第2話

(一年A組…ここか。)


 教室の前で一瞬停止し、深呼吸をしてから勢い良くドアを開ける。


(席少ねえ!)


 六十人分は机を置けるであろう広さの教室の中に置かれている席はたったの十席。既に一つを除いて人で埋められていた。


「おっ!最後の一人か!誰だ?獅童か?柳生か?」


 その中の一人、着崩した制服にワックスで整えられた茶髪が似合う少年が騒ぎ立てている。


「うわっ!どっちでもねえじゃん!誰だあれ?だれか大会で見たことあるやついるか?」


 少年の呈した疑問に答えることのできる者はいない。だが、それも仕方のないことだろう。なにせ、朝霧辰馬という少年は今まで魔闘技の大会に出場した事がないのだから。

 皆が口々に辰馬の正体を推測する中、一人の少年は目を見開いて震えていた。


「お、お前!何故ランクゼロがこのクラスに入れるんだ!退学しろと言っただろ!」


 顔を真っ赤にさせ、辰馬に近付く塚原。彼は辰馬の前に到達すると、クラスに振り向いた。


「みんなもそう思うだろう!ここは伝統ある應神だぞ!ランクゼロなんかがいて良い場所じゃない!」


 しかし、塚原に賛同する者は現れない。


「チャンピオンさんよ。そこらへんにしときな、って。ランクゼロでも持ってる魔法か技術かは知らねえけど何かがすごいんだろ?このクラスに来てる時点でそれは半ば証明されたようなもんだ。」


 塚原を宥めようと試みる茶髪の少年。だが、これが塚原を爆発させるきっかけとなってしまった。


「有り得ない!ランクゼロとこの俺が同じ土俵に立っていて良い訳がない!おいランクゼロ、退学しろ!」

「嫌だわ。」

「なっ!?ほ、欲しいのは金か!?名誉か!?両方くれてやる!だから俺に害をなす前に消えてくれ!」

「あのなあ…」


 要求が通らなけば即座に金で解決しようとしてきた塚原に呆れ返る辰馬。塚原は忘れているのかもしれないが、辰馬がざっと見た限り、教室内には十六家の本家の人間が塚原の他に五人もいる。そんな中、十六家の次期当主が買収、などと騒ぎ立てれば確実に不利益を被るのは目に見えている。下手をすれば映像を取られ、強請られることになるかもしれないのだ。


「どんな不正でここまできたのかは知らないがここで終わりだ!さあ去れ!」

「嫌だ、って言ってんだろ。しつこいな…じゃあこうしよう。お前が俺に魔闘技で勝てたら退学してやる。」

「ほう!それはいいな!」


 思わぬ好条件を持ちかけられ、即座に同意した塚原。彼の頭の中には、昨日の邂逅の結末は一瞬たりとも浮かび上がらなかった。


「じゃ、そう言うことで。今日の放課後でいいか?」

「ああ!」


 大きく頷いてから満足げな表情で席に戻る塚原を辰馬は呼び止める。


「ああ、待て。もう一つ。もし万が一俺が勝ったらどうする?」

「は?いや有り得ないが…そうだな犯罪にならないことならばなんでも一つ望みを叶えよう。」

「言ったな?言質取ったぜ?」


 手に持っていた端末を掲げ、塚原に見せる辰馬。画面には録画モード、と表示されている。


「ああ。なんでもいい。金でも物でも好きに言え。」


 本当にこの男が十六家の次期当主なのだろうか。辰馬がそう思ってしまったのも仕方のないことだろう。しかし、自分にとっては幸運以外の何者でもない。故に、御機嫌に席に戻った塚原に何も言うことはないのであった。


 辰馬と塚原の騒動が終わり、辰馬が席についてから数分。教室のドアが再度開き、担任と思わしき男性が入室した。ボサボサの頭に気怠そうな表情。しかし体幹はしっかりとしていて、雰囲気だけでは測れない事が窺える。


「ふむ。全員揃ってるか。では早速初日を始める。午前十時に中級攻撃魔術講義と午後三時から中級現象魔術講義の二つだ。次回以降は各自部屋にあるテレビで予定を確認して行動するように。次にこの教室に集まるのは半年後の期末試験の時だ。ああ、言い忘れていていた。私の名は柳生。魔闘技実技演習を担当する。次に会うのは三日後だ。以上、解散。」


 早口で捲し立て、そそくさと去って行ってしまった柳生先生。残された生徒達は困惑している。


「十時ってじゃあなんで七時集合にしたんだよ!!」


 静寂を破ったのは先程の茶髪の少年であった。彼の叫びに他の面々も頷く。と、そこで辰馬はぽん、と手を打った。


「三時間もあるなら一試合できるじゃん!おい塚原こっから一番近い第二演習場予約しておくからな?武器取ったらすぐ行く。」


 この應神学院では、二十八の闘技場が常に使える状態に整備されており、プロ資格を有する審判も常駐。殺傷を不可能にする結界は常に張り替えられ、二十四時間三百六十五日医療魔術の専門家が常駐している。授業の被りがないことを端末で確認し、予約をすればいつでも使用が可能なのだ。

 これは学校案内にも載っている有名なサービスであり、前々から憧れていたこの権利を辰馬はこれ幸いと利用してみたのである。



 應神学院第二魔闘技演習場。正式な魔闘技フィールドと同じ100メートル四方の闘技場には常に雪が降り注ぎ、一面の銀景色が広がっている。闘技場の内部の気温はマイナス十八度。時折風も吹き荒れるその大地を対策をしていない者は、魔闘技以前に倒れてしまうだろう。

 実はこのフィールドの設定は、PSCAツアーで実際に使用されるフィールドと全く同じである。これは他の二十七の演習場も同様で、いかにこの学園が恵まれているかが垣間見える。

 現在、フィールドの両端には、Tシャツに長ズボンといったラフな格好に身を包んだ二人の少年が立っていた。双方ともに身に纏っているのは真紅の制服。片方はその整った顔立ちを笑みで歪め、右手に中剣、左手にリボルバーのような形状の銃を持った赤髪の美丈夫。もう片方は両手に一丁ずつハンドガンを携えた黒髪の少年だ。


『Ready….Fight!』


 試合の開始を合図する放送が流れると同時に、塚原が詠唱を唱え、辰馬に銃口を向けて引き金を引いた。銃から発射されたのは鉛玉ではなく光線。文字通り光速で発射された光線は、真っ直ぐと辰馬に襲いかかり…当たらずに背後の結界に衝突した。

 辰馬は身を逸らしただけである。そして彼はそのまま一度だけ持っていた銃の引き金を引いた。


「なっ!あぐっ」


 光線を明らかに避けられた事に驚いた塚原の膝に鋭い痛みが走った。慌てて視線を下ろせば、そこには破裂したかのような穴が開いた膝がある。


「な、なにをした!」


 驚きの声を上げながらも、痛覚否定の魔術を唱え、痛みを殺す。そしてそのまま全力の身体強化を行い、辰馬に肉薄する。

 片方の膝が砕けていると言うのに100メートル近い距離を一瞬で移動するその姿は流石ジュニアチャンピオンとでも褒めるべきなのだろうか。等と呑気な事を考えながら構えた銃の引き金を引く辰馬。しかし、今回は塚原にダメージを与えることは叶わない。

 硬い何かに弾丸が衝突する音が闘技場に鳴り響く。

 その現象に、ニヤリと笑った塚原はそのまま辰馬に剣で切り掛かった。そして、辰馬の頭頂部に剣が到達しようかというそのとき、塚原がすべての動作を止めた。否、正確には止めたのではなく、止められた。

 筋肉の一片も動かない異常事態に塚原の脳内がパニックを起こす。固有魔法を発動させ、状況を打開しようと必死になるが、それが叶うことはない。


「さて。じゃあ、仕上げといこう。チャンピオン君。今から五分間、君を一方的に攻撃する。筋肉の運動も魔力子の運動も停止させてるから意識が五分持たないかもね!今だけ目の筋肉は開放してあげるよ!降参するなら視線を上に向けて。」


 しかし、塚原の目線は辰馬に固定されたままである。実際にはこの闘技場内で死ぬことはできないのだが、自らの死を厭わないこの矜恃なのかプライドなのかには辰馬も感心する。


「じゃあ、殺すよ。次からは人をランクで判断して舐めてかからないように。魔術は所詮魔法の劣化。そして俺の固有は近接では無類の強さを誇る。いくら魔術が使えないからって魔法は持ってるんだからさ。」


 その言葉が耳に届いたのを最後に、塚原の意識は暗転した。


『Game Set!』

「勝者、朝霧辰馬!」


 辰馬の勝利を報せる声が闘技場に鳴り響いた、と共に、フィールドの雪が止まり、気温は一気に十度以上上昇。そして闘技場の入り口から一人の女性が走り込んでくる。


「あらあらあらあらまた派手に死んで!虫の息じゃない!今治すわ!」


 女性は倒れ伏している塚原に治癒魔法を唱え、治療する。

 そう、彼は生きてはいるが、死にかけ、と言った方が正しいのである。砕かれた膝に至近距離で何度も撃ち抜かれた心臓。本来ならば死んでいなければおかしい塚原が生存しているのは、単に闘技場周辺に張られた結界の恩恵があってのことである。

 世界中全ての公式魔闘技場に張られている、“否定”の概念魔法を元に開発された魔術が付与された結界。その結界は、発動時範囲内で二人までの死を否定する、と言う効果を持つ。故に死なない。いや、死ねないのである。心臓が止まろうが頭が切り離されようが、死ぬことはできない。当然血は失われるし、意識があれば痛みもある。また、自力で生命を維持できるまでに回復しない限り、結界から一歩出た瞬間に死んでしまう。

 当然、ほとんどの魔闘技は片方の降参、もしくは戦闘不能で終わる。誰だって死にたくはないのだ。


 程なくして、塚原の治療が終わった。


(降参しなかった意地だけは評価してやる。まあ、これから大変だろうし必要以上の追打ちは暫くやめておくか。)


「おい塚原。」

「…」

「聞こえてるのはわかってんだよ。まあ、いい。聞け。幸いこの場にはその治癒師しかいない。会場のカメラも回してなかった。そこで譲歩してやる。この勝負、俺が負けたがそれなりの力を示したためお前に許された。ってシナリオだ。ああ、勘違いはするなよ?俺は個人的に映像撮ってあるから貰うもんは貰う。」


 なんたる屈辱。なんたる侮辱。しかし、十六家の次期当主ともあろう男が一方的に突っかかり、ランクゼロに負けた。もし、この事実が公になれば、様々な方面から突き上げを食らうことになるのは確実だ。下手をすれば廃嫡すらあり得るかもしれない。

 故に、塚原はこれを飲むしかなかった。


「じゃ、そこの治癒師の口止めはお前がやっとけ。ああ、賭けの回収は多分魔霧を通して塚原に通達されるはずだ。授業には遅れんなよ?」


 返事を待たずに、闘技場を去る辰馬に背後から飛ぶ罵倒の数々。その光景を見た者で塚原の当主内定は早計だったと感じない者はいないだろう。



「あっ、親父?さっき送った動画見た〜?」

『見た〜?じゃねえんだよ…お前、これの価値わかってんのか?』

「うーん、数億ぐらい?」


 いくら次期当主内定者とは言え、元は分家の人間である。過剰な要求を行えば容赦なく切り捨てるのでは、と辰馬は考えていた。


『数億…まあ、円じゃなくてドルならそんなもんだろうな。』

「まじで!?」

『さっき本家にリレーしたら魔鉄鋼とミスリルの採掘場の権利分取るとかなんとか』

「ええ…」


 魔鉄鋼、とは魔力を含有する鉄鋼石である。武器の素材としてはアダマンタイトに次ぐ高級素材で、その年間採掘量は非常に少ない。その採掘場ともなれば枯れかけていたとしても莫大な利益になる。

 ミスリルとは死んだ動物から放出された魔力が年月を経て結晶化したもので、魔力保有性及び魔力伝導効率ははあらゆる鉱石の中で随一である。加工後の性質は鋼に近く汎用性は高いが、その加工に莫大なコストがかかるため、基本的には蓄魔装置として運用されている。

 確かに両方の権利を合わせれば数億ドルの価値はある。

 

(塚原蓮司のどこにそこまでの価値があんだよ…)


『ああ、そういや今回の功績で本家の嬢ちゃんがお前の婚約者になったから。乙。』

「はっ?待て親父!おい!…切りやがった」


 端末を操作し、再度繋げようとするも着拒となっている。こうなってしまっては次に繋がるのは最短でも三日後になるだろう。これまでの経験からそう判断した辰馬はそれ以上考えるのをやめた。辰馬の未来は既に確定したも同然であったが、彼自身悪い気はしなかったのだ。

 十六家の婚約、それは本来であれば十六家外の優秀な人間と行われる。しかし、魔霧の令嬢はその運命に抗った。

 彼女は八年前、分家の養子として紹介された辰馬に一目惚れをした。それからと言うもの、主家の意向を完全に無視して幾度となく辰馬にアプローチをかけた。そしてその結果、辰馬が絆されてしまった。

 しかし、辰馬はランクゼロ。人類の落ちこぼれともいうべき存在である。本来ならば駆け落ちでもしなければ結ばれる事はないはずの存在だ。

 だが、彼は今回の塚原との一件で彼は己の価値を示した。世代トップを倒す戦闘力と此方は辰馬の意図するところではなかったが主家への忠誠。

 流石に魔霧も折れざるを得なかったのだ。


(しかしこれで俺は魔霧コーポレーション所属確定か…キングズレアに入りたかったんだけどなあ…)


 Kings Lair。世界ランキングトップ100のうち、35人が所属してる世界最強クラン。

 魔闘技で生計を立てているもののほとんどは、クランに所属し、クランでプールした資金やスポンサーからの提供の恩恵を受けながら己を鍛える。そんな中、最高の目標と最高の設備が揃っているキングズレアは辰馬にとっての第一志望クランであった。

 世界最強クランへの加入の道が絶たれた。その事実は大きいが、辰馬は意外にも鬱屈な表情を見せていなかった。それどころか、彼は小さく鼻歌を歌いながら、授業が行われる教室に向かうのであった。



「おう!どうだった?」


 最初の授業開始の五分前に教室に着いた辰馬を出迎えたのは三時間前にも聞いた声だった。


「いや〜負けたよ!」

「は!?じゃあなに?自主退学!?」


 ざわつく教室。初日に自主退学はいくらランクゼロと言えど、可哀想と思うものがほとんどだったのだ。


「いや、なんか認めてくれたみたいでさぁ〜退学はしなくていいって言ってくれたわ!流石塚原の次期当主は懐が深いな〜って感じ?」

「おお!よかったな!」


 教室にいる三人の女子からは流石蓮司君、という声が聞こえてくる。


「まあ、ってわけでこれからよろしくな!えーと…」

「天城翔平だ!よろしくな!」

「天城っていうと…天空家の分家か?」


 天空家、日本において魔導飛行機の市場を独占している十六家の一つである。


「おう!まあ、他の家の本筋のやつがわんさかいるこのクラスじゃあんま意味のない家名だけどな!」

「それもそうか。俺は朝霧辰馬、魔霧の分家の人間だ。まあ、養子な上にランクゼロだからお前以上に役に立たない家名だけどな。」

「えっ!?」


 辰馬の自己紹介を聞き、驚きの声をあげたのは翔平ではなく、女子の一人だった。


「朝霧辰馬って本当!?」


 何故か絶句し、固まっている翔平を押し除けてにじり寄ってきたのは声をあげたのとは別の女子生徒。

 肩口できれいに整えられた銀髪と青い瞳が綾取っているのは東風の美人顔。日本にいるものなら彼女の名を知らぬものはいないだろう。王の家系と呼ばれる王生家の令嬢。現当主の妹で、魔闘技日本ジュニアの女子チャンピオン。王生愛莉だ。


「本当だけど…」


 絶世の美人に迫られ、たじたじになる辰馬。


「魔霧皐月と婚約した朝霧辰馬!?」

「なんでそれを!?」


 つい先程知らされたばかりの事を何故知っているのか。


「さっき魔霧が内々に発表したの!」

「なんで内々の発表を他家のお前が知ってんだよ!」

「他の家に内通者を仕込んでないわけがないでしょ?次期当主の婚約ともなれば内示があった瞬間に把握されるに決まってるじゃない。」

「うへぇ…まじかよ…王生こええ…」

「ちょっと!ウチだけじゃないわよ!そこの分家君も知ってたでしょう?よっぽどの傍系でもなければ情報はもう回ってるわよ。」


 十六家の恐ろしさを垣間見た辰馬はゲンナリとした表情になる。


「と言うかその反応は本当みたいね…ふーん貴方が魔霧の次期トップね…ランクゼロってことは固有魔法やばいやつなんでしょ?なに?根源系…ではなさそうね。法則系統?」

「い、いや…そんな凄いものではないよ…」

「またまた〜ま、すぐにわかるだろうからいいんだけどね!よろしくね、たっ君!」

「た、たっ君!?」

「ほれーガキどもー座れー」

「うわっ」


 いまだにドアの前に立っていた辰馬が背後から蹴りを入れられ、つんのめる。床とキスをした辰馬を幼女が踏みつける。


「誰も五体投地しろだなんて言ってないぞ〜ほれ、座れ座れ〜」


 しかし30kg程の生きた重しを頭に乗せられた辰馬は身動きが取れない。


「ん〜!んん!」

「ん?おおこれは申し訳ない。今退いてやる。」


 白々しい。教室の誰もがそう思ったが、口に出すことはない。

 辰馬を踏みつけていた幼女が着ているのは白衣。学院敷地内では教諭にのみ許された服装である。


「はーいそれじゃ授業始めるぞ〜」






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