第13話 フラワルド
建物は月の地面に埋め込まれた、円盤のような形をしている。
近付けば近付くほど、その大きさに圧倒された。
「ここに何人眠ってると思う?」
「かなりの規模ですね……」
「約三億人だ」
「三億……」
「そうだ。この建物自体が『フラワルド』と名付けられた。天界から地上に降りてきて人間を支えるエネルギーとなるゾロアスター教の守護天使の役割になぞらえ、君らに託された願いが込められた名だ。君達、ひとりひとりがフラワルドとなるように。
確かに犠牲は多く出した。凍結処理段階でも、覚醒処理段階でも、実験の失敗例は数え切れないほど出た。つまり、多くの死人が出た。だが、我々はそれを無駄にしないために努力している。三億と言う数字はその成果だと思っている」
ボートが建造物に近付いた。
「こんなものを作る金があって、食べ物を作れなかったんですか」
「僕もそれは考えたけどね。飢えた人間の思考回路はどうやら普通では無いらしい、と言うぐらいしか、答えられる事は無いな……」
それを聞いて、つい先日まで大騒ぎだったステーションの事を思い出した。
ボートは『フラワルド』の上空まで達し、しばらくその場を周回した。
施設内の環境維持のための制限とか、もろもろの理由で中に入る事は出来ないらしく、僕らの乗ったボートは、しばらくその場をうろうろしつつ、建物の周辺を飛び回った後で、基地へ戻った。
僕はその間、ずっと窓に齧り付いて、月面に根を張ったような『フラワルド』の姿を見下ろしていた。
基地に戻ると、艦長が待っていて今度は別の部屋へと移動した。
中に入ると、かすかに見覚えがある場所のような気がした。
部屋の中央に、ほぼ床に直角に立てられたベッドが二つ、向かい合って並んでいた。
「ここを覚えているか」
「ここが……何なんですか?」
「そうだな。敢えてこういう言い方をするが、ここは、君とエリザが初めて出会った場所だ」
「えっ……そんなはずは」
「覚えてなくて当然だ。ここに居た時、君とエリザはどちらもまるで意識がなかったから。あの頃と同じ状態にしようと思って準備してたんだ」
「意識がなかった?」
「君がコールドスリープを解除された第四次フラワルド覚醒周期には、覚醒処理時の事故率は一パーセントを切るまでに技術が安定していた。しかし君は、肉体的には生命活動を取り戻せたにもかかわらず、精神的な活動がまったく認められなかった」
初めて知る事だった。
どんな状態だったのか、上手く想像が出来ない。
「僕が、ですか?」
そう聞くと、艦長は頷いた。
「簡単には信じられないだろうな。状態としては脳死に近かったが、ちょっと違う。言うなれば、魂が抜けていた、と言う表現がぴったり来る」
艦長はそう言いながら、部屋の中央へと足を向けた。
僕も付いていく。
艦長は一方のベッドに手をかけ
「ここに君が眠っていた」
と言った。
僕はもう一つのベッドの側に居た。
「じゃあ、こっちは」
「ああ。エリザのベッドだった。彼女も、君と同じ状態だったんだ」
僕は二つのベッドを見比べた。
どうしてこんな配置になっているんだろう?
「君達二人はきわめて特殊な症例だった。ここの技術者たちは問題の解決に全力を注いだが、原因が解らない。どこをどうテストしても肉体的には充分に健康な数値を示していたが、周辺の情報には何の反応も示さないし、ぴくりとも体を動かさない」
「僕らは、こんな状態で眠っていたんですか?」
「いや、始めは普通に横になって寝てたさ。君の肉体が目覚めてからちょうど一年目の記念日に、関係者たちが集まって、ここで覚醒記念パーティーを開いたのさ。お祭り騒ぎに反応してこっちに首を動かしてくれるんじゃないか、なんて期待もあった。結局は何も起こらず、途中から皆やけ酒みたいになってきて、どんなきっかけだったか、ベッドの位置をこうしてしまったんだ。体を無理やりベッドに固定させてね。心無く見つめあう君達を肴に、また飲んだ。みんな酔いつぶれてしまって、その後は適当にお開きになったんだが……どうやら君達はこのままほったらかしていた。そして、翌朝やって来た時、君とエリザはここに立て掛けられたまま、お互いに手を伸ばして相手に触れようとしていた。その姿を見た時、一発で二日酔いが冷めたよ」
僕は、自分の手を眺めた。
艦長の話が本当なのか、分からなかった。
まるで覚えていない。
「それから、しばらくの間は定期的に君達を向かい合わせるようにした。君達は徐々に精神活動を回復して、他の皆と同じプロセスに合流出来た。エリザはしばらく記憶障害に苦しんだが、君はその辺は苦労しなかったな」
「覚えて……いない」
僕は自分の手を見つめながら、そう言った。
「覚醒直後は皆そうなるんだ。目覚めてすぐ、全てが元通りという訳にはいかない。記憶の力が働き出すまでしばらくかかる」
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