第6話

「まずはここよ!地下二階、模擬戦するためのスペース!」


 エレベーターに乗せられた辰馬が連れて来られたのは百メートル四方はあるであろう真っ白な部屋。地面を踏み締めるだけで人体への負担を軽減する素材で作られていることがわかる。この部屋だけで相当な金がかかっていることが窺える。


「なんで経営科のお前の家にこんなだだっ広いスペースがあるんだ?」

「なんでって貴方のためよ」

「は?増築?」


 この建物が建てられたのは去年の筈だ。その時点では辰馬がこの学校に入学出来るとは魔霧本家は全く思っていなかった筈である。


「いいえ?貴方なら絶対にここに来るって信じてたから。そして絶対に在学中に婚約にこぎつけるって決めてたから作ったのよ。まさか初日からここに招き入れられるなんて思ってなかったんだけどね」

「…そっか。ありがとうな」

「うん!」


 つまり、この部屋は皐月の想いを表しているのだ。途端に恥ずかしくなってしまった辰馬は、頬を真っ赤に染め、皐月の頭を撫でる。

 不意の接触に知能が数段低下した皐月は、嬉しそうに頬を緩める。


「この部屋ね!環境フィールドも十種再現できるんだよ!今は魔力充填足りないから出来ないけど…今度見せてあげるね!」


 頭に手を乗せられたまま、辰馬を見上げてはにかむ皐月。彼女は普段とは違い、表情豊かに崩した言葉で嬉しそうに話している。

 最愛の和装美少女が繰り出した絶景に辰馬の顔は更に深い朱色に染まっていく。


「そ、そうだな。じゃあ次行こ次。」


 これ以上誰もいない部屋で二人っきりでいるのはまずい、そう思った辰馬はエレベーターに歩を向けた。


「次はトレーニングルームよ!学校にある設備なんか目じゃないレベルのものを揃えてるんだから!」



 模擬戦フィールド、トレーニングルーム、プール、サウナ室、露天風室内温泉、全四フロアの開発エリア、多目的ダンスホールを案内され、圧倒された辰馬。そんな彼は現在、地上三階にあるキッチンに招き入れられていた。


「う、うおおおお!低温熟成室に燻製機、遠心分離機にモルテ◯のロティサリーグリル!夢の国が!皐月!夢の国がここに!」

「騒がしいわよ。」


 興奮し、子供のようにはしゃいでいる辰馬の頭を背伸びして叩く。


「いって、な、なあ皐月、ここ自由に…」

「いいわよ。ここは貴方の家ですもの。基本はシェフが作った料理になるけど辰馬が作ったのも食べてみたいしね。」

「うっひょおおお!愛してるぞ皐月!」


 これ以上に軽い愛してるはないのではないか、と思ってしまうほど軽薄な愛を叫ぶと、辰馬はそのまま、夕食の準備が行われているキッチンに特攻して行ってしまった。


「あ、あの俺、朝霧辰馬って言います!魔闘技引退後はシェフ目指してます!弟子入りさせてください!」


 明らかに場を仕切っていることがわかるショートカットで長身の女性の前に出て、潔く頭を下げた辰馬に料理人たちの手が止まる。

 先程から騒いでいるな、とは思っていたが、まさか頭を下げられるとは思っていなかったのだ。彼女達にとって、辰馬は上位者である。そんな辰馬の願いを無碍に扱うわけにもいかず、しかし弟子を取る気もない女性は言葉に詰まる。


「そ、そのだな__」

「知ってます!大場瑠璃子シェフは弟子を取ってない、有名な話です!まさかこんなところでお会いできるとは思ってなかったもので、ついつい勢い余って…失礼しました!」

「お前、いや旦那様は俺を知ってるのか?」


 見ず知らずの相手に名を呼ばれ、困惑する褐色肌のボーイッシュな女性。


「はい!二年で料理界の頂点に上り詰めた女帝!去年、その年の賞を総なめにしたにも関わらず、忽然と姿を消したガストロノミーを極めし天才料理人!なぜここにいるのかはわかりませんが貴方の料理をこれから毎日食べれるんですよね!?弟子入りは諦めますけどたまに料理してるところを見学するのはいいですか!?」

「お、おう」

「やった!ありがとうございます!」


 辰馬はもう一度頭を下げ、そのまま後ろに下がる。このまま居座って調理の邪魔をしてしまっては後悔しても仕切れない。


「皐月!お前最高!」

「そ、そう?辰馬がここまで感謝するのって私がスカイをプレゼントしたとき以来じゃない?ちょっとだけ悔しいわ。」


 スカイとは、五年前の誕生日に皐月が両親の反対を押し切り、辰馬にプレゼントしたファントムキャットの仔猫である。ファントムキャットとは、家庭用に品種改良された魔物の中でも稀少かつ人気の種だ。性格は温厚で、子供にもよく懐くが、敵対者には容赦無いと言う護衛猫としても有能な種族で、寿命は優に千年を超えることが解明されている。故に、百五十年前にこの世に紹介されてからはファントムキャットを飼っている事が一種のステータスとなっている。

 辰馬はそんなファントムキャットの仔猫の一匹にネットで一目惚れし、その様子を報告された皐月がプレゼントしたのだ。その価格、実に二十八億円。皐月が辰馬に買い与えようとした際、両親に猛反対を食らったのも肯ける。全世界で十年に一度、八匹前後しか生まれないファントムキャットの中でも割高なその値段は、他に類を見ない綺麗なプラチナの毛並みから来ている。

 現在スカイは学院内に入るための検査を受けており、辰馬の隣にはいない。


「スカイを引き合いに出される程喜んでるように見えるのか…?」


 皐月と同程度にはスカイを愛していると自負する辰馬にはショックだったようで、目を丸く見開いている。


「ええ、正直瑠璃子さんでこんなに喜ぶだなんて思ってなかったわ…私もまだまだ知らないことがあるのね…」

「い、いやあ…あの人の料理を一度親父に食べに連れてってもらってから大ファンでな?そうだ!なんでここにいるんだ!?」


 少し沈んだ皐月の気を逸らすように尋ねる辰馬。


「瑠璃子さんは私の専属侍女だったのよ。数年前に料理の道に進みたいって言ってね。世界に認められてから私の専属シェフになるって約束をして料理の世界に飛び込んだの。ま、その後は貴方の知る通りね。去年私がこの学校に入るのに合わせて戻ってきたのよ。喜びなさい?これからずっと彼女の料理が食べれるわよ?」


 自慢げに辰馬に告げる皐月。彼女的には家臣が優秀な事が嬉しいのだろう。


「改めて駆け落ちしなくてよかったわ!」

「でしょう?」


 つい先日まで学院卒業後の駆け落ちをわりと真剣に検討していた辰馬。彼は改めて、駆け落ちではなく、婚約のルートに入ってよかった、と安堵する。


(塚原には感謝しなきゃな。あいつがあそこまで突っかかって来なければ在学中に婚約できるほどの功績を挙げれてたかどうか…)


 内心で塚原蓮司に感謝する辰馬。塚原がもし自分に突っかかって来なければ、自分の進退を対象とした賭けに乗らなければ、辰馬をナメずにランクシックスの極大魔術を使っていたら。そう考えると、感謝せずにはいられない。


「じゃあ次にいきましょう?遂にお待ちかねの居住フロアよ?」

「おっ、やっとか。しっかしこんだけ施設揃えてたら住むスペースは2-3フロアってとこか?」


 既に地下三フロア、地上九フロアの計十二階層を案内されているのだ。使用人の居住スペースや、皐月が言及していたバー等を考えれば辰馬と皐月の居住区は多くて三フロアといったところだろう。


「ええ、十六階がリビングとダイニングで十七階が寝室よ。最新の魔導具を揃えてるわ。夕食の時間になる前に説明したいからいきましょう?」



 居住エリアの把握を終え、至高の食事に舌鼓を打った後、辰馬と皐月の姿は十七階のワンフロアを丸ごと使った寝室にあった。部屋の半分には巨大なベッドとホログラム投影スペース、もう半分にはシャワーや洗面台の他に学院の敷地を一望しながら入れる大きな浴槽が設置されている。

 既に皐月は風呂を終え、皐月の後に入った辰馬が戻るのをベッドの上で待っていた。しかし、彼女の表情はどこか暗く、愛しい人との初めての夜を期待している様子には見えない。


「……今日話さなきゃ。心情を吐露すらできなくて何が婚約者よ…頑張るのよ、私。きっと出来るわ」


 ぶつくさと自分を鼓舞するような言葉を呟き続ける皐月。そして、その状態が十分程続いた頃、辰馬が寝室に入ってきた。


「皐月〜お風呂のお湯抜いといたよ〜灯りも消しといたからもう寝…どうした?」


 部屋に入ってきた辰馬は、皐月の表情がどこか暗いことに気付き、急いで駆け寄る。


「皐月…?」

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