第一学年

第1話

 「本当に入れるのか…」


 少年は国立應神高等学院魔闘科第120期生入学式、と書かれた看板の前で立ち止まり、呟く。

 看板に書かれている式の開始時刻は九時二十分だが、校舎に備え付けられた時計の針は十時三十分を回っている。当然、校門の前には少年の他に人はいない。


「この制服も夢じゃないんだよな…」


 身を包んでいる真新しい制服に視線を落とし、溜息を吐く少年。


「行くか」


 そう言った少年は自分を鼓舞するように頬を両手で叩いてから、校門を潜った。



 総敷地面積七百ヘクタール。本棟と別棟の二校舎に、巨大なホテルのような寮が複数。

 それぞれ違う自然環境を再現した二十八の体育館兼闘技場。最新鋭の開発環境と実験環境が整えられた二百二十を超える研究室を内包する開発棟。学生に必要な物が全て手に入るデパートのような購買。あらゆるトレーニングマシンが設営されているトレーニングジムと四つの五十メートルプール。更衣室、シャワー室、食堂を完備し敷地内に点在する休憩棟。この学院の敷地内にはその他にも映画館や巨大なアウトレットモール等様々な施設が建ち並び、もはや一つの街として機能している。


 少年は入学式が行われている講堂を目指し、綺麗に整えられた石畳舗装が延々と続く道を地図の立体投射を眼前に展開して歩いている。本来、一人乗りの自動運転車に乗って移動することを前提として設計されている敷地は、地図だけでは攻略出来ない。

 同じ建物の前を三度通っていることに気付いた少年は、天を仰いでから近くにあったベンチに腰を下ろした。

 数分間人一人いない敷地を呆けたように眺めた少年は、何かを思い出したかのように携帯端末を取り出し、操作をし始めた。

 開いたのは魔闘技日本選手権決勝、と銘打たれた一つの動画。少年は小さな携帯端末の画面に映し出されたその映像を食い入るように見つめる。


「…そこで何をしている。」

「え!?あっ」


 少年は不意にかけられた声に驚き、手に持っていた携帯端末を落としてしまう。


「何をしている、と聞いている」


 端末を拾おうと腰を折り曲げた少年に再度問い掛けが飛ぶ。小さく舌打ちをした少年は、端末を拾い上げると質問をしてきた人物を見る事なく答える。


「動画を見ていました」

「ほう。なぜだ」

「…迷子になって周りに誰もいなかったんで」


 更に質問を重ねた人物に少年は若干不貞腐れた声色で返す。そして、ここで少年は視線を上げた。


「やっとこちらを向いたな。」

「あっ、塚原蓮司…」


 少年の視線の先にいたのは少年と同じ新入生であることを示す赤いブレザーを身に纏った男。しかし、一見同じように見えるブレザーでも、少年のものとは違い五つの星が胸ポケットに縫い付けられている。


「…俺を知ってるのか?」

「当然です。逆に聞くが十六家の次期当主で魔闘技の現ジュニア世界チャンピオンを俺らと同学年で知らない奴がいると思ってるんですか?」

「確かにそうか。」


 日本の魔術師の頂点に君臨する十六の名家。小学生でも知っているその十六家が一つ、塚原家の次期当主に、分家出身ながらも12歳で内定した“天才”塚原蓮司の名を知らぬ者は日本にはいないだろう。

 少年の言葉に納得した塚原は、少年の胸ポケットに視線を落とした。


「なんです」

「いや、星はどうした。」

「ありません」

「は?ない、とはどういう事だ。」

「どういう事だって…ないんですよ」

「『ランクゼロ』か…なぜそんな奴が入学してるんだ」


 問いに答えて少年に向けられたのは怒りの感情であった。

 この学院のみならず、小学校から全ての学生が胸に付ける星。その数は扱える魔術の等級を表している。

 魔法の原理が解明され、魔術という万人が扱える技術に昇華されてから五百年。最も簡単な魔術は三歳児ですら行使出来るこの時代に、少年の年齢になっても一つも扱えないというのは異常だ。

 魔術を扱う魔術師を養成する学院に、魔術を扱えない者が入学する。本来ならばあってはならないことである。少年のためにも、学院のためにも。しかし、現に少年は入学できてしまっている。その事実に塚原は憤慨した。


「今すぐ退学届を出せ。ここはお前がいていい場ではない。」


 凍てつくような声で諭される少年。


「ここは魔術師にとって最高峰の研鑽場だ。ランクゼロが在籍していていい場所ではない。それにお前のようなランクゼロにとってここは苦痛でしかないだろう。学院とお前の双方にとって害でしかないんだ。今から退学しろ。」

「…そうですか。」

「ああ。手続きは校門近くの事務室で行える。連れて行ってやるから立て。」


 少年が同意した、と見て腕を掴んで立ち上がらせる塚原。


「まあ、なんだ。間違えて入学させたんだから学院側も転校先を探すぐらいはしてくれるかもしれない。そう気を落とすな。」

「…」


 塚原は少年が大人しく同行している為、先程までの冷たい口調ではなく優しく話しかける。しかし、少年は返事を一切せず、手に持った携帯端末を操作している。そして、暫く歩いたところで少年は急に立ち止まった。


「なぜ止まる?俺の時間も有限なんだ。行くぞ。」


 塚原が立ち止まった少年の背を押す。だが、少年は一歩も動かない。


「なんだ?」

「これを見てください。」


 少年が塚原に差し向けたのは携帯端末の画面。何を見せているのか、と塚原はその画面を凝視する。そして、顔を顰めた。


「…なにがしたいんだ」


 画面に表示されていたのは入学試験の点数公開ページ。しかし、塚原はそれを一目で少年のものではないと判断した。何故ならば、そこに表示されていた点数があり得ない数字であったから。

 学院の入試を構成しているのはそれぞれ百点が満点の三つのテストである。一般教養、魔術や魔道具に関する造詣を問う魔術学、そして戦闘試験。当然、三つ全ての試験のレベルは国内最高峰であり、特に戦闘試験は間違っても少年のようなランクゼロが零点以外取れるようになってはいない。

 しかし、少年が端末に表示したページには一般教養85点、魔術学92点、戦闘試験100点という荒唐無稽な数字が書かれていたのだ。もし、これが本物だというのであれば新入学生の首席が塚原ではなく目の前のランクゼロだということになってしまう。

 あからさまに自分をコケにしている行動に、塚原は不愉快だと言わんばかり視線を少年に向けた。


「さっきから質問か一方的な物言いばかり…」

「は?」

「ウザい、と言ってるんだ。」

「おまえ、なにをー」


 塚原は突然反抗的な態度を示した少年に詰め寄ったが、その手が少年に触れることはなかった。急転する視界。理解が追いつく前に身体を地面に打ち付けられた塚原は、そのまま意識を手放した。


「こんなのがジュニアチャンピオンか…」


 呟かれた言葉に込められていたのは侮蔑の感情ではなく、落胆や失望といった想いだ。

 呟いた少年は泡を吹いて倒れている赤髪の少年を一瞥することなく、その場を立ち去った。



(ここか。)


 少年は目的地に設定していた建物に着いた事を報せる電子音を聞き届けると、展開していた地図を消した。


(これ本当に学生寮なのか?)


 聳え立っている建物は、最低でも五十階層はある巨大なビル。確かに建物の入り口には『八咫烏寮』と書かれた看板が立っているが、逆にそれ以外に学生寮であることを感じさせる要素がない。


(まあ、入ればわかることか。)


 少年はビルの入り口の前に歩み出た。少年の動きに呼応し、自動で開く扉。躊躇することなく中に踏み込む。そして、少年は感嘆の息を漏らした。

 扉の先に広がっていたのは高級なホテルのようなエントランス。磨かれた大理石の床が反射しているのは吹き抜け構造になっている建物の最上部から照らし込む陽光。ビルの中央に開いた大きな穴の側面はステンドガラスであやどられており、乱反射する太陽の光が幻想的な絵を作り出している。

 少年は上を見上げながら無意識の内にビルの中央に移動し、上を見上げていた。


(綺麗だ…と、ここが本当に寮なのか確認しないとな)


 我に帰った少年は周囲を見渡し、受付らしきカウンターを見つけると近寄っていく。


「おはようございます。新入生の方ですね?入寮ですか?」


 カウンターで待っていたのは五十代程に見える白髪の男性。纏っている堂々としたその威風は、ダンディーな顔付きをより良いものへと押し上げている。


「多分そうだと思うんですが…」

「入学手続きの際に渡された学生証のご提示をお願いします。」

「、これです。」

「…確認出来ました。御入学おめでとうございます、朝霧辰馬様。そして、八咫烏寮へようこそ。お部屋は四十二階の4213室になります。寮生活におけるルール等が記されたパンフレットがベッドの上にありますので後程ご確認ください。他に聞きたいこと等はありますか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございました。」


 辰馬は小さくお辞儀をしてからカウンターを離れる。向かう先はカウンターの横隣に設置されているエレベーターであった。



(一般学科や研究開発学科も合わせて一万人以上いるんだよな…?全員分こんな部屋が用意されてるのか。)


 辰馬が与えられたのは2LDKの部屋。リビングは三十畳ほど。二つの寝室にはそれぞれクイーンサイズのベッドが置かれており、バストイレ別、アイランドキッチン、仮想現実ダイブポッド付きのその部屋は学生が一人で使うには明らかに過分である。


(これで家賃年三十万円って…ルームシェアは却下したはずだけど間違えたのか?)


 しかし、暫く部屋を探索した辰馬は直ぐにその考えを取り消した。部屋に届いている荷物が辰馬の物だけだったのだ。

 辰馬はリビングのソファーに座り、調度品のテーブルの上に置かれていた朝霧辰馬様支度金、と書かれたを開いた。

 中から零れ落ちてきたのは一枚の黒いカードと通帳。

 そして、通帳を開いた辰馬の頬が引き攣った。暫くフリーズした後、素早く携帯端末を取り出した辰馬は、何処かへと電話を繋げた。


「おい親父!支度金の振り込みが二億四千万ってどういうことだよ!」


 なんの前触れもなくいきなり怒鳴った辰馬。


『なんだ?足りなかったのか?』


 辰馬の怒号に返ってきたのは落ち着きのある深い声だ。


「足りないんじゃなくて多すぎんだろ!なんだ?手切金か!?」

『手切金ってお前…そこに入学出来た時点で本家は折れたって言ったろ。向こうは手放す気ゼロだよ。あの成績はやりすぎだったな。』

「手切金じゃないならなんなんだよ…」

『勿論お前の八年間の生活費だ。それ以上欲しかったら魔闘技大会にでも出るかお前の副業でもやれ。』

「それ以上もなにも多すぎんだよ…使いきれねえっつうの」


 再度通帳に目を移し、溜息を吐いた辰馬。しかし、電話越しに聞こえてきた言葉は想像だにしないものであった。


『足りねえと思うが。』

「は?」

『武器に防具と欠損時の回復費用で金は飛んでくぞ。』

「確かにそうだな…でも全員が全員こんな金額用意できねえだろ?みんなどうしてんだ?」


 魔闘技科には毎年百八十人が入学する。その全員が平均的なサラリーマンの生涯年収にも匹敵する金額を用意出来るわけがない。


『返済型の奨学金があんだよ。魔闘技選手になったあと、数年は賞金の何割ともってかれることになる。その学校に出れたら一番下のクラスでも数年で年収何億に達するのがほぼ確実だから出来る奨学金なんだが…ま、それでも返せないやつに待ってるのは借金地獄だ。ってか入学した時点でだいたいのやつがパトロン持ちだよ。奨学金借りんのなんて年に数人いるかいないかじゃねえか?』

「闇深いな...」


 忘れてはいけないが、ここは国立の教育機関である。学ぶ前提条件として莫大な金額を必要とするのはいかがなものなのだろうかと辰馬は思う。


「あっそうだ!オルトロスのオーバーホールってどうすれば良いんだ?」


 オルトロスとは辰馬が愛用している二丁拳銃である。非常に高価な『魔術付与』が施された拳銃で、そのメンテナンスは信頼の出来る者にしか任せることができない。


『それは根津さんが学院に店構えるから任せとけって言ってた。』

「根津さんが?もしかして俺のためだけに…?」

『いや、前々から考えてはいたらしいからお前はきっかけにすぎないだろ。あの人の作ったSIADなら売れまくるだろうし。まあって事でオルトロスは大丈夫だ。』


 根津、とは辰馬が学院入学前に懇意にしていた魔術師用SIADの開発製造技師である。

 SIAD(Spell Initiation Assistive Device)、日本語では魔術発動補助具、とは魔術の行使対象の選定や指向性を定める補助に用いられる補助具である。魔術師のみならず、ほぼ全ての人間が使用している。

 魔術師が使用するSIADは更に威力増加や、魔力を一定のパターンで注ぎ込む事であらかじめ設定された魔術を行使する機能が備わっていることが多い。

 当然そのような戦闘用SIADの製造・調整技師の需要は高い。しかし、腕の良い技師はプロのギルドに取り込まれていってしまうため、不特定多数にその腕を打っている技師で有能な者は少ない。それはこの学院内でも同様で、一定の固定客やスポンサーの推薦した者以外お断りの店が多く、フリーのプロ技師はほぼいない。

 根津のような腕のいい技師が学院施設内に店を構えれば、かなりの数の顧客を獲得することができるだろう。


『そんなとこか?あっ、学内魔闘技大会でスイート16に残ったら言えよ?出来るだけ応援に行くから』

「言わねえよ!PSCAの下部ツアーぐらいまでは絶対に呼ばねえわ!」


 魔闘技、魔術と体術を駆使して一対一で戦う格闘技。アクティブ競技人口34億人と世界人口の過半数がなんらかの形で参加しており、その世界ランキングは直接国力を反映していると言われている競技である。

 日本における魔闘技の競技は十六歳の時から主に三つの道に分かれる。趣味やレクリエーションとして続ける者、アマチュアの大会に出場しながらプロを目指す者、そして養成学校に入り日本ツアーのプロ資格の取得を目指す者だ。当然辰馬は三つ目の道を歩んでいる。

 ここ、国立應神高等学院魔闘技科を卒業した生徒は、無条件で日本ツアーのプロとして、D組とC組は四部リーグ、B組は三部リーグ、A組は二部リーグへの参加資格を得るのだ。

 四部リーグとは、日本に存在するプロツアーの最底辺のリーグである。大会は週に一度開催され、その結果によってポイントが加算される。常に約十五万人が在籍しているこのリーグは、年間ポイント順位上位五十人のみが次の三部リーグに上がる事が許される。まさに若手の登竜門とでも言うべき場所だ。

 そして、その狭き門を潜り抜け、頂点の一部リーグへと進んだ後も試練は待ち受けている。それこそがPSCAツアーだ。

 PSCA(Professional Spell Casters Association)の下部ツアーに参加出来るのは母国の最高位ツアーに於いて、年間順位三位以内の成績を収めた者のみである。一回の参加資格取得で参加出来るのは二年間。その間に、下部ツアーの年間ポイントランキングで十位以内に入り、PSCAツアーと呼ばれる世界最高峰のツアー参加資格を得れなければ、自国リーグに送り返されてしまう。


『ランクゼロがPSCAとか世界がひっくり返るな!まあ、お前が自分に課してる制限解除したら一瞬だろうけど。』

「…それはありえない。ってかやった瞬間人生終わるわ」

『ま、そうだな。おっ、そろそろ仕事戻らなきゃだから切るぞ!じゃあな〜』


 辰馬は通話の途切れた端末をソファーの上に投げ入れ、自分は寝室へと向かった。


「PSCAツアーか…先ずは卒業後、一年で一部リーグ昇格からだな…」


 いつか世界の舞台で活躍する日を夢見て、今はゆっくりと眠ることにするのであった。

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