臆病少女と憑依少女 もうひとりの幽霊

 二〇二二年十二月某日


 私は約束通り、惑さんを迎えに来た。


 彼女は三年経とうとしているいまも、私をいじめていた罪悪感に囚われていた。だから私は、家に帰ってすぐに彼女の身体を抱き、彼女のことを受け入れたことを身体で証明した。


 いまの私の身体は幽霊としての身体ではなく、とある人から憑依して借りた身体だ。


 彼はとある自殺の名所で飛び降りかけていて、私がたまたまそのあたりを通りがかってしまった。彼は驚きのあまり自殺しそこね、私もつい謝り倒してしまい、そうして話が弾んでお互いのことを話すことになった。彼は生前の私と同じく、生まれつきの強すぎる霊感体質に悩んでいたらしい。


 話すうち、彼は「どうせこれから死ぬ命だ。生前に悔いがあるなら、僕の身体を借りるといい」と無気力ぎみに言った。それはまたとないチャンスで、まどいさんとの約束があったから、喜んで彼の身体を借りてあの踏切へと帰った。


 正直、惑さんは嫌がるかなと思っていたが、案外すんなりと受け入れてくれた。どんな形であれ、私がちゃんと帰ってきたことが嬉しかったらしい。


 そうしていつかの仕返しも兼ねて、抱いていた惑さんをベッドに押し倒すと、彼女は少し怯えながらもこちらにすべての身を委ねた。行為の間じゅうずっと目を閉じて、かわいい嬌声を上げながらこちらへとよがった。


 幽霊と肉体関係を交わす人間なんて、きっと私くらいだろう。と言っても、私もまた人の身体を借りてるだけの幽霊だが。


 彼女の身体は氷のように冷たく、冬の時期にはこたえるものかと思った。それでも次第に行為が身体を温めてくれて、途中からはちょうどいいくらいだった。それくらい、私たちはいつの間にか激しい行為に及んでいた。


 熱っぽさのなか、惑さんはもうなにかに怯えることはなくなっていた。これ以上誰かにいじめられる心配はなくなり、私がそばにいると誓ったから。私のなかでの「一緒にいてあげないといけないと」という使命感は、いつの間にか彼女への好意へと変わっていた。


 自分をいじめていた相手を好きになるなんて、もしかしたらおかしいのかもしれない。それでも、かつての反動で強く甘えてくれる彼女は、とてもかわいらしかった。


 行為を終えて、彼女が涙を浮かべて「ごめん」と言った。


 私は心から笑って許し、逆に行為中の彼女のことを茶化していた。彼女は恥ずかしさからか顔を手で隠し、お互いに和やかな雰囲気で、そのまま二人寄り添った。




 それから、一週間後。


 夜闇のなか、私はコートを羽織って部屋から外に出る。すぐにあたりを見回して、その中でセーラー服を着た女の子を見つけた。


 私はすぐにアパートの階段を下りて、駆け足で近づく。不意を突かれて足がすくんでいたのか、すぐに追いついた。


「やっと捕まえた」


能代依織のしろいおり……!」


 彼女はおさげを揺らして身を引こうとする。しかし私が強く腕を握ると、観念したように大人しくなった。


「私、前からあなたと話がしたいと思ってたんだ」


「……な、なんで」


「公園行こっか」


 言葉に圧をかけると、彼女はうなだれながらそれに従った。


 近場の暗がりの公園で、二人並んでブランコに座る。ただでさえ寒い季節のなか、ブランコの板や鎖はさらに冷える。


 それでも、私は彼女を逃げないようにじっと睨みつけながら訊いた。


「それで? なんであそこが分かったの?」


「…………」


「別に取って食うわけでも、除霊するわけでもないよ。除霊は私も被害に遭うし。ただ、あなたと話したいだけ」


「見てたから……あの踏切に来て、虚空に話す瞬間を」


 三年近くもずっと、あの踏切の近くにいたのか。惑さんも大概だが、彼女もなんとも執念深い。


 惑さんの中学時代の親友だったけいさん。生前、私に何度も取り憑いて、惑さんを追い詰めて絶望に陥れた張本人。


 彼女はイジメを苦に、中学校の屋上から飛び降り自殺をして幽霊になった。そうして、いじめられていた自分を裏切った惑さんに執着するようになったのだと。彼女に取り憑かれた時、何度かそんな記憶が流れ込んできたことがある。


「恵さん、だっけ。恵さんはいつまで惑さんに執着するつもりなの?」


「別にいいでしょ」


「良くないよ。私たちにとっても、あなたにとっても」


「ていうか、なんであんたはあんなやつなんかに入れ込んでるの? あいつ、またきっと裏切るのに……」


 憎々しげにブランコの鎖を強く握る。鎖が一瞬ピキピキと音を立て、すぐに離される。


 恵さんの内に一瞬よぎったのは、裏切った相手への憎しみか。それとも、他の誰かになびいた親友への嫉妬か。察するに、その両方なのかもしれない。


 それでも、私は嘘偽りなく言うことにした。お互い、後腐れがないように。


「なんでだろうね?」


「は?」


「惑さん、なんだかんだ私に優しかったから。だから、なんとなく信じちゃうのかも」


「……バカじゃないの?」


 怪訝な視線を送られて、苦笑いする。あながち否定できなくて、なにも言えない。


 それでも、私のなかの惑さんへの感情は前向きなものだった。憎む感情など遠い彼方へと置いていってしまったようで、代わりに愛しさがはらんでいた。


「話はそれだけ? そんなことを言うために私を――」


「どうして恵さんはいじめられたんだと思う?」


「え……」


 不意打ちの質問に、彼女は面食らった様子になった。それから、彼女は顔に怒りをあらわして睨みつける。


「まさか、私が悪いっていうの? ほとんど難癖みたいな理由でいじめられて、わけが分からないままイジメが過激化して、それで……」


 神経質に前髪をかきむしりながら言う。彼女にとっては思い出したくもないことなのだろう。私も同じような目に遭ったから、ちょっとだけ分かる。


 それでも、これは必要なことだ。私たちの悲劇の元凶である彼女が前に進むためにも。


「これは私の仮説だけど、あなたをいじめていたのはあなたのクラスメイトじゃなくて、あの学校にいた幽霊だったんじゃないかって」


「は……? なに、言ってんの……?」


「鍵が掛かっていたはずの屋上扉は開いていた。それも、学校の鍵を使った形跡も、合鍵もなく」


 彼女は目を見開いてこちらを見つめている。これは推理でもなんでもないから、ちょっと恥ずかしい。


 私はそのまま続けた。


「これは惑さんから聞いたこと。そしてもうひとつ……あなた、どうやって屋上の鍵を開けたの?」


 彼女の瞳が揺らぐ。ないものを引っ張り出そうとでもしているかのように答えに詰まり、それから唸るように言う。


「……分かんない。その時の記憶がないから」


「気がついたら飛び降りて死んでた?」


「ねえ、まさか見たの? 私のいた中学校で、なにかの幽霊を……」


 恵さんがすがるように私の方へ乗り出そうとする。


 私はとっさに立ち上がり、早めた足でブランコから離れた。途中で一旦足を止めて、振り返って肩越しに言う。


「どうだろうね。どのみち、いまのあなたには視えるものじゃないし……そんなことを知ったところで、きっとなにもできないしどうしようもないと思うんだ」


「そんなの……それじゃあ私、どうすれば――」


「気になるなら、真実を探してみるなりなんなりすればいい。いっそ割り切って旅でもするとかもいいかも。惑さんのこと、あなただってきっと憎くてしょうがないだろうし、とにかく私たちのことは忘れてどっか行ってほしいかな。とにかく、惑さんは私のものだから」


 一気に言葉を吐き出してから、前に向き直って歩き出す。


 言いたいことはちゃんと言った。寒くてしょうがないし、さっさと家に帰ろう。そう思いながら、手に白い息を吐きかけて擦り合わせる。


 不意に、背後からせわしい足音が聞こえた。それは私にしか聞こえない、彼女の足音だとすぐに分かった。


「バーカ! 変態! マゾヒスト! あんな最低女、こっちから願い下げだよ! 勝手にもらってってよ! 家で変態プレイでもやってろ! あんたらこそ二度と顔見せんな!」


 声がだんだんと、鼻にかかってくる。言い終えたあとから、嗚咽とすすり泣きが聞こえていた。


 色々と失礼な言いがかりが混ざっていて、一体どういうつもりかと訝しげに振り返る。彼女は街灯のちょうど下で、目元を拭っていた。


「私だって惑のことが好きだった! あんたよりも、ずっと前から! あんたなんかよりも、ずっと、ずっと、ずううううっっと!」


 泣き止むまで待つ必要はないだろう。そんなことをしたら、逆に怒られそうだ。二度と顔を見たくないと言われた通り、私は彼女のことを気にせずさっさと家路につくことにした。


 彼女もまた幽霊に狂わされた被害者だったのだと思うと、どこかいたたまれない気持ちになる。おそらく彼女と惑さんの通っていた中学校には、本当に幽霊がいたのだろう。


 しかし、そんなことはもう関係ない。真実を知ったところで、悲劇が帳消しになるわけではない。


 だから、私は帰るあいだ、代わりにふたつのことを心で祈っていた。


 これからの彼女がどこかで、彼女なりの幸せを見つけられますように。


 そして、私たちがこれから幸せに過ごしていけますように。

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