臆病少女と憑依少女 2

 同年五月某日。


 これが彼女との始まりの日。


 知らない誰かの席でふんぞり返る女子たちが、楽しそうに会話を繰り広げている。


「でさー、彼氏の○○が――」


「そういや、現代文の○○――」


「この前トリッター見てたら――」


 それは興味のない誰かに対する悪意的な内容か、中身のない与太話のどちらかで、正直あくびが出るほどつまらない。それでもわたしは、「へー、そうなんだー」とか「だよねー」とか「わかるー」とか、そんな適当な相槌を打って話を合わせていく。


 それは学校生活のなかで会得した自衛手段のひとつだった。いつかの親友の死を目の当たりにして、目に見えず存在するクラスカーストを意識して、あの日からいままで色々な努力してきた。


 わたしは絶対にあんな死に方をしたくない。クラスメイトも教師も家族も、頼りになんかならない。虐げられる側に来てしまった時点でもう終わりだと思っている。


 そう思いながら、カースト上位の人間のもとで安全圏を保つことに徹底した。


 学校はただ息苦しいだけ。なにが楽しくていまを生きてるのかわからない。人の憧れる恋も青春も、大半が存在しない幻想の類だと思っている。


 高校初のゴールデンウィークが明けて、つくづくそれを感じた。高校生というものにさほど期待はしてなかったが、それでもやはり味気無さに辟易する。


 高校を卒業したらどうにかなるだろうか。大学へ行ったら、あるいは就職しはじめたら、こんなことに悩まなくて良くなるだろうか。


 答えは分からない。とりあえず、今をやり過ごすしかない。


「あのっ……」


 声の方へ視線をやる。おさげに銀縁眼鏡の暗い雰囲気の女子が、気まずそうに視線を逸らしながら言った。


「そこ、私の席です……」


 わたしに視線が集まる。どうやら、わたしが座っているのは彼女の席のようだった。


「あっ、ここ君の席だったの? ごめんね」


 角を立たせないように、形式的に席を立つ。彼女と入れ替わりに立つと、わたしの所属するグループのクラスメイトたちが気まぐれに彼女への陰口を叩き始める。


「能代、態度でかくない?」


「てか、あんな芋みたいにダサくて恥ずかしくないのかな?」


「なんてーか、オタクっぽいよね」


 特に悪いこともしていない人間に対して、よくもまあそこまで言えるものだ。もちろん、そんなことはおくびにも出さない。


 ふと、中学の頃に自殺した親友のことを思い出す。彼女もおさげをしていて、暗い雰囲気をまとっていた。普段は笑わない彼女の笑った顔はとても可愛かったけど、イジメをきっかけに段々とその笑顔が消えて、そうして二度と見れなくなった。


 二度と思い出したくないはずの相手だったのに。


 能代と呼ばれるあの女子を見ると心がざわつく。親友が生まれ変わってまたわたしの前に現れて、苦心して築き上げた平穏を崩落させにきたのではないか。そんな不安が、思考を満ち満ちようとする。


 予鈴が鳴り、それからも少し話してから各々の席に戻る。次の授業の準備をし終えたところで、ハゲの男の先生が入ってきた。




 放課後、下駄箱に来たところでスマホを机の中に忘れたことに気づき、グループの面々に待ってもらうよう言って取りに戻る。こうしている間にも、わたしは陰口を叩かれてるのかもしれない。そんな嫌な妄想をよぎらせながら、急いで教室に戻る。


 教室にはまだ一人だけ残っていた。能代と呼ばれていた、あの眼鏡とおさげのクラスメイトだ。


 わたしの席のすぐ後ろで、なにかを手に持ってぼんやりと立っている。小さなテディベアのストラップがついた、緑カバーのスマホ。わたしがいま取りに行こうとしていたものだった。


 おそるおそる声をかける。


「なにやってんの?」


「……え?」


 能代がこちらに気づいて、手に持っていたスマホに気がついた。


「あれ、これ誰の――」


「わたしのだよ。なんで持ってんの?」


「えっ、いや……ごめん、なさい……」


 わたしはつかつかと歩み寄って、彼女へと手のひらを差し出す。おそるおそるスマホが手渡され、すぐにスカートのポケットに入れる。


 まさか、わたしのスマホを隠す気だったんじゃないか。なんとなく、そんなことを疑ってしまう。


 能代はうつむいて唇を引き結んで言った。


「ほ、本当に、ごめんなさい! わ、私、たまにこういうことになっちゃうのっ!」


「いや、どういうことか分かんないから。手癖で人のもの盗む癖でもあるの?」


「ち、違います! ……いや、違うこともないかもだけど。なんていうか……昔から霊的なものに憑かれやすいみたいで、それでいまも気がついたら……」


 言い訳にしても下手すぎて、とても反応に困った。いくら生きるのが下手くそでも、いい年して言い訳に幽霊を使うのはどうなのだろう。


 彼女を糾弾してイジメの標的にして、そういった結束精神で安全圏に立つようなこともできる。しかし、アホすぎてなんだか逆に可哀想に思え、すぐにその考えを振り払う。


 悩んだ末にため息をついてから、疑念を飲み込んで言った。


「まあ、なんでもいいけどね。とりあえず、君はわたしの忘れ物にたまたま気づいて手に取った。それをわたしがちょうど受け取った。今回はそういうことにしといてあげる」


「ごめんなさい……」


 死んだ親友も、よく謝っていた。だからか、余計な言葉がつい口をついて出てしまう。


「憑かれやすいだかなんだか知らないけど、これからはいっそう気をつけてね。じゃなきゃ、出る杭になっちゃうよ」


「はい……」


「変なやつぶるのはいいけどさ。イジメとかそういうの、一度始まると厄介なんだから。本当に、気をつけてよ」


「どうしてそこまで、私のこと……」


 彼女の訝しげな視線に気がつく。そこから外れるよう、わたしも踵を返す。


 なんか答えないとという謎の使命感がふと湧いてきて、そうして聞こえよがしにひとりごちた。


「イジメなんて、見てて気持ちのいいものじゃないでしょ。君のことがなんか、心配なんだよ……ただ、それだけ」


「そ、そっか……ありがと……」


 彼女のことを置き去りにして、足早に教室を出る。


 わたしはいじめられてる親友を見殺しにした人間だ。別に感謝されるようなやつではない。


 そんな罪悪感にさいなまれながら。彼女の言葉に、どこか身体の内が温かくなるのを感じていた。




 待たせていたクラスメイトたちとつまらない会話をしながら下校し、途中で各々と別れていく。


 わたしのグループの約半数は部活に入っていないということもあり、わたしもやらないことにした。部活の人間関係はだいぶややこしいだろうし、必要以上に人間関係のもつれを作っていくものではない。


 ようやくグループの全員と別れて、ひとり落ち着いて道を歩く。ここらへんは、家が遠い者の特権だ。


 といったところで、特段ここからなにかしようとは思わない。そんな気力もない。ただ家に帰って、ある程度勉強を済ませてから、ぼんやりとベッドの上で過ごすだけだ。


 つくづくつまらない人間になったと思う。これでも中二の頃までは多少趣味は持ってたはずなのに、いつの間にかそれも捨ててしまっていた。


 今日になって、どうしてそんなことを考えてしまったのか。あの能代とかいう陰キャのクラスメイトと関わってしまったからか。


 もうあいつとは関わらないようにしようと心に決めた。さもないと、ただでさえ気を揉む学校生活がさらにひどくなりそうだから。


 気を張って疲れて、頭をだらりと下ろす。ちょうど視界の先、黄色いランドセルを背負った頭ひとつほど低い女の子が、じっとわたしのことを見つめていた。


 通り過ぎても視線を感じる。何なんだと思いながら早足になると、「ねえ!」と声をかけられた。


 そうして、思わず足を止めて振り返る。


「なに?」


「おねーさん、なんかついてる」


「はぁ?」


 いぶかしげに女の子を見つめる。いくらか待っても返事がない。


 じっと見られるほどのものなんかついていたかと身体を見回していると、女の子がはっと気づく。


「あっ、おねーさんにはみえないのか……じゃなきゃ、そんなものつれてて、へいきじゃないだろうし」


「いや、だから何が?」


「あのね、うしろに女の子がいるの! とてもくろいものをまきちらしてて、しろいふくと、あかいリボンと、あとスカートをはいてる!」


 どうやら、『憑いてる』の方らしい。だとしたら、勘弁してほしかった。スピリチュアルな話は、もう今日で二回目だ。


「しょうもな。そんなものいるわけ――」


「おねーさん、きをつけて! そいつ、おねーさんにつよいうらみ、もってるから! どこかでおはらいしてもらったほうがいいよ!」


 そう言って、女の子は突然怯えるように走り出した。


 なんだったんだと、腹立たしくなった。おそらくは最近の小学生の間で流行っている、たちの悪いイタズラかなんかだったのかもしれない。子供が他人を過剰に警戒する昨今、なんともたくましいと思う。


 しかし、そう考えるとますます、能代は小学生レベルの言い訳を使ったということになる。それがなんだか面白くなり、思わずふき出してしまった。


 ……だめだ。もう関わらないと決めたのに。


 能代と関わった記憶が振り落とすように、首を左右に振る。それでも、彼女と交わした言葉はなにひとつ消えない。

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