第四章 月下の死闘
< 壱 >
最初にあったものは、ただ――衝撃だった。
少女の左足触れたその一点から、水面に波紋が広がるように地面が割れる。
「ぅわ、……ぶっ!!」
ブワッ、と、足元から一気に吹き返す衝撃波により、黄色の
「は、はは……っ、ホントに、割れた……」
緊張で喉元に貼り付いていた声音が、冷えた宙に白い靄と共にふわりと溶ける。
けれど、ぎこちない笑みを刷いていた頬が、現在の自身の状況にふ、とそのまま固まった。
(え、どうすんの……これ)
――そんときゃ儂が落ちる前に助けるわい。
そう、祖父はいってくれていたが。
正直、半信半疑ではあったものの、当初は地面に穴を開けられたにしろそのまま一緒に穴へと落ちるかと思っていた。その前に、祖父が手を差し伸べるのだと、そう思っていた。
しかし、まるで星が落下したのではないかと思えるほどの冗談のような威力によって、
(えー!! ちょ、ちょっと!! これどうすんの…………って、あ。待てよ?)
一瞬、沸きそうになった思考へと、冷たい風が走った。
(さっき、私「宙」を蹴った、気がする……!)
何故、そんなことをしたのかはわからない。
何故、そんなことが出来ると思ったのかもわからない。
(でも)
何故か、出来る――と、そう思った。
「よ、っと」
くるり、とその場で一度回転すると、視界の端に発光する【翔】の文字が入ってくる。先ほどまで、十六年間付き合ってきたなんの変哲もない身体の一部であったというのに、こうして意識を向ければ、疼くような熱を放っているのがわかる。
(大丈夫、蹴れる。宙を、蹴るんだ)
脳裏にその状況を
――刹那。
「ぅ、わぁぁああぁあああ……ッ!?」
たった一度の軽い蹴りにより、ギュン、と一気に落下の速度を速めた痩躯が、真っ逆さまに顔面から落ちていく。自身が流れ星になったような錯覚さえ感じてしまうが、残念ながら生身の人間である。
「ちょぉおおおッ!! じ、じじじじ
助けてくれるといっていた祖父を叫ぶように呼べば、驚きにぎょ、っと目を剥く
「こん……アホ娘ッ!! なにやっとんじゃ――ッ!!」
地上からギャアギャアと喚く祖父の姿が、一瞬のうちに倍、さらに倍へとなっていく。恐怖からかそれとも、無重力によって胃の辺りがずっと浮かび上がっているせいか、全身が妙にそわそわと落ち着かない。
(ってうちに、ちょ……もうこれ、)
落ちる――!!
目前に迫った地面に、
「……クソが」
唸るような低い声と共に、バサッ、と布が風を孕む音が鼓膜を叩く。
それと同時に、地面へと叩きつけられるはずだった少女の痩躯をふわりと柔らかいものが包み込んだ。さら、と頬へと触れるそれは、極上の絹を思わせるような肌触りで、空からのその威力ごと抱きしめてくる。
「……ふぁぁああぁぁあ!! 死ぬかと思ったぁぁあああ!!」
まるで鳥の羽が地上へと落ちたかのように、知らぬ間に身体を包むそれごと地面へと転がっていた身体を起こし、
ふ、と自身の膝を見遣れば、カタカタと笑う姿か視界に映った。
「
「
少女がぺたりと座る傍まで小走りで駆け寄ってきた
「だって!! まさかこんな
「アホーゥ。あんな速度で落ちてくるもん、受け止められっかい! 一緒にお陀仏すんのが目に見えとるっちゅーんじゃ!」
「ぐぬ……っ!」
祖父から鉄槌を食らった箇所を摩りながら、少女が再び顔を持ち上げると、す、と黒い影が落ちてきた。
思えば、いま自分を包んでいるこの布の色は白。
近づいてくる彼の手に、先ほどまであったはずの
「……えー、あー、大変お手数を、おかけいたしまして……?」
「わかっとんのなら、とっとと
「……ぐっ!!」
常ならば「でこっぱちっていうなっつってんでしょ!」とでもいい返すところだが、流石に命を救われたことは事実なので、唇の先を尖らせるだけに留め、
(つまり……まぁ、そういうことなんだろうね……)
ちら、と睫毛を向けて窺えば、相変わらず眉間に皺が寄せられた悪人ヅラが「んだ、コラ」と毒づいてきた。つくづく、顔と口調で損をする
素直に礼を述べたい気持ちと。
そもそもなんでこんな悪人ヅラに睨まれなければならないのか、という気持ちと。
ふたつが混ぜこぜになり、結果、少女は「どーも!」とシュルシュル、衣擦れの音を立てながら、やや乱暴に腕の中で丸め少年へと手渡した。
その様子に、少年が軽く犬歯を見せる。
「てめ……、オイコラ丸めんな!」
けれど、彼の手にその白い布が触れた瞬間、ぶわっ、と風が舞い、瞬時に真白い武器へと姿を変じた。戟を握る彼の手の甲に刻まれた【刃】の文字は、一瞬その光を増した後、月光にも似た光を淡く放つ。
ちら、と睫毛の先を足元へと向ければ、
「さて……と。なんか色々訊きたいこともあるけど……。とりあえず、あいつらどうにかした方がいいよね。いつまた這いあがってくるか、わっかんないし」
「ちょうどいい塩梅で壁が崩れたせいで、生き埋めみたいになっとるし、そうそう出ては来れんと思うがの」
「くくっ、つーか想像以上の足癖の悪さだな、オイ。どんだけの穴だ、ありゃあ」
「アンタがやれっつったんでしょーが!!」
思えば、祖父の養子になった面々の大半がそういう
(だとしたら、)
今後、家族として、うまくやっていけないこともないかもしれない。
「……まぁ普通に腹立つし、ムカつくし、夜食を奪われた件は許してないけど」
「あ? なにぶつくさいってやがる」
「いいえー? お褒めに預かった悪い足癖とやらで、蹴り倒してやりたいムカつく悪人ヅラがあるなぁって思っただけー」
「……てめェなぁ……」
「
「見ての通りじゃ。見事に全員埋まっとるわ」
「……こいつらの故郷探すの、大変そう……」
「アッホゥ。よく見ィ。まだ生きとるわ」
「だからてめェはすぐ人を殺すのどうにかしろっての」
ぺし、と後頭部を軽く叩かれ、肩越しに振り返ると
「ちゃんと
「『さいご』の字、明らかに間違っとるわアホ」
「えぇっ! 死後って意味だよ!」
「だからだわッ!!」
「おい、遊んどるなら邪魔じゃ。あっちいっとれ」
盗賊連中にかけられている術の解析を始めていたらしい
落とし穴は、想像していたよりも大分深く、
どうやら頭から壁やらがなだれ込んだものの、術者によってかけられた「起き上がり、対象者を攻撃をしろ」という命を守るために、頭上の土砂類を跳ね除けていたらしい。けれど、結果として身体の大半がそれらで埋まってしまい、物理的に見動きが取れなくなったようだ。
「どう? 解呪できそう?」
「どうじゃろうなぁ。『
「――
小さく、足音が石畳に転がる音が響いた。
「誰じゃ」
年の頃、二十代後半ほどだろうか。
都でもこれほど目鼻立ちが整った者はそう見かけないと断言できるほど、美麗な男だった。肩口から零れ落ちた癖のない髪が背中で夜風を孕み、月明りの中、袖口にされた細かな刺繍がキラキラ光りを弾いている。
一歩、さらに靴の先を踏み出した男の足取りは、ただただ優雅の一言。す、と身体の前で重ねられた手の動きさえも、洗練されたものだった。
いっそ、幻想的ともいえるほどの光景に、思わず
「跳屍送尸術ですよ。間違いなく、ね」
「……誰じゃ、と訊いたはずじゃが?」
拱手の姿勢のまま、三日月を食んだ男の唇が、先ほどの祖父の言を否定した。
「ご挨拶が遅れました。わたくしは、」
「
男の言の葉へとかぶせるように、
「……えっ、あ、アンタ、知り合い??」
少女の問いへと、少年の黒い瞳がちらりと落とされた。
「……そーだな。てめェがいうとこの、『悪い人』ってやつだ」
――つまり、悪い人?
――まだ十歳程度の子供だったアンタに、そういうことやらせてたんでしょ。悪い人じゃない。
先日、森でなされた会話が、耳朶の奥で蘇る。
「――なぁ、
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