第二章 ラブストーリーは、強制的に
< 壱 >
磨り
眩しさに一度睫毛を上下させ、細めた瞳をそちらへ向ければ、どうやら小高い丘から太陽が昇り始めたようで、夜の帳を押し上げるように目覚めたばかりの朝が広くその腕を伸ばし始める。
(は~、ほんと間一髪だった……)
森での騒動の後、予定外に
森から
そして、その転んだ僵尸が障害物となり、後ろに並ぶ僵尸もまた同じように転ぶ。
まるで並べた
(いや、面白くもなんともないんだけど)
彼ら自身はもう既に死んでおり、痛みなど感じるわけもないのだが、それでも僵尸とは「確かに生きていたどこかの誰か」であったことは事実であり、彼らの帰りを待っている者のためにも、極力これ以上の治らない傷を作ってはいけない。
これは、師事している祖父から道術を習う際にいわれた最初の言であり、
そんなわけで、彼らの転倒に注意しながらも全力で帰路についたのは、いまだ汗が引かないことからもわかるように、つい先ほどのことだ。日頃ならば僵尸を棺に入れるにも、簡易ではあるもののきちんと儀礼に乗っ取って行うが、流石にそんなことをしている暇はなく陽の光から逃がすように木製の黒い棺の中へと押し込んだ。
(ほんと、つっかれた……)
は、と吐き出した息は、視界を一瞬白く曇らせるほどだというのに、
(まぁなんにせよ、陽の光に僵尸が当たることもなく帰宅出来たし、盗賊も後を追ってくるわけでもなさそうだし、万々歳かなー)
閉めた戸を背にしながら体重をかけていくと、どっと疲労が肩へ圧し掛かってくるような気がする。とりあえず、このままここにいると寝落ちてしまいそうだ。
重い瞼を、えいや、と持ち上げると、その視線の先には
この
大門から前庭には足を踏み入れたものの、それぞれの棟を臨む
「遠慮してんの? 別に取って食いやしないし、入ってきたら?」
「アホ。んなこと気にしてねェわ」
「そう? 私の夜食、奪って食った仕返しでも怖がってんのかと思ったよ」
「怖がっとらんわ! つか、しつけェ! もういい加減、時効だろうが!」
「あのね、半日で時効を迎える犯罪があるなら、世の中に
(うぅ……夜食奪われたこと思い出したら、実がもう収穫されたあとなのが殊更悲しく思えてくる……)
少女の足音が垂花門の二、三歩前まで近づくと、ようやく
こういった家が珍しいのか、少年の目が、周囲を巡る棟をきょろきょろと泳いでいる。
「結構、でけェな」
「そう? 生きてる人間はそんないないけど、僵尸はその時々で相当数入れなきゃいけないし、近隣住民の儀礼なんかもここでやるからそれなりの広さは必要だし……ま、こんなもんじゃない?」
道士の住まいというものは、風水を大切にするという職業柄どこも似たような造りかと思っていたが、どうやら彼の物珍しそうな視線を見るに、違うらしい。もっとも、すでに人が去った集落しか近場になく、盗賊と変わらない生活をしていた道士の元での生活ではこれほどの家の広さは必要ないのかもしれない。
「で、生きてる人間とやらは何人いんだ?
「うん。
「あら?
突然、
ふ、と見遣れば、彼の背後からひょっこり顔を出すひとりの――
「
「あぁやっぱ
誰だ、と肩越しに振り返った
ビクッ、と再び
「ちょっと手持ちが心許ないってのと……、あと、これ。拾ったから、一旦帰ってきた」
「あ?」
「へぇ。こりゃまた
「あァ!? んだ、てめェはさっきから!」
「コラ。これから世話になる分際で偉そうにすんなっつったでしょ!
「……
それもそうだろう。
いまも
(
ははっ、と
(まぁコイツがどれだけ滞在することになるかわからないけど……、まぁ隠しておくほどの大層な理由があるわけでもないし、いいか)
「
少女が紛れもない真実を紡いだその瞬間、
「………………は?」
ようやく落ちたその声は、それでも疑問符で染まりきったものだった。
「…………
「どのあれなのかわからないけど、あの
「ば、……って、あ??」
彼の脳内で、「
「んっふっふ。
「えー。でも
「……おい誰がアホ
「私の夜食全部食べたことを忘れたとはいわせないから!」
「またそこかよ! どんだけ食い意地張っとんだ、てめェは!」
話す相手もいない孤独な真夜中の行軍において、食べ物がどれほど慰みになるのか彼は知らないからそういえるのだ。
「話してたらお腹すいてたの、思い出しちゃったじゃない。まぁとっとと
「なんで偉そうなんだてめェは」
「アンタにいわれたかないっての!
「んっふ。まぁ流石に実の祖母なら、どんだけ若作りなんだって話よねぇ」
「……いや、っつーか……そこか? 問題は……」
彼のそんな姿に、「んふふふふ」と袖で口元を押さえながら
いまでこそすっかり慣れ親しみ、祖母として懐いているものの、
祖父がどこからともなく幼い孤児などを保護して養子として育てるのは、珍しい話でもなく
(なんせ
もっとも、こうして致命的な方向音痴かつ性格も口も人相も悪い、素性も知れない少年を拾ってきた自分は、間違いなく祖父の血を引いているといえるのかもしれない。
(まぁ、
怒らせると怖いことは、いまはとりあえず黙っていよう。
「そういえば
「あぁ、
「……お酒、かなり飲んでたでしょ」
「ここんとこ、
「
「んー、でもぉ。アタシ、
つん、とつき出した厚い唇の横に、力強そうな指を添えながら片眼を閉じる
(しっかし……寝落ちたばっかってことは、半日は起きてこないだろうなぁ)
「あ、なんか急用でもあった? だったら、叩き起こしてくるけど?」
「あ、ううん。急用ってほどじゃなくて、ただコイツ……、迷子拾ってきたって報告しようと思っただけだから。まぁ寝てるなら、起きてからでいいよ。私も朝ご飯食べて、お風呂入ってちょっと寝たいし」
「あぁ、そうね~。
「あ?」
少女とその義祖母で進む会話についていけないようで、物珍しそうに周囲へと視線を流していた
「ご飯。アンタも食べるでしょ? 厨房こっち。その後、お風呂入って
「……おぅ」
先に厨房へと入っていった
「つか、どういう心境の変化だよ」
「え、なにが?」
「あんだけ
「森で会ったときのアンタは他人だもん。でも、
「アホか! 天が当てねぇなら俺が当てるっつーの!」
「あだ……っ!」
すとん、と頭上から手刀が落とされ、痛みというほどではない衝撃が少女を襲った。キッ、と振り返った先には、相変わらず人相の悪い
「ちょっと! 身長これ以上縮んだらどうすんの!」
「あ? 身長? そりゃいまさら一寸(約三センチ)も二寸も関係ねェだろ、でこっぱち」
「関係あるっての!! 一寸変わったら、大分世界は変わるわっ!!」
「……そうか? あんま変わんなくねェか?」
「ぐぬ……この独活の大木め……」
「あァ!? 誰が独活の大木だ、コラ!」
「自分がどこから来たのかも、どこへ向かっているのかもわからず、森の一本道からも逸れるくらい方向感覚が死んでるアンタに決まってんでしょ!!」
「あんだとコラ!!」
腹いせとばかりに軽く体当たりをしつつ、彼の足を踏みつけてやると、少年の眉間の皺がますます濃く、深くなっていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます