第22話 歓迎
翼は武術大会で美の女神アプロディテに焼かれたため、徒歩でギリシャ市街を歩いた。
フェアトの焼けた翼を見た街の人々は、薬や果物を差し入れてくれた。両手を人々の気持ちで一杯にしながらも、ヘラの腕輪の行方を聞くことは忘れなかった。
陽が西へ傾いて行く。すれ違う人ひとりひとりに尋ねても、皆首を横に振るだけであった。
ついに太陽は完全に沈み、夜が訪れた。
街から子どもたちの姿が消えて行き、たちまち酔っ払いや暴漢の闊歩する夜の街になる。
「腕輪……早く見つけないといけないのに……」
母性の女神ヘラは嫉妬深く他人に厳しいことで有名で、自分の装飾具が無いと知れば、勝手に腕輪を持ち出した炉の女神も自分もどうなるかわからない。ヘラが気付かぬうちに見つけ出し、安置されていたという祭壇に戻す必要があった。
夜の闇は深さを増し、眠りにつく住民も多くなってきた中で、腕輪を見つけることは難しくなってきている。フェアトは差し入れの果物を齧りながら、ひたすら歩いた。
時間帯が深夜に差し掛かった。フェアトは体力的にも精神的にも限界に達している。今すぐに神殿に帰りたかったが、主からは腕輪を見つけるまで帰って来るなと言われているため、帰るわけにもいかない。
フェアトの後ろで、かすかに物音がした。木が軋むような音だ。
「あの……フェアト様」
小さな声に振り返れば、たった今通り過ぎた民家の扉が少し開いていて、そこから一人の少女が顔を出していた。何故か眉を下げて不安そうにしていたので、フェアトは彼女を安心させるように笑った。
「フェアト様、凄く疲れているようだったので……。……その、うちで休んでいただけないかと思って……」
少女の申し出はありがたい。しかし、自分が休むわけにはいかないのだ。腕輪を見つけるまでは。
感謝と謝罪の気持ちを込めて申し出を断ると、少女は少し寂しそうな顔をした。
「そうですか……わかりました。引き留めてしまって申し訳ありません」
「ううん、大丈夫。心配してくれてありがとう」
フェアトは再び歩き出そうとした。しかし、少女の家の奥から聞こえた声に、動きを止めた。
「エウニケや、何かあったのかえ?」
「おばあちゃん!寝てなきゃ駄目じゃない!」
少女の奥に目を向けると、一人の老婆がこちらへ歩いてきてきるのが見えた。どうやら、このエウニケと呼ばれた少女の祖母らしい。
老婆は眠そうな目をフェアトに向けた。その途端、暗闇に突然明かりが灯ったように顔を輝かせた。
「
「えっ?」
老婆の言っている意味が解らず、フェアトは目をぱちくりさせた。
興奮気味の老婆はなおも続ける。
「ささ、どうぞ。何も無いところで、大したもてなしもできませんが……」
家へ入るよう促す老婆に背中を押され、フェアトは家の中へ入った。
「どうぞおくつろぎください。ただ今お飲み物を持って参りますので」
半ば強引に椅子に座らせられ、老婆は奥の部屋へ入って行った。
未だに状況が掴めないでいるフェアトに、少女は深く頭を下げた。
「申し訳ありません、おばあ……祖母は、フェアト様が病気の自分のところに慰問に来られたのだと勘違いしてしまって……」
明らかに無理をしている様子の彼女に、フェアトは苦笑を隠せなかった。
天使がおかしそうに笑っているのを見て、少女は怪訝そうに眉を寄せた。
「いいよ、普通に話してくれて。僕もまだ天使としては若造だから、敬語も無しで」
しばらくの沈黙の後、少女は口を開いた。
「…………ありがとう。これからは普通に話すね。私、エウニケっていうの」
エウニケの笑顔は明るく、屈託の無いものだった。フェアトは、己の心臓が大きく波打ったのを感じた。
フェアトは外見こそエウニケと変わらぬ十代前半の少年だが、三十五年生きている。そんな彼が自分より一回り以上年下の少女の笑顔にときめいたと考えると、苦笑いが自然と出てくる。
エウニケと話していく中で、彼女に何故夜中まで街を歩いていたのかを訊かれたので、母性の女神ヘラの腕輪を探していることを話した。
すると、エウニケは思い出したように手を叩く。
「そういえば、今日の夕方かしら。街の装飾品を売ってるお店で、綺麗な細工の銀の腕輪を見かけたの。紫色の宝石がきらきらしてて、とっても綺麗だったわ。他の商品よりも凄く値段が高かったから、覚えていたのよ」
エウニケの見たという腕輪の特徴は、ヘラの腕輪そのものであった。多分、ヘスティアから腕輪を奪った泥棒が、すぐに売り払ったのだろう。
腕輪の場所がわかった以上、長居は無用。フェアトは椅子から立ち上がろうとした。
しかし、エウニケの細い腕がそれを拒んだ。
「今日はもう遅いし、休んでいって。……お願い!」
折角の好意を無駄にするのはよくないとアテナ様も言っていた。今晩くらいは休んでもいいか。そう考えたフェアトは、言葉に甘えてエウニケの家で一夜を明かすことに決めた。
そこで、金の器を持ったエウニケの祖母が戻って来た。
エウニケの祖母の長話で、夜はあっという間に過ぎて行った。
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