< 弐 >
頭上から闇の帳が落ちてくる。
橙色に染まった空の端に、藍がじわりと滲み出し、冷たい風と共に夜がゆっくりと浸食を始めていく。
今冬は例年に比べ暖かく、湿度も多いと思ってはいるが、それでもやはり冬は冬。一度外に出ると、肌を刺すような乾いた空気が広がっていた。
「さて、と。んじゃ、
肩下げの中から鐘を取り出しながら、少女は門前に立つ祖父母へと視線を向ける。側頭部で結った輪がふるっ、と踊り、額の前で前髪がさらりと揺れた。
自身の後方には、これから
(この人達も、故郷はやく見つかるといいんだけどなぁ……)
死後、すぐに埋葬が叶わない故郷で死ななかった人間は、ほぼ例外なく腐敗前に僵尸にされるわけだが、その後帰るべき場所がわからない者たちはこうして僵尸隊が引き取ることとなる。道士によっては、死後に故郷を自身の廟がある場所に定め、埋葬し供養してやることもあるようだが、職業柄、国中を歩き回るため、いつか故郷が見つかるかもしれないとの希望から、
もっとも完全なる善意の下でそうしているだけでなく、
「ちゅーか、あの
「あぁ。まぁ、そもそもアイツには出かける時間とか伝えてないし」
部屋でぐーすか寝てるんじゃないの。
そう返せば、義祖母が「そうかもね~」と笑う。
幼馴染が乱入してきた祝いの席という名の夕食から明けて一夜。
今朝起きてからは、
それでもな釈然としないらしい祖父が、ふさふさとした眉を跳ね上げるのへと、
「まぁ、いーんじゃないの。ぐーたらしてるわけじゃなく、
「そうね~。薪もかなり割ってくれたし、
俑である
「ま、働かざる者食うべからずっていうしねー。アイツに食費の分は役に立てよっていっといて」
「はいはい、若奥さま」
指をひらひら振りながら「気を付つけんのよ~」と笑う
「ユ、
前方の建物の影から、聞き覚えのある声が自身を呼んだ。
少女が驚きに軽く睫毛を上下させると、暗がりから一歩、月明りに照らされた路地へと踏み出してくる。そこにいたのは、想像通り、幼馴染の少年の姿。
明らかに、外出――それも遠出するための出で立ちである。
「
記憶にある限り、彼がこの村を出たことは一度もなかった。さほど大きくはない村だが、何世代も続いている割と大きな酒屋の大切な跡取り息子で――要は、
祖父母も流石に想像していなかったのか、軽く目を見開き、近づいてくる
「今夜」
「ん?」
「今夜、出るっていってたから」
「え? あ、うん??」
少年の視線が
「えっと……。これから、もう出かける、んだよね?
「あー、うん。日も暮れたし、そろそろ出ようかなって」
「……そうだよ、ね?」
再び
「ん?? どしたの?」
「あ、いや……。あの、
「え? あぁ……アイツなら自分の部屋で寝てんじゃない?」
「っ、ね、寝て……っ!?」
思いの外、皆、あの人相の悪い少年が気になるらしい。
「えっ、な……なに。なんか、駄目だった?」
「いや駄目っていうか。あの、駄目じゃないけど……え、だって、
「うん」
「あの、じゃあ……さ、彼、は……
気まずそうに一度
「一緒じゃないって……、え? 一緒に朱南省にいくかってこと?」
「うん……いや、ごめん。ほら、だって、
「はー、あー、なるほどー」
確かに、道士の中には家族総出で僵尸を連れる者もいるにはいる。
「まぁ結婚したっていっても、ほら。あれ、昨日もいったと思うけど、勝手に勘違いした
「なんじゃい、儂が悪いようないい方しおってからに!」
「いやどう考えても、あれは
「アホーぅ! 同じ
「
ため息混じりに
「えっ、ど、どうしたの!?」
「い……いや、あの……っ、ベ、
「いや!! いやいやいやいや。違う違う。そうじゃなくて」
「あ、いや。あの、うん。ふ、夫婦だからね、うん! そ、そりゃそっか……」
「いや違うってば! さっきもいったけど、それ
「……そう、なの?」
「当たり前でしょ……。ってか、それにぶっちゃけ夫婦なんて名ばかりっていうか、実質いままでもいた
「あ……、そう……。そう、なんだ」
この寒空の下では無理もないとは思っていたが、顔を見せたときからどうにも日頃とは違い強張っていたように思えた
「あ。でも、
いままでも見送りをしてもらったことがないわけではないが、少なくともこんな旅支度をしている姿は初めてだ。夜風にふわりと
「え、と……。ごめん、聞いちゃ駄目なやつ?」
彼とは幼馴染であり、基本的になんでも話せる仲だとは思っているが、
「いや! そんなこと、ない!!」
「あ、なら良かった。なんかお店の大切なことなのかと思っちゃったよ」
「あー、うん。そういうんじゃなくて。全然、大した話じゃな……くも、ないんだけど……」
「あははっ、なにそれ結局どっちなの」
「えと……」
少年の喉が、一度上下し、一度逃げるように逸らされた彼の視線は再び少女へと戻された。
「ユ、
「ん?」
「あのさ――」
少年の唇が、気まずそうに、けれど確かにゆっくりと音を紡ごうとしたその、瞬間――。
彼の、さらに背後の闇から一層黒い大きな影が現れた。
「……っ!?」
「アンタたち……」
視界の先にいた人物を見止めた瞬間、脳裏に思い浮かぶのは先日の森での出来事。
――こちとら泣く子も黙る大盗賊集団だぞ!!
――俺たちゃ仲間同士助け合いながら暮らしてる善良な市民さまだからなァ。
耳朶の奥で蘇るのは、なんとも矛盾した頭の悪そうな彼らの声。
ゆらりゆらり、大きな身体を揺するように歩きながら近づいてくるのは、紛れもなく
「……やっぱアイツ拾ったの、失敗だったかな」
恐らく部屋でなにも気づかずぐーすか寝ていると
夜風がヒョォ、と駆け抜けていき、少女の声を真ん丸の
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