< 肆 >
「
けれど、その心の内にある想いをそのまま表す「
「
駆け寄る少女へと、不思議な抑揚がその名を呼んだ。
「老師かラのご指示ハまだあリませンでしたガ、来客でハなク、侵入者と判断シました……問題なかっタですカ」
「うん。大丈夫。ありがと」
問題なかったか、と問いながらも、彼が繰り出した蹴りの威力に、少女は口内でひっそりと笑みを食んだ。なんせ、細身とはいえ長身である大の男がひとり、文字通り吹き飛んだのだ。
「まぁ、そもソも必要なかっタかもしレませン」
冷たい風がカラカラと枯れ葉を運ぶ音と共に、ゆらぁりとまるで陽炎のように暗闇から姿を見せたのは、先ほど確かに
その長身が
「
彼が手荒い
「はっ、
「えっ、そうなの?」
その答えの先にあるものを想像し、いいようのない寒気が背を這い上がってくるのを抑え込むように
少女が驚きに振り返ると、そこにはいっそ凶悪と呼んでも差し支えがない角度に唇の端を持ち上げた
「呪術の方はどうだか知らねェがな、体術に関しちゃ、見た通りのモヤシだぞアイツ」
「えっ。道士でモヤシって……あり得るの……?」
「知るか。でもアイツが体術からきしってのは間違いねェわ」
「え!! だ、だって
「だから、腹に
なぁ、
挑発するように、「
直後、急にそこが空気の密度に似た「なにか」を増していく。
(……っ、これって)
「……道術、だね……。対
「そノようデすね」
「さっきまでは意識してなかったから気づけなかったのも大きいと思うけど、多分あれ、触れて発動する
「御名答。素晴らしい」
パチパチ、と場違いな拍手が周囲に響く。
「
先ほど
「ってことは……、やっぱりアイツら、僵尸なんだ……」
「勿論。疑っていたのですか?」
「……
「それどころか、食いモンの恨みいつまでもギャーギャー騒ぐようなやつだしな」
「そこ、うっさい!」
後ろからの笑いを多分に含んだ声へと振り向きざまに噛みつくと、ふ、と視界に入ってきた景色に、ぐ、と彼へとその後続くはずだったいつもの舌戦を飲み込んだ。睫毛の先にあったものは、先ほど祖父に蹴り飛ばされた盗賊の兄弟ふたりが、石畳の上に膝をつき、再び起き上がろうとする姿。
けれど、その動きは酷く緩慢で、まるで錆びついた鉄のようにギシギシとぎこちない。どうやら、
(でも、多分すぐにまた襲い掛かってくる……はず)
彼らの動きを完全に封じるには、やはりもう一度あの大穴に落とし、結界を張る必要があるだろう。先ほど
「
「はイ。なんデしょう」
「
一瞬、
「わカりましタ。
「私は、こっち受け持つよ」
「【
随分、見縊られたものです。
春風の声を紡いでいた
まるで流水のような動きで
「……ッ!! 跳んでッ!!」
術式の展開を見取った少女の声が、弾けた。
ほぼ同時に全員の足裏が石畳を跳ね、
ぶわっ、と下方から噴き上げてくる衝撃波にも似た爆風に、少女の頬がヒリついた笑いを浮かべる。
「うっわ……、あの一瞬で組み上げたとは思えない道術のエグさ」
「お褒めに預かり光栄ですよ」
どこまでも優しげな声音が、背後で生まれた。
少女はギクリと鳴った背筋に、はっと肩越しに振り返る。すると、そこには自身と同じ高さまで跳び上がっている
しまった、と思うよりも早く、
「しかし、思い違いをされているようですが……道術に関しては、私の方に一日の長があります」
クルクルと円を描くように回っていた数枚の符呪が、男の指に従って一斉に
その、刹那――。
――ブワァアッッ!!
少女の周囲で風が巻き起こる。
「……っ!?」
まるで竜巻に飲み込まれたかのように、辺りを暴風に囲まれたと思った次の瞬間、吹き荒れる風が一瞬で凪ぎ、シュルルルッという甲高い音と共に、なにかが少女の痩躯を包み込んだ。大凡、優しさとは縁がない力で、身動きが取れないほどにぎゅうぎゅうと締め上げるように取り囲むそれは――。
――ボンッ!!
その正体に気づいたと同時に、なにかが弾ける音が大きく響いた。ごく近くで起こっただろうその音に、けれど少女の身体にはなんの
(ってか、待って。いまなんか、色々あったけど待って。そんなことより、私、いま……空中に、)
跳んでいたはずだ。
そこに思いが至った瞬間、ひゅっと胃が浮き上がるような感覚に、
「ちょ、ちょちょちょ……!! 落ちるっ、これ落ちてるぅっ!!」
「ちょー!! ちょ、待って待って! 落ちる!! 死ぬっ!! 死ぬって、これ!!」
力の限りに喚いてみるか、果たしてこの布の中から声は外に届いているのだろうか。
胃の浮く感覚と、足元の不安定さがなんとも気持ち悪いが、このまま地面に叩きつけられるくらいなら、いっそこの感覚が一生続いた方がマシなのではないかということまで考え始めた少女の身体が、がし、と
そして、足裏からそのまま落下していた身体がひょい、とその方向を変え、瞬きをする間に落下する感覚が消え失せた。
(??)
くの字に折りたたまれた身体を無理やり起こし、ミノムシが顔を出すかのようにもぞもぞと身体を捩ってみると、視界が途端に開け、冷たい風が頬を撫ぜる。少女は
「はっ、散々いってたじゃねェか。死んだらてめェも僵尸になれってんだ」
嘲るように笑い、吐き出す白い息さえも、近い。
ふ、と自身の状況を確認すれば、どうやら彼の【刃】で作られた布によって簀巻きにされ、米俵のように肩に担がれているらしい。
状況を考えれば、まぁ
「えっ、無理じゃない!? 私の故郷、
「いや知るか! つか、そこかよっ!」
「ていうか、自分が死んだらどうやって自分の僵尸作るんだって話になるじゃない!」
「
「だっから、そんなん出来ないし、そもそも前提として無理じゃない? っつってんの!」
「アホか! 前提もクソも、死人はもう動けねェし意思もねェんだよボケ!」
「うわっぷ! とっと、と、……あっぶないな、もうっ!」
よろけそうになりながらもなんとか堪えるように、
ゾク、と寒気が背筋を駆けるままに、
いま現在、組み立てようと展開している術式はなさそうだが、流水のように流れる印があっという間に構築され、発動することは既に経験済みだ。油断は出来ない。
(っていっても、いまのところ……対僵尸用の結界だけかな)
彼の輪郭を舐めるように貼り付けられている防護壁を確認している
――ていうか、自分が死んだらどうやって自分の僵尸作るんだって話になるじゃない!
――
――だっから、そんなん出来ないし、そもそも前提として無理じゃない? っつってんの!
そうだ。
(死なないと)
僵尸は、作れないのだ。
けれど、彼はいまだ生者であるはずのあの盗賊たちを、確かに跳屍送尸術で操っている、といっていた。聞き間違えなどではなく、何度も、そういっていた。
(死んでいない人間を……僵尸に……?)
ふと思い出すのは、数代前に出たという皇族の僵尸の話。
僵尸になった皇族というのは、そもそも不幸が重なり僵尸化したわけではなく、なんでも当時皇子であったというその人は永遠の命とやらを望み、辿り着いた答えが
死後も自我を持つ僵尸になることが可能ならば、それは永遠の命と等しいのではないか、と。
なにぶん、昔の話であり詳しい当時の状況は伝わってはいない。
(結果的に、その皇子さまとやらは
失敗に終わった以上、机上の空論という他はないだろう。
けれど。
生きている人間を、僵尸に出来るなら。
それを、成功させた人間がいるのなら。
油の切れた鉄製品のように、ぎこちない動きで視線を巡らせれば、僅かに離れたところに
(生きている、僵尸)
――
――いいえ。別に、彼だけではありません。
(……死体を、集める……
――無傷で。
(亡くなってた……)
確かに、その三名は亡くなっていた。
その身体――「
(でも)
全体像は、いまだに見えない。
そんなことをして、どうするつもりなのかもわからない。
けれど。
「これ以上死ぬことはない
少女の乾いた唇が、冷たい空気に声を溶かした。
不安と、混沌と、僅かな恐怖の滲むそれに、周囲に符呪を遊ばせる
「そこまで情報与えたつもりもなかったんですがね」
「……やっぱり、そうな……の?」
「どう思いますか?」
そして、刺繍の施された袖の中に手を差し込むと、そこから手のひらほどの大きさの
「……んだ、ありゃ」
「さぁ……。火が入った、瓶としか……」
「チッ、使えねーな」
「だってそれ以外どう説明すんのよ、あんなん!」
目を凝らして確認しようにも、どう見てもただの瓶だ。
強いていうならば、その口の栓が木などではなく符呪で封されていることくらいだろうか。道士が意味ありげに持っている以上、呪具のひとつなのだろうが、
「つか、よくあんな紙っぺらで蓋してて燃えねェな」
「まぁあの符呪も呪具だからね。まぁ、そういう術をかけているんだと思うけど……。私はそれより、あんな火を持ってあれほどの大立ち回りしてたことの方が怖いよ」
「それこそ、
「え、そっから?」
そういいつつ、
「待って……、灯明……?」
「あァ?」
「……いまは……、もう使われなくなったもの、なんだけど……」
それこそ、恐らく
人が死んだときに、その「魂」を一時的に捉え、封じ込めていたことがあったという。
「ま……さか、あの、火は――」
「御名答です」
にっこり笑った男は、春風の如き声音でこう呟いた。
「これは、人の『魂』です」
と――。
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