第三章 金鏡が目覚める夜
< 壱 >
見慣れた広い部屋に、ガヤガヤとした喧噪が広がっていた。
鼻を衝くものは、強い酒のにおい。
鼓膜をザラリと舐めるのは、酒に焼けた野太い声と乱暴に食器を扱う耳障りな音。ときおり、戯れに女の嬌声が上がり、下卑た笑い声が響き渡る。
そのどれもが、まるで母親の胎の中にいたころから聞いていた子守歌かのように肌に馴染み、けれど、その音全てを叩き潰していきたくなるほど、いまは胸の奥で感情が沸騰している。
「
その声に、ふ、と傍らを見遣れば、抱えた酒の
けれど、行きようのない鬱憤を溜め込んでいるのは、どうやら彼も
子供でもなく、かといって大人でもない――十代中盤過ぎと
――よぉ、
そう声をかけると、どうやら荒事には慣れっこらしく、特に人見知りすることもないまま自分たちの縄張りのひとつである賭場へのこのこ着いてきた。思っていたよりも銭を持っていたことは意外だったが、金品根こそぎ奪って店を追い出した。
(チッ!! いまにしてみりゃ、身ぐるみ全部剥いでやりゃあ良かったんだ……!!)
そうすれば、その後まさか後を追ってきていた彼に、根城を突き止められた挙句、根こそぎ金目のものを奪われ質に流されることもなかっただろう。お蔭で長年ため込んでいた根城の備蓄は底をつき、いまこうして飲み食い出来ているのも先ほど新たに近隣の農村を襲い、金品を奪ってきたからに他ならない。
それでも失った財とは比べようもなく、なにより自分たちは盗賊団を名乗っているものの、基本的に危険の伴う掠奪行為よりも晧莱などの都市でイカサマ賭博によって金を稼ぐことの方が多い。仲間は全員腕っぷしにはそれなりに自信がある面々だが、それでも掠奪を選べば危険も多い。
(それなのに、よぉ……!!)
慣れない
「なぁ、
「あぁ? 聞いちゃいるし、さっきから俺も苛立ちは収まらん」
「じゃあ……!」
あのやたら細っこく小さな
「お前の気持ちはわかる。だが、どうやって探すかって問題が出てくるんだ。あのクソ
「でも
「南つったって、じゃあ南のどこに向かうかっつー話だろ。そもそもあそこはまだ
「でもよぉ……!
日頃ならば
「とはいえな……、相手は僵尸隊ってことで夜間移動のみとなればそこまで進んでいるとも思えんし、なにより目立つから目撃証言は得やすいが……。だが、後を追うにしろ、南と西に野郎ども二手に分けなきゃならんな……」
「それがどうしたんだ?」
「
略奪行為は
「まぁ腹が立ってるのはなにもお前だけじゃねぇ。俺だって腸煮えくり返ってるし、野郎どもにしてもそうだろう。だが、その為に
「はぁ……まぁたそれかよ!
「あったりめぇだろうが。何事にしても、収支が見合ってないようなことをやるもんじゃねぇ。損することがわかってたら、手ぇ出さねぇのが俺の
「でも最初は、あのクソ
「そりゃ
「へっへ。
突然空から声が落ちてきて、見上げればそこにはこの盗賊団を作った当初からいた古参の仲間が甕を持って立っていた。彼の頬にはオトギリソウの葉を揉んだ汁が塗りつけられており、時間経過とともにいまは茶色に染まっている。
この傷も、
「商売人みてぇな、っつーか、商売人そのものだよ。
「あぁ? どう生きたところで、損得勘定生まれるもんだろ。そう考えりゃ人間だれしも、商売人だろうが」
「
「そうだぜ、
どうやら彼は、
「つってもな……、せめてあいつらの向かった先でもわかりゃ……」
――場所ならば、わかりますよ。
突然、閉められた格子扉の奥から声がかけられた。
これほどまでに広い部屋の、さらには辺りでは仲間が飲めや食えやの騒ぎをしている中で、何故部屋の最奥にいる自身へのその声が届いたのかはわからない。――否。声が届いたというよりも、脳裏に直接響いた。そんな、感覚だった。
「……誰だっ!」
野太い声が、部屋の中央を一閃に駆けていく。
すると、一瞬で喧噪が止み、キィ、という甲高い音と共に扉が開いた。
酒を浴び、すでに思考が散漫となった面々の動揺が部屋を支配する中、視線の先にいたのは、ひとりの男。
両手を前へ出し組み、
さらりと背へと流れている髪は、自分がいま触れている自身のそれとは明らかに質が違う。お世辞にも手入れされているとはいえないこの根城において、遠目にも豪奢な
「……誰だ。官吏か」
「いえ、まさか。わたくしは、
道士、という言葉に、
道士ならば、何故道袍ではなく一般市民の着るような
「オイ。
「えぇ。勿論、存じておりますよ」
いっそ親しげにも思える笑みをその
「おっと。いま俺たちゃ道士に対しての鬱憤が溜まってる状態でなァ。不用意に入り込んだら、命の保証はねぇぜ」
「そうですか」
その牽制にさえ怯えることなく、
「オイッ!! てめェ……!!」
傍らで
「申し訳ございません。なにも、貴方たちを軽んじているつもりはないのです」
部屋へ一歩、踏み込んだ男は、それ以上歩を進めることなくその場で再び拱手し、ゆっくりと
「ただ――、その先ほどのお話……、わたくしが彼らの行方を存じていると申し上げましたら、如何なさいますか?」
「な……っ」
驚きに目を丸くした
そこにあった光は、ただ狂気にも似たものだった。
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