第11話 乗船確認
「僕が?」
「そうだ。私の補佐役と言ったら言い過ぎだがな。それに、どうせここに残るんなら、月の施設を一度しっかり見ておいた方がいいだろう」
「艦長はいつ地球に降りるんですか」
「月から直接向かう」
「僕は地球には降りませんよ」
そう言うと、艦長は呆れたように笑った。
「月まででいい。付き合えよ」
そんな訳で、僕は月に行く事になった。
出発の五日前になると、予定通り地上への帰還船がステーションと同一の軌道上までやって来て、ランデブーを果たした。
帰還船の機体は、海に棲むエイのような形を思わせ、こんなものが大気圏に突入出来るのかと不思議に思ったが、艦長の話では、これが最新テクノロジーの結晶だと言う事だった。
ロケット世代の僕にはどうも理解出来ない。
帰還船の乗組員との事務的手続きが終わると、休む間もなく荷物の積み込み等が始まった。
この頃になると帰還計画の運営に走り回っていたサカガミ達も、少しずつ業務を離れ、自分たちの帰還準備に入りだす。
それから先は、あっという間だった。
常に動き回りながらも何もしていないような錯覚に陥りながら、目の前の仕事をひたすらに淡々と消化していった。
荒れ狂う台風の中心に居ながらその台風をメンテナンスし続けているような、妙な気分に包まれている内に、帰還船の出港日は訪れた。
通常の起床時間から二時間後に、帰還船への搭乗が始まった。
興奮のあまり眠れぬ夜を過ごした者が多かったようだが、眠そうな顔をしている者は一人もいなかった。
僕は、皆が列をなして並ぶ先、帰還船への搭乗口で乗船するひとりひとりの名前と名簿上の記載を突き合わせるという、この作戦での最後の仕事をしていた。
サカガミは、通過するとき握手を求めてきた。
「お前もいつか降りてこいよ」
そう言って乗船していく。
そして、エリザの番が来た。
僕は形式としてエリザの名を聞き、確認して名簿にチェックを入れた。
顔を上げると、目の前にエリザの顔があった。
彼女は唇を重ねてきた。
僕は目を閉じた。
体が硬直したみたいに動かない。
抱き寄せる事も出来なかった。
やがて唇に触れていた感触が失われ、僕がようやく目を開けた時には彼女はもうそこに居なかった。
どうにかして自分の仕事に戻るまでに、しばらく時間がかかった。
「どうした? いつにも増して元気がないな」
月への連絡艇に乗船し、それぞれの席に着いた時、艦長は僕の横顔に向かってそう言った。
僕は軽口で応じたかったけれど、上手い返しを思いつかず、肩を竦めて見せるだけになった。
帰還船はもう地球に向けて出発していた。
僕は休む間もなく月への連絡艇の乗船に掛かり、ステーションから離れていく帰還船を見送る事もろくに出来なかった。
視線はついつい連絡艇の窓の外に引っ張られ、そこで固定されるのだが、そもそも角度的にこの船から帰還船を見る事は出来ない。
無為に星を眺めるだけだ。
「エリザの事が気になるのか?」
艦長はそう聞いてきたが、どことなく芝居がかった感じがある。
敢えてその問いかけには答えなかった。
程なくして連絡艇も出発する。
月に着くまでは三日かかる。
帰還船は天候に問題がなければすぐにでも大気圏への突入を開始する予定だが、地上への着陸が無事果たされたか否かの経過報告はあらゆる情報網を通じて知らされる事になっていた。
だからその連絡が来るまでは、連絡艇の中の空気も重力圏に引けを取らない重さを僕らの肩に落としていた。
月への航海に進発してから二日目の早朝時間に、帰還船が無事に安全圏で着陸し、宇宙からの帰還民として受け入れられた、と言う報告が連絡艇に送られてきた。
その報告を聞いた瞬間、艦長は長い安堵の息を吐いた。
その表情を見て、この計画がいろんな意味で本当にぎりぎりの計画だったんだと言う事を悟った。
この瞬間まで、そんな雰囲気をおくびにも出さなかった艦長に、僕は素直な尊敬の念を覚えた。
「これで、まずは一安心だ」
艦長がそう言うと、船内のクルーが口々に艦長に労いと称賛の声を掛けた。
艦長はクルーのひとりひとりと握手して回り、最後に僕に手を差し向けた。
「よかったですね」
と僕は本心から言った。
「他人事みたいに言うな」
艦長は笑いながらそう言った。
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