第3話 プラント・リングで
まったくやる気の出ないまま、社会復帰プロセスのカリキュラムを漫然と消化する毎日が続いていた。
おかげで成績は下がる一方で、このままではクラスランクを下げられて、エリザとも別のクラスに振り分けられそうな事態も考えられる。
しかし、だからと言ってそうそう簡単に気持ちが切り替わる訳でもない。
やはり、先日のニュースの影響が強いと言わざるを得ないのだろう。
同じ状況の、つまりは同じ国の出身者たちは皆一様にガタガタと成績を落としていた。
まあ、無理も無い。
僕は元々やる気がある方では無かった事もあって、更にモチベーションの維持が難しかった。希望も道も無く、どこへ進めばいいと言うのか。
溜息と共にくるくると指先でペンを回しつつ、何とは無く室内を見渡していると、隣のサカガミと目が合った。
軽く肩をすくめて見せるサカガミ。
薄っぺらい苦笑いを返した時、手元が狂って、回していたペンが講師のサリナスに向かって飛んでいった。
ちょうど横を向いていたサリナスの鼻先をかすめて、背後の電子黒板にペンが突き刺さる。そこに表示されていた『異文化への相互理解』と言う文字の上に、亀裂が入った。
お返しに、サリナスの視線が飛んできた。
教官室に呼び出されたのは、何故か僕だけでは無かった。
サカガミ、ツチモト、イワクラ、ヨシイ……
考えるまでも無く、同じ状況を享受する面子。
どうやらただの説教では無さそうだと思っていたら、いきなり艦長が入ってきた。続けて教官たちがぞろぞろと入ってくる。
待機していた僕らは、思わず顔を見合わせる。
やがて艦長が壇上に立ち、僕らに向かって話し始めた。
「これから話す事は、我々から君たちへのひとつの提案だ。なんら強制するものでは無い。と言っても悪い話では無い。やってみて損にはならないと思う事だ」
そうやって切り出された艦長の言葉に、僕らは黙って耳を傾けた。
「……それでそんなことしてるの?」
「うん。僕は、特に悩む事ないと思ったからね」
栽培プラントは、本の代わりに植物の入ったコンテナを詰め込んだ図書館みたいになっていた。各々のコンテナに照明装置が設置され、光の調整ができ、同様に水道の管理もされている。
棚と棚の間の通路には、緑の葉がふさふさとはみ出していて、何故か僕はこの光景に愛嬌のようなものを感じている。
プラント自体がステーションを中心にして取り囲む円形のリングになって回転している為、その外側の内壁には遠心力による慣性重力が働いていて、足を着いて歩く事が出来る。同じ形のリングがもう一つ、プラントの隣にあって、そちらはフィジカルトレーニングの為の施設、「サーキット・リング」と呼ばれている。
プラント・リングの内部はいくつかのブロックに分割されていて、ブロック毎に室内環境が違い、それに応じて栽培されている作物の種類も違う。
ブロックの連結部分には小さなスペースが確保されていて、天井にステーションへ通じる通路があり、その通路がリングの回転軸と栽培プラントを繋ぐ構造にもなっている。
僕はその細長く湾曲した図書館のような農場で、コンテナを載せた棚の側面に表示されているメーターの数値を確認しながら移動していた。
どこも特に異常は無い。
数日前に告げられた艦長の提案とは、簡単に言えば「管理業務を手伝わないか?」と言う事だった。その場ですぐに提案を受け入れる事を表明した僕に与えられたのが、栽培プラントの管理の仕事だった。
「でも、ある意味、ひと足飛びに昇進したみたいなものじゃない」
「そう……言えるのかな」
確かに、そう言える一面はある。
作物の収穫と運搬は持ち回りの当番制になっていて、これまでにもカリキュラムの一環として何度か経験していたが、運営サイドで管理業務に携わるのは初めてだった。今回の事がなければカリキュラム修了前にこのような経験をする事はなかっただろう。
艦長の話ではカリキュラムの進捗に若干の遅れが出る事もあるが、給料も出すと言う事だから、怪我の功名と言えなくもない。
でも、僕以外の面々は即答を避けた。
皆地球に降りたくてここまでやって来たのだ。
ステーションでの管理業務に就くということは、地上に降りずにこのステーションに居続ける準備をしているみたいなものだ。実際艦長もその可能性を示唆していたし、現実的にはそうなる可能性が高い。
地上の政治のいざこざで帰還計画が大幅に遅れているとは言え、誰もが地球に降りる事を前提にやっている。
諦めたくないのだ。
はなっから地上に期待していない僕とは訳が違う。
「やっぱり、昇進と言うのは違うと思うよ」
と、僕はエリザに言った。
彼女は僕が新しい仕事を始めたと言うので、興味本位で覗きに来たのだ。
「そうかな」
「ただ状況が違ってきた、と言うだけの話だよ」
僕がそう言うとエリザは鼻を鳴らして腕組みをした。
何か考えている。
僕は淡々と、手元の端末で確認を済ませた項目にチェックを入れていく。
「それ、難しいの?」
「いや、簡単。エリザなら二分で全部覚えられる」
「ほんとに?」
「うん」
「あたしもやってみたいな」
「艦長に頼んでみれば?」
僕がそう言うと、エリザは端末を覗き込みながら、ううんと唸った。
「一緒に作業出来るなら、僕は楽しくていいけどね」
「ほんと?」
僕は頷いた。
エリザは頬を緩めて笑顔で応えた。
「私、そろそろ行くね。次のクラスが始まる時間だから」
ひとつのブロックの点検を終えた所で、エリザは軽くジャンプして、天井部分のステーション本体へと繋がる通路のハッチに飛びついた。
「エリザ」
僕は呼びかける。
エリザは通路の向こうに半分消えた体をくるっと回転させて、もう一度顔を出した。
「後で月を見に行かないか」
「うん。じゃあ、ご飯の後で」
「いつものとこで」
手を振ると、エリザはまた通路の向こうに姿を消した。
ひと通り点検を終えて時間を確かめると、予定時刻よりも一〇分ほど早く作業を終える事が出来ていた。
この後は食事の時間まで、何もやるべき事が無い。
僕はプラントの連結スペースの床面に体を横たえ、そこにある小さなガラス窓から外を眺めた。リングが回転しているから、星がぐるぐると回っていく。
さすがに目が回るなあ、などと考えていると、
「邪魔していいかな」
と声がした。
見ると、通路の入口に艦長が来ていた。
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