第3話 春暁にリナリアを
恋愛契約第二条、デートは週に一度、交代でプランを考える。冬真先輩の告白から七日目の今日は、私がリードする側だ。
集合場所はいつもの駅前。今日は私が待つ番。いつもは縛ってる髪を下ろして、病院じゃできないネックレスもつけた。
演出のためにバスを一本早めて出るのだが、今日は寒いせいか全然人がいなかった。
曇天に息を吐く。久々に外に出たせいか、少し頭が痛い。お気に入りのマフラーを口元まであげる。枯れ葉を踏んで時間を潰した。
噴水の前で時計を眺めていると、突然、首に暖かいものが当たった。初恋乙女モード全開の私は、わざとらしく驚いて振り返る。
「おはよう、奏。いい反応だ。だがもう少し声のトーンを下げてもいいかもしれん」
悪戯が成功した少年みたいな顔をして、冬真先輩がコーヒーを飲む。こいつ、一本しか買ってない。
「先輩こそ、こういう時は相手の分も買うもんです」
先輩の手から缶を奪い取って、一気に口に流し込む。ブラックだった。けれど苦いのを我慢して、最後の一滴まで飲んでやった。
「二本じゃ意味がないだろ。気付けバカ」
湿った唇を舐める。まだ苦いのが残っていた。
しまった。引っ掛けられた。そう気づいたのも束の間、先輩に缶を奪い取られる。すっかり軽くなったそれを、先輩は勢いよく仰いだ。
「……普通全部飲むか? なんだ? 顔が赤いぞ」
「寒かったからです。苦かったからです。口直しに甘いもの食べにいきますよ」
これは演出だ。手の上で転がされてる感を出すための、私の演技なんだ。そう思わせるためにも、これ以上悟られるわけにはいかない。
今日のコースは、一週間かけて念入りに組み上げたものだ。その仕掛けに、先輩は気づいてくれるだろうか。
健康の都合上遠出ができない私たちは、自然と行動範囲が絞られる。二駅向こうまでというのが、主治医の神木先生から許可されている限界だ。
それに先輩は、長時間の運動ができない。歩くのだって、休み休みじゃないとすぐに息が切れてしまう。
電車で二駅、改札を出てすぐ、その町唯一の名所が見えてくる。
「……電車で本読んでた時から思ってたが、まさか今日のコースは……」
「はい。先輩の作品、『春暁にリナリアを』の聖地巡礼です」
サイン入りの本を見せつけて、私は笑った。先輩は少しだけ頬を朱らめた。
まずは主人公とヒロインが出会った場所。駅前の桜街道だ。作中では花弁が散っていたが、もちろん今の季節に花はない。
ここは主人公の記憶に最初の人が刻まれた場所。今日の目標は、私の顔を先輩の心に刻むこと。
「『何もない町ですけど、ここがあなたの最初の思い出になれたら、私嬉しいです』」
「『何もない事はないよ。僕はきっと春になる度思い出すさ。この桜並木と、君の笑顔を』」
このシーンを書いている時、先輩は誰のことを思っていたのだろう。一人で歩いたんだろうか。それとも、私以外の誰かとだろうか。
枯れ葉を踏む。パリパリと奏でるリズムが心地いい。土手の下を流れる小川のせせらぎが、余計な音を消してくれる。
『お前にとっても、ここが思い出になってくれればいいが』
「はい? なんですか、先輩?」
「あ? なんも言ってないぞ」
作品と先輩が頭の中で混ざってしまったんだろうか。確かに先輩の声でそう聞こえた。最近たまにこういう事がある。台詞と先輩の言葉が混ざってしまう。片想いの恋患いは、耳もおかしくしてしまうようだ。
先輩から目を逸らして、マフラーで口元を隠す。これ以上想いが募ったら、いつか口に出てしまいそうだから。
途中パン屋さんでおやつを食べた。肉屋さんで揚げたてのコロッケに舌鼓を打った。日が傾いた頃、予定通り私たちは最後の目的地に到着した。
ヒロインの仕事先で、主人公が記憶を取り戻すきっかけになった場所。国定植物園だ。
「冬に来る物好きなんて、俺たちだけだろうな」
「いいじゃないですか。貸し切りですよ」
日本でも有数の大きさを誇るこの植物園は、春と夏はそこそこに人が訪れる。けれど今の季節は、地元のおじいちゃんがまばらにいるくらいだった。
やる気なさげに枝垂れる楓や桜の木の下で、小さな花が咲いていた。一面に広がるパンジー、祈りを捧げるように首を垂れるポインセチア、静かにたたずむ椿。
先輩はきっと、この次に私が何をするか予想がついている。作中だと、千年桜の下で告白するからだ。初めはそうするつもりだったが、昨日調べていたらいい情報を見つけてしまった。
「先輩あそこ行ったことあります? 四季館」
「いや。取材の時は工事中だったからな。行こうぜ」
最近竣工したらしい四季館は、名の通り建物の中で四季を再現している。温度調節された大型のドームには、一年を通して桜や紅葉が咲いているらしい。
四つに区切られた建物を行ったり来たりした。ガラスを隔ててアジサイとコスモスを見られるのは、世界でもここしかない。
「冬真先輩、あそこで押し花のしおり作れるみたいですよ」
休憩所の隣に、小さなコーナーが併設されていた。係員のお姉さんが言うには、この施設にある花を自由に選べるらしい。
桜ソフトクリームを食べながら、二人で館内を回っていた。先輩はハルジオン味を食べて、渋いと言って眉間を歪めていた。
「先輩何にするか決めました?」
「……そうだな。ラフレシアとかどうだ?」
「そんなものどうやって本に挟むんですか。せめて本サイズに……」
「ハエトリグサ、モウセンゴケ、ウツボカズラ」
「なんでそんな食虫植物推しなんですか!? それに最後のは花じゃないですし!」
「じゃあこれにするわ。愛微塵。手頃だしな。奏は何にする?」
熱帯コーナーを抜けた先輩は、すぐそばの春館にあった花を摘んだ。立て札が掠れて正式名称がわからなかったが、通称ヒメムラサキ、愛微塵と言うらしい。
「……私は内緒です。後で教えてあげます」
先輩がしおりを作っている間に、あらかじめ決めておいた花を取りに行く。二人ぶんが出来上がる頃には、もう空が茜色に染まっていた。
四季館を後にして、冷えた手をさすりながら出口に向かう。このままじゃ、今日は赤点確実だ。
「先輩、もう少しだけ付き合ってください」
返事を聞く前に、手を握って走り出す。帰り道から逸れたそこは、思い出になるはずだった場所。千年桜の下だった。
「『ここは僕が目覚めた場所。僕にとっての暁が、この桜の木の下なんだ。それを教えてくれた君への不朽の愛を、千年先への想いをここに誓うよ』」
物語の中盤、主人公はここで告白をした。先輩の文章からは、春の香りが漂っていて、読んでるこっちも暖かくなる。
でも今の私に桜、優美さや純潔なんて似合わない。だから、私はこの花に誓おう。
恋愛契約第三条、デートは毎回初心で挑む。第四条、終わり際に必ず告白をする。
私は先輩に見られないように作った押し花のしおりを、鞄から取り出した。
「先輩、さっき作ったしおり出してください。交換しましょう」
「……ほぅ。そんなキレイに出来なかったが、こんなんでいいなら」
押し花のしおりには想いを込める。バラなら純愛を、ストレリチアなら情熱を、そして。
「次はまた春に、今度は外に咲くこの花を見にきましょう」
そして、今の私には、リナリアを。
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