第12話 ずっと酷い話
月面の国際技術開発研究基地は衛星軌道周辺での騒ぎをよそに、人類が初めてその地に降りたと言う『静かの海』の名の通り、未だひっそりとした空気をまとっていた。
海と言ったって、もちろん月に水がある訳では無い。
地球から見上げた時に暗く見える部分を、昔の科学者が海と呼んだ事からその習慣が定着したらしい。
現実の月面は、カサカサと言う音が聞こえそうな、瑞々しさの欠片も無い硬い砂漠のような場所だ。
連絡艇はそんな砂の海をしばらくは舐めるように飛び、やがて基地の港へと入港した。
基地の中へ入ってからは、ほとんど何もする事がなかった。
事前に艦長に言われていた「補佐役と言ったら言い過ぎだが」という言葉はかなり控えめな表現だったと言えるだろう。
僕はただ、艦長の後についてあっちへこっちへと移動しているだけだった。
それでも、基地の中の風景はやはり目に新しいもので、ずっとステーションでの生活を送ってきた僕にとっては、新鮮なものがあった。
艦長は基地の中でも知り合いが多いらしく、通路を歩いているだけで何人もの人に声を掛けられては挨拶を交わしていた。
ただ、艦長が挨拶をしていく相手の内、かなりの割合で何か意味あり気な視線を僕に向けてくるのは、どうも不思議だった。
どの顔にも見覚えは無い。
確かに僕はこの月に存在するコールドスリープの施設で百年近い眠りについていた訳だけど、その施設は月の裏側に造られていて、この基地に駐在する基地職員たちでもそう何度も訪れる場所では無いと言う話だし、何よりこっちは百年そこに居たとしても、普通に生きている人がここに居るのは長くて十年がいいところで、覚醒後すぐにステーションに移送された僕らの顔をいちいち覚えていられるものでも無いだろう。
僕の顔に何かついているのか?
そんなに物珍しい類いの人相では無いはずだと思っているのだけど……
艦長は散々いろんな場所で人と話したり挨拶を交わしながらも、足早に目指す場所へと向かっていた。
当然と言えば当然の成り行きだが、僕らが最終的に行き着いた所は基地の責任者である所長の部屋だった。
基地の所長は、僕らを見るなり大きな声で話しだした。
「遅いぞ。着いたらすぐに来いって言っただろ」
「いや、すまん。懐かしくて、つい、な」
「相変わらずのんきな奴だ」
「俺にそんなこと言うのはお前だけだ」
艦長は苦笑いで応えた。
ほんの二言三言の応酬で、彼らの関係が解った気がした。
「メールは見たか」
「ああ。ボートを一隻貸せって話か? 自分の乗ってきたのでいいだろう」
「あれは大気圏突入の為に補給中なんだ」
「何に使う?」
「彼にフラワルドを見せてやりたい」
艦長はそう言って親指で僕を示した。
基地所長はいったん僕に視線を移し、何やら得心した様子を見せた。
「いや待て、それ、プライベートだろ」
「馬鹿言え。緊急事態だ」
艦長の言葉に、所長はにやりと口元を歪めた。
「なら仕方ない。使用記録は消しといてやるよ」
所長の計らいで、ハルオウという名のガイドが同行する事になった。
艦長も一緒に来るものと思っていたが、「他にやる事がある」の一言で僕を送り出し、自分は基地に残ってしまった。
これでは補佐役どころか、ただ社会見学に連れて来られただけだ。どのあたりが緊急事態なのか、僕の方が聞いてみたい。
ハルオウは見学にきた人の為のガイドの経験が豊富で、それが彼の仕事のひとつでもあるらしい。
「ガイドには一般者向けの内容と関係者用のものがあるんだが、君には後者を話して良いと言われた。かなりの特例だよ」
そう前置きして、施設までの航行の間に、彼の話は始まった。
「月にコールドスリープの施設を建設し、次世代の生命をそこに保存する、その一連の計画を我々は『フラワルド計画』と呼んでいる。当時の技術はまだ百パーセント安全と言い切れるレベルには程遠かった。それでも計画を強行せねばならないほどの食糧危機が地球全土で起こっていた。それが、約百年前の話だ」
「食糧危機の原因は何だったんですか」
「人口の増加と気候の急激な変動が最悪のタイミングで重なった時期があった、という話だ。あらゆる植物、作物は枯れてしまい、生き物は飢えに苦しんだ。その数年間で絶滅した動物は数万種類とも言われている。金はあっても食い物がないから、誰もが働く意欲を無くした。産業は壊滅状態で人間社会には失業者と餓死者が溢れた」
「そんなひどい状態で……僕はあまり記憶にありませんが」
「人間、嫌な事は忘れちまうもんさ」
「そんなものでしょうか」
「君の場合、それだけじゃないかも知れないけど……。とにかく、人類の遺伝子をいかに守るか、と言う議論の末に、コールドスリープによって若い世代を先の時代へ送り出す事が決定され、臨床実験の被験者が公募された。実験の危険性は事前に公表した上でだ」
「僕が思っていたよりずっとひどい話だ……ステーションのカリキュラムではそんなことは知らされなかった」
「当然だろう。何でも知れば良いと言うものじゃない」
「でも、そんな計画に乗る人間はそんなに居なかったでしょう?」
「ところが、そんな理屈がまかり通るほどに、世界は追いつめられていた。かなりの数が集まったんだ。人間はやっぱり食えるかどうかと言うのが一番大事という事なんだろうな」
「そんな」
「そういう時代だったと言う事だよ。俺だって納得はできない。でも、当時の事は当時に生きていた人にしか解らない。文句や不平を言っても、もう変えようがない。歴史ってやつさ。ほら、見えてきた」
ハルオウが示した先に、巨大な建造物があった。
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