第5話

「おっ!きたきたー…って!お前ちょっとこっちこい!」


 エントランスに降りてきた辰馬を脇に引き込んだのは翔平だ。


「お前あの手繋いでた超美人もしかしなくても婚約者か!?」


 ヒソヒソと耳打ちしてくる。

 皐月は魔霧家次期当主内定者とは言え、魔闘技をやっていない。その為、露出機会が少なく、十六家の分家の子息程度では顔を知られていない事も多い。



「ああ。そうだけど?」

「どうやって取り入ったんだよ!十六家次期当主で超美人とか羨ましすぎるんだけど!?」

「七の時、さつきが一目惚れしてきてな。そのあとずっと言い寄られて気付いたら惚れてた。ま、取り入ったわけではないな。」

「幼馴染属性もついてんのかよ…ぜってえ今日ボコってやる!」


 嫉妬から闘志を燃やす翔平。しかし、忘れてはならない。彼もまた平均で十三の時に婚約すると言われている十六家の分家の男子である。


「お前、婚約者いないのか?」

「ああ、いるさ!いるけどな!こっちは互いに愛もクソもない商人の令嬢が相手なんだよ!ここのA組に入った時の反応知ってるか?そう。だぞ!?日本の世代トップテンに対して!年に一回会う時も一言も話してくんねえしさ!」


 不満を爆発させる翔平。しかし、彼の境遇は決して珍しいものではない。分家の嫡男や令嬢の婚約と言うのは、本家の道具と言っても過言ではないのだ。商会や研究者、ブラックスミスの中で、有望な者を取り込むための手段である。

 故に、不本意な婚約はよくあることだ。


「どうどう。もしお前が狙ってる相手がいる時は言ってくれ。全力で協力してやる。」

「いいのか!?悪いな!」


 分家の嫡男は、第二夫人で真に愛する者と婚姻する。これも十六家の常識だ。

 一般的に、分家の経済力では第三夫人までしか迎え入れることができない。そして、不意の政略結婚に備え、殆どが第二夫人までしか娶ることが許されていない。

 そんな第二夫人枠は、本来本家が定めた相手に使われる枠であったが、現在では嫡男の愛する相手のために存在しているのだ。これは一時期、分家嫡男の駆け落ちが大流行したために出来た暗黙の了解だ。翔平の先程の愚痴を鑑みれば出来て当然の制度と言えるだろう。


「おうよ。」


 固い握手を交わした二人は暖かい目で辰馬の様子を見ていた皐月の元へ戻った。


「話し合いは終わったのかしら?」

「ああ。待たせて悪かったな」

「急に連れ去ってすいません!自分、天城家の長男、天城翔平って言います!宜しくお願いします!」

「はい。よろしく。これからも辰馬と仲良くしてね!」


 勢い良く頭を下げた翔平に輝くような笑顔で笑いかけた皐月。彼女にとって、翔平は初めて会った辰馬の友人なのだ。

 まだ出会って一日も経っていない友人ではあるが。


「よし!じゃあ行こうぜ翔平!」

「おう!」

「会場は?」

「四十分後に第四闘技場押さえられた!自動走行タクシーももうすぐ二台来るけどもう一台必要だったな…」

「あら、大丈夫ですよ。私と辰馬は私の車で行きますから。」


 広大な應神のキャンパスでは、一人乗りのタクシーがそこら中を走行している。そんなタクシーは、予約をすれば必ず清掃されたばかりの綺麗な状態で来る為、急ぎでない場合はほぼ必ず予約を行うのだ。

 また、お付きの者が運転する自家用車で敷地内を移動する人もいて、この場合皐月がそうである。


「あっじゃあ片方はキャンセルしておきます。」

「ありがとうね。私たちは先に行くわ。第四で合ってたかしら?」

「はい!」


 皐月が手をパンパン、と二度叩く。


「おおお!アース社の最高級ラインの最新式魔導車じゃん!」


 現れたのは一台の浮遊している車。十六家の地陸家が運営するアース社の魔導車である。ロベルト・ベッカーの完全協力の元、浮遊走行を可能にした車種だ。二年に一度新作が出る限定百台の最高級ライン。所有しているだけでもステータスになる代物である。

 

「辰馬、行きましょう。」

「おう。翔平、すまんけど先行ってるな!」


 二人は魔導車に乗り込み、寮を後にするのだった。



「シッ!破ぁあ!」


 あらゆる方向から襲いかかってくる不可視の物体を高速で斬り続ける少年。

 時折、揮っている刀の刃先から炎や風の斬撃を飛ばしているが、それらの全ては目標に到達する前に打ち落とされていく。


「反則だろ!!!何がランクゼロだよ!ノータイムで使いまくってんじゃねえか!」


 少年の声は耳にハメられたイアピースを通じて目標に届く。

 此度の試合は交流試合である。戦闘中に会話できたほうが色々と都合がいいのだ。


「俺は使ってないよ?ま、銃にそういう機能がついてたりするかもだけど」

「お前が発動させてりゃお前が使ってんのと同義だろうよ!ってかいつまで弾幕続くんだよ!」

「あっ、なに切れるの待ってたの?ごめん、魔力続く限り無限生成されるんだわこれ。」

「ハアアア!?」

「ってのは嘘なんだけどね?まあ多分あと六十発ってとこだよ」


 実際はあと二百発は残っているのだが、既に七分以上打ち合っている辰馬は短期決戦を望み、嘘を吐いた。

 そして、遂にその時が来た。


「おっしゃ!今行くぞ!」


 一喝し、気合を入れた翔平は己の身体に身体強化魔術を三重でかけ、更に体重を重力魔術で軽減、そして最後の仕上げと言わんばかりに、動線上の抵抗を極限まで落とす。


「この一撃で決める。受けてくれるよな?」

「おう。」


 自分の得意な遠距離攻撃は見せ、防がれた。ならば相手の真骨頂である近距離攻撃を自分も防ぐのが道理だ。

 公式試合ではなく、互いを知る為の試合だからこそ、受けねばならないのだ。


「ふぅぅぅぅぅ…疾っ!」


 腰を落とし、腰に挿し直した刀を握り締めた翔平。彼は深く、深く息を吐き、消えた。

 両者を隔てていたのは砂で覆い尽くされた二十五メートルの空間。しかし、翔平はその距離を一切の砂埃を舞わせること無く、跡をつけることもなく、詰めた。

 まるで氷の上を滑るように、亜音速で砂の上を移動したその動きは、例え視認できたとしても対応出来るものは少なかっただろう。なんせ、彼の動作はただ一直線に、愚直に、最速で距離を積めることだけを追求したもの。大凡人間が反応出来る最大速度を大幅に超えていた。

 そして、そんな翔平の居合は辰馬を一刀両断に、出来なかった。理由は単純。刀が抜けなかったのだ。そして、翔平はそのまま動きを止めることなく、多少の空気抵抗で肌を傷付けながら場外へと飛び出す。


「う、うおおおおお!あっぶねえ!」


 何らかの魔術を咄嗟に展開し、上空に跳ね上がる事で壁との衝突を回避した翔平。


「辰馬!受けろよ!刀抜かせないとか卑怯すぎんぞ!?」


 地面に綺麗に着地した彼は、若干の怒りを含んだ表情で辰馬に詰め寄った。


「んなこと言われても生身のままの俺は一発でも入れられたら負けなんだよ。こいつは近接武器と撃ちあえるように作られてねえし。」

「そりゃそうだけどさあ…」


 御膳立てを一切邪魔されなかったため、辰馬が正面から受けてくれる、と思い込んでいたのだ。しかし、考えてみれば準備に一分近くかかる一撃必殺技を真正面から受けるアホがいるはずがない。


「どうしても斬り合いたいなら…そうだな強化魔術なしの木剣で模擬戦なら受けるぜ?」

「じゃあそれで頼むわ。今からでいいのか?」

「血の気多すぎんだろ…今日はこれから予定があるから却下。お前はまず回復マッサージ受けてこい。身体強化魔術の重複とか育ち切ってない体には毒でしかないのは自分が一番分かってんだろ?」


 たった今試合をしたばかりであるのに何を言っているのか。特に、現在の翔平の体は内部がボロボロなのだ。はっきり言えば、いち早く回復を図らねばならない状態にある。

 魔闘技では、一試合毎に二十分間の回復魔術師によるマッサージを受けることが最適だとされている。当然、全員が全員回復魔術師を雇えるわけではなく、四部のスポンサーがついていない選手などは風呂に入る程度の場合が多い。だがここは應神である。敷地内に点在する休憩棟に行き、申請すれば直ぐに転移魔術でマッサージ師が派遣されてくる。

 

「それもそうだな!じゃあ明日の放課後にやるか!」

「皐月〜!」


 勝手に予定を定めようとしている翔平を尻目に、辰馬は観客席に座っていた皐月を呼ぶ。皐月は観客席から飛び降り、辰馬の隣に着地する。


「なにかしら?」

「引っ越す先にさ、トレーニングルームあるって言ってたじゃん?」

「うん」

「そこって軽い打ち合い出来るぐらいの広さはある?」

「あるよ?」

「使ってもいい?」

「もちろん!あの家は私と辰馬のよ?後三年はワイン室とバーは使っちゃダメだけど他のは好きに使ってね?」

「そっか。ありがとね」


 確認をとれた辰馬は翔平と向き直った。


「明日は買い物に行きたいから明後日でいいか?うちでやりあおうぜ?」

「おう!ってうち…?」


 翔平が首を捻った事で引越しの件を伝えていなかった事を思い出した辰馬は、情報を伝える。


「そうだったのか…で?その愛の巣の施設使っていいって?」

「愛の巣ってお前…ああ、大丈夫だってよ。だから明後日な?」

「おう!」


 二人は拳を合わせ、約束を交わすのであった。



「うわぁ…」


 広大な薔薇園の中心に、ドームを突き破る形で聳え立つ巨大なビル。それを見上げ、辰馬は感嘆する。


「マジでここに住むの?」


 隣で満面の笑みを浮かべる美少女はこれでもかと言わんばかりに頷く。


「そうよ。この温室は私の趣味だから変えたくはないのだけど…ダメだった?」

「いや?綺麗でいいと思うよ?いい感じの池とかもあるしお散歩コース作って毎朝皐月と散歩するのもいいかもな。ペットでも飼うか?」

「うん、うん!!えへ、えへへ…辰馬と毎朝一緒…」


 頬を抑え、クネクネと身体を捩らせる。これまで八年間、想い人と共に過ごすことのできなかった日々を過ごした彼女にとって、これからの日々は想像するだけでも幸せが溢れ出てくる甘美なものなのだ。


「じゃ、早速お邪魔…じゃなかった入ってみようかな。」


 隣でデレている皐月の腰に手を添え、ビルの中へと向かう。


「お帰りなさいませご主人様」


 建物に入った辰馬を出迎えたのは、頭上十メートルはあろうかという広大な、しかしどこか質素な空間。そして、そこを埋め尽くす男の夢。

 右も左も隙間なく腰を折るビキニ姿の様々な種類の美女。その数は優に五十を超えており、いくら十八階とは言え居住空間の使用人と言うにはあまりにも多すぎる。


「皐月…これは…?」

「辰馬が大好きな水着ハーレム!」


 お嬢様は知能が退化していらっしゃるようだ、天真爛漫な笑みを浮かべ、とんでもない事を言い放った。


「だ、大好きって?」

「旦那様のマル秘タブレットに入っていた内容を解析し、最頻であった水着ハーレムを再現いたしました。」

「は!?なにしてくれちゃってるの!?あれ三重認証だよね!?」


 突然辰馬達の前に現れ、そう言い放ったのはリリーだ。彼女は言うに事欠いて、網膜、声紋、指紋の全てのチェックを通って初めて開くことが出来るマル秘タブレットの中を解析したというのだ。

 男の、辰馬の、夢が詰まったタブレット。ホログラム投射ハードでは映像の投射途中に見られてしまう可能性があると考え、態々十世代以上前のタブレットの在庫余りを探し出し、購入したのだ。その中身を見たと言われれば、辰馬は死ぬしかない。


「この建物内に検分していない電子機器を持ち込ませるわけには行きませんので。」


 澄まして顔でそう宣う水着姿のリリー。その無駄のない美しい肢体は辰馬の視線を捉えて離さない。


「ちょ、ちょっとリリー!胸見せつけないで!辰馬?み、見るなら私のを…」


 誘導される辰馬の手。


「皐月!ちょ、暴走しすぎだ!ってかこの人達使用人にしては多すぎるよね!?紹介!そう紹介して!」


 抵抗され、我に帰った事で顔を真っ赤に染める皐月。ワタワタと手を振りながら辰馬の要求に応える。


「ここの使用人が十人で後の四十人ちょっとは私がお世話してる生徒達よ。」

「世話をしてる生徒ってなんだ…?」

「スポンサードしてる子達よ。基本的に開発科と鍛治科の囲い込みね。後は一年と二年に二人ずつ魔闘技科の子達。八年間の学費とか生活費払う代わりにうちの会社への就職か専属契約を確約してるのよ。桜花、真由美、空、愛子、前に出て来なさい。」


 前に歩み出て来たのは四人の女子。


「この子達が魔闘技科よ。ピンク色の髪の子は一年C組の桜花、青髪の子が二年B組の空、銀髪の子も二年B組で愛子、黒髪の子が一年B組の真由美よ。皆、挨拶なさい?」

「「「「宜しくお願いします、旦那様」」」」


 思わず見惚れてしまうような所作で頭を下げる四人の少女達。

 この光景に辰馬は突っ込まずにはいられなかった。


「なんでこんなに従順なんだよ…皐月、この子達おかしくないか?」


 あきらかに仕えることに慣れた者の動きなのだ。十五、六の少女が行えるべきではない。


「あら、おかしくないわよ。この子達は魔闘技を引退後は魔霧の、それも私直属の私兵団に入るの。その為に五つの時から育てられて来たのよ?」

「職業選択の自由は__」

「あら、これは彼女達の選んだ道よ。だって全員心の底から魔闘技がやりたいと願った孤児から選ばれたのだもの。そのドン底から應神に入れるほどの教養と強さを得れたのよ?それで感謝してなければ人間じゃないわ。」


 そう、彼女達の出身は孤児院。人身売買に近い形で魔霧に拾われたのだ。勿論、これは合法である。むしろ、推奨すらされている。

 持つ者が持たざる者に与える。慈善事業ではなく、利になるからこそ行うのだが、人口過多になりつつある日本では国庫を開く機会が減れば減るほどいいのだ。


「…そうか。」


 辰馬も元孤児である。彼の場合は少々特殊ではあるのだが、強きの庇護下に入る彼女達の気持ちは理解できたのだ。本人達が望んでいるのであれば、彼がいうべきことはなにもない。


「よろしくな、皆。数ヶ月はARレンズ越しで名前表示させておきたいから後で設定のために時間をくれるか?」


 嘘である。辰馬はずっと表示し続けるつもりでいた。


「たーつま、じゃ行きましょう?早くお家を見せたいわ!」

「そんな急がなくても行くって」


 腕を絡められた辰馬はそのまま抵抗することなくドナドナされて行くのだった。



 辰馬が皐月に腕を引かれ、エレベーターに乗り込んだ後。侍女たちは一斉に緊張を崩し、歓談へと移った。彼女達は皆、新しい主君に気に入られようと必死なのだ。だから水着での出迎えも受け入れたし、胸や尻へと移る辰馬の目線にも身動ぐことなく応じた。

 ある者は地位のため、ある者は今の待遇を守るため、ある者は忠誠心故に、その行動原理は様々であるが、そのほとんどが覚えがめでたくなる事を願っている。


「あれが婿さんか〜黒髪ってことはエレメント系じゃないよね?しかもランクゼロ…どんな固有魔法なんだろう?」

「魔法云々よりも思ってた三十倍ぐらい好みだった!身長180は超えてたよね!?」


 現在の日本で辰馬の年齢での平均身長は168cm。183cmの辰馬は異常と言えるほど背が高い。


「なんか聞いた話によるとあの人次席と大差をつけての魔闘技科首席らしいわよ?」

「「「首席!?」」」


 ぽつりと情報を漏らした真由美に全員が群がる。しかし、それも仕方のないことだろう。これまで應神の首席卒業者はわずかな例外を除いて全員がPSCAの下部ツアーにまで到達している、というのは有名なデータなのだ。

 そして、首席入学者が負うハンデを知らない彼女にとって首席入学、それもぶっちぎりでの、を果たした辰馬は首席卒業候補筆頭である。


「A組から情報が流れて来たのよ。で、先生に確認をとってみたら肯定されたの。首席は塚原じゃなくて朝霧で四十点以上の差をつけてたって。」


 このまゆみの情報に最も反応したのは十人の使用人達。彼女達の中にはシェフ、治癒マッサージ師、トレーニングアドバイザーがおり、他の五人も日常生活のサポートを行う。つまり、日本の宝を育てる重責を負うことになったのだ。

 聞いていたのと違う、全員がそう思ってしまったのも仕方のないことだろう。しかし、彼女達は事前に皐月から全力で辰馬をサポートするよう伝えられている。やることは変わらない、そう自分に言い聞かせるのであった。

 

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