第2話 海の泡に消えたお姫様
あなたが幸せならば私も幸せだと
そんな嘘を信じられたら、素敵ね
1
「ウウーアーー」
金髪の髪を流しながら、人魚は今日も歌の練習に余念がありませんでした。
すごいね人魚の歌って! と合いの手を入れるのは、オレンジ色の魚でした。この人魚につかまえられてしまった、最近乱獲されて数が減っている魚でした。
「私たちの歌は嵐を呼ぶのよ。人間どもの船を沈めてやるの、ホホホホ。そして積み荷をがっぽりいただくのよ」
「人魚って根性腐ってると思ったら、物欲も激しいんだね!」
「うるっさいんじゃゴルァ食うぞこのダボハゼが!」
「うわーん僕はダボハゼじゃないのにィ」
人魚は一瞬だけ本性を明らかにしつつ、微笑をたたえてまた歌い始めました。人魚は人間でなく魚でもない、実に中途半端な存在なので、結婚相手がなかなか見つかりません。
魚なんかと結婚はできない。彼女は強くそう考えていました。
かといって人間とは出会いのチャンスがない。
いらいら、ぎらぎらと毎日ストレスがたまっていました。同様の事情を抱えた姉たちのいじめも原因の一つでしたが。
晴天にわかにかきくもり、どんどん天気が悪くなっていきます。
気づけば嵐になっていました。風よふけー、雨よ乱れ狂えー、天の神々もご照覧、今まさに嵐~、でも一番可哀想なのはわたしィ~~! などと歌っている人魚を見て魚は戦りつしました。
恐ろしい有様でしたが、自分のことを美しいと思っている彼女にそんなことを言えはしません。
「うわ、あれ船が沈もうとしているよ! あんたのせいだね、見事だね!」
魚はとびはねます。
確かに船が沈もうとしていました。人魚は満足の笑みをたたえて、
あの船の大きさからして結構な財宝が積んであるはずだわ! おねーさまたちにピンはねされなかったらきっとしばらく遊んで暮らせるわ、と皮算用していました。
「あ、あれ……!」
魚がまたとびはねます。
船からひとが落ちました。
「あれはね、死ぬわね。ま、仕方ないわね。あいつらエラ呼吸できないしね」
「ああ可哀想だなぁ。でも運が悪かったんだなぁ」
あっさりとそっぽを向く人魚と、すっぱりとあきらめる魚でした。
しかし、次の日。
台風一過ですこやかに晴れている空の元、手に入れたダイヤモンドの指輪に酔いしれるためとある島にやってきた人魚でしたが、その浜にひとりの身なりの良い男が流れ着いているのを見つけました。
「うわっ、どざえもんよ。もう、どうすればいいんだろう。海に帰しましょうか」
「そうだね、万物は海に帰るべきだと思うよ。でも、まず生きてるかどうか確かめるべきだと思うよ」
魚は人魚の扱い方を心得ていました。
確かにそうね、とうなづくと人魚は男のもとに近づいていきました。
「あっ、これは……」
魚は凍りつきました。にんげんの美醜はかれには関係ありませんが、しかしこれは、ひどい。そう思いました。まさにその男の顔は、ダボハゼに似ていました。太った腹、乱れた髪、寝ていても分かる、曲がりくねった根性。
「生きて……るね」
人魚は目を見開き、ブルブルしていました。嗚呼、怒るなこれは、と魚は賢く予想しました。
しかしその予想は外れました。
「なんて、素敵な方…………!!」
彼女はうっとりと、そう言い放ったのです。
まるでこの世で最高の男を見ているような夢見がちな眼差し。綺麗な彼女が寄り添っているとその様はまさに、フグをのぞきこんでいる天使。だらしなく情けない生き様を示すように男の手には、酒瓶が握りしめられていました。
2
「というわけで人間になりたいの。ひとつよろしく頼むわおばあさん」
人魚であることにひとかけらの未練も容赦もなくそう言い放つ人魚を見て、おばあさんはため息をつきました。
「あんた……ほんとにどうしようもない。あの姉妹の末っ子なだけある。一番甘やかされて一番我が儘で。私が前紹介したひとはどうなったんだい!」
「あんたが紹介したのはイソギンチャクでしょうが! 私は、南海を漂う趣味はないッッ! 次に紹介したのはヒトデだったわね、すでに意志の疎通も図れなかったわッッ! もっとましなの連れてきてからよ、文句を言えるのは」
なんて子だろう、とぼやくおばあさんをみて魚は思いました。
確かにヒトデをすすめるのは、おかしいよね。ほんとに人魚ってみんなどうかしてる。
「いいから人間になる方法! 方法! 方法くれないとぐれるから!」
尾をびたびた動かして文句を言う人魚でした。もうすでにぐれてるのですが、誰もそれを言う元気がありませんでした。
「あんたは人魚に生まれたんだよ。あんたの下半分はどうすっころんでも魚なのだよ。それが分かっていてお言いなのかい?」
「知ってる! でもあのひとのそばに行かないと私はもう、生きていけないの! はじめてよこんな思い。お姉さまに、洞窟に閉じこめられたときとそっくり。もう二度と生きて出られないと思ったわ」
「ああ、もう……仕方がない」
おばあさんはため息をついて薬を取り出しました。
そんな馬鹿な。魚はびっくりしました。
おばあさんは、赤い薬と青い薬を取り出しました。
人魚は「ん?」と首を傾げます。
「青い薬を飲めばお話は終わり。でも赤い薬を飲めば、お前は不思議の国でウサギの穴がどれほど深いかを知るだろう」
「わけわからんのじゃババァー!」
錯乱して人魚はあばれます。魚は慌てて避難します。
「ああもうこのバカな子ときたら! 青い薬を飲んだらこの話はおしまい。赤い薬を飲んだらビックリ体験ができる! どっちを選ぶかはあんたの自由だよ!!」
人魚はぴったりと泣きやんで、
「そんなの、決まってるわ!」
と、威勢良く赤い薬を飲み干しました。
そして…………。
目が覚めたとき、彼女は人間になっていました。大喜びして笑い声を出そうとした人魚は、声が出ないことに気がつきました。
あのババァ副作用説明怠ったな。
と柳眉をけわしくしましたが、しかし喜びがそれをうち消します。
いいや人間になったんだから、許して上げるわ!
声のでないまま高笑いし、人魚は人間の里にたどりつきました。
男が商人の家のドラ息子であることなど、とっくの昔に調べがついていたのです。
その息子は近所でも大変評判の悪い息子でした。父親は怒り狂い、母親は嘆き苦しみながら息子の道楽である美女画の目玉が飛び出るような料金を払い続けていました。
俺、絵描きになる。そう言いながら絵筆を握ることすらしない。毎日美女の絵を眺めてうっとりしつつ酒を飲む、そんな男でした。
そんな彼の家に、美女がやって来た。そのことは近所でも噂になりました。
大変なぞめいた美女で、華奢で可憐で儚げで、いつも優しく微笑んでいる。
彼女が口が利けたなら、きっとその評判もこっぱみじんだったろうと、魚なら言ったでしょう。
彼女はかいがいしく息子の面倒をみます。
父親も母親も彼女のことを気に入り、この子が息子の嫁になってくれたらなぁと思い出しました。口に出すこともありました。
しかし。
息子は、彼女のことが気にいらなかったのでした。
金髪より、黒髪の方がいいだろやっぱ。しかもあいつ貧乳だしな、俺はもっと女らしさに満ち満ちた女の方がいいんだよデヘヘ。
そう考えながら、人魚が伸ばす手を振り払います。
悲しそうにたたずむ人魚を見ても息子の心は痛みませんでした。母親は、あの子の愛が息子を変えてくれないだろうかと期待していたのですが、近所でも評判になるほどの馬鹿息子がそうそう変わるわけもなかったのです。
むしろ、人は悪い方にしか変わらないのかも知れません。
可愛らしい娘がそばに来てくれて、そしてうっとりと見つめてくる。
それは変だけどまさに恋。今まで知らなかったけど……もしかして自分、魅力的? と息子は誤解してしまったのです。
太ったふぐのような腹は、放漫。
ソーセージのような指は、たくましい。
こっちを見るなと言われた顔立ちは、個性的。
さまざまな言葉でプライドを築き上げた彼は、変わりました。自信が生まれると立ち居振る舞いも変わる。乱暴だった言葉遣いも、粗暴な振る舞いも、より非道くなりました。遠慮、そして自己嫌悪が彼をとどめている最後の壁だったのですが、それが人魚によってうちくずされたのです。
しかし悪い変化ばかりではありませんでした。
親の仕事を手伝った息子によって、家の商売がとんとん拍子にうまくいき、家はどんどん大きくなっていきました。
そして彼の家は、王家に認められるくらいの力をもつようになったのです。
3
「お姫様だ。俺は、お姫様と結婚する。彼女じゃないとイヤだ。絶対やだやだやだやだ」
息子は足をばたばたさせて我が儘をこきました。親はため息をついて、
「じゃあ、王様にはそうとうお金を貸していることだし、頼んでみるよ」
とうけおったのです。
人魚は衝撃を受けました。
この国のお姫様ときたら、巨乳だけが自慢の、ブサイクじゃないの。私の方が絶対絶対絶対絶対きれいだし心根も正直だし、だいたい私の方が先にこの人を好きになったのよ、私の方が絶対にこの人を好きよ。
なのになのに、どうして何故。
息子の我が儘はききいれられることになりました。
お姫様は、別にお金さえあればあとは条件はつけないというタイプだったのです。人魚は床に倒れそうになりました。
「結婚だ! 結婚だ!」
大喜びで息子は美女画を梱包しはじめています。それを手伝う人魚はみじめでした。だけど手伝わずにおれないのは、息子に頼まれたからでした。彼に頼まれたらなんだってするのでした。
ですが。
人魚は自分の幸せを最も望むタイプの人間でした。
結婚式が終わり、しんと静まり返る城の中をひたひたと歩いていく彼女の姿はまさに恐怖そのものでしたが、つっこむ魚もいないのでした。
人魚の手にはよく磨かれた包丁が握られています。
(愛していれば……分かるはず。
愛する相手の幸せが、自分の幸せ)
なまぬるいわボケ。
昔きいた恋物語の主人公を心の中でののしり、いえ、否定します。
欲しいものがあったら絶対に手に入れる。それが覇道ッッ!
息子の前では言いたいことの半分も口に出せない(いえ、口が利けないのですが)可憐な彼女ですが、ことここにいたるともともと座っていた肝がいよいよ居座るというものでした。
殺す。殺ってみせる。相手の女がいなくなったらあのひとも目が覚めるわ。
そして私が優しくなぐさめるわけ。それでフォーリンラブ! 完璧ね。
包丁を握りククククとほくそえみます。本当に恐ろしい姿でしたが、魚はこの場にはいませんでした。
足音をひそめて、近づいていきます。
ひとになった副作用で、歩くたびに激しい痛みが足の裏を貫きます。それもこれも我慢し続けていたのはこの男のため。
愛しているの。
だから許してね。
心の中で謝りながら、夫婦のベッドに近づいていきます。
そして、すやすやと眠る息子の顔を見つめ、妻に向き直りました。
私の方が、絶対に美人。包丁を振り上げます。
すると、息子の腕が庇うように新妻の上に乗りました。
「うーんムニャムニャ。愛しているよ」
そして彼は寝言でそう言いました。
人魚は、激しい衝撃を受けました。目に涙がもりあがります。流れた涙が、ぼた、ぼたと落ちました。
息子ははっと目を覚ましました。
するとそこには包丁を握りしめて泣いている娘の姿が。
「ギャアアアアアアアアアアアア!!!
お化けッッ!」
悲鳴をきいて人魚は逃げ出しました。足が痛いとか言ってる場合ではありません。実のところ痛みを感じる間もないほど焦りたおしていました。
ああ、私はどうして逃げているんだろう。
もう行く場所など、ないというのに。
泣きながら、走りました。スパイが城に忍び込むのに祭りの夜はちょうど良いと言いますが、確かにそうでした。結婚式のふるまいで衛兵たちはへべれけになっており、人魚は無事逃げることができたのです。
走り、走り続けて、そして彼女が来たのは海でした。
潮の香りをかいで、また涙を流します。
もう帰ることはできない。
だって私はもう……捨ててしまったのだから。でも。
人魚は、海へ身を投げました。彼女の身体は沈んでいき、そして泡になっていこうとします。光だわ、と人魚は思いました。優しい光の粒が私を取り囲んでいる。
海はゆるしてくれたのだわ。
わ…………
微笑みながら目を、開けました。
「うわーんようやく正気にもどってくれたんだね人魚姫!」
魚がすがりついてきます。そこは、おばあさんの洞窟でした。
ぽかんとして周りを見ると、乱れきっています。貝の装飾品の数々はこっぱみじんに叩き割られ、さまざまなものがひっくり返っている。おばあさんは全身に包帯を巻いていました。
「おかえり」
「ゆ…………」
人魚姫は、両手を握りしめました。
「夢オチかいっっっっっ!!!」
それどころの話じゃないよ、あんたすごかったんだよ! と魚が口を挟みます。なんでも赤い薬を飲んだ後彼女はまさに大嵐、大笑いしながら暴れ回ること大イカのごとし。鮫のようにするどく泳いでおばあさんに襲いかかり、魚は食べられそうになった、と。
「人魚が人間になる方法などあるわけがないさ」
おばあさんは言いました。
「なったつもりになるか……死んで生まれ変わるか……どちらかだよ」
人魚の顔色が変わります。
「ねぇ、おばあさま。赤いお薬は、なんだったのかしら」
「麻薬だよ」
「じ、じゃあ……青のお薬は……!?」
「毒だったねぇ」
その後の人魚姫の大暴れはその前の比ではなかった、と言います。
ほんとうに人魚って、無茶苦茶だ。魚は思いました。姫は相変わらず人間になりたいと希望を口にし続けましたが……二度とおばあさんをたよることはありませんでした。
さっさとあきらめたら僕が結婚してあげるのになぁ。
そう思いましたが、それを言ったらきっと、三枚におろされてしまうことでしょう。
Fin
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