< 弐 >

 ふ、と意識が泥の中から持ち上がるような感覚に、ユエはすり、と頬を寝具に押し当てて再びそこへと潜り込もうとする。

 起きているわけでもない、けれど意識を完全に手放しているわけでもない。

 このふわふわとした眠りと覚醒の合間を揺蕩うことは、最大の贅沢のひとつだと少女は思っている。

 明け方、いえへと帰宅したユエは、義祖母であるファンの作ってくれた朝食を食べ終えると、その間に湯を入れてくれていた風呂へ入った。その後、西廂房の自分の部屋に戻り、架子床ベッドに倒れ込んだ辺りからぶっつりと記憶がない。

 いまこうして布団をかぶって寝ているあたり、恐らく無意識に潜り込んだのだろうとは思うが、ここまで寝入った時の記憶が定かではないのは、初めて祖父と共に僵尸キョンシー隊を引き連れて旅に出たころ以来ではないだろうか。


(いま、何時くらいだろ……。そろそろ起きなきゃいけない気もするけど、駄目だ……布団とお別れしたくない……)


 ユエがいない間も、ファンが寝具を整えてくれていたのだろう。久々に潜り込んだにも関わらず、清潔なにおいが鼻腔に届き、少女の唇は知らず大きく弧を描く。

 あともうちょっと、と思いつつ、気づいた時には陽が落ちているというお約束の可能性が高そうだが、それでも覚醒に向けて、どうしても手を伸ばせない。


(あと、あともうちょっとだけ……)


 ユエが寝具の中で胎児のように丸まっていた身体をころんと開き、そのおもてを天蓋へと向けた。頬にかかっていた髪が零れ落ち、寝具へと広がる。短く切り揃えられた前髪が額の上でさらりと揺れた。

 少女の意識が、再びぬるま湯にも似た夢へと落ちようとした、その瞬間――。


ユエっ! こりゃ一体どういうことか説明せいっ!!」 


 バンッ! と、少女の部屋の格子扉が勢いよく開かれ、はめ込まれている磨り雲母ガラスがガタガタと音を立てた。夢とうつつの境をゆらりゆらりと彷徨っていたユエの意識が、その声とけたたましい音によって一気に浮上する。


「あだ……ッ!」


 ガバッ、と弾かれるように跳び起きたユエ架子床ベッドの上に、どさっ、となにかが投げつけられた。同時にごく近くから蛙を踏み潰したような声が聞こえ、いまだしぱしぱとする睫毛を無理やり持ち上げると、そこには黒の道袍どうほうを着た黒髪の少年の姿。


「ぎゃあっ! な、なにっ!! 急にっ!!」

「なにもクソもあるかいっ! こんアホが!!」


 見遣った先の扉は外から光が差し込んでおり、後光を背に受けた影がズカズカと室内に乱暴な足音を響かせる。少女は目を細めながら、なにやら立腹中のその人物――祖父の姿をようやくその視界に収めた。

 つるりと額から頭頂にかけて覆うモノがなにもない頭部は、それでも何故か後頭部から生えた白髪がまるで角のように左右に分かれ逆立っている。綿入わたいれした詰襟の長衫ちょうさんによって大分厚みを増しているものの、その枯れ木のような身体は女子供のユエよりもさらに小さい。

 一見健康的に思える赤黒い肌は、日焼けなのか酒焼けなのか判断に迷う微妙なところだ。

 そんな彼こそが、この集落の儀礼の一切を取り仕切り、また、近隣の孤児などを保護し育てる道術家であり、ユエの祖父たる楊虎ヤンフーその人である。


「ってか、爷爷じっちゃんまだ酔ってんの? そういう八つ当たりみたいな悪酔いようになったら、酒やめますって約束したでしょ!」

「アホぅ! 儂ぁ酔っとらんわ!」

「じゃなんでそんな怒ってんの。めんどくさい……」

「これが怒らいでか!」


 フーはビシッ、と節くれだった細い指をユエの方へと指してきた。少女が「私?」と首を傾げると、「アホぅ!」と唾と共に怒声が弾け飛ぶ。


「そこの! そこの豎子こぞうよ!」

「あァ?」


 どうやら投げ込まれたときに、少女の寝具で顔を擦ったらしい。僅かに赤くなっている顎をさすっていた少年が、語尾を持ち上げながら瞳へと不機嫌そうに険を孕ませた。

 

ユエ、この豎子こぞうはなんじゃ!」


 祖父の視線が向かう先へちらり、睫毛の先を流した少女は、「あぁ」となんの感慨もないように呟く。


「迷子。陽安みやこからの帰り道にある……ほら。朱南省しゅなんしょうへの分かれ道のちょっと先に森、あるじゃない。あそこで迷子になってたから、拾ってきたの」

「なんじゃ。あの森、一本道じゃろが」

「それがさ、聞いてよ爷爷じっちゃん。コイツ、その一本道からも外れててさ」

「なに。あの森で? あの道から外れるっちゅーのは、どういうこっちゃ」

「だよねぇ。私もいまだに信じられないんだけどね。道から外れた草むらの中で、野垂れ死んでた」

「死んでねェわ! なにまた勝手に人を殺してやがんだてめェ! っつーか、迷子じゃねェつってんだろ!!」 


 相変わらず自分の現状を認めようとしない少年ががなり立てるのを「はいはい」と聞き流しながら、ユエは祖父へと視線を送り、彼の人物像をそれとなく伝えた。


「ほーん。なるほど、大体事情はわかった。んで、この豎子こぞうはどっから来て、どこに向かっとったんじゃ?」


 祖父の当たり前といえば当たり前すぎる質問に、答えたくても答えを持たない寝具の上に座る人物ふたりは思わず押し黙る。少女がちら、と睫毛を目の前の少年へと向けると、彼は相変わらず不機嫌そうなそのおもてを一層険しくしていた。

 彼の故郷が見つかるのが一体いつになるのか不明ないま、しばらくここで厄介になることは確実である。盗賊によって家族離散し、結果孤児となった子供たちを保護する日常を送っているため、盗賊というものにあまり好印象を抱かなそうな祖父ではあるが、流石にしばらく滞在をさせるならば、家主には事情の全てを話さなければならないだろう。


(あー、でも一角獣のくだりはどうしよう)


 ユエ自身、少年とあの一角獣との関係性はわからないままだ。

 けれど彼に説明を求めたところで答えそうもないし、どうしたものかと一瞬悩む。


(まぁ……普通に話せばいっか。もしかしたら爷爷じっちゃん、【よう】と関わりある民族とか集落、知ってるかもしれないし)


 よし、と内心頷くと、少女はおもてを上げた。


「あのね、実は……」


 ユエランとの森での出会いから、いまに至るまでを説明する間、祖父は腕を胸の前で組み黙ったままだった。彼が、幼いころより盗賊から盗品を盗んで暮らしていたことを話したそのときも、特に眉間には皺は刻まれることはなかった。

 その話が終わりを迎えたときに、ただ「なるほどな」と、顎へ手をやり、呟いただけだった。


「ときに、そこの豎子こぞう

「あァ!? さっきから黙って聞いてりゃ誰が豎子こぞうだ!」

「そりゃお前に決まっとるだろうが。そんなナリして、ココデハナイドコカトオクヘイキタイ的な思考から抜け出せんとは、豎子こぞうと呼ぶほかはあるまいて」

「ちっげぇわ! オイコラ老夫ジジイ、このでこっぱち、いま、んなこといってなかったろうが!!」

「ちょっと! でこっぱちって呼ぶなっつったでしょ! アンタこそなに聞いてたの!!」

「あ? んじゃ鳥の巣頭とでも呼ばれてーのか、オイ」

「……!!」


 両手で、さっと頭に触れると、確かにぼわっと広がっている。元々毛が細く絡まりやすいこともあり、髪をきちんと乾かしてから寝るようにしていたが、今日は疲れが勝ってしまったことがすべての敗因だ。


「自分だって髪ハネてるくせに……っ!」

「あァ? だからなんだよ、でこっぱち」

「また!! いった!! 名前、教えた意味ないじゃないっ!!」

「訊いたが、呼ぶかどうかを約束なんぞした覚えはねぇ!」

「ぐぬぬっ!! このクソ悪人ヅラ!!」


 ユエランの口論が再び火蓋を切り、寝具の上でぎゃんぎゃんと騒ぎ始めたそのとき、顎に手を当て思案していたらしいフーが口を開いた。


「ちゅーかな、その豎子こぞうの故郷を探してやる必要は、あるんか?」

「え、だって……探さないとさ、こんな人様の恨みを糧に生きてるようなやつ、いつ死んでもおかしくないし……。故郷がわからないと、埋葬も出来ないじゃない」

「てめ……っ」

「アホーぅ。んなこたァわかっとるっちゅーんじゃ、こんアホ娘。そうじゃなく、その豎子こぞうは、本当に故郷を見つけたいと思っとるのか? っちゅー話じゃ」

「!」


 目を一度、ぱちくりと瞬いたふたりへと、老人の声が続けられる。


人間ひとにある当たり前の情として、死んだあと自分の生まれた故郷へ還りたいという気持ちがあるのはわかる。自然の摂理といってもいい。だが、そりゃあくまでも生まれもった故郷に思い入れがある場合のみじゃろ」

「それは……、そう、だけど。でも、死んだあとに僵尸に」

「故郷を探したいんだったら、探しゃえぇ。だが、物心ついたときには、盗賊の真似事させられて生きとったわけじゃろ。だとしたら、儂にゃその豎子こぞうがそこまでして生まれた故郷に拘っとるようには思えんがの」


 確かに、死んだあとのことが最重要事項だったせいもあるが、故郷を探すといったのはユエばかりで、彼から自身の故郷についての想いを聞いた記憶はない。ただ、ユエの提案に、否といわなかっただけの話だ。


「……まぁ、俺ァ、その老夫ジジイがいうように、特に故郷を探してぇと思ってるわけでもねぇ。死んだあと僵尸云々っつーんも、死んだあとの話まで知るかボケってのが正直な感想だしな」

「……まぁ、私の目の前で死んでくれたら、ちゃんと立派な僵尸にしてあげるから、そこは心配しなくてもいいよ」

「だっから、てめェは人が死ぬことを前提に話を進めんじゃねェ」

「でも、人はいつか必ず死ぬから……」

「んな哲学的な話してるわけでもねェよ! 決めた。俺ぁ、てめェより一日、一秒でも長く生きてやるわ」


 再び始まりそうな口論が、フーの薄い手のひらが重なり合う音で終わりを告げた。バシン、と空気が弾けるような感覚に、寝台上のふたりの肩がビクッと揺れた。


「ま、ユエのいう通り、流石に僵尸家業として、死んだあと放置ってわけにもいかんってのも事実じゃからの。どうだ? 豎子こぞうさえ良けりゃ、この集落を故郷にしてやっても良いぞ」

「あ? 故郷を……?」

「道術に、そういうのがあるの。儀式でアンタの血をこの土地に捧げることによって、故郷を生まれた場所からここに定め直すってのが」


 過去、大きな河のすぐ傍にあったひとつの集落からこの国――大華たいかは始まった。

 人口が増え、村が増え、街になり、都市が作られ――大陸全土に人々が散らばるようになったが、元は小さな集落から始まったわけで、血の由来ルーツはその集落にあるため、そこが全ての人間の一番最初の故郷である。

 僵尸になるからといって、そこから人々が離れられないのならば、きっとこの国はここまで大きくはなっていないだろう。


「んだ? じゃあ、いちいち故郷に還って埋葬しなくても、僵尸にならねェすべがあるっつーことか?」

「そう。まぁ自分の故郷に思い入れがないって人間はそうはいないし、大抵の人が故郷を変えようとはしないけどね」


 祖父が身元不明の孤児を引き取るときも、ときおり故郷を探さずにこの集落を故郷に定め直すことがあった。幼いころは、それをする者としない者の差はなにかと思っていたが、大抵の孤児の場合、故郷が見つかったとしても、そこにロクな思い出がないことが多い。

 だったらわざわざ嫌な記憶のある場所に死んだ後に還らずともよいだろうという判断から、そうされていたと長じてから聞いたことがあった。


「まぁ俺はどっちでも構わねぇけどな。故郷に思い入れとやらもねェし、わからねぇままでも一向に気にしねぇ。でもそれじゃてめェらが都合悪ィっつーなら、好きなようにすりゃいいだろうが」

「でも、本当にいいわけ? 血を媒介とする道術って、気づかないだけで人の心の情報を司る「こん」にも、肉体的な「はく」にも負担大きいよ? それに、もし、もし……いつか、家族とかが見つかったときに、後悔することになったりしない?」

「…………はっ、家族ねェ……」


 鼻先で笑うランの瞳の色が、一瞬くらいものに染まる。彼と出会って以降、粗野で凶暴な部分以外見たことがないといっても過言ではないが、それでもこんな表情をするとは思いもしなかった。

 ユエが内心、息を呑み、小さく肩を揺らすと、その空気に気づいたのか少年の表情がいつも通りの憎たらしいそれへと変じる。


「んじゃ、故郷の書き換えをしてしまってもえぇんじゃな?」


 傍らのフーが最後確かめるように少年へと声をかけると、「好きにしろ」と返事があった。故郷探しという目的はなくなったものの、どうやらこの調子でいくと彼もまた祖父の養子になる案件パターンだろうか。


「ってか、忘れてたけど。なんで爷爷じっちゃん、さっきあんな怒ってたの? コイツのことなんだっていってたけど、爷爷じっちゃんだってよく子供拾って帰ってきてたじゃない。私が拾って帰るのはダメなわけ?」

「アホぅ。んなことで怒っとるわけないじゃろが」

「じゃあなんでよ?」

「お前、この豎子ガキがいまどこで寝とったかわかってそれいうんかい!」


 少女はぱちくりと睫毛を一度上下すると、祖父から自身の寝台で胡坐をかく悪人ヅラへと視線を流す。ユエの双眸が自身へと向けられていることに気づいたランは、「んだよ?」と眉間に新たな皺を刻んだ。

 暗い森の中で見たときは、表情に影が濃く落ちていたせいで稀に見る悪人ヅラだと思ったものだが、こうして明るい場所でじっくりと見ればそれなりに年相応ともいえる顔立ちだ。


(まぁ目つきが悪いのは確かだし、すぐにガン垂れるから人相的に最悪なのは変わんないけど……)


 元よりさほどお行儀良かったわけでもない彼の黒髪は、先ほどまでの仮眠で癖がついたらしく、あちらこちらにハネている。この髪型で、よくもまぁ人を鳥の巣扱いしてくれたものだ。


「どこって……ここの、隣の部屋でしょ。架子床ベッドないから、ソファ使ってもらったけど」


 少女は当たり前のように答えると、祖父の目がくわっ! と見開かれ、すでに白くなっている眉毛がその尻をぐぐ、と怒りに持ち上がる。


「え、だっていままでだって養子の子たち、こっちの西廂房の部屋で寝泊まりさせてたじゃないっ!」

「こんアホっ! いままで養子にしてここで寝泊まりしとった子らは、みぃんな十にもならんような幼子ばっかりだったじゃろうが!!」

「だって、爆睡こいてる爷爷じっちゃんのいる東廂房に、こんな得体のしれない悪人ヅラ泊めるわけにいかないでしょ!」

「オイてめェ……人聞き悪ィこというんじゃねェよっ!」

「ふぬぁぁああ!! なんでわからんのかのぉぉお!!」


 つるりとした頭部へと手を当てながら、ぶんぶんと首を振るフーユエの唇は不満げに尖る。


「じゃあ爷爷じっちゃんは、爷爷じっちゃんの寝てた東廂房に、コイツ突っ込んで良かったわけ!?」

「ぐぬっ!!」

「そもそも同じ棟に寝泊まりしてるっていったって、部屋はちゃんと分けてたし、同じ部屋で同じ寝所に上がっていたわけでもないのに、いちいち目くじら立てすぎなの! 爷爷じっちゃんは!!」

「んなこたぁあったりまえじゃろがい!! 同じ部屋で寝所に上がった時点で、そりゃお前……もう結婚っちゅー話になるじゃろうが!!」


 フーの叫び声が、陽の光が差し込む西廂房に響く。

 ときおり、外の風を浴びたのか、カタカタと扉にはめ込まれた磨り雲母ガラスが鳴く。

 そういえば、扉が開きっ放しになっているため、室内の空気が大分冷えている気がする。寝具に包まり座っているせいで寒さは感じないが、いい加減閉めてほしいというような場違いな思考が一瞬脳裏を掠めていく。

 もぞ、と寝具を引き寄せれば、僅かに動いたばかりのそれらは突っ張るようにしゅるりという衣擦れの音を途中で止めた。ふ、と自身の手から、寝具のその先を辿っていくと、そこにあったのは、黒の道袍。


「………………」

「………………」


 はた、とかち合った少年との視線は、互いの沈黙によって繋がれたままだ。


  ――同じ部屋で寝所に上がった時点で、そりゃお前……もう結婚っちゅー話になるじゃろうが!!


 不意に鼓膜で蘇るのは先ほどの、祖父の声。

 同じ部屋である。

 勿論、ユエのものではあるが。

 同じ寝所である。

 同じ部屋の同じ寝所に、ふたりで上がっている。

 この状況を説明すると、そうなる。

 なんの因果か、そういう状況になってしまっている。


(これは、)


 不好マズい

 同じ思考に至ったのか、ユエランが行動に移ろうとしたのはほぼ同時だった。無言でばさっ、と少女が寝具を跳ね除け、少年は膝を立てる。

 が、その瞬間――。


「………………、結婚か……」


 自身のいった言の葉その通りの状況かに孫娘があったことに気づいたらしいフーが、まるで見たくない現実から逃れるかのように、ふい、と視線を少女たちから窓の外へとやった。

 けれど、その口が紡ぐのは、残酷なまでに自身が先ほど結論を出した一言――。


「ち、違う!! っていうか、コイツをここに乗せたの、そもそも爷爷じっちゃんじゃない!!」

「あぁ……あー、アレじゃな。この豎子ぼうずの故郷もここに移すし、ちょうどいいのかもしれんな」

「あァ!? なにがいいんだ、クソ老夫ジジイ!! ちっと自分てめェのやらかしたことをじっくり思い出しやがれ!」

「まだ早いかと思っとったが、ユエも十六。儂が女房もらったときも、確か十六だったか……」


 しみじみと昔を懐かしむような表情になったフーへ、なんと声かけすれば現実が回避できるかとユエは視線をきょろきょろと彷徨わせる。

 けれど。


「……でこっぱち。お前、十六だったんか……」


 フーの言葉を拾ったらしいランが、軽く目を見開き少女のおもてへと視線を向けてきた。確かに彼より年下だとは告げたが、年齢まではいっていなかった気がする。

 この驚き方から察するに、もっと下だと思っていたということだろう。


(あの盗賊どもも……っ! コイツも、ほんと人を一体なんだと……っ)


 そりゃいくら食べても縦にも横にも伸びず、体格だけでいうのならいくつか下の子供たちと同じか、むしろそれより低いくらいだが。


「ちょっと!! どさくさに紛れてでこっぱちっていうなっつってんでしょうが!!」

「あァ!? んじゃ、今後、鳥の巣って呼ぶぞコラ。いいんだな!?」

「いいわけあっかーッ!!」


 何度目かわからない口論に突入しかけたふたりの身体が、先ほど引っぺがしたはずの寝具に縺れる。


「あ」


 声を出したのは、果たしてどちらか。

 ユエの視界がぐらり、傾き、その全てが黒に覆われた。同時に、ふわり、鼻腔を擽るのは、先ほど自身も風呂で使った石鹸のにおい。

 自分が風呂から上がったあと、どうやら義祖母が彼にも湯を使わせたらしい。清潔なにおいが、頬へ触れる。

 ランが、この地を故郷として定めた暁には、きっと祖父は彼を養子にするのだろうとは思っていた。故郷を変える人間は、過去を捨て新たに生き始めるようなものだ。だからこそ、まずフーはその人間がこの土地で新たな絆を得て根を下ろすまでの間、家族でいようとする。

 いままで彼の養子となった面々も、いまは家庭を持っていたり、子がない家へ貰われていったりしているが、それでもいまもフーは彼らの家族だ。


(そう、思っていたけど)


 まさか、こんな形で彼と「家族」になるとは誰が想像するだろう。


「…………結婚、決定じゃな」


 どさ、と背に受けた衝撃は、それよりも破壊力の強い祖父の声によって、掻き消された。


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