臆病少女と憑依少女 6

 それから別の日。


 多分この日から、なにかが狂ったんだと思う。


「能代さーん? 痛いんですけど?」


 席に戻ろうとした依織が、わたしと同じグループのサチに肩を強引にぶつけられた。


 わたしは「いお……」と言いかけて、口をつぐむ。


 どうして声をかけようとしているんだ。依織をかばう理由などないし、そんなことしたらわたしまでイジメに巻き込まれる。だけど、どうにも落ち着かない。


 依織がサチに因縁をつけられているなか、隣に立つ同グループのアキに声をかけられる。


「どうしたの、惑? そんなにそわそわして」


「いや、別に……」


「もしかして、惑もあいつに恨みがあるの?」


「ま、まあ……」


「だよねー。あいつ、根暗で何考えてるかわかんないし、生意気だし、すっげえ分かるよ」


 君になにが分かるんだ、このブス。


 怪鳥のようにけたけた嗤う彼女を横目に、心のなかで毒づく。


 わたしは別にそんなしょうもない理由でいじめているわけじゃない。私怨なんてしょうもない動機に、わたしを巻き込まないでほしい。つくづくこいつらとは理解し合えないと感じる。


「あれは放っときゃ死ぬから。気を揉むだけ無駄だと思うけどね」


「でも、それはそれとしてトロくて目障りだよね。何度か迷惑かかったことあるし」


「だからさ――」


「あいつ、うちらで一回分からせちゃおうよ。そしたら不登校か、最悪自殺とかしてくれるかもよ」


 下卑た目が、依織を見据える。


 下唇を噛んで殺意を抑えた。ここで軽率に怒りをあらわしてはいけない。そんなことをしたら、わたしのカーストは依織と同列に落ちる。


 それだけは怖かった。依織より上のカーストだからこそ、今の優越感が保てている。もしそれが崩壊でもしたら、わたしは凄惨な学校生活を死ぬまで送ることになる。


 そんなわたしの考えに気づくことなく、アキが肩に手を乗せて耳元でささやいた。


「どうよ?」


「……そうだね」


「でしょでしょ。なにやったら死にたくなるかなー?」


 そこからの会話は頭に入らず、ただ空虚な返事を繰り返していた。


 胸の奥あたりがざわつく。大事なオモチャが奪われたような、そんな気分。


 また以前のような、鬱々とした日々に戻るのだろうか。




 その日の放課後、わたしは部活のないクラスメイトと集まって、旧校舎の女子トイレに集まった。


 わたしと依織の神聖な場所に土足で踏み入れられた気がして、気を抜けば泣きそうだった。


 彼女は複数のクラスメイトによって手足を押さえられ、強引に制服を脱がされている。


 アキがカッターを依織の首に添えながら、満面の笑みを浮かべて言った。


「お前の裸の写真撮って、ネットにばら撒いてやるからな。動いたら殺すぞ」


「…………」


 彼女はなかば諦めた様子で、視線を逸らしてなすがままになる。わたしも惰性で左足を押さえるなか、背後ではサチが無駄にデコられたスマホを構えている。


 彼女の死んだような目を見ても、全然乗り気になれない。全然楽しくない。むしろ虚しくなってくる。


 彼女の衣服がすべて剥かれ一糸まとわぬ姿になり、わたしたちが退く。そこでサチが何度もぱしゃぱしゃと写真を撮り、適当に構図を指定したりする。


 隣に立つアキが、面白そうな調子で言った。


「あーあ。こんなのがネットに流れたら、お父さんお母さんは悲しむだろうなぁ」


 わたしも同じことをやっていたはずだ。それでも、わたしのなかでは罪悪感と殺意が同時にふっと湧いていた。


 わたしは一生、こんなクソみたいな連中と付き合わなければいけないのだろうか。


 あの日からいままでずっとそうしてきたはずだ。それなのに、いまはそれが嫌で仕方なかった。




 同年七月初頭。


 そうしてこの日、ひとつの破局を迎えた。


 放課後、依織はコンビニで万引きするよう命令された。ネットで流さない代わりに、彼女はわたしのグループの女子の命令を聞くパシリと成り下がっていた。


 彼女は無言で言うことを聞いて、見える先のコンビニに向かおうとする。整ったおさげをしていた彼女はもう、彼女の精神をあらわしたように乱れが見え始めている。


 フラストレーションが溜まっていた。わたしと彼女の二人だけの時間が失われてから半月ほども経っていて、彼女を想う自慰すらも虚しさを覚えるようになっている。


 もう嫌だった。こんな苦痛な日々は、さっさと終わってほしかった。気づけばサチたちの無残な死を願うようになって、自慰の代わりに彼女たちを惨殺する妄想を何度も繰り返すようになった。


 依織の背中を、気持ちをぐっと抑えながら見送る。今日もどうにか耐えるしかない。


 そう思っていると、彼女の足がふと止まった。


「なにやってんの? 早く行きなよ!」


 アキが腕を組んで煽るなか、依織は突然振り返って、わたしの方を向いて叫んだ。


「助けて!」


 周囲がざわつく。わたし自身も、ちょっと驚いていた。


「……は?」


「助けて! 助けて、惑! このままじゃ、わたし死んじゃうよ!」


「何いってんだ、こいつ? 惑もお前のこと嫌いだからここにいるんだろうがよ!」


 こちらへと走ってくる依織を、アキとサチが途中で捕らえる。それぞれローファーの踵で足を踏みにじったり、指をへし折ろうとしたりしている。


 なんで、わたしを――


「おい惑! お前、こいつに舐められてんぞ? お前もガツンと一発やっとくべきじゃない?」


 サチがわたしを煽る。


 どうしてわたしなのかは分からなかった。それでも彼女に助けを求められた時、それがとても嬉しかった。


 潤んだ目もとを拭う。わたしは肩に提げていた鞄を手に、依織のもとへ向かう。


 わたしは――


 サチの顔面に、鞄を思いきり叩きつけた。


「なっ――」


「君らのことが嫌いだった! 君らみたいなクズがわたしたちのことを脅かしているのが、前から気に食わなかった!」


「ちょっ、惑! いきなり何――」


「うるさい! 死ねえ!」


 フルスイングでアキへと鞄をぶつける。サチもアキも、鼻っ柱を折って鼻血を出し、性格相応のブスになった。


 お似合いだよ、バーカ。


 二人に鞄の角をぶつけながら、自然と笑いがこみ上げてきた。


「惑! あんた、なにやってんの!」


「えっ、なになに! いきなりどうしたの?」


 すぐに他の女子に羽交い締めにされる。鼻血とあざで醜い顔のまま起き上がったサチとアキが、わたしへと迫る。


「なんの真似だよ、惑?」


「あんたみたいなつまんないやつを受け入れてあげたのに、これは酷くない? ねえ?」


「まさか、いきなり正義に目覚めちゃったとかじゃないよな?」


「んじゃあ、わたしらが正気に戻させてあげないとね!」


 アキが勢いづけて手に持った鞄を振るう。


 歯ががちがちと震えた。どうしてわたしはこんなことをしてしまったのか。後悔がふいに湧いてくる。


 鞄が顔にぶつかる。目を食らって視界が狭まるなか、すがるように依織を見る。


 彼女はニヤニヤとした顔つきでこちらを見ている。散々ひどいことしてきた相手だし、それはそれはせいせいするだろう。


「オラァ!」


 何度も何度も、アキとサチの鞄が交互にぶつかる。コンビニから出た客がうろたえた様子で車に急ぎ、出入り口に半分顔を出した店員が急いで店に戻る。


 これはもう、警察が来る前に死んでるかも。なんとなくそう悟り、力が抜ける。


 その時だった。


「――ッ!」


 全員の動きが、突然止まる。


 わたしの身体にかかっていた力がすべてふっと離れ、いきなりアスファルトの上へ投げ出される。


 何事かと、薄れた視界で見回す。


 全員が、突然お腹を押さえて苦しみ始めた。この一帯に、同時多発的になにかの力が働いたように。


 その怪現象を見つめていると、その間を縫って、依織がわたしのもとへと歩み寄る。彼女はわたしの前に立ち、上から手を差し伸べた。


「大丈夫?」


 にこりと笑った彼女に、わたしはおそるおそるその手を掴む。よろよろと起き上がり、肩を借りて支えられ、そこで訊いた。


「なんで、君……」


「なんでだろ。わかんないけど、助けたくなった」


「……ごめん」


 わたしは、依織を守りたかったんだ。わたしの親友に似ていたから。


 まさか、逆に助けられるとは思ってなかった。


「今のうちに……早くここから逃げよう……」


「……うん」


 依織がうつむいて、道路を歩いていく。


 これから、どうなるだろう。多分、今回のことでわたしは警察に呼ばれるだろう。それから学校に停学を食らって、わたしはいまのグループにいられなくなって。


 もう一度、依織とやり直せるだろうか。許してくれるまで、謝って償ってすがって。そうしたら、こんな苦しい人生も少しはマシになるだろうか。


「ねえ、依織――」


「バイバイ、惑」


 わたしの身体が、いきなりぐいとバランスを崩す。


 ちらと見えた依織の瞳は、虚ろだった。それでいて、悪魔に憑かれたようにニタニタと笑っていた。


「なっ……」


「いままで楽しかったよ」


「なん、で……」


 歩道を越えて、車道へと飛び出す。彼女はわたしをわざと陥れたのだと、今になって気づく。


 車が迫り、死を予感した。けたたましく響く急ブレーキとクラクションの音が間近に迫る。


 やっぱりわたしは、依織のことが大嫌いだ。

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