< 肆 >
「
「
「
さほど力を入れたわけではなかったはずだが、顎への一撃が相当効いたのか、
包囲網を崩すことのなかった他の者たちも
「
「……
「わかんねェだろ。相当イイ音してたし、ありゃもう死んでんじゃねェか?」
くく、と肩を震わせているところを見る限り、彼も
しかし、彼らからしてみれば「搾取する側」であった盗賊たる自分たちが、「搾取される側」の存在である小柄な、しかも女らしい人物から歯向かわれることなど、想像してもいなかったのだろう。しばらく
「オイコラ
「いや、いきなり人吊り上げて、それどころか
「
「年頃の娘捕まえて、そのセリフ!? 説得力皆無なんだけどっ!?」
「年頃の娘ってんなら、もうちょっとまともなボインを身につけとけってんだ!! それを……それをこんな……もし、弟が死んだらどうしてくれんだ、てめェ!!」
「はぁ!? 死んだらちゃんと僵尸にして、故郷に連れていって埋葬して弔ってあげるに決まってんでしょ!!」
「あァん!? なに勝手に弟、僵尸にしようとしてんじゃオラッ!!」
元より怒りの沸点には達していたように見えたが、どうやらさらにその上があったらしい。完全に
こめかみに太く青筋を浮かばせ、思ったよりも可愛らしいと思ったその丸い瞳を血走らせながら、手に持っていた矛の切っ先を少女たち目がけて振り下ろしてくる。
ガッ、という音と同時に重い痺れが腕が腕に走る――その直前に、少女は剣の先端をス、と下げ、男からの力をそのまま往なす。そして、半身を引きながら、自身の足元へと矛の穂(刃部)を地面へと落とした。
視界の端で、後方へと下がった僵尸たちの
「おのれ……
どうやら、完全に「敵」として認識されてしまったらしい。
「……おっかしいな……。私、本当に無関係なはずなんだけど……」
「てめェはまず、勝手に人を殺す前提で話進めんのをやめろつーの」
「まだ殺してないじゃない」
「アホ。仮定の時点でアウトだわ」
ちらりと睫毛の先を横へと流せば、相変わらず一角獣の鼻面を撫でながら性格の悪そうな顔で笑う少年の姿。ジリジリと距離を詰めてくる集団に囲まれているというのに、その表情には一切の焦りの感情は滲んでいなかった。
盗賊から盗品を盗むことで生計を立て、その報復さえも返り討ちにしていたという過去は、やはり伊達ではないらしい。
「さっきひとり、伸したから……残り、二十一人か……。何人任せていい?」
「あァ? さっきてめェ俺を仲間じゃねぇとかなんとかホザいてなかったか?」
「……いや、いったけどさ。でも、っていうか、そもそもこうなったのはアンタに責任があるんだけど!?」
「いやこいつらがいまキレてんのは、どう考えてもてめェが一発カマしたからだろうがよ」
「あー、もー、うっさい! やんの!? やんないの!? どっち!?」
「ま、こいつらが鬱陶しいってのは同意だな……なにより、でこっぱちに任せたせいで、時間食うのはめんどくせェ」
「だからでこっぱちって呼ぶなっつってんでしょ! 大体、めんどくさいとか、保護される迷子の分際でなに偉そうに……」
「あ? てめェだって夜中の内にこの森抜けてェとかいってたじゃねーか」
「そりゃま、そうだけど……。てか、アンタ丸腰だけど、大丈夫なの?」
パッと見、彼に武器らしい武器はない。どうやらかなり腕が立つだろうということは、彼の言動や体格からもわかるが、それにしても素手でこの人数を伸すのは相当に骨ではないだろうか。
「はっ、問題ねェ。俺には、
「
「……まぁ、中らずと雖も遠からずってとこだな」
少年は右腕を水平に伸ばすと、
そして――。
「
と、一角獣の名を紡いだ。
――その、刹那。
目の前に突然突風が現れ、視界を潰す。
「……ッ!?」
ゴゥ、という音が、鼓膜を叩き、その風の壁の向こうから少女と同じく混乱する盗賊たちの悲鳴にも似た声が響いた。
「ちょ……、急に、これ……なにっ!?」
風に煽られた髪を抑え、顔を思わず伏せながら
側頭部で輪を作っていた髪が、パラリと解ける。
「……え……?」
恐る恐る、顔を持ち上げてみれば、そこには先ほどまでの強風が嘘のように、シンと静まり返る森が広がるばかり。けれど、耳朶をずっと擽っていたホー、ホー、という梟の鳴き声が風と共に消え、周囲には
少女がゆるゆると、睫毛の先を少年へと向ければ、そこには先ほどまで少年の傍を離れずにいた一角獣の姿はなく、彼の手には、身の丈よりも大きな左右両方に月牙と呼ばれる三日月上の横刃を設けた――所謂、
その色は、白。
柄も、刃も、その全てが白一色。
黒い
「……って、え……、まさか……」
「あー、ヤベ」
大きさから考えても、相当重量がありそうな方天画戟を肩に担ぎながら、自身へ視線を縫い止めたままの
傍若無人が肩で風を切って歩いているような彼にそんな表情が出来たのか、と
「え? なにか」
あった?
そう続くはずだった言の葉は、少年の指がす、と少女の背後を指し示したことで語尾を紡ぐことなく口内で淡く溶けた。
そこにいたのは、複数体の僵尸の姿。
先ほどの風で飛ばされたようだが、どうやら自分たちで起き上がっていたらしく、地べたに這いつくばっている個体はいなかった。
(数、は)
目視で確認したところ、自身が導引している数のまま変化はない。
けれど――。
「さっきの
彼らの足元に落ちるのは、通行料としての冥界の紙銭を模したものではなく、神通力を込め命を記した対僵尸用の符呪。そのままツ、と視線を持ち上げていけば、補褂から伸びた
「って、えぇぇえええ!!」
前へと腕を衝き出した僵尸たちは黒い紅の刷かれた唇を真横に大きく開きながら、靴裏で一気に跳ね上がり、その爪先を
「って、ちょ……、待っ……!!」
とりあえず自身へと向かってきた一体の僵尸の攻撃を右へと避けながら、
少女の足元の地面へと、
「はい、一旦おやすみ!!」
ふ、と周囲を見回せば、盗賊たちへと襲い掛かろうとしている僵尸もあれば、数の優位から逆に僵尸を複数で取り囲み相対している者たちもいる。
(ってか、アイツらが僵尸に襲われて死ぬのがダメなのはもちろんとして……)
僵尸もまた、故郷で待つ者がいる以上、故郷で眠りたいと願っている「
だから。
「でこっぱち!」
背後から、乱暴に声がかけられる。
「僵尸はてめェが抑えろ。俺ァ、
少女は足で地面に太極図を描くと、その近くにある符呪を再び足裏で掬い取り、たったいま彼によって倒された僵尸へとそれを飛ばした。起き上がろうとしていた死体が、そのまま地面へと縫い止められる。
「……でこっぱちって呼ぶなっつってんでしょ!」
弾けるような憎まれ口を返事として、黄色と黒、ふたつの道袍が冷たい空気を孕みながら衣擦れの音を立てて宙を舞った。
***
ザ、と冷たい風が空を駆ける。
木々がその身を震わせるように、葉を揺らしていた。
少女が、は、と息を吐きながら周囲を見回せば、草むらに転がり木の枝に引っかかっている盗賊たちの姿。
夜目に確認した限りだが、その全ての影が苦しげながらも呻き声を上げたり、ときおり身体の向きを変えたりしていることからも、どうやらまだ死人は出ていないらしい。
(死人が出ても、おかしくないような暴れっぷりだったけどね)
――僵尸はてめェが抑えろ。俺ァ、
彼からそう告げられ、乱戦となったのは随分前のことのように思えるが、ふ、と見上げた
(私の方は、まぁ僵尸の数も少なかったからともかくとして。あれだけの盗賊を、こんなにあっさり伸すなんて……報復にきてた盗賊を返り討ちにしてたってのはほんと間違いないなー、これ)
凶悪な面構えに、粗野で短気な性格。
喧嘩っ早く、基本的になにより口が悪い。
自分でいい出したことではあるが、こんな人間を自身の
「おいコラでこっぱち」
「だからでこっぱちって呼ぶなっつってんでしょ! その耳、飾りなら、
「あァ? てめェの名前なんざ知ってるわけねェんだから、でこっぱち以外の呼び方なんてあるかよ。つか、とっととズラからねーでいいんかよ。早く森抜けなきゃいけねーっつってなかったか?」
「……いったけど!!」
「行くわよ。行けばいいんでしょ!」
ついてきなさい。
そう告げると、肩下げへ手を突っ込み、乱暴に引き抜きながら少女は紙銭を宙へと放る。
「僵尸さまの、お通りだー! 生きてる者は、道を開けろー!」
年頃の少女のようにも、幼い少年のようにも聞こえる、高い声が深い森に響き渡った。チリン、チリン、鐘の涼やかな音が鳴り、背後でザ、ザ、と定期的な足音が弾んでいる。
少年はそんな僵尸たちの隊列が進むのをしばらく見遣っていたようだが、やがて飽きたのか少女の傍まで駆け寄ると、彼女の歩みに自身の足音を合わせ始めた。
冷たい冬空の下で、黄色と黒の道袍が風を孕みその裾を揺らす。
ホー、ホー、という梟の鳴き声の合間を縫うように、跳躍する足音が地面を鳴らした。
「おい、でこっぱち」
少女の横を歩いていた少年から、低く声がかけられた。
「……、なに?」
「……お前、名前は? 仕方ねぇから覚えといてやる」
「いやなんでそんな上から目線なの、アンタ……」
はぁ、とため息混じりに頬に触れる空気よりも冷めた視線を向けてやれば、「あんだよ?」と相変わらず人相の悪い
その代わり、彼の首には白い布が巻かれており、先ほどまでそのようなものは身に着けていなかったことを考えると、まぁそういうことなのだろう。
「ねぇ。アンタって何者なの?」
「あ?」
「北方の育ちで、泥棒してたってことは知ってる。あと道士としては致命的なくらいの方向音痴で迷子だってことも」
「俺ァ迷子じゃねぇっつってんだろ」
鼻先に皺を寄せながら唸る彼は、まるで野生動物のようだ。
「で、名前。いう気はねぇんかよ」
「……自分の正体隠しておいて、人にだけ名前訊くってどうかと思うわ」
「?」
「
「
口の中で転がすように、ぼそりと少女の名を呟いたあと、「へぇ」と感情の見えない声を返してきた。
「ま、知ったとこで呼ぶかどうかはわっかんねぇけどな」
「はぁ!? じゃあ、それって名前、訊く意味あった!? ってか、アンタせめて名前くらい名乗ったら!? これからアンタは私に世話になるんだから、せめて性格と人相が悪くても、礼儀くらい心得なさいよね!!」
「あァ!? 誰の性格と人相が悪いだコラ」
「え、自覚ないの!?」
「あー、もううっせェな!!」
シンと静まり返り、ホー、ホー、と梟の声が響く深い森で。
ほかに音といえば、僵尸の足音とそれを先導するための鐘の音。
その他の音など、きっと今夜まで知らなかったはずの森で、男女の喧噪が響き渡る。
「……
「は? なに?」
「だから、名前だろ」
「……アンタの? 名前?」
「てめェがいえっつったんだろうが!」
「……あぁ、そう、だね……いった。いいました」
奇しくも、先ほど野生の動物のようだと思った自身の勘は的外れというわけでもなかったらしい。
「ふぅん。
「あァ!? 喧嘩売っとんのかてめェ!」
「置いてけぼりにされたいなら、どうぞご自由に~」
大きな影がひとつと小さな影がひとつ。
その後に続く硬直した集団が深い森を抜け出したのは、天に輝く三ツ星が西の空に深まる頃だった。
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