< 肆 >
ヒョオ、と石畳に、冷たい風が走る。
村のどこかで猫がニャーオと高く鳴き、この騒動に気づいたらしい野犬が、遠吠えを満天の星空に転がる
(もう、何度目だろ……)
数えることが嫌になるほど、凶暴な風で殴られ、戟や祖父の拳、自身の脚によって吹き飛ばされたというのに、ならず者の面々はまるで痛みを感じない
痛みを感じるような動作は一切見られず、それどころか表情は、先ほど同様に焦りも怒りもない無がただ貼り付けられている。
「ちッ!! んっとにしつけェッ!!」
軽く
彼らの攻撃は至って
故に、少女たちが負けるということはあり得ないが、けれどこう何度も何度も挑まれれば体力は徐々に尽きていく。僵尸ならば、額に
僵尸の如く不死身さを兼ね備えているというのに、御する術もない存在など、正直お手上げという他はない。
(そんでもって、もっとメンドクサイのが……)
ス、と風のように
「あ、ごめっ! ふたり、そっちいった!」
「……ちッ! テメちったぁ足止めしとけってんだ、でこっぱちッ!!」
「っ、しょうがないでしょ!! こっち何人相手にしてると思ってんの!!」
少女の傍をさらにもうひとり、通り過ぎようとするのへと、
どういう理由かは知らないが、彼らは執拗なまでに幼馴染の少年を狙って襲い掛かってくる。最初は一番隙があるからかとも思っていたが、
なによりあの時、森に
「でこっぱち!! つか、てめェの
「戦えなくはないと思うけど……ってか昔、泥棒鍋でぶん殴ってたけど……でも、いまは戦わないんじゃない?」
「あァ!? んじゃあの筋肉は無駄な飾りか!!」
「まぁ、なんにしてもいまは
「んっとにキリねェな、クソが……ッ!」
トン、と少女の背に、
どれだけ時間が経ったのか、と、ちらりと見上げた空の
は、と荒く息を吐いた少年の眼前に、白い靄が生まれ一瞬で霧散する。
「さぁて、どうしたもんかの」
一番多くの盗賊を相手にしていた祖父もまたいったんその場から離れたようで、気づけば少女の傍らまでその身体を戻していた。
「
「儂らである程度仕置きしたら、
「あ、私もそれ思ってた!
僵尸隊の道士をやっているので、道術や体術には心得があり荒事にも慣れっことはいえ、基本的に
「ま、流石にそりゃ最終手段ってやつだがのぅ」
「まぁね……流石にそこまでやるくらいなら、もう僵尸にしちゃった方が人道的じゃない?」
「てめェの倫理観、どうなっとんだ」
「えぇっ、アンタ
「なんで俺が
「してないでしょ! 死んだら、ちゃんと僵尸に」
「すんなっつってんだろッ!!」
「だってそっちなら
「例え僵尸になっても、俺ァてめェのいうことなんざ、絶対聞かねェ!」
こいつ……、と
「
「アホゥ。僵尸ならともかく、生きとる人間支配するなんぞ本来専門外じゃ。全員一か所で大人しくしとるならともかく、バラバラに暴れられたら入る術も入らんわ」
「全員一か所で大人しく……ねぇ。落とし穴にでも作っときゃ良かったかなー」
「……落とし、穴……」
少女が現実逃避に走りかけたその瞬間、ぽつりと背後で声が落とされた。
「? なんか、いった?」
「あ? てめェにゃなんもいってねェわ。おい、
「なんじゃ
「落とし穴を掘ったら、どうにかなんのか」
背中合わせだった
(でも……、一応動きは鈍くなってる、のかな……)
幸いというべきか、どうやら
「確証はないがの。全員同じ深い落とし穴にでも落ちてくれたら、上から解呪でも試してみるか、くらいなもんじゃ。いまんとこはの」
「いまのクソみてェな現状からすりゃ、そんだけで十分やる価値あんな」
「え、なに。アンタ、もしかしてその風で落とし穴とか作れるの??」
「あァ? 作れるわけねェだろボケ」
睫毛を一度羽ばたかせ、下を見れば、
「?」
なにをするつもりなのか、と黙って見ていると、
「え……って、うぎゃあぁっ!?」
「
突然悲鳴を上げたことで、後方から
「るせェ。鳥かてめェは」
「っ、い、い、いきなりそんなことされたら、吃驚するに決まってんでしょ!! なんなの、なにすんの、この変態!!」
「誰が変態だ、そんな台詞はそのでこっぱちどうにかしてからいえってんだ。……っつか、ねーな?」
「ってか、でこっぱちっていうなっつってんでしょ!! なにっ、なにがないっての!? 色気!?」
「バァカ。んなもん
「ぐぬ……っ!! じゃあなにがないっての!?」
「【
「……しる、し??」
少年はちら、と視線を持ち上げると、顔と同じ高さに自身の手の甲を向ける。そこには、ぼんやりと淡く発光する【刃】の文字があった。
「……え、なに……も、文字……?」
「【字】っつって、てめェが会った
「……てっきり、あの
「え、でも私そんな……えと、【字】? とか、」
「左じゃ。左の、足の甲」
あるわけがない、と続くはずだった少女の声は、しゃがれた老人特有のそれによってその語尾を奪われた。
先ほど同様、悲鳴をあげたい衝動をなんとか堪え、
「【翔】……?」
「やっぱりな。足癖悪ィから、そんなもんだろうと思っちゃいたが、大正解だ」
「ってか、えっ、ちょ……、えぇぇえッ!! なに、なにこれ!!
少年が立ち上がると同時に、ぷらんぷらんと淡く光る足を持ち上げ、
けれど、祖父は最初からそれを知っていたかのように「左足の甲」だといった。
(え、なに……なにこれ。なんで
【字】とは一体なんなのか。
否。
けれど、何故このようなものが自分にもあるのか。
そして、何故それを。
「
「話は後だ」
混乱のまま祖父を呼べば、見慣れた背中が短く声を返してきた。
こんな声音のときの
「……して、どうする」
「でこっぱちの蹴りで、地面に穴開ける」
「……へ?」
ぷらぷらと持ち上げていた足へと、少女の視線が向けられた。相変わらず足の甲にある文字が淡い光を放ってはいるものの、特に自分としては別段なんの変化も感じられない普通の足だ。
「いや……いやいやいやいや。無理でしょ。なにいってんの。ここ、石畳だよ? 無理。無理無理無理」
「あァ? なにが無理だ。んなもんやってからいえってんだ、ボケが」
「はぁぁあ!? いや、ってかどう考えても無理でしょ!」
しばらく睨み合っていた
ガシガシ、と乱暴に黒い短髪に指が差し込まれ、もう片方の手に持っていた方天画戟がひゅる、と突如起きた旋風と共に消え去った。
少女が一度、睫毛を羽ばたかせると、不機嫌そうな
「てめェはアイツを見殺しにしてェんか」
「……っ!」
アイツ――とは、間違いなく、
何度吹き飛ばしても起き上がってくるならず者たちを一掃するには、
「てめェの能力――【翔】は、いままでの足癖の悪さをみても、間違いなく足技の強化に違いねェんだよ。それがわかったら、とっとと地面に穴開けろってんだ、クソが」
「……っ、やればいいんでしょ! やれば!! ってか、アンタがいうほど、私、足癖悪くないかんね!!」
「はっ、あんだけ
「ぐぬ……っ!!」
確かに身体が小さい
大切な幼馴染を助けることが出来る能力であるというのなら。
自身の得意なものを強化してくれるものだというのなら。
(ありがたいって、思う以外ないじゃない……っ!)
「俺が、【
「踏んで、穴開いたとして……で、私はどうすんの? アイツらと一緒に、穴に落ちない?」
「そんときゃ儂が落ちる前に助けるわい」
「
「――っし、んじゃ……跳べッ!!」
すると、そこでなにか爆発でも起きたかのようにブワッ、と密度の濃い空気――風が少女の痩躯を空へと持ち上げた。
ジン、と足の甲が熱を帯びる。
恐らく、自身の蹴りの力と、少年の風の力が合わさったのだろう。黄色の道袍が、バサリと風を孕ませながら、
(優しいよね)
決して強くないのに。
(だから)
――てめェはアイツを見殺しにしてェんか。
(んなわけあるかっての!)
護る。
絶対に、護る。
「――落ちてッ!!」
まるで見えない壁でも蹴ったかのように、
冷たい空気に一閃が走る。
上空を駆けた少女の
――ガ、ゴォォォオオン……!!
轟音と共に。
地が―――割れた。
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