第4話

「ふぅ〜!終わった終わった!」


大きく背伸びをしながら声を出す翔平。その横で辰馬は苦笑いをしている。


「思ってたよりも難解だったな」

「本当それな!って言うかお前、魔術の授業に出る意味あんのか?あっ、いや別に蔑んでるわけじゃなくて免除して貰って戦闘訓練でもしてたほうが有意義なんじゃねえのか?」


 確かに翔平の言う事には一理ある。だが、辰馬にはそんな予定は一切なかった。


「それもそうなんだけどなあ…でも理論を完璧に抑えてりゃいつか使えるようになるかもしれないだろ?ま、使えるようにならなくても相手が使ってくる魔術を知ってりゃ有利に立てることも多そうだし無駄にはならないって」

「それもそうか…お前が納得してんならいっか。それより昼飯行こうぜ昼飯!」

「いいよ。どこの行く?」

「しっかりと調べてあるぞ!次の教室に行く途中にある鮨屋に行こう!」


 外見にそぐわず、リサーチ能力があるらしい。元々聞いた以上提案を否定する気のなかった辰馬はにべもなく頷く。


「私も一緒に行ってもいい?」

「あっ、舞も行きたい!」


 そうして教室を去ろうとした二人に声をかけたのは、王生愛莉と、十六家蒼海家の令嬢である蒼海舞。


「俺はいいぜ!辰馬は?」

「是非」


 辰馬個人としては遠慮したいところではあったが、今の彼は魔霧を背負う身である。十六家の令嬢二人との交流の機会を無下にするわけにはいかない。

 結果、四人で鮨屋に向かうことになったのであった。


(にしても結局一限目はあいつこなかったな)


 あいつ、とは塚原蓮司のことである。いくら辰馬にこっ酷く負けたとは言え、授業に出席するぐらいの胆力はあるものだと思っていた。

 辰馬の中での塚原の評価が更に低下したのであった。



「じゃーなー!」


 辰馬の隣で翔平が王生と蒼海に向けて腕を振る。

 彼女らは十六家の本筋である。当然寮も相応のランクのものになり、昼時に聞いた話によるとワンフロアを丸ごと使用しているらしい。

 そして、翔平は辰馬と同じく十六家の傍系である。契約した寮は辰馬と同じ八咫烏寮である。二限の授業後、途中まで一緒に歩いた四人は八咫烏寮の前で別れる事になったのだ。


「じゃ、辰馬!ちょっくら模擬戦してこうぜ!」

「えっ?」


 唐突の誘いに素っ頓狂な声を上げる。


「そんな驚く事ねえだろ。ここは魔闘技科だぞ?親交を深めるのに闘う以上のもんがあっか?」

「ないな」

「ってことでヤろうぜ!十分後にここで集合な!」


 翔平はその場で跳ね、十数階上のベランダに着地してしまった。身体強化の魔術によるものなのだろうが、まだ入って一日の自分の部屋に狙って着地した技術に辰馬は感嘆の息を漏らす。


「豪快に攻めてくるタイプかと思ったけど意外に繊細なタイプかもな…楽しめそう」

((またやんのかよ…俺はこれからスマイルプイキュア見るつもりだったんだが?リアタイで見れねえ責任とれんのかアァン?))


 唐突に鳴り響く男の声。しかし、聞こえているのは辰馬だけだ。


「ちょっ…オルトお前人がいる時は静かにって言ったろ?俺が独り言ぶつくさ言う変人に見られるじゃねえか」

((はんっ今言っとかなきゃスマイルプイキュア録画しねえだろ?するって言うまでしつこく話しかけっぞ?))

「わかったやるから!やるからしっ!」


 一人でぶつくさ言いながら寮のロビーを歩く辰馬には、奇異の目線が向けられている。その事実に若干気を落としながらも、辰馬はエレベーターに乗り込んだ。

 今、辰馬が対話していたのはオルトロス。辰馬の扱う双銃の人格である。

 ブラックスミスにして『与える』の概念魔法の使い手である、ロベルト・ペッカー作の至上の逸品、オルトロス。仮想人格と魔力回路が与えられており、魔力を吸い取り魔術を使うことが出来る双銃で、普段はペンダント型のメモリーカードに人格を宿している。

 彼は辰馬が胸ポケットに挿しているペンについたカメラを通して世界を見、念話と振動感知の魔術で辰馬と会話する。常に行動を共にする辰馬の親友である。


「ただいまーっと…まあだれもいない…んだけど?なんで靴があんだ?」


 玄関に入った辰馬は、靴が一足増えている事に気が付く。


「女物…侵入者なら堂々と放置しねえだろうし部屋鍵のミスで誰かが入ってきた…?すいませーん!中に誰かいるんですか!?」


 システムのミスで何者かが自分と同じ部屋を割り振られたのでは、と考えた辰馬は声を上げ、呼びかけてみる。だが、返事はない。


「ちっ…中に入るしかねえか」


 軽く舌打ちしながらも、内ポケットに仕込んでいたダガーを取り出し、リビングへと進む。


「だれもいねえ…」


 しかし、リビングにはだれもおらず、トイレのドアは全開で、シャワーや換気扇の音もしない。間者でないと仮定した場合、相手がいる可能性があるのはあと二部屋しかない。

 先ず、自分の部屋を確認する事にした。


「正妻の座、ゲットよ!」


 部屋のドアを開くなり、ピースを辰馬の眼前に突き出すピンク色の和装を身に纏った大和撫子美少女。腰まで伸びる絹のような黒髪が少女の動きとともに揺れる。

 いきなり目潰しをされる、と迎撃態勢に入った辰馬。しかし、相対する少女を一目見て警戒を解いた。

 そこに立っていたのは辰馬が良く知る人物、というか今朝、婚約関係になった魔霧皐月だったのだ。


「なんで人の部屋にいんだよ……ってか正妻って一人しかいないんだから正妻も側室もないだろうに…」

「えっ?」


 辰馬の言葉に驚きの表情を晒す皐月。


「辰馬、私と結婚するわよね?」

「は?今そのつもりだって言わなかったか?」

「ならなんで一人ってことになるのかしら?」

「は?」


 なにを言っているんだこいつは、と言う目で皐月を見つめる辰馬。


「は?じゃないわよ!貴方は魔霧の次期当主の婿になったのよ?政略結婚で妻の一人や二人、絶対に増えるわよ?」

「あっ…」


 そう。現在日本では経済力に応じて重婚が認められており、十六家の当主ともなれば利を求め複数の妻を娶るのが基本なのだ。過去には三桁と結ばれた当主すらいる。


「だ、だが俺は養子な上にランクゼロだぞ…?縁談なんてないだろ…」


 期待も込めてそう言う辰馬であったが、現実は非情であった。


「いつも思うけど貴方は十六家に向いてないのよね…考えてみなさい?貴方は外から見たらランクゼロなのに魔霧がわざわざ分家の養子として囲い込んだ上に次期当主と婚約させた存在。何かあると思わないわけがないでしょう?その上、貴方は魔闘技選手としては絶対に大成するわ。下手をすれば他の十六家の本筋から、とかもあり得るわよ?」


 うげぇ、と唸る辰馬。


「駆け落ちエンドのがよかった気がしてきた…」


 彼としては二人っきりがいいのだ。一途に想い続けてくれ、自分も愛していると胸を張って言える目の前の少女以外愛せる気が全くしない。


「バカ言ってんじゃないわよ。十六家次期当主と駆け落ちとか魔の領域ぐらいしか行ける場所ないわよ?」


 魔の領域とは魔物が跋扈する捨てられた大陸の名称である。強い魔物でも陸生なのであれば放置してしまえ、と人類が撤退したのだ。


「もしかして駆け落ちしてたら魔闘技続けられなかったのか…?」

「当たり前じゃない。」

「お、おまえ!駆け落ちすることになったらキングズレアに入ればいいのよ、って言ってじゃねえか!」

「そんなの貴方をその気にさせるための嘘に決まってるでしょ?プロになれない、って言ったら貴方意地でも駆け落ちなんてしてくれないじゃない。」

「いやそりゃそうだけどさあ…」

「ま、婚約も出来たし辰馬もプロになれるし。過去のことは気にしちゃダメよ。」


 辰馬の鼻を軽く小突く。


「ところで。婚約したんだから当然秘密は教えてくれるのよね?」


 皐月の要求に思わず顔を顰めた辰馬。


「過去のことは気にしちゃダメよ、だろ?」

「むぅ…しょうがないなあ。今は引いてあげるけどいつか絶対教えてよね?」

「ああ、いつか、な。」


 辰馬はむくれる皐月にはかなげな笑みを投げかける。秘密とは隠す理由があるから秘密なのだ。いつか、とは言いつつも、辰馬は三途の川を渡った後でも打ち明ける気はなかった。


「で?お前なんでここにいんだ?ってかどうやって侵入した。」


 これ以上話を続ける理由がないと判断し、話題を切り替えた。


「なんでって婚約したでしょ?」

「??」


 二つの事象を繋げられず、辰馬は首を捻る。


「なんで首傾げてんのよ。婚約したら同棲に決まってるじゃない。」

「はっ?お前と!?ここで!?」


 皐月が住んでいるのは大豪邸である。それこそ、皐月の専用区画だけで普通の大屋敷と同程度のサイズはあり、部屋数は六十を超えるのだ。

 そんな生粋のお嬢様である皐月が今いる狭い部屋で生活できるとは思えない。


「ここでな訳ないでしょ。私が今住んでるとこよ。十六家当主用のマンション。」

「当主用のマンション。」

「そうよ。喜びなさい?十八階建てを独り占めよ?」

「十八階独り占め。」


 辰馬は規模がよくわからず、反芻する様に鸚鵡返しを繰り返している。


「専用トレーニングルーム、プールにバスケコート、温泉を完備してあるから魔闘技選手としてはこれ以上ない環境でしょう?生活に必要なことは使用人が全部やってくれるわ。あっ、全員女の子だけど相手の合意なく手は出しちゃダメよ?」

「出さねえよ!ってかなんでそんなとこに住めんだよ!俺は学院の敷地外から通いたかねえぞ?」

「敷地内にあるわよ。あら?知らないの?この学院は土地を借りることが出来るの。十六家の次期当主ともなれば外聞の為にも入学時に借りて一棟建てるのが普通よ。今年入ってきた塚原なんかは二五階建てのスッゴイの建ててたわよ?」

「ソウナンデスカ〜…」


 国立よ、それでいいのか、と思わず言いたくなってしまう自由度だ。突っ込みを入れる気力すら失せる。


「さて、引っ越すわよ。荷物は後で業者が移してくれるから今は大事なものだけ持ってきなさい。」

「引っ越すわよって…俺これから一戦交える約束があるんだが?」


 腕を引いて寝室に引き入れてくる皐月に辰馬が伝える。


「あらそうなの?じゃあ私もついて行くわ。大事な荷物はリリーに預けておけば大丈夫よ。リリー!」

「はい。」

「うわっ!」

「はじめまして、旦那様。」


 どこからともなく突然皐月の背後に姿を現し、辰馬を仰け反らせたのは三十代前半ほどの成熟した美女。メイド服に身を包み、長い緑色の髪を一本に結いている彼女は、綺麗な所作で辰馬に挨拶をした。


「は、はじめまして…?」

「敬語は結構です。私は魔霧家、延いてはお嬢様にお仕えしている一介の侍女。お嬢様の婚約者である辰馬様には命令され、従う立場にあります。どうぞ遠慮せずにこの卑しき雌犬めを調教してください。」

「は?」

「リリー!なんてこと言うの!?」

「お嬢様、私はお嬢様のもの。つまりは辰馬様のものでもあります。十六の旦那様は女性ばかりとの共同生活で劣情を催すこともあるでしょう。その際、私を使って頂ければ、とお伝えしているまでです。」


 リリーの発言に頬をひくつかせる辰馬と皐月。キッパリと言い切ったリリーの顔はどこか晴れ晴れとしていて、彼女の発言に嘘がないことが窺える。


「だめよだめよだめよ!相手をするのは私!大体貴女わたしが生まれた時から仕えてるでしょ!?ウチの専属侍女は最低でも三十からよ?いくつよ!」


 皐月の問いと共に周囲の空気を満たしたのは凍えるほどの冷気。禁忌に触れてしまったことに気が付いた皐月の顔が青褪める。

 しかし、時すでに遅し。皐月の頭部を激痛が襲った。


「お嬢様?その質問はやめてください、と何度も言っていますよね?お嬢様の未来は憂慮して脳を多少揺らして差し上げましょうか?」

「イダダダダダ!リリー!やめて!私は主人よ!命令よ!!!」


 この主従はなんのコントを行なっているのか。呆れに溜息を漏らすも、せっせと人に扱わせたくない荷物をまとめて行く辰馬。オルトロスの本体が入ったケース、洗面用具、十本にも及ぶ包丁セット、男の夢だけが詰まった専用のタブレット。

 オルトロスを除いて全て袋にいれた辰馬は、未だに戯れあっている二人に声をかける。


「終わったぞ〜。リリーさん、予定があるんで皐月のこと話してやってください。主人権限で帰宅し次第、締める許可あげますから。」

「それはそれは。では離しましょう。」

「きゃっ!うぅぅぅぅ…ひゃっ!?」

「じゃ、リリーさんそこの紙袋お願いします。この子はもらって行くんで。」


 その場で落とされ、頭を抑えて呻いている皐月を軽々とお姫様抱っこの状態に抱き上げた辰馬。彼は床に置いていたオルトロスのケースを拾い上げ、部屋を出ようと歩み始めた。


「た、たつま!?このまま行くの!?き、着物よ!見えちゃうって!」

「大丈夫。見えないって。それともいや?」

「いやよ!恥ずかしいもの!私は辰馬より上なのよ!?同級生に見られでもしたら明日から生きていけないわ!」

「一つ上ぐらい関係ないって…まあイヤならしょうがない。」


 玄関を出る前に降ろされることに成功した皐月は、少しばかり崩れた着物を直す。


「はい。」


 差し出される辰馬の右手。皐月はその手を少しはにかみながら握る。

 これまでは本家の意向で衆人の前で手を繋ぐことなど許されていなかった。その制限が外れた今、彼女は初めて愛しい人の手を握ることができるのだ。

 いつか、いつか彼が自分に向けている感情を他者にも分散させなければならない日が来るその瞬間まで、愛され尽くそう。皐月はそう心に決め、笑顔を浮かべる。


「じゃ、行こっか。」


 そうして二人は仲良く部屋を出るのであった。

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