輩は嬉しそうに困った顔をした。

「お姉様は、もう済まされてしまったのですか?」

「まだだよ。姉さまに怒られる前にと思って来たんだけど」

「あの、礼拝ご一緒してもいいですか?」

「いいよ。一緒に行こう」

 まだ時間は早い。ステンドガラスでカラフルな影を作る聖堂には、あまり多くの人影はない。いるのは熱心な者より、昇進を志す者たちの方が多いだろう。

 ソフィアは首にかけている紐に通されている拳よりも二回りほど小さい木製の輪を握る。女神テオーリアに祈りを捧げる時に使用する《星の輪》だ。お守りでもある。

 エレンは修道服の胸ポケットから、銀色の《星の輪》を取り出して細い指で抱える。彼女には他にも耳と腕に同じく銀色の輪がついており、並ぶとまるで一つの星座のようになる。

「わたしはこのまま朝食を食べに行くけど、ソフィアは?」

「私は……」

 視線が少し下へ向く。

「掃除手伝うよ。早く終わらせて一緒に食べよ」

「ぇ、でも……!」

「大丈夫。二人でやればすぐ終わるよ」

 基本的に雑務は新入り、もしくは歳の若い者がすることになっており、例え同じく修道士であっても上の者に手伝ってもらうことはない。それが司教の妹となればなおさらだ。

「お姉様、だめですよ……!」

「何で? わたしだって修道士だよ。というか万年修道士のぺーぺーだから気にしないで」

 修道士から司祭に上がるためには、神学校を卒業していることが最低条件となる。エレンは一度も学校に通ったことがないため、これから先司祭に上がることは天地がひっくり返らない限りあり得ない。

「それにわたしはソフィアとお話したいだけだからね」

「お姉様は、本当に天使のような御方です」

「やだよー。天使だなんて」

「でっでも! 優しくて、強くて、綺麗です」

 言っている方が顔を赤くするものだから、天使側はまったく恥ずかしくない。

「でもソフィアと掃除したことは姉さまに内緒ね。可愛い子を必要以上に構うと嫉妬されちゃうから」

 青と灰色の瞳が細くなる。

「よーし、じゃあわたしは雑巾がけでもしようかな」

「お姉様はこれ使ってください!」

「ほうきはソフィアのでしょ?」

「ぃゃ、これは教会のものですから!」

「そうなの?」

 毎日毎時持ち歩いているものだから、てっきりソフィアのものかと思い込んでいた。

 制止する少女を無視し、修道服の袖も捲くらずに真新しい雑巾をしぼる。

「そういえば今日から新しい人が来るって」

「中央からいらっしゃる方ですよね?」

「うん。ソフィアとあわせて面倒みてって言われた」

「うぅ……」

 ソフィアの動きが鈍くなる。

「私も先週先生から申し付けられました……」

「いいなぁ。わたしは昨日さらっと言われただけなのに」

「私……無理です……。ただでさえ人見知りなのに……年上の方だなんて……」

「そんなこと言ったらわたしよりも年上だったけどねぇ。まぁ、大丈夫大丈夫。姉さまがソフィアをつけるってことは、ちゃんとした人でしょ」

「意味分かんないです」

「お気に入りはお気に入りのままでいれば大丈夫だよ」


 一つの都市と言っても広いので、もちろん訪れたことがない土地もたくさんある。今回派遣された東地区も例外ではない。特に教区長が外に対して厳しい人というのも要因の一つだった。

「おはようございます〜」

 独特のイントネーションで教会の戸を開いたのは、修道士アリー。話し方だけではなく、長身と綺麗に編み込まれた赤茶色の髪も存在感を放っている。

「おはようございます」

 建物の中ではなく、庭からエレンと少し遅れてほうきを持ったソフィアが出迎えた。エレンに突かれて、ソフィアがおずおずと言葉を紡ぎ出していく。

「ぉ、おはようございます……」

「おー噂には聞いとったけど美人さんやね。ちっさい方は元気ないけどどうしたん? お腹でも痛いんか?」

「わたしはエレン。この子はソフィア。人見知りなだけだから、気にしないで」

「君がエレンね。うちはアリーや。よろしゅう」

「結構早い到着だね」

「第一印象が肝心やと思ってな!」

 わざとらしいくらい盛大に笑う。ソフィアは完全に押され負けている。

「エレン……ネルちゃんやね。ネルちゃんがうちを指導してくれるんか?」

「何でわたしだと?」

 おそらく外見年齢だと四つ離れたソフィアとそう変わらないひよっこだ。もちろん小さな頃からこの仕事に就いているため、更にまた四つ離れたアリーにも経験で劣らないのは確かだが。

「噂は聞いとるで。ここら一番の評判らしいやんか」

「さすがお姉様です」

「そうゆうとこだけ持ち上げに来なくていいから。……わたしが責任者になるけど、ソフィアも一緒になるから、先輩としてご指導いただけると助かります」

「ほうきちゃんも一緒なんて嬉しいわぁ」

「私の名前はソフィアです……!」

「ひとまず姉さまのところに行くよ」

 エレンが先に歩き出す。その背中を追いかける少女の横に、アリーが並んだ。

「姉さまって誰?」

「ここの司教様です」

「あー噂の」

「そんなに噂あるんですか?」

「噂話好きやねん。ほうきちゃんも女の子なら好きやろ?」

「私が好きなのはお姉様です」

「そのお姉様のお噂なら気にならん?」

「…………」

「正直者は嫌いじゃないで」

 巷に流れるエレンの噂は驚くほどにいい話ばかりだ。容姿についてはもちろんのこと、今日も手伝いをしてくれた、昨日は引ったくりを捕まえた、一昨日は迷子をみつけてくれたとかそんな話がいくらでも出てくる。

「あと姉さまとやらについてもな」

 逆に司教であるルシルについての噂は少なかった。もちろん史上最年少で司教になった実力者ではあるため、それなりの褒めエピソードはたくさんある。しかし、アリーが教会関係者伝に聞いた話は、街中では一切流れていない。

「あっあの」

 エレンの変化を感じ取ったからか、ソフィアが慌てて二人の間にほうきをさす。

「えと、今からお会い致し増すのは教区長でもある司教ルシル様ですっ。失礼のないようにお願いします……!」

「……まだほうき持ってたん?」

 司教室の目の前まで来たというのに、ソフィアは未だほうきを握り締めたままだ。

「ソフィア、姉さまの前です。それは置いときなさい」

「はっはい」

 小さく深く一度息を吐いてから、エレンが重いドアを三度ノックする。

「姉さま、お連れしました」

『入りなさい』

 ドア越しに聞こえてきたのは、司教とは思えない若くて高い声だ。

「失礼します」

 中央の椅子には、腰まである金色の髪と遠い空のように青い瞳、陶器のような白い肌にカソックを纏ったルシルがいた。そして部屋の中には彼女の他に、三人の若い修道士が端の方に控えて入る。

「中央の方から来ましたアリーです」

 少し訛りの残る挨拶をし、

「いやー話には聞いていましたけど、先生もとても綺麗ですね! あそこにいる子たちも特に可愛い」

「こちらこそ話に聞いていた通り、かなり陽気な方のようね」

「元気が取り柄なもので」

「あまりうるさいのは好かないのだけど、いいわ。改めまして星虹教会東地区第三支部へようこそ。私はルシル。あなたの上司となる人間よ。ここに来たからには女神テオーリアの加護のもと、誠意的に働きなさい」

「女神テオーリアに誓って、誠心誠意働かせていただきます」

「うちの教会は所謂自警団のような組織としての役割もあるの。そこにいるネル、ソフィアと巡回や有事の際の対処を命じます」

「承知しました」

「挨拶はこれでいいわね。何かあったら、そこに突っ立っているネルに聞きなさい」

 目を細め、直立不動を貫いているエレンに視線を向ける。

「ネル、この後話があるから残りなさい。あとは全員解散」

 質問をすることもできないまま、アリーたちは部屋を後にすることとなった。

「ん? あの子たちお付きやないの?」

 先にいた付き人と思われる修道士たちもあわせて部屋を追い出されていた。

「お姉様も付き人ですので」

「なんや。お気に入りちゅうわけか」

 ここにくるまですれ違った修道士たちも全員顔の整った女性たちだった。むろんアリーも端正な顔立ちをしている。

「お姉様は特別ですので……」

「顔採用つーわけやね」

「……採用基準は分かりませんが、ここでは実力が伴わなければ追放されます……」

「ほう……」

 それはおそらく容姿端麗、かつ仕事ができる等の使える要素が必要ということだろう。エレンの場合はともかく、ソフィアはあまり要領がよくなさそうだ。

「ほうきちゃんは空飛べるん?」

「なっ何ですか……」

 飛べないということは……つまりは司教のお気に入りと考えていいだろう。

「仲良くしようや、ほうきちゃん」

「ソフィアです……!」

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