臆病少女と憑依少女 7
同年十二月某日。
花束やジュースの備えられた踏切の前に立つ。
なんとなく依織がここにいると思っていたが、そこには誰もいなかった。
他にこれといって行き先もなく、たまに音を鳴らして上下する
こんな寒いはずの時期に入院着で外を歩くのも、なんだか慣れてしまった。意識不明の重傷で生霊として活動していたわたしは、いつの間にか本当の幽霊になっていた。
しばらくして、黄色いランドセルの女の子が、黙々とこちらへと歩いてきた。
女の子は年相応の見てくれながら、まとう雰囲気がどこか大人びている。見た目は特に変わっていないのに、いつか見た日とは別人のように感じた。
「こんにちは、おねーさん」
「……こんにちは」
彼女はわたしの顔を見据えて言う。そういえば、前に霊が視えるような話をしていたっけ。
どうしてここに来たのだろう。忠告にそむいて死んでしまいはしたが、死んだ後に探されるほどの義理はないはずだ。
まさか、鞄で叩いた時の仕返しにでも来たのだろうか。しかし、幽霊相手にできることなどないはずだ。
「なんの用? わたしのこと、除霊しにきたの?」
「……まさか。除霊なんてできたら、ここまで苦労してなかったよ」
やはり、どこか雰囲気に違和感があった。よく見ると、彼女の瞳は暗い赤色に染まっていた。
わたしはこれを知っている。これは、何らかの霊が人に憑依している状態だ。
「私だよ、月島さん。能代依織だよ」
彼女の名乗った名前に、わたしは息を飲む。
警音器の音をカンカンと鳴らしながら、背後の遮断桿がまた下ろされていた。一定のリズムが、いまは喪われた心臓の音を鳴らすような錯覚を与える。
電車が通って轟音が続く。その間、お互い黙ってにらみ合う。
電車が通り過ぎ、警音器が静まるとほぼ同時に遮断桿が上がった。
「……依織も、霊になったのか?」
「うん……よっぽどこの世に未練があったのかな?」
真面目な表情から、わずかにはにかむ。顔は全然違うのに、それは確かに依織だった。
依織もまた、わたしと同じように霊として蘇ったのだ。
期待で焦りが生まれて、言葉が滑るように飛び出した。
「それで、なにしに来たの? わざわざ、女の子の姿なんか借りて……」
「色んな人に声掛けて歩いてたら、この女の子と出会ってね。色々話を聞いてもらってるうちに、一時的に身体貸してもらえることになったんだ。それで、目的なんだけど――」
言いながら、視線が少し下に向く。
「月島さんはいままで大きな勘違いをしていた。そのことを伝えたかった」
大きな勘違い……
思えば、何度か気になったことがあった。あの時のわたしは「嘘だ」と勝手に決め込んで、それを頑なに認めなかったが。
ひとつの真実によって、今のわたしはここにいる。それは認めざるをえない。
「実は幽霊がいた、ということ?」
「そう。私は何度も『霊に取り憑かれていた』と主張していた。――いま教えてもらったんだけど、この子も月島さんに『霊が憑いている』と何度も言ったんだってね。だけど、月島さんはそれらの言葉をすべて無視して、勝手に暴走していった」
察した事実に、足がぐらつく。
いつからか、不可解なことばかり起きていた。それらをいままで「依織とこの器の女の子による偶発的な嘘」と片付けていた。
しかし、幽霊は現実に存在した。もし二人が本当のことを言っていたとしたら――
「じゃあ本当に、依織は幽霊に憑かれてたっていうの? いつ、どこの、どのようなタイミングで……?」
「実は結構あったけど……月島さんのスマホを手に取った時とか、月島さんのブラウスを勝手に嗅いでた時とか……あと、月島さんが事故に遭った時かな。気がついたら、月島さんが目の前で車に轢かれてびっくりした」
すべて、依織が奇行を取ったタイミングだ。
取り憑いた幽霊の行動を理由に、わたしは彼女をいじめていたというのか。ふいに、後悔がどっと押し寄せる。
「月島さん、私の話を聞いてくれなかったよね。月島さんが臆病だったから。……だから、月島さんの親友も自殺するしかなかった」
「……
「やっぱり、そうなんだね。あの子、本当に月島さんの親友なんだ」
やっぱり……?
それに、依織とわたしは中学校が別だったはずだ。他校で起きた事件など普通は覚えているはずがなく、中学の頃のわたしの親友のこととなるとなおさら知らないはず。わたし自身が苦労して、すべてなかったことにしていたはずだから。
自殺したのがわたしの親友だったことも、わたしの親友が自殺したのも、知っているはずがないのだ。
それでは、なぜこのタイミングで恵の話が出るのか。
「まさか、取り憑いていたのって……」
「月島さんだって、一度だけ見たはずだよ。月島さんの親友の、恵さんの姿を」
そういえば、初めて依織に取り憑いたあの日……
わたしはうろたえて、小学生の身体を借りた依織に食いかかる。
「なんで恵が、依織をいじめさせるような真似をするんだ! 君たち、面識もないはずじゃ――」
「『惑は逃げた。わたしを置いて幸せになろうなんて、絶対にさせない』……」
「は?」
「最後に憑依された時、恵さんの想いが私のなかに残ってた。結局、今日まで伝えられなかったけど」
恵の嘲笑がふいに思い出され、吐き気が込み上がる。しかし、いまのわたしに吐くものなどなく、ただその衝動だけが虚しく残る。
恵の味方をやめた後も、恵が自殺した後も、それから高校生になった後も。わたしが感じていたのは、ただ苦痛だけだった。
わたしはこれから一生、幸せになれないと思っていた。これから死ぬまで恵に呪われ続けるんだと思っていた。
依織と関わるようになるまでは。
「だったら、さっさと殺してくれればよかったのに……どうして、あんなこと……」
「破滅して、自分のことを悔やみながら死んでいってほしかった。そういうことなのかも」
「なんで、依織まで巻き込んで……」
「私なら、月島さんが躊躇なくいじめられる確信があったのかも」
「もし……もしわたしが、依織のことをいじめなかったら……?」
「もし月島さんがそんな強さを持ってたら、そもそも恵さんは死ななくて良かったんじゃないかな」
その場に崩れ落ちる。
依織の手を求めようとして、途中でためらって戻す。
「ごめん……わたしのせいで、君は……」
「毎日毎日、苦しかった。優しい人だって思ってたのに、いきなり裏切られて、放課後にいつも悪意ばかりぶつけられて、話だってまったく聞いてくれなくて……」
「最初は君が怖くて、それからイジメが気持ちよくなって、気づけば君が好きになってた……おかしいと思うかもしれないけど、それでも、君との時間で鬱屈した日々が救われた」
「正直、あなたが大っ嫌いだった。暴力振られて、ひん剥かれて、その写真を撮られて脅され、理不尽なゲームで罵詈雑言を浴びせられて、また写真撮られて、下着奪われて……奪った下着、全部自慰に使ったらしいけど、正直それ知った時は気持ち悪いと思った。本当に無理。あと、オシッコ飲ませるやつとか最悪だったよ。あれはいまでも味覚えてるくらいにはトラウマだった」
「……ごめん」
「あと、コンドーム買わせたり、教科書に下ネタ書いたり、音読失敗したらセクハラするゲームとか、正直バカかと思った。人の身体で援交して、無茶なプレイ指定させて、行為直前になって取り憑くのやめるやつとかも、まったく理解できなかった。人が犯されてるの見て楽しい? キモい。本当に最悪。そんな人だとは思わなかった!」
「…………ごめんなさい」
依織は借りた身体でぼろぼろと涙をこぼし、手のひらでそれを懸命に拭う。
自らの罪を当事者によって羅列され、いまになって冷静になった。
間違えなければ、わたしも彼女もお互いにここまで傷つくことはなかった。きっと出会いさえ間違えなければ、わたしは君とちゃんとした関係が築けたはずだった。
「私はただ、それを言いに来た。一度くらいは返事しとかなきゃと思った。大っっっ嫌いだ、って」
「……うん」
「この身体を抜けたら、長い旅に出るけど。きっと、もう二度と会うことはないと思うかも」
「…………うん」
くるりと、依織が踵を返す。一見小学生の依織の背中が、どんどん遠ざかっていく。
わたしはそれを、黙って見送る。先ほどのことを聞いて、引き止める気にはなれない。
その足が、突然止まった。
「月島さ……惑さんは、これでいいの?」
「……大っ嫌いなんでしょ?」
「大嫌いだよ。嫌なことだってたくさんあったし。それでも……惑さんが心配だから」
これが彼女の優しさから来る言葉だということはなんとなく分かった。もし悪意からの言葉だったら心配する必要はないはずだし、そもそもここに来ることもないはずだ。
「惑さん、私がスマホを盗もうとした時、私のことを許してくれたよね。それどころか、私の心配もしてくれた。霊に憑かれた後だったから、それがとても嬉しかった。だから……出会いさえ間違えなければ……」
衝動のまま、走っていた。
彼女との距離を詰めて、かがむような体勢でそっと彼女の背中を抱く。
彼女の言葉はずるいと思った。いまさら希望を与えて、こちらに判断を委ねるなんて。
もしかしたら、裏切られるかもしれない。それでも、わたしはそうするしかなかった。
「……依織のことが、好きだった。きっとイジメなんかなくても、わたしは君のことが好きになってたと思う。だから、行かないで……今度は、失敗しないから」
「まあ、簡単には許せないけどね。おかげで死んじゃったし」
彼女はわたしの両手を包み込む。
その手は、いつかの彼女のそれよりもずっと小さく、冷たい。
「まあでも、私も突き飛ばしちゃったしね。チャンスはあげる」
「チャンス……?」
「二年間、ここで待ってて。二年前後くらいで迎えに来るから。それで、ちゃんとここで待ってくれてたら……惑さんのお願いを聞こうと思う」
そう言うと、依織はすぐにわたしの腕から抜けて走り出した。
本当に来てくれるのだろうか。もしかしたら、あれはただのおべっかかもしれないし、依織はもう二度と現れないのかもしれない。それはどうにも分からない。
それでも、待つことにした。依織がいつか来る日まで。
生前にはできなかった、大事な誰かを信じること。死んでチャンスが与えられたいま、それを果たすべきだと思った。
二〇二二年十二月某日。
長いこと待ち続けていた。時計やカレンダーなど見なくなって久しく、どれだけの時が経ったか分からない。
そんななか、踏切の前に一人の男が現れた。
男は二十代前半くらいの見た目で、全体的に細長い身体つきにベージュのダウンジャケットを羽織って、不健康に肌が白っぽい。
彼はわたしを見つめて、にこりと笑った。
そうして、わたしは確信した。『彼女』がついに来たのだと。
彼の瞳は、いつか見た暗い赤に染まっていて、それがわたしの目を惹きつけた。
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