第8話 幼い子供のように

 サーキット・リングの中に一ヶ所だけある給水ポイントには、他には誰もいなかった。他のみんなは何かしらクラスのカリキュラムを消化している最中だ。誰もいない施設、設備をほぼ独占的に使用出来るのは、管理業務を手伝っている僕らだけに可能な特権みたいなものだ。

 手持ちのボトルに水を補給し、床に腰を下ろして、ふたり並んで壁に寄りかかる。

「で、話ってなんだ?」

「噂の真相って奴さ。お前、なんか聞いたか?」

「いや、さっぱり」

 そこでサカガミは声を潜めた。

「どうやら地球降下作戦がとうとう動き出すらしい」

「ああ、そうなの」

「そうなのってお前、何、その反応?」

「だって、そんなの想像つくだろ」

「冷めてるなあ」

「誰から聞いた?」

「いや、リングの回転軸の稼働点検してる時に、俺が居るの気付かないで教官たちが話してるの聞こえちゃったんだよ」

「詳細は?」

「いや、そこまでは。でも」

「うん。雰囲気からして、そう遠くないだろうな」

 そこでサカガミは、ちょっとわざとらしい感じの溜息をついた。

「俺達は、どうなるんだろうな」

「どうもならんだろ」

「ユータ、ほんとに何も知らないのか?」

「知らないよ。そう言ったろ」

「そうか……お前は艦長に気に入られてるから、なんか聞いてるんじゃないかと思ってたんだが」

「俺が? なんで?」

 僕がそう言うと、サカガミは胡乱な目で僕を見た。

 が、しばらくすると今度は本物の溜息をついて、

「おまえ、そういうとこあるよな」

 と言って僕の肩に手を置いた。

「何の話だ?」

「いや、気にするな」

 サカガミはそう言ってボトルに差したストローからじゅうじゅうと音を立てて水を飲み干した。

「なあ、ユータ。地球に降りられるとしたら、お前、どうする?」

「無理だよ」

「可能性の話だ」

「サカガミは、どうなんだ」

「もちろん、降りるさ」

「帰る国も無いのに?」

「そんなの、関係ねえよ」

「あるだろ」

「少なくとも、ここから見る地球には国境線なんてないんだ。いっぺん降りちまえば、後はどうとでもなる。どうとでも、してみせる。俺はさ、海の近くに住んでたんだ。毎朝聞いてた波の音が懐かしくて堪らないんだ。行きたかった土地もある。小さい頃に親父の趣味で世界中の写真集を見せられてたんだ。ここは狭い。地上に降りて自分の足でいろんなところを歩き回りたいんだ。そういうことを考えてると、胸がかあああって熱くなってさ、止まらないんだ。こういうのを、ワクワクするって言うんだろうな」

「前向きだな」

「そういう性分なんだ」

 性分ね……と、胸の内で相槌を打って、僕は自分のボトルの中身を飲み干した。


 シャワールームで汗を流した後で、展望台に上った。

 何の気もなく、ただ人がいない時間に展望台の風景を楽しみたかっただけだったのだが、先客がいた。

 エリザだった。

 僕は床を蹴って彼女の近くまで飛んでいった。

 エリザの方も、窓に映った僕を見て気付いているようだ。

 避けられている気配は無いが、いつもより、ちょっとだけ距離を置く。

 窓のところへ。

 肩を並べる。

「具合はいいの?」

 取りあえず、そう聞いた。

「うん」

 エリザは答えた。

 そんなに長い間離れていた訳では無いのに、とても久しぶりに声を聞いたように思えた。

「ごめんね」

「何が」

「いろいろ。最近……」

「今日は、いいの?」

「ちょっと、混乱してたの」

「混乱?」

「昔の話、した事あったよね」

「火事で、家族を亡くしたって話?」

「うん。それで、そのあたりから以前の事を、何も思いだせない。思い出す事が出来なかった」

「出来なかったってことはじゃあ、記憶が?」

「少し。ねえ、私、ユータに話してない事がまだまだたくさんある」

「僕だって、地上に居た頃の事を何もかも覚えている訳じゃないよ。思い出せない事もあるし、話してない事だっていっぱいあるけど、それはお互い様だと思うし。そんなこと気にしてたの?」

 僕がそう言うと、エリザはいったん口をつぐんだ。

 適切な言葉を探すように、視線を横に動かす。

「みんなの顔が、浮かんでくる。でも、ぼんやりしてる。思い出そうとすると頭が痛くなって、考えるのが辛くなる。辛いのに、やめられない」

 エリザはどこか部屋の隅っこをみていた。

 その表情には、深い疲労が表れていた。

 よく見ると、まだ顔色が悪いし、しばらく見ない内に随分痩せてしまっている。

「しばらく、何も考えないで休んでみてもいいんじゃないか?」

「それはできない。だって、私、愛されていたんだもの。ぼんやりとはしてるけど、思い出の向こうで、確かに感じられるの。私は、愛されていた。家族のみんなに。いろんな人達に……思い出したいの。思い出さないといけないの」

 エリザは何とか感情を抑えようとしていたようだったけど、あふれた涙が瞳の周りで粒になって宙に浮かんだ。

「ママ、パパ、おばあちゃん……」

 僕は震えだしたエリザの体を引き寄せ、腕の中に抱いた。

 弱々しい嗚咽が止まらなかった。

「帰りたい。帰りたいよう」

 エリザは、幼い子供のように、泣き出した。

 僕は彼女を落ち着かせようと思いながらも、彼女が少し前とはまったくの別人になってしまった気がして、その事に愕然としていた。

 いま、何かを言うべきだろうか?

 だとしても、どんな言葉を掛けたらいい?

 困惑のまま、無言の時が流れ、その沈黙はまるで別の方向から破られた。

 ステーション全体に呼びかける館内放送が流れ、僕を含む管理業務に従事する数人のメンバーの名が呼び出された。


 教官室には、僕やサカガミを含めた管理業務のメンバーと、艦長を含めた数人の教官たちが既に集まっていた。

 僕が艦長に促されて席に着くと、間を置かずに艦長が話しだした。

「呼び出したのは他でも無い、ある重要な情報を伝える為だ。これまで内密に進めてきたある計画があり、近々それを実行する目処がついた。君たちの中には大方の察しがついてる者も居るかもしれないが、今から一ヶ月後に、国際連合議会の決定を待たずに、地球降下作戦を強行する」

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