第5話 百年の眠りと、死との間にある違い

 食事を済ませた後、待ち合わせの場所でエリザと合流し、展望室へ向かった。

 展望室からは月がよく見えて、ステーションに居る候補生たちの間では、「月見の展望台」と言う風に呼ばれていた。展望室よりは展望台って言った方が地球っぽいって話で。

 強化ガラスの天井がドーム型になっていて、その眺望は天然のプラネタリウムと言うところ。この一室は食堂並の広さを誇り、ガラスと床が接地する所には、いくつか種類の違う観葉植物が飾られている。

 ほとんど満月に近い月が、窓の向こうで美しい光を放っていた。

 僕らが月を眺める時、そこにはある種のノスタルジックな感慨が伴う。

 あの月の裏側、地球からは見る事の出来ない夜の半球に、コールドスリープの施設があって、そこで僕らは眠っていた。

 目が覚めて、体が動くようになると、宇宙船に乗せられ、このステーションまで運ばれてきたのだ。

 無言の光を浮かべるその球体を眺めていると、不思議と心が静かになっていく。深い沈黙が体の内側で神経に染み渡っていくような感じがする。

「百年の眠りと、死との間にある違いは何だろう」

 そんなことを口にしていた。

「死んだら起きられないわ」

 とエリザが言った。

 確かにその通りだ。

「もし一度死んで、生まれ変われるとしたら、その百年の間に僕らはもう一度新たな人生を始める事が出来たかもしれない。そう考えてしまうと、僕らが眠っていた時間はなんて無駄なんだろうと思えてくる」

「無駄なんてことないわ」

「そうかな」

「だって、そうでしょ」

 エリザが体を寄せてきた。

 僕は月から目を離し、エリザと視線を交わし合った。

 何かを訴えるような瞳がそこにある。

 宇宙と同じくらい、底の見えない奥行きがある。

 真っ青な宇宙だ。

 今にも吸い込まれそうな。

 この中に飛び込めば、すぐにでも異次元の世界に飛び立てるだろう。

 そんな気がした。

「そうだね」

 僕は答える。

「僕はきっと間違ってる」

 その時、窓の外に光を感じた。

 一隻の船が窓の端に見えていた。

 船体に太陽の光を反射させながら、ステーションから分離して行く。

「何かしら」

「月への連絡艇じゃないかな。前に一度見た気がする。もっともその時は覚醒直後だったから、ちょっと記憶があやふやだけど。あの大きさからして最小限の人員と推進剤しか積めないはずだし」

「へえ、私、初めて見た。月に行くの?」

「まあ、そうなんじゃない?」

「何しに行くの?」

「さあ。僕には分からないよ」

「まだ、次の覚醒周期まで、時間あるんだよね」

「うん。確かに、時期的にはおかしいな」

「何かあったのかな」

 矢継ぎ早に聞いてくる。

「どうしたの? 気にし過ぎじゃない?」

「そう?」

「うん」

「変?」

「ちょっとね」

 僕はふざけた感じで人さし指を頭に向け、指先をくるくると回して見せた。

「こら!」

 エリザが僕の手を掴もうとする。

 窓の外にまた違う色の光が見えた。

 連絡艇がエンジンに火を入れたようだ。

「あ、ほら。出発する」

 僕が言うと、エリザも振り向いた。

 連絡艇が徐々に加速して、ステーションから離れて行く。

「あ……」

 エリザは口を半開きにして、その姿を目で追っている。

 僕は途中から連絡艇はどうでもよくなって、エリザの横顔を覗き見ていたが、その表情がふと曇った。

 表情だけでなく、体がこわばっているようだ。

 声にならない呻き声を漏らして、エリザはこめかみの辺りをを押さえた。

 ただ、視線は連絡艇を追っている。

「どうした?」

「ちょっと、頭痛いかも」

「大丈夫か? 医務室に行くか?」

「ちょっと待って」

 エリザはいったん目を閉じて、空中でうずくまるようにした。

 しばらくそうしていた後、ふううううっと長い息を吐いて

「大丈夫」

 と言った。

 笑顔だったけど、明らかな狼狽の色が混じっていた。

 初めて見る表情だった。

「やっぱり、医務室に行こう」

「大丈夫だってば」

 エリザは僕の脇をすり抜けて、窓の所に取りついた。

「もう、あんなに離れてる」

 連絡艇は既に遠く離れ、小さくなっていた。

「みんな、行っちゃうんだ」

「みんな?」

 僕は聞き返したが、エリザはそれ以上何も言わなかった。

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