第8話
窓から差し込む優しい朝日の陽光が大きなベッドで眠る少年を照らす。眩しく感じたのか、微かに動く瞼。少年は小さく唸ると、隣に座っていた少女に抱きつき、顔をお腹に埋めてしまった。
「きゃっ、ふふっ子供みたい」
捕まえられた少女は嫌がるわけでもなく、自分に顔を押し付けている少年の艶やかな黒髪を優しく撫でる。
「私の髪と同じぐらい質がいいじゃない…短いから手入れがしやすいのかしら?あら?」
「うぅ…すぅぅ…」
少年は覚醒し始めたのか、大きく息を吸い込んだ。その様子に少女は髪を梳いていた手を止め、少年を観察する。
「んん…?ん…んぅ…」
「おはよ、辰馬」
辰馬がもう一度夢の世界へ旅立とうとしたところを見計らい、呼び止める。
「ん!?」
体に直接響いてくるような優しい声に驚いたのか、ビクつく辰馬。少女は服越しに彼の瞳が開くのを感じた。
「もう八時よ?寝坊助さん」
「…」
辰馬は状況が飲み込めず、黙りこくっている。
「私のお腹はどう?心地いいかしら?」
「んなか…?…あ!」
少女の言葉に漸く自分がしていることに気付き、超速で離れる。
「ご、ご、ごめ__」
「んっ」
顔を真っ赤にし、謝ろうとするのを遮り、少女は辰馬の口に唇を押し付ける。辰馬はこれに抵抗することなく、静かに受け入れる。
そうして数秒程口付けを交わした二人。やがて、少女から離れ、辰馬の目線を捉えた。
「いいのよ。むしろもっと抱きついてて欲しかったぐらい。ふふっ、これから毎日あの可愛い辰馬を独占できるように早起きしなくちゃね。」
「あぅ…さ、皐月ちょっと恥ずかしいんだけど…」
揶揄う少女と耳まで朱色に染める辰馬。二人は最初の数年の影響で、皐月が攻めで辰馬が受けといった構図が出来上がっているのだ。特にこういったいちゃつきは皐月から仕掛ける事が多い。とは言って先日までは手を繋ぐまでしか行えなかったのだが。
「八年間なーんにもできなかったんですもの。もう堂々と出来ますし、いろいろやるわよ?先ずは今日の放課後に学内モールでイチャイチャデートね!」
皐月は両手を握りしめ、気合を入れる。彼女にとって、これから卒業するまでの七年間は一瞬たりとも無駄にしたくないのだ。四年制の高等教育機関に入れようとする親の反対を押し切り、入学した八年制の應神学院。全ては辰馬が應神に入学することを見据えてのことであり、それが叶い、さらに婚約までもが許された今、彼女の辞書に遠慮という二文字は存在していなかった。
「…わかったよ。とりあえず今日のスケジュール確認しなきゃ。」
「貴方の予定表はそこのスクリーンと同期してあるわ。…ほら、映ったわよ。あら、今日は第一演習場で午後の一時から四時まで魔闘技実技演習ね。私は三時半で終わるから外で待ってるね?モールは夜の九時まで空いてるから十分時間は取れるわね。お店もある程度は決めておきましょう?」
リリーがやったのだろう、既に辰馬の学生ページはスクリーンに映し出せるように設定されていた。皐月はそれを確認すると、学内モールのショップリストを表示し、漁り始めた。見るのは主に服飾店。
今回の買い物は辰馬の学用品を回収するのが目的ではあるが、それはすぐに終わるのだ。その後は、これまで許されていなかったデートをしようと皐月は目論んでいた。
『コンコン』
「何かしら?」
ノック音が聞こえ、皐月が反応する。しかし、このフロアにあるドアは風呂と洗面所、それに寝室を隔てるものだけだ。入り口はエレベーターなので、ノックは必要がない。
『コンコン』
しかし、ノックオンは響き渡っている。音の発生源を探す皐月と辰馬。やがて、二人はある一点を凝視する。視線の先にあるのは窓。魔力結界が張られた地上十七階の窓をノックする存在。襲撃者か、と辰馬は身構える。
だが、暫くして彼は警戒を解いた。音を生み出している存在に見覚えがあったのだ。
「…オルト、ノックすんのやめさせろよ。」
((いやだね!昨日スマイルプイキュア録画しなかったろ!))
「っ!?辰馬!今の何!?」
突然脳内に響いてきた声に反応し、皐月は辰馬に縋り付く。辰馬はそんな彼女を優しく抱き留めると、あやすように語りかけた。
「大丈夫だ。聞こえてるのは念話だよ。オルトロス、ちゃんと挨拶して。」
((ふんっこっちは何度も会ってんだから知ってんのに今更挨拶とはよ。まあいい、嬢ちゃんよろしくな))
「よ、宜しくお願いします…?辰馬、この人?なんなの?」
「こいつはオルトロスだ。俺の相棒。俺が使ってる二丁拳銃あるだろ?あれの人工知能?人格?って言ったところだ。ほら、世界ランキング一位のアレンの肩にいっつも乗ってる喋る猿いるじゃん?」
「ええ」
ちなみに猿の名前はルーク。グッズ売上で常に上位に位置する人気者だ。
「アレと同じ。あの猿がアレンのバスターソード操ってるようにこいつも俺の銃制御してんだよ。」
「えっ!?」
そう、世界一位も人工知能搭載の武器を使っているのだ。当然、それをメリットと感じた者は同じことをやっているのだが、現実的に実戦で使える人工知能は今のところルークだけ、のはずであった。
「あのアメリカトップのジークフリート社と同じレベルの技術…!?」
「うーんまあルークレベルではないんだけどな」
実際は科学技術とは違うのだが、本当のことは箝口令が敷かれているため、言えない。故に辰馬は皐月の勘違いを肯定するのであった。
「で、今窓を叩いてるのがこいつの化身っていうかなんていうか。普段は俺の首の周りにあるペンダントに宿っててあの隼みたいなのを遠隔操作してんだよ。ま、チップ差し込めばあれがメインになるんだけどな。そうすりゃ発声もできるぜ。あの窓開けられる?」
「ええ、開くわ。」
眼前の空中に手を翳し、何やら指を動かす皐月。ARを操作してるのだろう。
「開くわよ?二秒ほどだからすぐに入ってね?」
((ああ、わかった))
寝室があるのは十七階である。風も強く、長時間窓を開けるようなことはできない。
そして、宣言通り二秒ほど開いた窓から、翼幅15cmほどの鳥が飛び込む。鳥は部屋をぐるりと一周したのち、辰馬に突進を仕掛けた。ひらりと難なく躱す辰馬。しかし、鳥は辰馬の横を通過することなく、90°進行方向を変えると、辰馬にタックルをかました。
「ぐふっ!て、てめえこんにゃろう!」
((こんにゃろうじゃねえんだよ!俺様の身体を外に放ったまま忘れやがって!録画もできてねえしよお!ほら!至近距離で属性魔術放ってやるからはよ俺を体にセットしろ!))
「いやだわ!だれが攻撃するから準備しろって言われて準備すっか!いてっ!いたいいたいいたい!」
反抗する辰馬を執拗に突く鳥。
「ふふ、仲がいいのね?」
「((よくねえ!))」
「あら、息ぴったりじゃない。それに相棒なんでしょう?」
「((うっ))」
器用に同調している辰馬とオルトロスを見てコロコロと笑う皐月。揶揄われた二人はそれ以上諍うことなく、静かになる。
「で?辰馬、その子は学院ではどうするの?結構危ないと思うけど。」
もちろん学院内への人工知能やロボの持ち込みは認められている。いるが、オルトロス程高度な個体ともなると開発課の生徒、どころか教授陣に拉致られかねないのだ。
「うーん、基本的には明かさない方向で行こうかなあ。ほら下のバラ園あるじゃん?あそこで隼は放し飼いにしておいていい?オルトの本体はいつも通り俺の首の周りって感じで」
「いいけど…だれも餌?チャージ?できないわよ?」
オルトロスの鳥ロボットは近くで見ても生きているとしか思えないほど精巧に作られており、さつきは言葉に迷う。
「ああ、こいつは魔力機関内蔵してあるから空気中の魔素を魔力に変換してるんだよ。だから別に世話はいらない。オルトが入ってない時は鳥として振る舞うようになってるから不自然さもないと思う」
魔素とは空気中に漂う魔力の元のようなものだ。魔力機関を介して魔力となり、人間や魔物に恩恵を齎している。しかし、近年の研究で実は長期間圧縮され続けることで魔力となることが発見されており、現在は人工の魔力機関を用いない魔素魔力還元方式の模索が行われている。
「隼が温室ドームのバラ園で飛び回ってること自体が不自然でしょうに…しょうがないから散歩道開拓するときにその子が飛び回りやすいようにスペースも作ってあげる。感謝しなさいよ?」
「((おお、助かる!))」
「あとここのテレビは一ヶ月前までの地上波全番組を観れるからスマイルプイキュアも観れると思うよ」
((な、なんだと!!姉御!俺は一生あんたについてきまっせ!おい辰馬!いい嫁捕まえたな!よくやった!褒めて遣わす!))
「あ“?なんで上から目線なんだよ!」
((俺が上だからに決まってんだろ!だいたい俺がいなきゃお前なんかだれにも勝てねえじゃねえかよ!もっと平身低頭感謝しまくりやがれ!))
「てめえなんざいなくても勝てんだよ!お前がやってんのは銃の駆動制御と属性弾の選択だけじゃねえかよ!別に手動でっ!」
「たーつーまー?朝からそんなに頭に血上らせちゃダメっ落ち着こうね〜」
言葉の途中でたわわなお胸様に抱き込まれた辰馬の頭。暖かく、しかしどこかひんやりとしたその感触に思わず黙り込んでしまう。
「落ち着いた?よしっじゃあご飯に行こ?オルトさんはここでプイキュア見てますか?」
((おう!))
「さ、さ、さつきさん!」
「はいなんでしょう?」
「その、なんで裸なんですか!?いえ、自分的にはとても素晴らしいといいますかありがたいといいますかなんというかなんですがその、直に味わってしまって申し訳ないというかなんて言うかっ!」
「は?え?あっ!!!!////」
辰馬を抱き込むまでシーツを被っていたので気がついていなかったが、気付いてしまっては無視出来ない。皐月はその事実を指摘されるとすぐさまシーツをたくりあげ、顔を隠してしまった。
「お、俺はちょっとシャワー浴びてくるからその間に服着てて!」
「うんっ…」
まだまだ初々しい二人であった。
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