第4話 告白
明日にはもうクリスマスだと言うのに、病院の中は相変わらず変化がない。せいぜいがロビーにツリーが置かれたくらい。
「いつまでここにいるんですか、涼華さん。研修看護師は忙しいんじゃなかったんですか」
「いいんだよ。毎年この時期は外出許可が出る患者さんはほぼ全員どっか行ってるし。それより、冬真とイルミネーションとか見に行かないのか?」
雪が降りそうな空を、涼華さんは病室の窓際からのぞいていた。今日は病院全体が静かだった。
いつもはひっきりなしに鳴っているナースコールも、まだ二回しか聞いていない。私や冬真先輩のように、週に一度しか許可が下りない人間は人混みを嫌うから、今日は大人しくしているのだ。
「こないだは植物園だったんだろ? あの辺鄙なところにあるやつ。どうだった?」
最近気付いたのだが、この人は意外と乙女なのだ。他人の恋模様に目を輝かせている間は、元ヤンが形を潜めている。もし私たちの関係を知ったらなんて言われるだろうか。考えるだけで面倒くさい。
私がプランを練った前回のデートは、これまでの最高点である八十八点を取った。でもこれは、先輩以外には使えない。先輩の作品を元に、私なりの改変を加えたからここまで高得点だったのだ。
今でも覚えている。告白の後の先輩の、とても嬉しそうな顔。いつかアレが小説で使われたら、誰かに自慢してやろう。
「……ちょっと失敗でしたね。私のことより、涼華さんはどうなんです? いい人いないんですか?」
恋愛契約第八条、百点を取ったらこの関係は終わり。契約上では、先輩も私も、恋愛の練習をしているだけなのだ。だから経験値が貯まれば、続ける必要はない。
きっと先輩は、私の気持ちに気づいちゃいない。だからこそこの契約を結んだのだ。第七条、好きな人ができたらこの関係は終わり。ここにそれが現れている。
病気がちで人見知りな私のリハビリ、とでも考えてるんだろう。そして先輩は私に好きな人ができたら、すぐに契約を解消する。そういう人なのだ。
「まぁ、最近はちょっとな。仕事で精一杯だし、何より相手がそういう関係になれねぇやつなんだよ」
ため息をついて、涼華さんはお茶を啜る。クリスマスの波動がまさか、この人にまで届くとは。
涼華さんと駄弁っているとテレビのカードが切れたので、スリッパとセーターを着て買いに行こうとした。扉を開けた瞬間、私の眉間を何かが叩いてきた。
「あ、すまん。ノックしようとしたら開いたんでな」
「……なんですか冬真くん。プリン買ってくれたら許しますけど」
部屋の前に冬真先輩がいた。いつもの若葉色の入院着の上にチョッキを羽織って、色素の抜けた薄金色の髪を珍しく整えて。
「なんだ冬真、お前いつもこの部屋に来てんのか? いやぁ、若いっていいねぇ」
「そうだな。もうギリギリ若くない涼香には眩しく見えるかもな。いやぁ、すまんすまん。タイミングが悪かった」
「てめぇ、この鳴海の天使と言われた私に喧嘩を売るとはいい度胸じゃねぇか。おい奏、今からこいつにできるたんこぶはすっ転んで出来たものだからな」
「はっ! 天使? 悪魔の間違いじゃないのか、鬼ナース」
お願いだから、人の病室の前で喧嘩しないでほしい。それに、なぜだろう。仲良さげに言い合っている二人を見ると、少し胸が痛い。別に嫉妬なんてしてないのに。
「まぁいい。それより奏、今時間あるか? 少し話したいことがある」
「はい。いいですけど……?」
先輩に連れられて、屋上まで来てしまった。隠してあった予備のハンモックを広げ、膝に毛布を掛けて座る。途中コンビニでプリンとあったかいコーヒーを買ってもらった。今日は二人分。
念のためセーターを着てきてよかった。今日は一段と冷えるせいか、朝から偏頭痛が止まないのだ。
先輩はちびちび缶コーヒーを傾けては海の向こうを眺めていた。
「……奏、頼みがある。怒らないで聞いてくれ」
珍しく真面目な顔だった。いつもは合うとすぐ逸らすのに、今日はずっと、先輩の虹彩がはっきり見えるくらい見つめていた。
「恋愛契約、第七条を覚えてるか?」
「好きな人ができたらこの契約は終わり、です」
先輩は缶の残りを一気に飲み干すと、立ち上がって柵に手をかけた。潮風の磯臭さが、今日は一段強かった。
「この契約を、今日で終わりにしたいんだ」
「……好きな人、できたんですか?」
次に何を言うか、不思議と私は知っている。
「あぁ、つい最近気がついた」
「へぇ。よかったじゃないですか。この契約が役に立ちそうで」
「奏のおかげだ。……もう一つだけ、頼みを聞いてくれ。奏に、この恋を叶える手伝いをしてほしい」
この流れも、先輩の言葉一つも、まるで未来を見ているように、頭の中と同じだった。何かの本で読んだのか、そこは思い出せないけれど。
先輩が時期を早めて告白してきてるんだろうか。そんな考えが湧いては消えた。
私も腰を上げて、先輩の隣に立つ。いつの間にかお日様が顔を出していた。
「あぁ、いざ言うとなると、これは照れるな。これが本気というやつか。……まぁいい。一度しか言わんからな。いいな?」
心臓が速鼓を打つ。体温が上がる。たぶん、先輩も気付いてる。
奏、俺が好きなのは、おーーーーーーー
「俺が好きなのは、涼華だ」
頭の内側で銅鑼が叩かれたような、足元の地面がでっかい鯨に飲み込まれたような。例えるなら、そんな感じだった。
何を都合のいい夢に浸っていたのだろう。何が、この先の展開を知っている、だ。
口が乾く。全身から血の気が引いて、頭が冷えてゆく。
「……そうですか。涼華さん、綺麗ですもんね。仲良いですもんね」
「明日の朝、作戦会議をしたい。庭の三番目のベンチに来てくれるか?」
私が初めてこの病院に来た時、もう二人は知り合いだった。彼女は医者のお父さんに、よく夜の弁当を届けに来ていた。
そこから、どうやって病室に帰ったかよく覚えてない。屋上を去る前に、「協力しますよ」なんて作り笑いを浮かべた気もする。
ただ、ひどく頭が痛かった。晩ご飯にはクリスマスケーキが出た。お見舞いに来ていたお母さんに、それをあげた。
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