< 肆 >
こんな食器、我が家にあったっけ? と思うような色とりどりの皿の上に、唐辛子を多く使った肉料理や、酸味のある卵の
ふわ、と湯気とともに食欲をそそる花椒のにおいが部屋いっぱいに広がっている。日頃から
――だってそりゃ、沢山食べてくれそうな人間が多ければその分こっちも張り切るってもんじゃなぁい?
と、彼女はいっていたが、実際そんな理由でないことは痛いほど
所狭しと料理の置かれた
ほこほこと、おいしそうなにおいが立ち上がるそこから睫毛を持ち上げると、向かい合わせに座るのは祖父母の姿。さらに、ツ、と視線を流していけば、格子の衝立で仕切られたその奥に茶器棚や薬棚、青磁の花瓶などが視界に入り込んでくる。
そのどれもが、目玉が飛び出すほどのものではないが、不注意で壊せばきっと祖父の怒りの鉄槌は間違いないと思えるほどには価値のあるものだ。――少なくとも、この
「答え。私の大好物の
「……あ?」
最初から聞かせるつもりで呟いたその恨み言が、どうやらきちんと少年の耳に届いたようで、皿を抱え担々麺を貪りつつ少女へと意識を傾けてきた。彼の視線が自身へ落とされたことを受け、
しゃくしゃくと青菜を咀嚼する彼の
「せっかく
「あァ? んなもんわかるわけがねェだろ」
「わかりなさいよ! 空気読みなさいよ……! ってか、普通、こういう場では遠慮するってのが筋じゃないの……!?」
こういう場――。
つまるところ、結婚の祝いの席。
饗宴と呼ぶには、当事者の他
(結婚は勢い、ってよく村の
都からの帰宅後――ひと眠りしたあとの昼過ぎに、明後日の方向に話を持っていく祖父とひと悶着があったわけだが、とりあえずその誤解はさて置くとして、出身地不明な
基本的に、故郷を変えるというのはよほどのことがない限り、取らない手段だ。勿論、故郷がわからない孤児である場合、望郷の念があるわけでもなく、死亡率が成人よりも高い乳幼児ならばとっととその日の内に儀式を行い、「
しかしそれが自我を持った年になると、例え故郷を知らずともなんとなく見知らぬ故郷に想いを馳せ、心の準備が必要だったりするものなのだが、
ならば、忘れないうちに済ませてしまおうと、
そして――。
(でもまさかそのまま、勝手に結婚手続きまでされるとは思わなかったよねー!!)
宗派にも寄るのだろうが、この集落では全ての住民の冠婚葬祭を
覚悟も自覚もなにもないままに、気づけば人妻と呼ばれる立場になっていた。
(まぁ被害者っていうなら、コイツも同じっちゃ同じだけどっ!)
「ちょ……! それはいま、私が食べようと思ってたいい感じの茄子……っ!!」
「あァ? 知るか。他にもまだ茄子残っとんだろうが」
「だってその茄子が一番おいしそうだった!! お肉いっぱい乗ってたしっ!!」
「はっ、相変わらず食い意地張ったでこっぱちだな、オイ」
「でこっぱちっていうなっつってんでしょ、この悪人ヅラ!!」
「大体、道士っつーのは肉魚食わねぇもんじゃねぇんか」
この粗野な外見からは想像もしていなかったが、意外にも丁寧な箸運びで口に入れた茄子をもぐもぐと食べる
「あー。まぁ、なんか全体的にはそういう宗派が多いらしいけど……」
「宗派っつーことは、お前んとこは違うんか」
「ま、
「そういや
「あー、うん。最初の依頼……
約二か月も前の話になるが、ここからさらに西へ
至急、その山奥の村へ向かい、僵尸を受け取るとそのまま陽安近くの集落へ行き、遺族に引き渡したのだが――。
「ちょうど帰りに陽安に立ち寄った時に、偶然
「なんじゃあの飲んだくれ、まだ巡捕長なんぞに就いとるんか」
詳しいことは知らないが、どうやら陽安の巡捕長である
「でね、突然急ぎの用だって連れていかれた場所が――、」
――すミませン。お客人ガお見えデす。
すぅ、と入り込んでくるのは冷たい外気。
開かれた扉の向こうには、藍色の
「あら、こんな時分に誰かしら~?」と、もぐもぐ動かした口許を押さえながら、
「んだ、ありゃ? 使用人か?」
「あー、紹介してなかったっけ。あの人は、
「…………は?
(ま、そりゃそうなるよね)
どこかぼんやりとした印象こそ受けるものの、
「僵尸って、『
「てめェは生きとる人間を嬉々として僵尸にしようとしてたけどな」
「……いい加減しつこいなー、もう。……まだ忘れてなかったわけ?」
「たりめーだ。つーか、忘れるかボケ」
「で、まぁ、そんなわけで普通は『魄』がこの世に残されるのが普通なんだけど――」
長くなりそうな恨み言をさらっと流すと、
ちら、と見れば、
「私も詳しくはよく知らないんだけど、
「……んだ、そりゃ。んじゃ『魄』の方はどうしたよ」
「だから、死んじゃってるんだって。今ごろ故郷――まぁ、この村なんだけど。ちゃんと埋葬されてるよ」
「……普通、死んだら『魂』は天に昇るもんじゃねェのか?」
「普通はね。でも、
その理由として考えられるのは、恐らく未練というものなのだろう。
道士として、強制的に「魂」を昇天させる方法がないわけではないが、けれど、本来ならば「魄」から離れた「魂」というものは勝手に天へ昇っていくものであり、その摂理を押し曲げてでも留まろうとする未練の鎖は、そう容易く断ち切れるようなものではない。
「でもまぁ、宿るべき『魄』を失った『魂』が、幽鬼になるのも自然の摂理ってやつなのよね」
「んじゃあの
「ううん。僵尸だよ。幽鬼なら
それに幽鬼ならば、実体が存在しないので触れることも触れられることも基本的には出来ないが、
「ま、それでもそのままでいたら幽鬼として皆に迷惑かけることは見えておったからの。儂が
ちびりちびりとひとり、酒を楽しんでいた
「俑……か。だから、あいつ目線がどこ向いてっかわかんなかったんだな。それでも、僵尸と違って『魂』があるから、会話が成立するっつーことか」
「そうそう。身体が『魄』じゃなくて俑だから、陽の下も歩けるしね」
それでも何かの拍子に俑から「魂」が抜け出てしまう可能性もあるため、ひとりで外出などはさせることは出来ないが、
「あ、そうだ」
ふと思い出したように声を零しながら、少女は、器に入った
つるん、と白いそれを吸い込むと、口内に広がるのは幸せの甘さ。この地方の料理は基本的に辛いものが多いが、箸休めにもなる
「私、明日の晩にでも僵尸連れて旅に出るつもりなんだけどさ、アンタはどうせ行くとこもないし、ここに残るでしょ? だったら多分、
「あ?」
「ちゅーか、
「あー、そうだ。そもそも話の途中だったね」
それで、どこまで話したっけ。
少女が思い出すように視線を宙へと彷徨わせたその直後――。
「ちょっと~皆~、いまい~い~?」
来客に出向いていた
す、と入り込むのは、先ほど
ふわ、と切りそろえられた少女の前髪が、額の上で小さく揺れる。
「
絞り出したような苦しげな声音が、冷たい空気に滲む。
「え、
驚きに、語尾を持ち上げた少女の声が、突然の来訪者に冷える室内に響いた。
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