< 参 >
暗い森の中、ところどころ空から降り注ぐ
獣道と呼ぶには幾分広いという程度のその道は、当然舗装などされているわけもなく、恐らく馬車を走らせたのなら車輪を石車に乗せてしまうことは容易に想像がつくほどに、大小さまざまな石が転がっている。
その道を取り囲むのは、風に煽られ時折ザザ、と音を立てる木々ばかり――といえたら、どんなに良かっただろうか。
(十九、二十……一、二十二、かな? ざっと気配探った感じだと……これ以上は隠れてるやつはいなさそう)
ツ、と視線を横へ横へと流していけば、じりじりと距離を詰めてくる大きな影。はっきりとした人相までは確認できないが、まぁ盗賊というからには人当たりが良さそうな優しげな
もっとも
(でも、これどう考えても私、無関係だよねぇ……)
さらに、道士という職業柄、武術全般も会得していることは周知の事実であるため、祖父と共に僵尸隊を率いるようになった十のころから、こうしてひとりで引率をするようになった
「まぁすべてはこの悪人ヅラのせいなんだけど……」
「あァ? んだよ、さっきから恨めしそうに人にガンくれやがって……なんか文句でもあんのかコラ」
「はぁ!? ってか、アンタと出会ってから、夜食は奪われるわ盗賊に囲まれるわで、文句しかないんだけどっ!?」
流石に荒事には慣れっこなのか、特に慌てる様子を見せることなく少年は一角獣の鼻面を撫でながら、「はっ、またそれかよしつけーな」と吐き捨てる。けれど、その声を自分たちへのものだと拾ったらしい盗賊のうちのひとりが、元より荒々しかった感情を一気に燃やした。
「んだと、このクソ
「あァ!? てめェに、んなこといってねーわクソが!」
「あァん!? やんのかコラ!! こちとら泣く子も黙る大盗賊集団だぞ!!」
「おぅ、
「
「まぁ、お前が怒る気持ちはよくわかる。おぅ、
巨体を左右にゆらゆらと揺らしながら、木々の間から少女たちのいる道へと「
どちらもこの隣にいる夜食を奪った悪人ヅラと同じくらいの背丈の大男で、整えられているとはお世辞にもいえない髭をそれぞれ顎に蓄えており、その人相は夜目ではあるもののお世辞にも穏やかそうな人柄には見えなかった。
その証拠を積み重ねるように、ふたりの熊のように大きな手には大凡一般人には縁のなさそうな矛が握られている。
「ここまで期待通り、悪人がきちんと悪い顔してくれてると、なにかあっても良心の呵責に苛まれる心配がなさそうだし、そういう意味では不幸中の幸い……なのかな」
どのあたりが幸いなのか自分自身よくわからないのだが、そう思い込まないと正直やってられない気分になってしまう。
「おいおい、そいつァ誤解ってやつだ。俺たちゃ仲間同士助け合いながら暮らしてる善良な市民さまだからなァ」
さっき、泣く子も黙る大盗賊集団だといっていた口はどこへ行ったのだろう。
「この
「金はあるってェ話だったがよ、流石に
晧莱は、ここから北に三十里(約十二キロ)ほどの距離にある都市の名だ。
都ほどとはいわないが、この界隈にしてはかなり大きな規模の街で、賭場や妓楼(妓楼)など歓楽街としての一面も強い。
恐らく彼らはそこを牛耳る侠客、を自称しているだけの盗賊団――つまるところただの破落戸、といったところだろうか。
「てか、アンタ……銭、持ってたの?」
「まぁな。廟をおん出るとき、アイツが残してた金品ごっそり持って出てやったからな」
「だったら夜食分、後できっちり銭で支払ってよね」
「あァ? ありゃ詫びとして差し出したもんじゃねーのかよ」
「詫びって……んなわけあっか! アンタが勝手に食べたんでしょ!」
彼の身勝手な主張を蹴り飛ばし、
(絹……じゃ、流石にないか。あ、でも、しっかりと内衣も上衣も
高級品とはいわないが、小奇麗な衣服を見る限り、その道士の廟での暮らしはそれなりに豊かだったように思える。
(まぁ全部、盗賊の盗品をさらに盗んだものだから、豊かもクソもないんだけど)
現金として、一体いくら廟に残っていたのか定かではないが、ごっそり、と
つまるところ、いま周囲を取り囲むこの集団は郊外に根城を持つものの、その実、盗賊とは名ばかりの、よそ者を口八丁手八丁で丸め込み、
「で、それがなにをどうやったらそんな輩の住居に不法侵入した挙句、食べ物漁るような事態になったわけ……?」
「あ? 賭場に連れて行かれた時点で、こいつらがイカサマ仕掛けて金ふんだくる気でいるのはわかったからな。適当に騙されたフリして負けたあと、あいつらの後つけて、全部奪い返しただけだわ」
その証拠に、彼のその言を耳にした
「なにが奪い返すだ、クソ
「あァ? 根こそぎってほどじゃねェだろ。金目になりそうもないようなモンは置いてきただろうがよ」
「んなもん俺たちだっていらねェよ!! しかもわざわざ盗んだモンご丁寧に僧院で質に入れやがって……っ! もう俺たちじゃ取り返せねぇじゃねぇか!!」
「アホか。常識的に考えてみろや。あんな大荷物抱えて出歩くわけがねェ!」
「アホはてめェだクソ
(まぁ、ワザとなのか本気なのかは、コイツの性格からして微妙なとこだけど……)
どうやらこの大男ふたりが盗賊団の
(っていうか、これ……私、ここに留まり続けてる意味、なくない……?)
そもそもこうして取り囲まれることとなったのも、この少年が彼らの住居を荒らしたからである。その発端を考えれば自業自得ともいえるが、どちらにせよ
(……この悪人ヅラの故郷が不明なままっていうのはちょっと気になるところではあるけど……、まぁなんか仲良く喧嘩し始めてるし、この隙にとっとと帰宅したい……なー)
一斉に、周囲にあったすべての視線が少女へと注がれる中、それでも少女はなにも見えない聞こえない気づかないフリをして、
――が。
「オイコラでこっぱち。なに勝手に逃げようとしてやがる」
少年の脇を通ろうとしたその瞬間、唸るような低い声が頭上から降り落ちてきて、ほぼ同時に
「いや~。だって……冷静に考えてみたら、無関係なのにこの騒動に巻き込まれるのもおかしくないかなーと」
「人を迷子扱いしくさった挙句、勝手に死んだあとの心配までして、故郷探しを手伝うだのなんだのホザいてやがったのは、どこのどいつだったっけなァ?」
「いや迷子扱いじゃなくて、実際迷子だからねアンタ」
なんとか腕の拘束から逃れようとするが、どうにも彼は逃がしてくれる気はないらしい。正直なところをいえば、恐らくこの包囲網から力技で脱出するだけの身体能力はある。伊達に、幼少の頃より祖父から鍛えられていたわけではないのだ。
けれど、さらに本音をいわせていただくならば、如何に死体とはいえ僵尸隊にとって僵尸とは「預かりもの」であり商売道具のひとつである。
無駄な争いに巻き込まれそれを失うようなことがあってはならないし、また制御しているとはいえ、いつ僵尸が暴走するとも限らない。一般人とはなるべく距離を持つべし。というのが僵尸隊を統べる人間の教訓でもある。
もっとも、一般人からしても、僵尸隊と積極的に関わり合いを持ちたいなどとは思わないだろうし、お互いに忌避しあう関係は双方にとって得しかなかったわけだが。
「おいおい、なんだよ。仲間割れか?」
「いや全く仲間じゃないです。ホント、たったいま、成り行きで知り合った関係でしかないので」
「オイコラ。なにが成り行きだこのでこっぱちが。てめェから絡んで来たんだろうが」
「アンタが死体のフリなんかしてるからでしょっ!」
「しとらんわッ!!」
「……というわけで、この人とあなたたちの
「あ、てめッ!!」
ちらり、自身の腕へと睫毛の先を落とすと、そこには太く短めな指があり、そのまま上へと視線を這わせていけば虎髭の男の
ツ、と視線を流し、その横にいる
(ぶっちゃけ、
――否。
人相だけでなく、少女の対するその態度もいまのところ彼の方が圧倒的に心象が悪い状態だ。
けれど。
「う、わ……っ!?」
掴まれたその腕を、ひょい、と上へ持ち上げられ、
「悪ィが、俺たちの根城を知られた以上、もう無関係とはいえねぇなぁ」
如何に外見が想像していたよりも愛嬌があるもので、オツムの具合も可愛らしいとはいえ、所詮盗賊は盗賊らしい。
「僵尸隊連れた道士に無体な真似すると、どうなるかわかんないよ?」
「へへ、そりゃあ噂にゃ知ってっけどよ。これでも随分と丁重に扱ってるつもりだぜ?」
「こんな吊るされた状態で、そういわれてもね……」
「そもそもお前ら僵尸隊の道士は、如何なる理由があっても一般の人間に危害を加えるのはご法度って話じゃねーか。それを破るような真似は、しねーんだろ? お偉い道士サマよ」
「保証なんて出来ないよ。拷問とかされて、痛みで、術が解ける可能性もあるわけだし」
傷みや苦痛による集中力の低下から、道術の効果が薄まることは良くある話だ。それでも取り扱っているものが危険な僵尸ということもありいざという時のために、二重、三重に術は重ねがけし対応はしているが、流石に道中に襲われた経験がないため、この先の仕打ちによって起こりうる事態など責任が取れるはずもない。
「へっへ。まぁ、落ち着けよ。なにもお前みたいなちんまい
「いや実際いま、吊るされてんですけど」
「はっ、つーか盗賊の分際でそれ以上落ちる場所があるとでも思ってんのかよ」
「アンタがいうな、アンタが!! 他人事みたいな顔してっけど、原因アンタだからね!!」
「あァ? 知るかよ。てめェが他人だっつったんだろうが」
「ぐぬ……っ!」
確かに、そうだった。
それにしても、しれっと会話に混ざってきた割に一向に助け船を出そうとはしない少年を恨めしそうに
「オイ
「その耳、飾りなの!? なに聞いてたの! 仲間じゃないっていってるじゃない!!」
「あぁ、そうかい。仲間じゃねぇっつーなら、尚更だな。無事、帰りてぇんなら、ちょちょいと僧院に行ってきて、質に入れたもんを取り返してきてくれねぇか?」
やり取りの大半を
「はぁ? 僧院? 別にことと次第によっちゃ…………って、ん? 僧院??」
言質を取ったとばかりに、突然大男がニヤリと唇の端を持ち上げ笑う。まるで知己にお使いを頼むようなその口振りのせいで、一瞬その言葉を流してしまいそうになるのを慌てて引き戻し脳裏に叩きこむが、その後大量の疑問符の波が押し寄せてきた。
僧院とは、主に修行や勉学のために僧たちが集団生活を共にし、己を高めながら暮らしている場所だが、それ以外にも質屋としての機能がある。元々、歴代の皇帝から幾度となく質屋というものは規制されてきていたらしいが、あるときから利害が一致したのか、僧院でそれを任されるようになったという。
「ってか、アンタ、僧院までよく辿り着けたね。方向音痴が祟っていま迷子のくせに」
「迷子じゃねェっつってんだろ! ……ま、こいつらの根城から丸見えの崖切り崩したとこに建ってたからな」
「あぁ……あの近くなんだ……」
晧莱から西へ十里ほど行ったあたりに、岩肌を晒す小高い丘がある。その崖部を切り崩したところに、そこそこの大きさを誇る僧院があった気がする。
(あんな辺鄙なところ、それこそ修行僧以外、用はなさそうだし……まぁ盗賊の隠れ家としてそこを選ぶのは、わからなくもない、かな)
知りたくもなかった盗賊たちの根城という情報を得た
「で、なんでそれを」
自分に?
先ほどこの目つきの悪い少年が勝手に彼らの隠れ家から奪ったものを売り払ったとはいっていたが、その返品を
「なんでって……お前の連れの、」
「連れじゃないっ」
「あァ? めんどくせぇなオイ。だから、さっきもそこの
「でもそもそも質に流したものなら、返してくださいっていったところで返してもらえるわけじゃないでしょ」
「そりゃあそうだ。だが、道士ってのは、奇怪な道術が使えるってぇ話じゃねぇか」
ニヤリと三日月を模る欲にまみれた唇が、身勝手な願望を紡ぎ出した。
「悪いけど、悪人の片棒を担ぐつもりは微塵もないよ。あと、道術を使っても、あっちも修行している僧なんだし、見破る人、絶対いると思うし」
「おいおい。そこは男らしく、道士の
「…………はぁ?」
望んでもいないというのに、いっそ小気味よいほどに応酬が続いていた
(いま)
なんと、いったのだろう。
「あ? んだ? なにか文句あんのか?」
「……え、いや……なんていうか。あれ? 空耳? 聞き間違えた??」
救いを求めるように、少女の視線が
「……えーっと。もう一度、いってもらえると助かりマス」
「はー。しょうがねぇ……。だから、お前もいくら
どうやら聞き間違えではなかったらしい。
(これは)
もしかして。
もしかせずとも。
ふるふると、
思い返せば、確かに先ほどから、この輩どもは
彼も、自分も大人かと訊かれれば、是と即答できるには未だ青い部分が目立つから、仕方がないことだと。
(明らかに大人以外は、そういう風に呼んでるんだとばかり……)
そう、思っていた。
けれど。
「なんだか知らねぇが、そいつ女だぞ」
「…………」
「…………」
しばらくの間黙ったままだった少年が、独り言のように呟くと、大男ふたりは、ぱちくりかと瞼を何度か上下させ、そしてお互いの顔を見遣った。そしてその後、ゆっくりと少女へとその視線が伸びてきて、ふわり、浮いている道袍へと縫い止められる。
右手を掴まれ、持ち上げられた
けれど、流石に年頃の娘らしく、胸元は多少、膨らみのような、そんなモノが辛うじて主張をしている――気がする。個人的に。希望的なものを、口にしていいのならば。どうやらそれに気づいたらしい大男ふたりの視線が、俄かに落ち着かない色に染まり始めた。
「いや、でも……女っつったら、あれだろ。もっと……こう……ぼいんっ、とだな……」
「待て、
「いやでも、
「
「……なるほどな、
「そういうことに、なるだろうな!」
「って、なってたまっかぁぁあッッ!!」
吊るされたままの
鈍い音と共に、衝撃による痺れが足裏から脛へと走り抜ける。
ゆっくりと後方へと倒れていく
「オイコラ。僵尸隊の道士は、一般の人間へ危害を加えるのはご法度っつってなかったか?」
「道士として道術使うのはご法度だけど、生身で蹴るのは合法!」
「いや犯罪だろ」
「しかも手に武器持ってるくせに、足が出るってどんだけだ。躾なってねェなオイ」
「アンタがいうな!!」
気づけば隣へとやってきて笑う少年へキッと視線を飛ばしながら、
ぞくり、肌が粟立つようなピリピリとした殺気が肌に染み込む感覚の中、は、と吐き出す息は白い。
ちらり、窺った空は、三ツ星が先ほどよりも西へと流れている。
夜明けまでの時間と、その後の展開を想像し、少女は八つ当たりに近い感情を瞳に宿した。
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