臆病少女と憑依少女

臆病少女と憑依少女 1

 中学の頃、わたしのいた学校で自殺騒ぎがあった。


 原因はクラスメイトからのたび重なるイジメ。終わりのない苦痛にたえかねた女子生徒は、立入禁止で鍵がかかっていたはずの屋上から飛び降りた。鍵は使用された形跡がなく、女子生徒の遺品から合鍵や針金のようなものも見つかっていない。どのように屋上の鍵が開けられたのか、結局よくわからなかったらしい。


 女子生徒はわたしのクラスメイトで、わたしの親友だった。だから、その事件はとても強く記憶に残っている。


 わたしはなにもできなかった。いじめられる側に味方するそぶりを見せれば、わたしまで標的にされかねないと思ったからだ。みずから不利なマイノリティに落ちるほど、わたしは命知らずにはなれなかった。


 彼女の遺体を、一度だけ見たことがある。誰かがどこかから写真で撮ったものが、同調圧力で入れられたLINKのグループチャットで流れてきたのだ。それはあまりにも無残な姿で、その時は自室のベッドに思いきり吐いてしまった。


 それ以来、あんなみじめな末路を迎えるものかと思いながら学校を過ごした。どうにかマジョリティのなかに紛れ込み、彼女と同じ末路を辿らないようにと、彼女と親友だった過去を自分のなかでなかったことにした。


 なのに、どうして――




 二〇一九年七月某日。


まどい、車に轢かれて重体だって」


「確か、帰りに能代のしろをいじめてる途中で足踏み外して、そのまま車道に転んだんだっけ?」


「違う違う。能代に思いっきり突き飛ばされたんだって。しかし、まさかあいつがあんなことやるとは思ってなかった」


 クラスメイトが不幸に遭ったのに、なんとも日和ったやつらだ。


 教室の声を聞きながら自分の机に向かう。わたしの机の上には薄汚い小瓶が置かれていて、申し訳程度にねこじゃらしが一本挿してあった。死人へのとむらいにしては雑すぎるし、なによりわたしはまだ死んでいない。


 一番後ろの依織いおりの席をちらと見る。彼女は気まずそうに机にうつむいて、席に座っている。


 わたしを殺そうとしておいて、よくものうのうと学校に来れるものだ。


「死ね、バーカ」


 なにもかもにムカついて、わたしは依織の方へと聞こえよがしに言ってみる。


 もちろん、誰もわたしの声に気づかない。先日までクラスメイトの一員として過ごしていたわたしの声は、いまでは誰にも届かず喧騒のなかに消える。そのはずだった。


「……!」


 依織がびくりと顔を上げた。その銀縁眼鏡をかけた垢抜けない顔には、信じられないものを見るような恐怖があった。


 彼女だけにわたしが見えたことが、とても嬉しかった。またあの時みたいに誰の邪魔もなく彼女と遊べるのだろうと、わくわくしていた。


「そういえばさ、あれって結局マジだったん?」


「あれって?」


月島つきじまが能代のこと好きだったって。能代のヌード写真撮って、それで強請ゆすってたとか……」


「マジっぽいよ。あいつのスマホからいっぱい写真出てきたし、能代の下着も数着失くなってたって噂もあるし。多分、家で使ってたんじゃないかと思う」


「マジかぁ。あいつ、結構顔とかスタイル良いのに残念だなぁ……」


「そんな寂しいなら、俺が一発ヤらせてあげたのに――」


 わたしは机の上の小瓶を振り上げ、不愉快に笑う男子のひとりの脳天に思いっきり叩きつけた。


 スポーツ刈りの猿みたいな男子は、大変小気味良い音を立てて床に倒れ伏した。瓶は案外丈夫で、サイズが小さいこともあってか、死ぬ勢いでぶつけても割れることはなかった。


 周囲が静まり返る。誰ひとりとして状況を理解できず、倒れた男子の方を見る。依織だけは、まっすぐにわたしを見つめていた。


 その視線が気持ちよくて、そのまま血で汚れた小瓶を思いきり床に叩きつける。小瓶は砕けて破片となり、方々へと散った。なにかのスイッチが入ったかのように、先ほどまで楽しそうにしていたクラスメイトたちが悲鳴を上げはじめた。


 散々バカにしやがって。いい気味だ。


 超常現象を目前に混乱した節穴どもの身体をすり抜けて、依織の席へと進んでいく。依織はがたがたと椅子の足を震わし、目を見開いてこちらを見つめている。


 依織を見ていると、いつかの親友のことを思い出す。わたしがなかったことにしたかった、わたしが愚かだった頃のわたしの親友。


「君、視えてるんだ?」


 わたしは口元の笑みも隠さず、彼女の首に両手をやる。


 彼女の身体は、確かな感触があった。手にはこのまま沼のように深く沈んでいきそうな感覚もある。


「……殺すの?」


 彼女のか細い声が、嗜虐心をそそらせる。


「まさか」


「じゃ、じゃあ、私をどうするの?」


「どうしよっかなぁ……」


 ずぶりと、指先が彼女の肌に吸い込まれていく。


 意識が飛びそうだった。指から腕、腕から上半身と、彼女の身体へ吸い込まれる。


「ちょっ、やだ――」


 彼女が身をよじって、椅子から転げて逃げようとする。わたしもそれに追随ついずいし、倒れた彼女の上で馬乗りの体勢になる。


 視界が暗転する。次に見えたのは、教室の天井だった。


 まばたきを何度か繰り返して、自分の顔に手を持っていく。眼鏡のフレームに触れて、それが依織の身体だとすぐに分かった。


 もしかして、これが『取り憑いた』というやつだろうか。


 両手で胸に触れて、その山なりを撫でてみる。わたしの持ってたものより結構大きくて、なんとも不思議な気分だ。


 騒ぐクラスメイトのよそで、背面黒板におさげを横に垂らしたセーラー服の少女が立っていた。


 わたしはその姿に、すぐにピンときた。思い出したくもなかった人間、わたしの親友の姿が、いつかのままそこにいた。


 彼女はにたにたと嘲笑を浮かべて、瞬く間に消える。


 なぜ彼女がここにいたのか。なぜわたしの前にいま現れたのか。


 わたしが見たのは、一体何物だったのか。


 それを知ったのは、だいぶ後のことだった。

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