< 伍 >
「え? 急に、どうしたの??」
ちょうど
後ろに控えていたらしい
幼いころより自分の感情を
なにか、彼の家でよくないことでもあったのだろうか。
「
なにか、あった?
幼いころからの
背の中ほどで、編み込まれ結われた髪がさらりと揺れる。
「帰ってきてたのに、挨拶遅れてごめんね。明日には、お店に顔出そうと思ってたんだけど」
いつも旅から戻ってきた後、そして旅に出かける時は彼の店に顔を出し、挨拶をしているが、今回は色々な事情が重なりすぎたため挨拶と同時にまた出かけることになりそうだ。
「あ、うん……。それは、いいんだ。昼間、
「あぁ、やっぱりいま
腰に手を当て呆れたようにため息を吐く。
「あ、で……どうしたの? なにかあった?」
「あ……いや、なにか、っていうか」
少女へと落とされていた
「あー、あれ?」
「あ……、うん。あの、
「あぁ、うん。アイツね」
「あァ!? だっから迷子じゃねェっつってんだろが!」
「拾われた分際で迷子じゃないとかどのツラ下げていってんの、アンタ」
「ぐぬ……っ!」
ハズレのししとうにでも当たったかのような顔で、
「えっと……初めまして。
「……おぅ」
「コラ。名乗る!」
「…………チッ。
(っていうか、それを
いや、そもそも妻なんて完全に祖父の悪ふざけの産物としか思えない名ばかりの話なのだが。
「でも迷子って……、えと、
「うん。ほら、
「へぇ……あの、森、で……??」
生来の性格もあるだろうし、商売人という職業に就いていることも大きな理由だろうが、
「ちゅーか、
「あ、そうだった! ごめん、
幾度となく流れてしまった話題に痺れを切らしたのか、
彼の横で「あら~、もうっ、むくれちゃって~」とにこやかに笑いながら祖父の頬をつんつんと太い指で突く
一瞬、席につくことを躊躇おうとした幼馴染の姿に、出会った直後に他人の夜食を強奪したり、訪ねたばかりの他人の家で酒を豪快に煽ることの出来るこの悪人ヅラの図々しさを少し分けてあげたい気分になる。
(こう……、小っちゃいころから、私が守ってあげないと危なっかしいところあったからなぁ……
既に店を親から任されるほどになった彼に対し、それでも幼いころの
「で、
「え!? そうなの!?
「あぁ、うん。本当なら、今夜にでも旅立とうかと思ってたけど……まぁ、なんやかんやあったし、じゃあ明日かなぁと」
「そう、なんだ……。今度は、どこまで……?」
「
「ちゅーか、その前に結局
「あー、ごめんごめん」
えっと。どこまで話したっけ。
手に食べかけの
「その
「あぁうん。そうそう」
既に空腹は満たされたのか、酒の肴に
「えっと、それでね。なんか慌てて
「宮殿って……あー、あの、アレか」
「アレだよ。いや、
「宮殿って……
「そう! その、まさかの、皇帝陛下の!」
とはいっても、いま冷静に考えてみれば、恐らく皇帝一族が住まうような建物はもっと奥まった場所にあるのだろうし、宮殿内のほんの入り口付近に入っただけという話なのかもしれない。それでも
けれど、
「なんか知らない内に悪いことでもしちゃって皇帝陛下に叱られるんじゃないかって、めちゃくちゃビビったよね……僵尸も宿に置いたままにしてたし、どうしよーって……」
「はっ、常識的に考えて、てめェみたいなでこっぱちが悪事働いたとこで、皇帝に呼ばれるわけがねェだろ」
「うっさいな! 常識についてアンタにゃいわれたくないっての!」
掬った豆花に入っていた赤い実を口に含みながら、
「でも、周りの人とか全然私に興味示さないし、なんだろ? って思ってたらね、結果的に人が死んだから僵尸にして運び出せっていう話だったんだけど」
どうやら宮殿内でなにか事故があったようで、文官や武官が二十名ほど息を引き取っていた。
あまり見慣れぬ鎧を着た武官に、
なにもかもが経験したことのない領域に足を踏み込んだわけだが、当然部外者である
生前の功績などは、勿論冥府に送る際に事細かに書き記すので詳しく訊く必要があるが、それでも
数世代前に皇族からも僵尸が生まれたという話もあるせいか、宮殿ではとにかく故郷が不明な者が死ぬことを拒絶する傾向にある。もっとも、この国で一番尊いといわれる皇帝の住まいなのだから、そこに被害を出すわけにはいかないので当たり前の話なのかもしれないが。
ともあれ、二十名ほどの文官、武官の死者に手早く適切な処置を施し、故郷へ送り届けろということだった。
「ってか、ぶっちゃけ、死体がそんな早く僵尸化するわけでもないんだから、引きずるみたいに連れていかなくても良かったじゃんっていう話なんだけどね」
「ま、一般人は僵尸化にかかる時間なんぞ知っとるわけないからの」
くぴ、と酒器を傾けた
「でもまぁ、事情は聞かされてないけど、辺りで話してる情報拾っていくとね、どうやら建物が崩れちゃって、そこにいた人が全員死んじゃったみたい」
「崩れた……? 地震でもあったんかい」
「ううん。特には。でも私が見た建物は確かに崩れてたんだけどね。その建物だけ」
「あらま。じゃあ杜撰な工事で建てられたものだったの?」
「えぇ……っ、皇帝陛下の宮殿が、ですか?」
「ははっ、流石にそりゃないかー」
「そうですよ……。そこだけ、建物がもう古かったとかじゃない?
「あー、うん。まぁ、確かに他の建物に比べたら、そうだったのかも。周りの人もそんなこといってたし」
確かに建物自体は古かった。
けれど妙だったのは、建物が崩れ圧死したのならば、死体は酷いありさまになっているだろうと思われたが、実際対面してみれば二十人すべてが欠損どころか、怪我ひとつ負っていなかったというあたりだろうか。
(
宮殿内の事件、事故は醜聞にも繋がりかねないので、出来ることなら秘密裡に片しておきたいものだったらしい。しかし、その商人が外に助けを求めたために、本来ならば都市の治安維持のみに従事するはずの巡捕局が、宮殿内に呼ばれるほどの騒ぎとなってしまったとのことだ。
(ま、その辺のことは下々の僵尸隊道士には関係ない話だし、
こういう人の死に関わる生活をしていると、どうにも不審な死というものはいくらでも遭遇する。確かに理不尽な殺され方をしている遺体に出くわすれば、その無念さが表れているものもたくさんある。
けれど、その全てに心を砕いていてはこの仕事はやっていけないだろう。
自分に出来ることは、ただひたすらに故郷に戻りたいと願う
「まぁ、そんなこんなで、私は新たな僵尸を三体ほど請け負うことになってね……。うち、二体はまぁ陽安の近くに故郷があったから、そのまま送り届けて。で、最後の一体が、
「それが、丹完に行くっちゅー理由かい」
「そうそう。丹完に家族がいるみたい」
彼の身元が記されたものによれば、
その難易度が実際どの程度のものなのかは知らないが、難関と噂の科挙に合格し、家族総出で祝い、その前途を祝福しただろうに、たった二年で物いわぬ身体で帰ってくるとは、残された家族はどれほど気落ちしているだろう。
幾度となく経験し、もう既に慣れているといってもいいほどだが、それでも泣き叫ぶ家族に僵尸を引き渡す瞬間はそれなりに心がズン、と沈み込む。
「とりあえず、明日の夜に丹完に向けて行ってくるよ」
「はやく故郷にっていう気持ちは勿論わかるけど……。
「あー、うん。今夜、もう出ようって思ってたくらいだから、全然大丈夫」
恐らく十日もあれば帰ってこられる距離である。
「あ、そうだ。ごめん、結局、
彼がこの
幼馴染の少年は、一度、びく、と肩を揺らし唇の端をぎゅ、と閉めたあと、俯きがちな
(まぁ、こんな悪人ヅラに凄まれたら、
「つーか、お前まだ食っとるんか」
「アンタだってまだ飲んでるじゃない」
「酒はあればそりゃ飲むだろ」
「
「あァ? てめェまだ根に持ってんのかよ! どんだけだよ、しつけーな!」
「食べ物の恨みは末代までっていうでしょ!!」
「聞いたこともねェし、そもそもいわねェ!!」
「あの、
あれ。でも、そもそもこいつの末代に繋がる人間を産むのは誰だ、という疑問が不意に頭に過っている中、再び舌戦が繰り広げられようとしていた食卓に、震える声が響いた。
「ん? あ、ごめん。
「あ……うん……ごめん。ただ、あの……」
「その。
確かに、思えば昨晩知り合ったばかりにしては、既にお互い繕うような外面など取っ払っている気もする。しかし、出会った直後にお互いの印象は地面に叩き落とされていたも同然なので、気づかいというものは最初から存在していないともいえる。
「まぁ、打ち解けすぎてるっていうか……」
「気遣いなんぞ
「……えっと? ふたり、は……、どう、いう……?」
出会った瞬間は、死体だと思った。
起き上がってからは、夜食を奪われたという恨みが生まれた。
その後、彼の因果が巡りに巡り何故か盗賊に囲まれ、それを蹴散らし――。
家へ戻り、そして。
「んー。とりあえず、一応夫婦?」
「…………クソほども自覚はねェけどな」
つい先ほど作られた関係性の名を紡いだ後。
一呼吸置いてから、
**********
闇夜に
月明りに照らされた夜道を、ヒュゥ、と乾いた風が走り抜ける。
――……えっと? ふたり、は……、どう、いう……?
――んー。とりあえず、一応夫婦?
――…………クソほども自覚はねェけどな。
先ほどの幼馴染の少女の声が、いまも鼓膜に貼り付き脳裏に響く。
(
確かに十六ともなれば、一応適齢期と呼ばれる年齢にはなっている。
昨今では結婚が徐々に遅くなっている傾向にあるようだが、それでもこの村でも確かに
けれど。
(
なにより、一度仕事が入れば数十日から数か月、彼女は旅に出てしまう。
ならば自分もその間仕事に精を出し、彼女に意識してもらえるような男になろうと商売に打ち込み、今度こそ、今度こそと、
(は~~~~、もう
そんな回りくどい方法を取るのは卑怯者のような気がしたからこそ、まず想いを告げるならば彼女にと思っていたのが完全にアダとなった。
夜風が走る道を進む
「あの……、もし」
突如、背後から声がかかり、
肩越しに振り返った先にいたのは、長身の男。
袖口には細かな刺繍が施されている暗い色の長衫を身に纏い、よく手入れされてそうな長い髪が夜風にさらりと舞っていた。年の頃は二十代後半くらいだろうか。目元は涼しげであり、鼻筋もス、と通っている。
年頃の娘ならば、一度視線を奪われるのではないかと思えるほどの色男だった。身体の前面にす、と出され重ねられている拱手もどこか品がよく、一見した限りでは国に仕える官吏のようにも見える。
「なに、か……?」
「突然のお声がけ、大変失礼いたしました。お伺いしたいのですが、貴方がいま出てこられた廟に、
「
彼女の家業について特に詳しいわけでも、その時の仕事を把握しているわけでもないので、一瞬
けれど。
――で、最後の一体が、
不意に、先ほどの
確か、先ほど
(でも)
それが、なんなのだろう。
駄目だ。今日は思考がまとまらない。
「そう、いえば……
散漫としている思考を手繰り寄せることさえ億劫で、ぼんやりと、ただ、彼女が答えたままを口にすると、拱手の向こうで伏せられていく
「それはそれは……。教えていただき、恐縮です」
そんな、気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます